さんざうるさく叫ばれる「コミュニケーションスキル」とは、単なる位置関係に過ぎない〜オヤジやジジイほど不躾で無作法であるという真理〜

いい社会勉強になったというか何というか、最初から踏ん反り返ってる顧客とか、顧客にペコペコ頭を下げつつ下請けに対して踏ん反り返る大手ベンダとか、間に入って下請けをいじめるn次下請けとか、権威主義食物連鎖のように不毛な重層的な下請構造を眺めていて、人月なんてスキルじゃなくて居場所で決まるんだよなーという確信を新たにし、
これから職を選ぶときは気に入らない相手に頭を下げずに済む会社に入るか、自分で物事を決められる立場になろうと心底おもった。
さまざまな憂鬱とわたし - ITアーキテクト諸君、君は本当に姉歯建築士を笑えるか?

この年上の人間が話を聞かないことが当然とされているこの社会はいったい何なんだ。


呪いの文句が有効ならば、一日一万句でも百万句でも唱えたい。


先の徳保さんにしても、同じようなセンスをどうやらお持ちのようで。

「ネガティブなことを書かないようにしている」というブロガーの暗黒面について

ご覧のとおり「ネガティブなことを書かないようにしている」ブロガーの鑑、umetenです。


えぇもう、私が書いているのは、常に心底直球勝負、真っ向唐竹割れんがばかりの、めくらめっぽう正直な、誠心誠意の青息吐息であるので、決して「ネガティブなこと」なんぞではございません、念のため。


とまあ、そんなストレートな告白はさておき、「ネガティブなことを書かないようにしている」という姿勢のその殊勝さには実に頭が下がる。
……あ、いやいやこれでは自画自賛ですね、いやらしいとてもいやらしいですね。


ですが、気になることがここにひとつ。
その自画自賛を除いたほかのブロガーについてである。


「書かないようにしている」というからには、当然のこととして「ネガティブな思い」を抱いているということになるのだが、さてその方々がその精神の暗黒面を、いったいどのような形で吐露ないし暴露ないし廃棄ないし処理ないし消化ないし昇華しているのだろうかという、単純なことである。


まあ、ある種メタ的なフィルターを通して書き上げることで暗黒面を昇華するという高度なテクニックもございましょうが、それでも書くことには変わりなく、気になるのは、「書かない」で済ます、「胸のうちに秘めて」済ます、という、いかにも体に悪そうなイメージについてなのですが、実際どうなんでしょう?


結局、自らの内なる幸福感を取り出して補完材料として、心理代償的に用いているということなのでしょうか?


そうすると、そも幸福感というものに対して恒常的欠乏症に陥っているような人間じゃ、到底無理なわけで、
つまるところ、「ネガティブなことを書かないようにしている」というのは、「私は幸せなんですよ」というポーズに過ぎないのか。
それはつまり、「あなたも幸せになればいいのに」ということを言ってのけているというワケなのか。
なるほど、「ネガティブなことばっか書いてる不幸な人間テラワロスwww」とかなんとか言いたいワケですかそうですか。
この「ネガティブなことを書かないようにしている」という呪いの文句を読んだ人間は、自らの不幸を省みて悶え苦しめとかそういうことなんですかそうなんですね。






はぁ……ったく死ねばいいのに。(心底直球勝負(中略)の青息吐息)

とりあえず死ね。スポーツ脳は死ね。

死ねばいいのにじゃなくて、死ね。


応援メッセージ - 若者の人間力を高めるための国民運動

野村忠宏
(柔道家)
とりあえず、がんばれ!
遊びでも、勉強でも何でもいいので、まずは一生懸命になってもらいたいです。人間はどこに自分の可能性があるのか分かりません。何かを始めて、必死になる中で自分の可能性を見つけてほしいと思います。

大八木淳史
(元ラグビー日本代表)
まず日本があっての自分、もーもーその、過去をさかのぼったら、お母さんとかお父さんとか大勢いるわけで、その一人でも欠けたら、今自分たちはいーひんわけや。そういうこと考えると、今この世で生きてるということは、選ばれた人間ということかもしれんわな。それだったら、自分らが愛する日本に何ができるかというために、暴れる位の覚悟でええんちゃうかな。とりあえずこの日本で一緒に生きていこうや!!


つーかこのボケジジイは糞の役にもたたん議長なんぞをしている暇があったら死ね。

若者の人間力を高めるための国民会議 議長
奥田 碩

「不況をしのぎやすい経済社会は、逆に好景気の恩恵を受けにくい社会なんではないか」

ニートと呼ばれる層の人々がこぼれおちるような*1)そうした(社会の*2)「隙間」をなくし、不景気などのショックに対してロバストな経済・社会構造を考える、という課題はそれ自体としては興味深いが、それは今さしあたっての問題ではない。
それはまさに長期的な課題としてしかありえない。
(おそらくはいかなる意味での「隙間」もまったく無い社会などありえず、そのような「隙間」に対して我々に、究極的には、小手先の対症療法しかなしえない。もちろん「隙間」のできにくい社会を創る、ということの意義を否定するものではまったく無いが。)
個人的には、不況をしのぎやすい経済社会は、逆に好景気の恩恵を受けにくい社会なんではないか、とも危惧する。(『教養』第8章参照。)これは多分平等主義とも関係しそうだ。
インタラクティヴ読書ノート別館の別館 - 論点を(また)整理するよ。

結構じゃあないですか。


「好景気の恩恵」など、ケシ粒ほども受けた記憶がございませんわ。


は?え?バブル?それなんてエロゲ
右肩下がりの底なしの絶望感しか記憶にありませんが何か?


ホント何を危惧されておられるんで?

*1:引用者注

*2:引用者注