エヴァとデスノとコードギアス<追記>


って、これ全部おんなじ話だろ?え?そう思ってんの俺だけ?


少年が世界を左右する力を手に入れて破滅へ突き進むっていう。


一体どこに質的な差異があるってんだ。


枝葉の生え方が違うだけの同じ木だよ。


<追記>

id:SHIKAIKILYOU [アニメ][漫画][ネタ] その木の名前は「ドラえもん」と言います。

あーなるほどねー、と、うっかりその路線を進んでいくとまたぞろ「日本マンガ」が「鳥獣戯画起源説」まで行き着いてしまうように、今昔物語がどうのとか、記紀神話がどうのとか、各種仏教経典とその源流のアジア神話とかギリシャローマ神話だのまで話がのびきりそうな気もしてしまう。


結論1:歴史は物語であり発言者の意図の範囲が世界のすべてである。


とはいえ、もう少しだけ線引きをするなら、「少年(主人公)」と「力」が分離している作品の起源はどこに求められるか、という問題だなこれは。
だがさらにとはいえ、少年(主人公)そのものに力が備わっている場合――「少年=力」である場合には、超人物語となり、こうなったらこれはもうまさに典型的な神話の物語になってしまう。
つまるところのとはいえ、主人公と力が融合していようが、分離していようが、「「主人公」が「力」を得る物語」だという点で両者は同じなのであり、ならばなるほどまさしくこれは神話に起源をもとめてもあながち間違いでもなくなるというわけだ。


結局のところ、「主人公と力の関係」とは、「人間と異界(超常世界)との交流」という点にこそ核があるのであり、それを現実的に突き詰めていくならば「自分の存在と他人の存在」という問題になる。


そしてそのテーマを露骨にかつキャッチーにかつ「問題そのもの」として表現したという意味で、『新世紀エヴァンゲリオン』は社会=人間に対してあれほどまでの直接的、具体的な影響を与えたのだろう。


なぜ富野御大が執拗な(こっけいな)までに「エヴァは潰したい」と発言し続けるのかといえば、ガンダムに代表される富野作品もまた同じように「自分と他人の問題」を描こうとした、し続けているからであり、しかし、それが幸か不幸かエヴァに比べればあまりに物語として完成されていたがために、その問題提起性が人々の視界から薄れてしまい、ガンプラだの新ガンダムだのといった「ただの商品」リスト上のシロモノに「成り下がっている」と怒りを感じるからであろう。


であればなるほどその中でも、「打ち切り」という形で偶然にも「破綻した物語」としての性格を獲得した、『起動戦士ガンダム』や『伝説巨神イデオン』が問題提起性を獲得した(している)というのは、示唆に富むところだろう。


結論2:「問題提起」とは、畢竟、「物語」としての完成をみてはならないものなのであり、その「回答」(解答ではない)を読者に対して放棄することでしか、「問題提起」足りえないということだ。


ではさて、この結論1と2を合わせて考えるならばどうなるか?


その回答は、読者に向かって放棄することにしよう。