◆テンノーゲームのガイドライン◆(10訂版)

このところ、時折多くの方が来られているようで、ありがたい限りです。
とはいっても、こういうときに限ってほとんどコメントが付かないのは、普段の行いのせいなのでしょうか、なのでしょうね、そうですかそうですね。*1
かつまた、このブログも既に半年を経過し、そろそろ記事もたまってきた頃合でもあります。*2
そこで、ほかのブログを見ていて「過去の記事から目立ったトピックをまとめてみる」ことを思いつき、このブログの道しるべ〜ガイドラインとして、簡単な解説とともに過去の反響のあったトピックを挙げてみたいと思います。

 【2004年】
◆6月 ◆7月 ◆8月 ◆9月 ◆10月 ◆11月 ◆12月 


 【2005年】
◆1月  ◆2月  ◆3月  ◆4月  ◆5月  ◆6月  
◆7月  ◆8月  ◆9月  ◆10月  ◆11月

*1:これは、一月当初に書いた文章そのままなので、当時の状況であるとお考えください。<五訂版>

*2:先頃、1周年を迎えました。<五訂版>

【2004年6月】

“韓国ブーム”の正体=フェミ・オリエンタリズム?
掲載以来今でも一日平均で10〜20人が検索で飛んでくる、当ブログの目玉記事。*1
ARTIFACT@ハテナ系さん、電網山賊さん、その場所にさんほか、数名の方からトラックバックも受ける。
冬のソナタ』が主導する「韓国ブーム(韓流)」に対して、その担い手が女性であることに注目し、そこからこの現象が一見逆説的に見えるが「フェミニズムへのバックラッシュ」の一端ではないのかと指摘する。また同時に、その担い手は韓国を「フェミニズムなき地」だとまなざすことによって「失われた楽園」を見出そうとする「オリエンタリズム」的な側面も持っているのではないのか、と指摘し、「韓国ブーム(韓流)」とは、この二つの点の複合的現象ではないのかと位置づけをする。
コメント欄では、早々に「冬ソナ」の登場人物名を名乗る女性による「怒りの書き込み」を受け、それについ釣られて長文レスを返すという恥ずかしい醜態も晒しています。ただ、そのコメントは根本的に私の意図を取り違えており、さらにその姿勢からくみ取れる教訓としては、「“純粋に楽しむ”ということの政治性」への注意ということを指摘できるでしょうか。

*1:注:これは、2005年1月時点の記事です

【2004年7月】

「韓国」ブームの問題点
「“韓国ブーム”の正体=フェミ・オリエンタリズム? 」の追加考察。
先の総論めいた仮説提示に続いて、
1:フェミニズムへの屈折したバックラッシュ
2:「フェミニズムなき地」である(とまなざされる)「韓国」へのオリエンタリズム的視点、
3:「韓国人」(特に男性)への「高貴な野蛮人」視、
4:現在進行形の「韓国」という「イメージの固定化」、「オリエンタリズム化」、
5:韓国に対するメディアのおもねり=自粛、
6:広告代理店(電通)主導の「仕掛けられたブーム」の項目にわたって、各論的に問題を考察する。


思考実験としての「韓国ブーム」批評記事への批評
現象としての「韓国ブーム」の一端といえるシンポジウムの記事を資料に、そこに現れる各人の意識=スポーツ新聞記者のバイアスのかかった意識を、考察する。
また、記事に登場するシンポジウム参加者の韓国人留学生からのコメントもいただいた。(気づくの遅れてすみませんでした)


われわれに「未来」はなかった
参議院選挙の結果に関する大沢真幸の記事を受けた暗いポエム。ポエムなのにトラックバックをもらった自分でもちょっと不思議な記事。
しかし、このブログの書き手の社会に対する基本的な認識として読めるかとは思う。


祇園祭――「伝統」にまつわるささやかなコスト
京都の夏の風物詩であり、日本三大祭の一つでもある祇園祭に関わる「ウラの真実」とは!?


レポート:「韓国ブーム」への韓国人女性の「かなり」冷ややかな視線
韓国に留学した友人のレポートを参照した、韓国国内での日本の「韓国ブーム(韓流)」への反応。

 

【2004年8月】

SYSTEM破壊後のWinXPからKNOPPIXを利用したデータ救出&復旧
ある日突然立ち上げたパソコンが、メーカーロゴでフリーズし続けるようになり、そのままダマシダマシ使っていると、さらにまたある日……
涙なしには読み返せない長大な戦期モノ。
ゲイツゥーーッ!貴様の血は一体何色だァーーッ!!!」

【2004年9月】

何かが今日もリアルでシュールな
某所に投稿までした偶然が生んだマジネタ。本棚をひっくり返していたときに現れた恐るべき本の正体とは!?


従属という名の自由〜ソーシャルネットワークという疑問〜
SNS mixi批判第一弾。特化した肩書きを持たない人間は浮いてしまうのではという視点。
そんなにイヤなら辞めりゃいいのに、というツッコミが早くもw


附、ソーシャルネットワークについて
SNS mixi批判第二弾。なんだかんだいいながら、mixiとは「本質において、「メンバー間の密接な関係性の構築」とはまったく無縁」であって、結局は「商品広告・宣伝・戦略の材料としてのマーケティングリサーチのための釣堀」なんじゃないかという視点。

【2004年11月】

猿の惑星〜遭遇〜
そのヘンな生き物はまだニホンにいるのです。


巨星落つ、か・・・(負け犬の)
いわずと知れた、負け犬の星・サーヤこと紀宮様結婚のニュースによって世間=ネットで広く知られるようになった、ある真実!?


京大ミスコン騒動にみえる「コミュニケーション」の喪失
メディア報道のベクトルとミスコン推進派の本音から透けて見える、確たるフェミニズムへのバックラッシュの一現象。
それは有無を言わせない「正義」……なのか?

【2004年12月】

宮崎アニメはどこへいった?――ハウルの動く城を見て
公開前から不安要素がいっぱいあった『ハウルの動く城』を見て、観劇前とはまた違った意味でショックを受けた後に書いた感想記事。否定的視点となっております、念のため。(だからどうした、という姿勢でお読みください)


mixiはやっぱりネオ・マーケット
SNS mixi批判第三弾。「釣堀」から一歩進んで、「純粋な」マーケットの奴隷を生む奴隷牧場なのではないか、という視点。ちょっと尻切れトンボかも。


ブログは私の楽しい狩場
SNS mixi批判第三弾、の補足。ブログって実はコワイよ、という視点。


電信柱が長いのも、郵便ポストが赤いのも、少子・高齢・超高齢化も、未婚・晩婚・非婚化も、不況・失業・無職化も、全部男が悪いのよ。――女性をオニババ化させないために
話題の「オニババ本」批判。読まずに批判する最低な批評の例。でも、読まなくてもわかってしまう話だという意見も…?


それがアカデミズムではないのか?
R30::マーケティング社会時評「プロのジャーナリズムとは何かについて考える・最終回」へのトラックバック記事。
ブログジャーナリズムの収益体制として提案される「頭のいい人、面白いことの言える人、1つのことに粘着して徹底的に調べられる人に、みんなが自然に(無意識に)お金を渡す仕組み」こそ、そもそものアカデミズムの役割だったのではないのか、という指摘。
ここから、スピンオフして、こちらのブログの「なぜ大学は研究を手放さないか」というエントリで引用されていました。


「守ってくれる男」がいない?〜ああ悪い、男が悪い、悪いのよ〜
バンキシャ!での「ヨン様を探せ!韓国お見合いツアー」に大挙する30代女性という特集へのツッコミ。
男のせいですかそうですか、という視点。ちょっと興味深いことに、「守る」って結局どういうことよ?という疑問に発して、コメント欄では、「守りたくない男、守られたくない女」というすれ違いの存在が暗示される。さて。


人はオタのみにて生きるものにあらず〜オタクとコミュニケーション〜
モテ/非モテ話がブログ界隈で盛り上がっていた時期に、自分の中のまとめ的に書いた長文。結果、「非モテ」だと韜晦して見せるよりも「もてない男」だ、との自覚をする=宣言することに意識の起点を置くべきでは……ということを書くつもりが、結果的にオタク論へシフト。「ライトオタク」(岡野勇)概念ともからめ、オタク誕生の経緯を「コミュニケーション」の観点を用いて社会環境面から考察。
書いている間中は相当混乱していたので無理やり文章をつなげたような部分も無くは無い。複数のエントリに分かれているのがその証拠か。
loveless zeroさん、純粋なココロさん、恋愛弱者蜂起計画さんなどからリンク・トラックバックをいただく。

【2005年1月】

少子化への「有効な対策」など笑止!
少子化問題は、社会問題=社会内部の各論的問題としては解決できないし、またそれを個人の責任に帰結させることは、愚かとしか言いようが無い。やや、宗教観・死生観が前面に出た文章。


「負け組」の「現実肯定」が、社会に致命的な一矢を報いる
書こう書こうと思っていて書けなかったり、PCトラブルで消えたりしていた記事「一人で出来るテロリズム」の改変版。
未来への意思なき社会で、沈黙する弱者が弱者として生きることがそのまま強者へのテロとして致命傷を与えることになる、という怨念のこもった文章。
社会主義同様、資本主義も耐用年数を過ぎ、パラダイムシフトの時期に来たのではないのかという意識が根底にある。
意外にも、loveless zeroさんより再びリンクされる。「静かなるテロリズム」による「自壊する社会」のイメージ、との評をいただく。


老人は思いつきでものを言う〜その名は、南セントレア市〜
珍名称、いや珍走団的名称が市名に採用されんとする異常事態に対する緊急抗議活動への参加TB。
結果的に、撤回されたようです。なによりなにより。

【2005年2月】

テロルの時代と大学の使命
上の「■「負け組」の「現実肯定」〜」の続編的な記事。
先の省消費・少子化・ひきこもり・自殺といったサイレントテロ、頻発する不可解な暴力事件といったマイクロテロなどという、既に浸透しつつある「テロルの時代」という問題提起に対して、
首都大学東京を核として議論(内田氏・R30氏・川瀬氏)となった「大学」=「教育」の問題を活用する方向に改革することにしか解決策がないのではないだろうか、という一抹の期待の表明。
圏外からのひとこと」さん、「loveless zero」さん、「ARTIFACT@ハテナ系
さんほか多数の方に紹介していただく。


学校殺死の系譜
学校侵入殺人事件と「自己責任」について。
レトリックに注意。

【2005年3月】

想像力のないアメリカ人好みに反地雷キャンペーンを
国連主催の「反地雷キャンペーンのCM」に対する、アメリカのヒステリックな拒否反応に対して、じゃあどうすればいいのか、という一案。


森憎と木っ殺の すごい 万博
愛知万博愛・地球博の惨状に対する風刺。
われわれ日本人は自然を破壊することで、初めて永遠の美しい自然を手にすることができたのだ!!
ばんぱくばんざい ばんぱくばんざい
そして うつくしいにほんが たんじょうするだろう

【2005年4月】

キーワード作成:「サイレントテロ」「マイクロテロ」
このブログの中で引用または言及回数の多くなってきた「サイレントテロ」「マイクロテロ」の二語をはてなキーワード化。
後に、「マイクロテロ」の語を発案された方からも了承を得る。


ジキルニュースとハイドブログ
ひさしぶりにたまたま見たNEWS23で組まれていた、ブログはジャーナリズムを殺すのか?という特集についての感想記事。
「ジャーナリズムとは何か」というせっかくの問題提起が、「責任あるニュースメディアは、ジキル博士のように真剣に悩み、真摯に問題に取り組み、自問自答し、奮闘しているが、対して、無責任なブログは、ハイド氏のごとく感情に任せて攻撃的書き込みや、暴力的な発言に明け暮れている。」といったように、矮小化して終わってしまったというもの。
それにしても、NEWS23のキーワードで飛んでくる人が少なく、その影響力の低下をつくづく感じた。


「中国」というセカイ系
教科書検定問題や東シナ海ガス田採掘問題、竹島問題などをきっかけとした、中国での一大反日運動が展開される中、デモに参加する中国人のメンタリティーを「セカイ系」という切り口で考察したもの。
だが、ポイントは、「軍事独裁国家」といかにして付き合うのかという点にある。
その内、別の日付ででも「中二病」ともからめてリライトするかも。
マイクロテロ」の語を発案された方と、ほか一名の方からトラックバックをいただく。


「現実肯定」社会の行方
今をときめく「カリスマ扇動者(命名、umeten)」内田樹氏による、「現実肯定」社会への危機感を表した連続エントリ、「階層化=大衆社会の到来」と「ニーチェオルテガ 「貴族」と「市民」」へのトラックバック記事。
かの内田氏の見解は、先から私が言うところの「サイレントテロ」と意を同じくするものではないのか、というもの。

自由主義的競争がそれに参加すれば、否応なしに勝敗のレッテルを身につけざるを得なくなるのに対して、参加すること自体を無効化してしまえば、「勝ち」と判定されることもないが、「負け」と判定される、蔑視されることもなくなる。
そのことはさらに、「自分の価値を自分で認める」という、実に完成された「近代個人主義的なるもの」に近しいのではないか。

loveless zeroさんをはじめ、数名の方からコメント&リンク&トラックバック


森教授脳の恐怖
四日間で一万五千PV、さらにその後の二週間でまた一万五千PVを記録した、当ブログ始まって以来のお化けエントリ。
はてな内のTBだけで15を数え、リンクを張ったニュースサイトは数知れず(=数えてない、の意)。
知らないニュースサイトってまだまだいっぱいあるなあ、と思い知りました。
個人ニュースサイトってすごいのね、すごいのよ?
しかし書いた本人は、そこまで面白いこと書いたつもりはなかったりするのですが、それもこれもすべて森教授のおかげです。
みんな大好き森教授。>ある意味で
時々刻々とリンク先とPVが増えていく様は壮観の一言でありました。
これが「ゲーム脳」か。

【2005年5月】

「監獄」の誕生――「地域」という名のコロッセウム
「「現実肯定」社会の行方」の第二部として書き出した、メディアで希求される「地域」への違和感から生じた都市型市民社会への一視線。
名づけるならば、「コロッセウム」論とでも言おうか。
「健全」と「不健全」、「善」と「悪」、「市民」と「奴隷」の確固たる区分が声高に叫ばれる現状は、返ってそれがいつ転倒するやも知れぬ流動性をはらんでいるからではないのか、という視点。
結局のところ、「地域」復活の合唱から「監獄」は誕生せず、「コロッセウム」のありようを隠しているだけなのではないだろうか。
レベル5鬱に陥る前に書き残していた記事を調子の出ないままに書き上げたところ、意外にもまたまたloveless zeroさんからリンク。


「コロッセウム」は「村八分」か
上のloveless zeroさんのコメントへの返答記事。(文体がまったく違うのはいつものことなのでご愛嬌)
具体的ではあるが明示的ではない「空気」というところからはじめ、指摘にあった「村八分」という概念に沿いつつはなれつつ、「コロッセウム」を形成する根源としての「疎外」する「強制力」のありようを示す。
強いつながりを求めながら弱いものの排除を進めるという、「地域」待望論の泥沼具合こそが、「コロッセウム」の本質なのか。
これまたloveless zeroさん、電網山賊さん、Demilog@はてなさんからリンク。

【2005年6月】

外国人犯罪に対する心がまえ
増加する外国人犯罪、端的に言えば中国人犯罪、韓国人犯罪に対して、つい過剰に感情的な反応をしてしまいがちな、最近の雰囲気に対して、ワンクッションおいてみようというもの。
罪を憎んで民族を憎まず。
――とはいうものの、やはりなかなか…


2chコピペ「さぁ俺を殺せ。日本。」
2chに書き込まれていた鬼気迫るコピペの引用紹介。現在でも、NEETや失業、増税問題などを扱ったスレで、このコピペが張られる様を見ることができる。
予想以上の反響に驚くと同時に、自分で書いた文章じゃないのでちょっと申し訳ないような複雑な気分に。


カフェ〜その機能と本質〜
思いついたままほったらかしになっていたネタで、自分がヤケに苦手なあのオサレ空間、カフェに対する歪んだ愛情表現。
カフェ…恐ろしい場所!!
「見られること/見せること」に対する意識というものにスポットを当てると、結局カフェとは「女性」そのものでは無いのか…とか言ってみるテスト。
シリーズで、「サボテン〜その痛々しい自意識〜」ってネタの構想があるのはここだけの話。


それが「自己責任」だ
いじめにあっていた少年が教室に爆発物を投げ込んだという事件に対する、「正確な論評」。
――これは「事件」ではない。
そして、まさに、

卒業後にまで怨恨の尾を引かず、在学中に「反作用」を起こせたことが、犯人にとっては救いになることだろう。


「ニート脳」
自作自演の二番煎じネタ。にもかかわらず、意外にもわりとウケたようだ。
罵倒するだけで問題が片付くと言いたげな昨今のNEETにまつわる言説状況に対して、問題の本質を見極めないと、そのうちいずれ「誰もいなくなった」という状況になるよ、というもの。
「○○脳」シリーズは、ネタとしてはちょっとお手軽すぎる嫌いがあるので、しばらく封印かな。


イスに座って聴く説教の 右や左に流れ行く
小中学生への調査で、「人は死なない」や「自己肯定感の低下」「自殺への共感」などの「間違った考え方」が「明らかになった」ことを伝えるニュースに対して、ちょっと待てと。
 ま た 「 命 の 教 育 」 か ! と。
結局、この手の調査は老人たちの自己満足のネタにしかならないのでは?という気が激しくいたしますがいかがでしょうか。


カリスマ扇動者たち
以前にnopikoさんとこのコメントにちょこっと書いた、カリスマブロガーたちの「奇妙なスタイルの一致」に対する概念化を意図して書いたもの。
ちょっと身辺でいろいろとありましたので結局、冒頭部分だけの書きかけのみでアップしたにもかかわらず、R30氏本人が登場。ちょっと気にしすぎじゃね?
7月中にはなんとか書きます予定ですのでもうちょっとお待ちください。


終わる世界〜ブログ、そしてSNS〜
「ブログが終わった」という皆の舌の根も乾かぬうちに、語られた「SNSは終わった」というニュースに対する感想めいた、mixi批判。
また、批判ですか。いい加減、少しはほめたらどうなんですか?
と、自分でも思わなくも無かったので、自分でやってきたスローで消極的な使い方こそが快適な欧米的SNS生活をエンジョイするうまいやり方だったのでは?とか言ってみる。
すると、最近はやりの「はてなブックマーク」にて、文体とか罵倒語とかをホメられる。
でも、ビジュアルポエムってなぁ〜に?ビジュアルポエムって何だYO!

【2005年7月】

[ネタ]ココログに一言物申す
初期設定でフォントの大きさをいじれないブログは嫌いですよ宣言。
宮崎吐夢の「ペリー来航」でお送りしますた。オゥ開国してくだサイ〜。

それに比べて、はてなユーザーになると、
いいよ〜モテるよ〜モテちゃうよ〜モテモテ、だYO〜?
それに、カイテキな欧米的ブログがエンジョイできちゃう。デキチャウ。


[試考]非モテはしばらくそれでいい?〜恋愛が滅ぼす社会〜
この前後にブログ界の一部で沸騰した非モテ論議にからんで考えてみた記事。
結局のところ、いかな悩める処女・童貞であろうと、「自分のペース」での恋愛感覚の成就が必要なのだということであり、それはすなわち……


[メモ]買ってきた金魚がいきなり全滅したという話
緑青は人間には無害だけれども、やっぱり金魚とか淡水魚にとってはどうそのものが毒だったということがわかりました。
ごめんなさい。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏


[試考]テロは「犯罪」であって、「戦争」ではない。
世の中に流布する「テロ=戦争」概念へのカウンター。
各個撃破を重ねるだけでは、何の解決にもならないということ。


[試考]誰がためのアカデミズム
アカデミズム遥かなり。
すでに過ぎ去りし日々に抱いた憧憬と焦燥感を核にした、「孤軍奮闘」するエリートの振るまいへの違和感の表明。
何もかもが「から回り」している。そんな気がする。


[試考]サブカルチャー化する仏教
提出用に書いた作文をもったいないのでブログにアップしてみたテスト。
のべ3年間、実に1万時間超の労力をかけたバックボーンを基にした軽いエッセイ。
圏外からのひとこと」さんからリンクをいただく。
ああ、あとこれにリンク張って反論くれた記事に反論書かないとな。忘れてた。
→異論+反論=常識論、ってとこだけど。


[ネタ]デスノートは挿絵の多いライトノベルである
デスノート読み続け始めました宣言。こう考えると、まあ読めなくはないわな、というお話。
2chマンガ板にリンク貼られてたっぽいけどよくわかんない。


[試考]扇動者としての文化人
「カリスマ扇動者」考、第二段。
「文化人」という存在ほど始末に終えないものはない、というお話。

老人自らが「物質的豊かさ」を享受しながら、若者には「精神的な豊かさ」を押し付けるというこの素晴らしさ!!
文化的、あまりにも文化的!!


[時事]日本の未来はDQNDQNDQN♪
政府税調でのトンデモ発言に触発された、「すばらしい」日本の未来予想図。
結局のところ、女性には労働力としてよりも、出産育児マシーンとしての機能だけが求められていることが伺えますが。
が、

子供を産むためには仕事を辞めざるを得ず、一方でもう一度仕事をしようと子供を保育園に預けようとすると、仕事をしていないからという理由で門前払い。
すげーすげー。なにこの絵に描いたような本末転倒。orz


[メモ]ふと横を見るとおとなしげな中学生くらいの女の子がなにやら熱心に(以下ry
 説・明・省・略!


[メモ]「さぁ俺を殺せ。日本。」のプロトタイプ
例の「時代を映す名コピペ」である「さぁ俺を殺せ。日本。」には、プロトタイプがあった。


[ネタ]戦後の日本とドイツの違い
やっぱり、ドイツは「味方」です。


[試考]「少子化問題は男の責任」?はいはいワロスワロス
思わずあごが外れて顎関節症が再発しそうな勢いであきれ果てた、天下のビジネスエリート様の馬鹿丸出しの寝言ポエム批判。
寝言は寝てるときだけにしろ。
MBA過程で習わんかったか?


[試考]X歳になるまでにやってきたYの事柄
雑誌に殴られ、あおられる前に、張っておきましょ予防線。


[試考]誰が人を「負け組」へ扇動するのか。
「カリスマ扇動者」考、第三弾。
ビジネスエリートも、文化人も、その口をつぐめというのだ!今すぐに!!


[時事]21世紀の公害 ――「美しい日本」の「伝統」――
21世紀によみがえる、「活力あふれるすばらしい日本、美しい日本」の亡霊。


[メモ]だめだこいつ…はやくなんとかしないと
これが、デスノートのライトの台詞からの引用であることを気づいてもらわないと、私はタダのすげー偉そうな馬鹿に見えます。
アカデミックな反論を仕掛ける余力がないのがそもそものこのエントリの至らなさの原因。

【2005年8月】

「孤性」というセクシャリティ〜「恋愛」の三つの層から見て〜
一応、「モテ」「非モテ」に変わる、第三極的呼称を考えてみたつもりだったのだが、あんまり反応がなくてちょっぴりがっかりしたのはここだけの秘密のこころ。
最近だと、「避モテ」とか「ティモテ」とかでて来てるしね。
やっぱ、「モテ」の二文字をはずしたのが敗因か。
それとも、もう少し個人的体験を交えたほうがよかったのか?あんまりベタベタした話書くのも重いんだよね筆が。


嫌韓流へのクールな反応と、美術についての一言
スーパー高校生のWIKIにリンクを張られたお陰で以って、毎日少し、ときおりわんさか人が音連れるエントリに。
つか、今のこのご時世で「文化がない」発言ってのはいい加減にどうよ???小林亜星かお前は。「文化」の名指すものが、「伝統文化」と「文明の利器」という差異はあるが、そもそも定義の不確実なモノに対して、その有無を一方的に声高に叫ぶというのは、それ自体愚かなことだ。


日常に潜む「死のアスベスト空間」
21世紀の公害、アスベストが潜むごくありふれた「日常の風景」。スーパーやショッピングセンターにご用心。
最近では、小学校や駅なんかにもガンガン使われていたことがはっきりしだしてきており、こりゃ、あと15年もすれば、またガタガタっと日本人の死亡率ってのは上がるんじゃないかなと思われ。


「まじめさ」という病理と「惰性」という社会性
実感に裏打ちされた、静かなる怨嗟の声。そして、それが共感を呼ぶ。誰がその身を剥ぎ取るのか。誰しもがそれを剥ぎ取られるのだ。この日本の中にある「世間」という地獄の中で亜は。


「若さ」という機能不全――若さ!若さって何だ!?――
もはや、若者といわれる世代の人間であろうと「なんとなく」生きることが許されない時代。「そのうち何とか♪なる〜だ〜ろ〜う〜♪」で生きてきた先行世代との精神的確執は避けられないものと思われる。


人気ブログ発、ベストセラーという安直さ
もともと人気のあるブログをそのまま本にして売り出して、編集者がデカイ顔をすることへの違和感の表明。
ぶっちゃけ、負け犬の遠吠え。


「他力」という「悪」
ひとびとに徐々に与えられた「ゆとり」が、ひとびとを知的格闘ではなく、無謬性信仰という「癒し」へと誘導したのか。思考・調査・判断。あらゆるものを打ち捨てて、自らの外にある何かへと頼り切るその様はまさに仏教用語に言う、「他力」だ。
この「他力」こそが、日本に近代を根付かせなかった諸悪の根源的要因ではないのか。
――つまり、仏教こそが、日本にとって最も害毒となった思想ではなかったか。
すべての問題をこの世の内からあの世の果てへと、美しく葬り去る。


今こそ言おう、「仏教死すべし」。


2chコピペ「脱オタに立ちはだかる壁〜美容院という現実〜」
悲惨な体験とその裏側にある厳然たる市場主義的な差別の存在を語るコピペと、自らの美容院体験とそれへの対策を重ね見た記事。
一言で言うと、「散髪屋で十分!!」
身につまされる内容のためか、個人ニュースサイトでの第二次カウンタ暴走回転の端緒となった。


デジタル粉塵爆発
意味:個人ニュースサイトからのリンクが、時々刻々と連鎖反応的に増えていくのに合わせ、カウンターが劇的に回転数を記録する現象。来訪者の絶対数が増えるのと同時に、好ましからざる客も増えることとなり、春夏冬の三大休暇期間には「厨」とよばれるコメント者も多く現れる。


「コミュニケーション」の脱神話化
はてブ経由で見た、新書『帰ってきたもてない男』への書評を交えた「コミュニケーション」について考察する、すばらしい記事への言及エントリ。
まさに、

今現在、世間にWebに吹き荒れる、「コミュニケーション」信仰に対する、「脱神話化」へのクリティカルな一撃。

だが、同時にこうも感じるのだ。

そもそも、この「コミュニケーション信仰」の中に、「コミュニケーション」は不在ではないのか、という思いを。


不特定多数からの犯罪は、不特定多数へと還る
罪は罪としても、かわいそうな気がしてならない。
この両親は、いったい何を思って結婚し、そして子供まで作ったのか。


宗教右翼の「ふしぎな」動き
統一教会の「純潔教育」思想の罠にはまる「恋愛弱者」の姿が指弾されていたので、逆にその宗教右翼的主張である純潔教育が、いったい何をもくろんでいるのかについて考えみてみた。
やっぱり迂遠だなあ……しかもまぬけ。


「モヒカン族」という「信じてフューチャー・限界チャレンジャー」
はじめからうすうす感づいていはいたのだが、コメントのやり取りでわかったのは、やっぱり、ネットの「アカデミズム性」に対する双方の認識がズレていたのだということ。
私の意見では、「「モヒカン族」は、アカデミズム的思考様式をネットという非アカデミズム的な場において体得するプロセス」、と見たのだが、トラバ先では「アカデミズム的作法を体得した人間がネット利用をすることが「モヒカン族」」、としていたということ。
トラバ先がいい人だったので、ネットの歴史の勉強になった。


大人社会のロールプレイングゲーム
この記事はフィクションであり実在の人物とは一切関係ありません。あと、ブログを見るときは画面からはなれて見てね!


分かってないのは誰?
東京新聞の記者の書いた、上海のスナックでの日本人駐在員の男と中国人のホステスとの会話を皮肉った記事。
登場人物ごとの、ケーススタディ・コメディタッチ。


■20万ヒット記念企画〜人から出されたお題をテーマにブログを書いてみる〜
もうね、絵に描いたようなスーパーウルトラグレートデリシャスワンダフルずっこけ企画。
ああ、ゴメンナサイごめんなさいィ……。
しかし、たとえどんな恥さらしなエントリであっても消さない。それが俺のジャスティス

【2005年9月】

[試考]「恋愛」というナルシズム
「本田式の「非モテ」の主張は所詮ナルシズムではないのか?」という指摘に対して、こりゃちょっと早めにカウンター打っとかないと、またひと悶着起こりそうだな、と思ったので、ナナメ読みによる誤読の可能性にあえて目をつぶって最速で書き上げた記事。


シロクマさんのサイトだとは露知らず。(これホント)ぱっと見、失礼さ全開の文章だが、シロクマさんのクールかつ懐の深い姿勢に、感謝感謝。


[試考]自民党員電通マン 中山泰秀の白い嘘
この広告屋は結局当選しやがりました。まあ、こんかいは大阪人に限らずバカが多すぎたってことで。欝だ……



[試考]もう子供は生まれない
なにげにフラストレーションをぶつけた文章を書いたら、いきなり「真性ひきこもり」さんに噛み付かれた記事。こえーこえー。まあ、自分の至らない面も多々あったことは自覚できた。


[メモ]絶望的衝撃
プライベートモードにまでしましたよ、このときゃ。


[試考]「エリート」という異界の存在〜「愚民」論を超えて〜
未完成仮説「異界のエリート」。
後に、「エリート信者」という優越感ゲームのプレイヤー(9月28日付)で一応の完成を見る。

[試考]「既得権」のシェアリング?
余丁町散人というブログの、あまりの寝言ポエムのひどさに、もうれつアタック!
ああもう、老人は若者の希望のために早く死ねばいいのに。


[試考]「まじめさ」の世代間格差
「まじめ」という言葉に内包される、世代間の大きな溝。
コミュニケーションデバイド。


[ネタ]全部嘘さ、そんなもんさ、ミクの女は幻〜♪

う〜そ〜だ〜よ〜!メガネなんて要らないよ〜〜〜!!!

という、「メガネ男子萌え」ブームの真実が最近暴かれてきつつつあって、やっぱこの記事も正しかったのではないかとまたしても変節するumetenであった。


[試考]「ルサンチマン」の前に立ちはだかる「コミュニケーション信仰」の壁〜テロリスト宣言〜
泥にまみれて闇を討つ。
この世界の全ての「幸福」に呪いあれ。


[試考]「メガネ男子萌え」に関する自らの過剰反応について
反省してみたけど、この反省も確かに必要だったが、やっぱ「メガネ男子萌えは」、所詮、その必須条件にイケメンメガネかメガネイケメンが、鉄の掟として設定されているわけで、だから、僕なんかは、インビジブルメガネなわけ、さ!
死ねばいいのに。



[メモ]「まじめさ」の裏切り
宗教団体は人を救わない。その団体を救うのみ。
しかし、個人的な精神世界もまた同じ。


格闘が足りない。どこもかしこも。


[メモ]おもいつき
思いついたが百年目!とはいうものの、どうしたらいいのか具体案が思い浮かばん。とりあえず、非モテオフに参加できればしてみようというところからかしらん?


[試考]「生きづらさ」の正体〜「世間」という名の「神聖支配」〜
この国を今一匹の亡霊が徘徊している。神道という名の亡霊が。


[ネタ]「非モテイベント」フィーチャリング「ブログシューター翔」
レッツ・メイク・「ブログカード」!!
ホントに作ったよ!
非モテオフで配ったよ!!


[試考]「非モテ」幼年期の終わり
でも、まだ始まってもいないさ。


[試考]「エリート」信者という、優越感ゲームのプレイヤー
真説「異界のエリート」。
「学歴信仰」の現実の姿。

【2005年10月】

[試考]「非モテ」話に傾けば傾くほど、ブログの特性=個性が失われていく

という事態に、もはや陥っているといえるのかもしれない。

とかナントカ言ってる間に、非モテオフに参加までしてしまったよ。
しかも東京まで行って。
もう完全に非モテブログになっちゃったな今は。(遠い目)


[試考]モテツールとしてのオタク ①


[試考]モテツールとしてのオタク ②


[試考]モテツールとしてのオタク ③


[試考]モテツールとしてのオタク ④


[試考]モテツールとしてのオタク ⑤


[試考]モテツールとしてのオタク ⑥


[試考]モテツールとしてのオタク ⑦


[試考]モテツールとしてのオタク ⑧


[試考]モテツールとしてのオタク ⑨


[試考]モテツールとしてのオタク ⑩ 〜終章〜


[試考]NHK「日本の、これから」〜10月のテーマ「若者」〜への投稿下書き
見事なまでにNHKにスルーされたむなしい魂の叫び。


所詮ジジイのジジイによるジジイのためのオナニー番組だったわけだ。

【2005年11月】

[ネタ]非モテオフ・嘘レポート〜非モテ最強伝説Kiya〜
非モテオフ――そこは最後のフロンティア。
だが、期待に胸を膨らませて扉を開けた向こうに広がっていたのは、阿鼻教官が支配する地獄絵図であった……


今ここに幕を開ける銀河系を又にかける英雄興亡列伝!


[試考]非モテオフ・ホンネレポート


[試考]あなたの考える「脱オタ」


[試考]天馬唯さんへのコメント


[試考]「脱オタ前」:「脱オタ後」〜天満唯さんへのコメント2〜


[試考]「センス」なるもの〜差異化の差別構造〜


[試考]「脱オタ」という名の「自己責任論」


[試考]モテ族のアカウンタビリティ〜天満唯さんへのコメント3〜


[メモ]問いかけへ悲観的反応


[メモ]対話の中で


[試考]非モテの正気、モテの狂気〜天馬唯さんへの回答4〜


[試考]論理的帰結として完成されたオタクルックに「解決法」などは不要。


[試考]「スクールカースト」という概念の重大な欠陥


[メモ]カースト制


[試考]「学級階層問題」〜意義ある異議への異議〜


[試行]それこそオタク・非モテへの精神的売春の強要ではないのか


[メモ]これ何もかも人の心を流し動かす策士の技なり
耳を澄ませばほら、聞こえてくる策士の笑い♪

「うへへへ」


[試考]「脱オタ」から「脱オタク差別」へ〜天満唯さんとこへのコメント〜


[メモ]はてなブックマーク作法(ここポイント)


[試考]「お前にはコミュニケーション能力がない!!!」〜「暴力」について〜


[メモ]この辺で「東京ブロガー」ってのをDISっておく


[試考]いったい、どうなっているのでしょう。とても理解できません。


[試考]「まだ」ではなく「もう」男じゃない、「非モテ」


[試考]大月隆寛のかわいそうな芸風


[試考]「聖痕としてのスティグマ」を超えて


[メモ]2chコピペ「故郷は地球」