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  <意味>
  □1.電脳ゲームから刺激「゛」が抜けたもの
  □2.「個性」「アイデンティティ」「自分らしさ」などの、「こころ」の大切さを抽象的に教え込まれた世代
  □3.曖昧な「こころ」中心主義に毒された世代がそれぞれ自己中心的になった様
  □4.天皇遊戯ではない
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2005-11-10

[]「スクールカースト」という概念の重大な欠陥

本来、「非モテ」については、その「非モテ」内部から語られ、立ち現れてしかるべき論理(あるいは救済)が、「モテ」という外部の論理(あるいは救済)で語られていることと混雑していることが、このコンフリクトのそもそもの原因ではないだろうか?


そして、「論理」に対して不用意にあまりに不用意に、無自覚にあまりに無自覚に「感情」が持ち出されるにいたっては、そこにコミュニケーション・デバイドの暗い影が差しているという他はない。


だが、まずは投げないことが肝要である。
そもこちらの精神の奥底には、「裏切り」への耐性など十二分に用意されているのだ。
いまさら騒ぐようなことではない。
が、惜しい。実に惜しい。否、口惜しい。


さても、しかし、である。


私が以前に書いたこのエントリを端緒として形成された*1、ひとつの概念へ、そろそろその短い寿命の潰える時を宣告しなければならない時期なのではないかと思うのである。


そう、そろそろ「スクールカースト」なる言葉には、ご退場願わねばならない。


確かに、私は上記リンク先記事にてこう言った。

ここで少し、小学生のあの残酷な実態を思い出していただきたい。

かのクラスの中のヒエラルキーで、上位に位置していたのは一体どのような子供だっただろうか。

それは、明らかにカッコイイ/美人な子、または運動のできる子ではなかっただろうか?そして、彼らを中心してコミュニティ=コミュニケーション可能なグループが形成されてはいなかっただろうか?

そして、おそらくこの記述に自らの体験を重ねて、「スクールカースト」なる概念が編み出されたのであろう。
それは、一見して、かの悲惨な実態を実にスマートに表現する言葉であり、実に使いやすい、わかりやすいものであった。
そのようなもの「では」あった。


だが、よく効く薬とは、それすなわち劇薬である。
少々毒が回り始めた今こそ、その解毒を図らねばなるまい。


そう、すでに事態は「スクールカースト」なる言葉が、本来、告発のベクトルを以って編まれたはずのその言葉が、その差別の構造そのものを「現実肯定」する機能を持ち始めているのである。
もはやそれは、「思考停止」の域に達し始めているといっても過言ではない。


「俺はAクラスだった云々」「オレはCクラス云々」「スクールカーストで言えば云々」


もはやそこには、その語本来の目的とはかけ離れた精神がにじみ出ている。
つまり、「スクールカースト」の語が使われれば使われるほど、その現状が断固として補強されていっているのだ。


端的に言えば、「スクールカースト」という言葉によって、「階層の固定化」が推し進められているのである。
AクラスはAクラス、CクラスはCクラスといったような。


そもそも私の書いた記事では、「その後の可能性」に向けて論を展開させ、極力「階層性」=ヒエラルキーの解体のベクトルを含ませていたつもりだった。


それがどうだろう。
この「わかりやすい言葉」となってしまった今、「スクールカースト」は、生き生きとして差別の構造を再生産し、あまつさえ学校という異常な空間の時限的現象であったはずのものを、もはや生涯逃れられない暗黒の鎖にまでに育て上げ、人々の心を絡め捕ろうとしている。


もはや、これ以上黙っているわけにはいかない。
いや、より直接的に、はてな市民の一員として、義務として、そのキーワードを削除するべき時期に来ているのかもしれない。


この語が辞書にでも載り、ブログの存在などカケラも知らないような人々の間にまで広がる前に、致命的なアウトブレイクが引き起こされる前に、最終的な解決方法を取るべきであるのかもしれない。




時は既に遅きに過ぎたのかもしれない……が、それでも止められる範囲で止めるべきだ。

*1:と勝手に思っているのだが

Masao_hateMasao_hate 2005/11/10 23:09 意義あり。
「スクールカースト」が言語化される前から、こうした概念の存在はリアルでもネットでも頻繁に語られてきましたし、この単語には多数の共感の声が寄せられました。「スクールカースト」が若者社会に存在することは、厳然たる「事実」なわけです。
この言葉を隠蔽することは、スクールカーストを「温存」させることにしか繋がらないでしょう。事実を的確に知ったうえでなければ、「解決策」を編むこともできません。僕はこの構造を「温存」させるよりも、「解決」に向かわせたいと考えています。ゆえに削除反対。

otsuneotsune 2005/11/11 04:11 隠蔽することによる安全保障が必要なジャンルと、フルディスクロージャーによって解決するべきジャンルの二つがあるとしたら。
スクールカーストは後者だと私は思いました。
なぜなら、スクールカーストの根本は人類が普遍的に持っているものだと思うからです。

MISTMIST 2005/11/11 06:46 Umetenさんが言っていることはスクールカーストという言葉がもはや、それが存在するという事実を暴いて階級構造を解体させるものではなく、暴露的性格が失われてしまったことによって単なる階級再生産装置になってしまったことを危惧しているのだと思います。確かに今更スクールカーストという言葉を隠蔽してどうなるものではないですが、早急に解毒剤か新薬が必要だというようなことを言っているのだと思います。(もっとも暴露の為の言葉の開発と階級再生産装置への取り込みのいたちごっこになる可能性は十分ありますが)
あと、「意義」ではなくて「異議」ですな

p_shirokumap_shirokuma 2005/11/11 08:55 痴呆を認知症と呼び換えて得られるものは、すぐに消えてしまいます。スクールカーストという単語が潰れれば、その単語が指し示す差別の構造が軽減化するという発想で仰ってるのだとすれば、私はその発想に違和感を表明することになります。語彙を操作することが現実の差別だの階級だのにそんなに影響を与えないと私は考えるものですから。

shingo12082001shingo12082001 2005/11/11 18:31 「スクールカースト」はいわゆるグレーゾーンの象徴的な一例だろう。そういった階級風潮を見事に言い表したという点では見事だと思う。だが、本来はこの言葉に何の影響もない。
現実に今学生をやっている人たちが「そういったカーストを自分に適用してくるならお前らはぶっ飛ばす」という意思を持てばいいだけのはず。

「スクールカーストという言葉ができたからそういうのがなくなるOR当たり前になる」と考える人というのは、スクールカーストという言葉に対して自分の意思を明確に表していない気持ちの裏返しではないか。
ようは自分がスクールカーストに対しての意識をしっかりと持てばいいだけだ。感化される奴はバカなんだ。それだけ。そんな奴はどうせ今もいじめられている。

demian(外出先)demian(外出先) 2005/11/11 23:19 削除はされなくともよろしいと思います。otsuneさんのご指摘どおり、スクールカーストはいわば人類の「原罪*」ともいうべき「内なる優性思想」がもたらす問題のひとつの表れと思えます。

singo12082001さんの「感化される奴はバカなんだ〜」と書かれた文章の中にもそれは既に入り込んでいるようにも思えます。

このくらいしぶとく罪深いものに対しては、それを当たり前として宿命的に捕らえてしまっている人たちに対しても「そうじゃない、気づいて、なにがしか立ち向かったり、告発することはできるし、そうしたほうが不幸を減らせるんじゃないか」というメッセージを発していくことが重要であると思いますよ。もちろんうっかりスクールカースト差別を行っている人がいたり、自分自身が行っていることに気がついたときに指摘したり反省する時にもその言葉と概念を示すことができたほうがよいと思います。そのためにも残しておいてくださると幸いです。


*優性思想的なものを「原罪」と表現したのは哲学者の小泉義之さんです。ご参考まで。

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