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  <意味>
  □1.電脳ゲームから刺激「゛」が抜けたもの
  □2.「個性」「アイデンティティ」「自分らしさ」などの、「こころ」の大切さを抽象的に教え込まれた世代
  □3.曖昧な「こころ」中心主義に毒された世代がそれぞれ自己中心的になった様
  □4.天皇遊戯ではない
  <注>
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2008-08-12

[]Google社の詭弁に対抗するための批判的思考

文字通り世界規模の盗撮犯罪であるGoogleストリートビュー問題。

それを正当化するGoogle社の詭弁たるや、まさに失笑ものなのだが、毎日新聞の名前を挙げるまでもなく既存マスコミがそろってインターネット嫌いだということから、一般ニュースではまったくと言っていいほど無視されている。

オマケに都合の良いことに、ちょうどオリンピックの真っ最中で、なおかつグルジアロシア戦争まで起きているのだから、この問題をマスコミが「無視」する大義名分は硬軟ともに十分保証されているというわけだ。


高木浩光@自宅の日記 - 通信プラットフォーム研究会 傍聴録 (Google社の発言あり)

http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20080810.html#p01


グーグル藤田一夫オブザーバー

大変ありがとうございました。事務局の資料はすばらしい内容で、ぜひ実行して頂きたい。民民でやれることは積極的にやっていきたいが、民で解決できないことは、行政からの力とお知恵をお借りせざるを得ない状況である。ユーザが自由に選べるような環境作りをして頂きたい。

最後にプライバシーについて。確かに問題があるかもしれないが、日本のプライバシーに対する感覚は、アメリカイギリスとでは違うのではないか。日本では、マンションとかはまた違うかもしれないが、一戸建てでは名前を表札に書いている。名前まで。わざわざ自分の名前を公道に出しているわけだから、プライバシーなんて気にしていない。(会場苦笑。)それが、ネットの世界でだけ気にするというのはうーんどうかなと思う。(会場冷笑。)これは最近フィルタリングのことを彷彿させる。有害情報、有害情報と声高に言われるが、たしかにそういうところもあるが、人によって有害無害と価値観が違うのだから、一人の学者さん、偉い学者さんの倫理観で縛るというやり方というのは、いかがなものかなと考えている。


文字通り自閉症的に他人が見えていないGoogle社*1の発言に(苦笑)と(冷笑)を禁じ得なかった会場の光景が見えるようである。

もはや生存に直結するようなレベル社会インフラの整備を一企業がなんのコンセンサス社会的合意もなく独断で実行し、しかもそれがなんら社会的に認知されていないと言うことが大問題なのだ。

「社会的に認知されていない」というのは、いくらネットの時代だと叫んだところで、新聞テレビといった旧来型のマスメディアに載らなければ「社会問題」が存在することが困難なのが偽らざる現状だからである。


そうした一方でGoogle社は、「GoogleMapストリートビュー」がはらむさまざまの問題、社会構造を揺るがすようなレベルの問題を「プライバシーの感覚」という感情的なレベルにすり替えている。

クレームの相手」すなわち顧客をいわば感情論のレベルに貶めて、自らは論理的な立場であると示すことで比較優位に立とうとする実に姑息な詭弁である。


この「Googleストリートビュー問題」に対して、はてなブックマークでは、曖昧な「日本文化論」が人気を博しているようである。

が、歴史を持ち出すのであれば、批判的精神に基づいた歴史学的な見地をもってこないと、感情論へのすり替えを得意とする無自覚な詭弁屋には通用しないのではないか。

それこそ、「日本文化論」を根拠にしようとした場合、「既成事実主義」とでも言うべき悪しき「自然主義」によって、「それはもう過ぎてしまったことだ。」の一言で片付けてしまうことだって可能なのだ。


その一つ、Google の中の人への手紙 [日本のストリートビューが気持ち悪いと思うワケ] - higuchi.com blogでは、「日本の都市部の生活道路は生活空間の一部で、他人の生活空間を撮影するのは無礼です」という形で「日本の文化」を持ち出している。

しかし、それは「私的空間を守るため」に形作られた文化ではなく、「公的空間を“美化”するため」に押し込められた結果だと言っていい。(芹沢一也『狂気と犯罪』ISBN:4062722984

日本の近代化の過程で外国人向けの見栄えの良さを作り出すために、「野蛮さ」が家の中に排除された結果として生まれたのが現在の「日本的プライバシー」だということだ。まるでゴミ箱のようである。

だとすれば、この点において「日本の文化」である点を全面に出した場合には、「本当の日本文化」は「のぞきのぞかれの開けっぴろげなものだったのではありませんか?」という反論の詭弁を誘う可能性もあるのではないか。

「文化論」においては、「梅原縄文学」の例を出すまでもなく、それが論者の思い入れによって維持されている面が非常に強い。

そして、その思い入れは常に「本当の文化」を目指すことをエネルギーとしている。

逆に言えば、「本物」を持ち出されると非常に弱いのである。

その意味で、「文化論」をもって対抗しようとするスタンスは、ある程度の妥当性を保ちながらも反論の基盤としては極めて弱いものだといえる。


また、安心社会から信頼社会への移行をグーグルが強制している - アンカテでは、日本は「安心社会」でアメリカは「信頼社会」だから、アメリカ発のGoogleストリートビューは日本になじまないとしている。

――ちなみに、イギリスの場合65%の人間が否定的な意見を持っているらしい。

だが、その末尾で本人が「私は、「安心社会」はすでに崩壊しているので「信頼社会」に切り替えていくべきだと思う」と言ってしまっているように、この「日本文化論」は、そもそもまったく意味をなしていない。

Google社が詭弁を重ねるまでもなく、いやむしろ、その詭弁を先取りして強化してしまっているといってもいい。

これでは日本社会がどちら型であったとしても、とにかく世界標準たるGoogle社が弄した詭弁=判断通りに従うしかない、という態度にしかつながらないのではないか。

その上、「一刻も早く、(山岸氏も含めて)日本教の社会理論を体系化して、社会契約論のように違う文化に属していても順番に本を読めば誰にでも勉強できるようにすべきだと思う。」というのは、まったく「命の大切さを教育すれば自殺は防げる」というのと同じくらいお粗末な話で、そんなものができたとしたら、Google社の「機械」的詭弁に拍車がかかるだけだ。

大体が、「文化論」の標準化など、もはや失効したイデオロギー装置=「大きな物語」でなくてなんだというのだ。

死体をつぎはぎして電気ショックを与えれば動き出すというのは、ファンタジーの世界の話だ。


「日本文化」を持ち出すのであれば、批判的精神に基づいた歴史学的見地を持ち出してこそはじめて有効となる。

以下に引用するものが、Google社が喜々として持ち出してみせた「表札」論に対する反論となるものである。

岡田憲治の「野次馬住宅時評」/第45号 徴兵と表札 | 工務店のための建築ポータルサイト

http://www.builder-net.com/yajiuma/yajiuma045.html


徴兵と表札


明治3年(1870)9月4日、時の政府は「今より平民苗字差し許されること」と太政官布達を出す。庶民も苗字を名乗れるようになった。これはいいことなのか、悪いことなのか。これまで熊さん八さんでも生きてこられたし、これからも生きていけるだろう。苗字が付けられるからといってどうということはなかった。『いずれにしても一般庶民は、すぐには苗字を公称しようとはしなかった。』(日本人の名前の歴史 奥富敬之著・新人物往来社)という。

何故、苗字を差し許すのか――それは明治の政府が固まるにつれ明らかになっていく。

明治4年4月4日、戸籍法を制定。

明治5年1月29日、全国的に戸籍調査を始める。

次に打たれたものは戸籍の整備、これは一種の国勢調査であり、庶民1人ひとりをしっかりと把握していこうというものである。調査するためにも、万民、苗字を付けることが求められていた。

戸籍は家に対する法的規制であり、『華族士族・平民といった族属の別によらず、居住地により家ごとの戸口を戸籍の上に記載するという編製の仕方をとり、戸籍を通じて家を掌握しようとしたのである』(「家」と女性の歴史 大竹秀男著、弘文堂発行)。

戸主を筆頭に親族、その配偶者まで記載させる。この調査がなんのためであったのかは翌年(明治6年1月10日)にわかった。徴兵が布告されたである。徴兵規則によれば年齢は20歳から30歳までの男子が徴兵されることになっているが、一家の主人、一人っ子、老父母のあるもの、官吏、洋行修業者、金持ちなどは免役されたので、主に貧農の2男以下が徴兵された。徴兵には反対する者も多く、その年、世に言う「血税一揆」が起こっている。

苗字、戸籍、戸主、徴兵そして表札――明治に入ってこれらが1つに結ばれていった。

表札に関していえば、明治5年4月の戸籍法第7則では、各戸の番地使用を定め、さらに9年12月9日、各戸の門に番地、姓名を記した表札の掲示を定めるのである。これは何のためなのか言うまでもない。

江戸の頃は自己表現として存在していた表札、そして表札もどきのもの、それが明治になると庶民を管理し監視する道具となっていった。


つまり、「表札」とは個人がプライバシーをさらけ出すために自ら進んで喜んで出しているものではなく、まさにGoogle社がやっているような個人のデータベース化の論理によって強制されていたものだったというわけである。

だとすれば、Google社が言う「一戸建てでは名前を表札に書いている。名前まで。わざわざ自分の名前を公道に出しているわけだから、プライバシーなんて気にしていない。」という詭弁は、「データベースの作成にはデータベース化が必要だ」というトートロジーでしかない。

なんら、Google社の盗撮犯罪を正当化する根拠となるものではないのだ。




この問題については「ネット文化論」とでも言うべき方向からの意見も見られる。


グーグル・ストリートビューに儀礼的無関心を求めるのは筋違い[絵文録ことのは]2008/08/10では、「ブログが日本に広まり始めた2003年ごろに話題となった「儀礼的無関心」問題を彷彿とさせるものがある。」として、「ストリートビュー」への否定的反応は「無断リンク禁止」論と同じものではないかとしている。

だが、その指摘が根本的に間違っている点は、「無断リンク」があくまでネット上で完結する問題であり、たとえ書き手の精神に被害を及ぼすものだとしても、ネットと生活との間には「越えられない一線」が確保されていたということである。

もちろん、ハッカースキルをもってすれば、IPを突き止め、住所を割り出すことも可能なのかもしれない。

だが、そんな一部の人間の例をもってして、「ネット文化」を論じていいのだろうか。

パソコンが壊れたときに「なにもしてないのに壊れた」というのが一般的なユーザーなのである。

そうした一般ユーザーとハッカーを同列に見るというのは、あまりに乱暴な論の立て方ではないか。

その一方で、「ストリートビュー」は、それが「GoogleMAP」という地図サービス上の機能であることからもわかるように、住所・地名と「関心」の対象が文字通り簡単に、完全に、一致してしまうのである。

それこそ、マウスしか使わないような単なる一般的なユーザーのレベルでそれが可能なのだ。

しかもそれが、特別に高価なアプリケーションソフトを買う必要もなく、インターネットに接続さえしていればいつでも誰でもそれを使うことが可能なのである。

これを「儀礼的無関心」の一言で済ませていいわけがない。


また、「ストリートビュー」騒動をめぐる誤解 - 池田信夫 blogでは、プライバシーそのものを認めない立場から、「プライバシー権と称するものは他人の表現をコントロールする権利であり、認めてはならない。」とし、さらに、「権利のインフレは、著作権法にもみられるように、いったん起こると元に戻らないので、今のうちに歯止めをかけるべきだ。」としている。

この論は、人権に関わる問題を利益に関わる問題と同一視している時点でおかしいし、そもそも「権利のインフレ」という表現がまるでどこかの美しい国の農水大臣と同じ精神から発しているようにも思える。

また、「プライバシー権と称するものは他人の表現をコントロールする権利」だというのも、そもそも他人に対する信頼が損なわれた状況になったからこそ、社会をつなぎ止めるためにプライバシーという権利が「第二世代の人権」として生み出されたのであり、それを根本から否定するのなら、まず自分がすべての他人を否定せず頭から丸ごと完全に信頼して見せろといいたくなる。

加えて問題なのは、「ストリートビュー」を単なる「風景」だという論者の判断である。

論者には、これが「単なるフリーの街頭写真素材の提供サービス」に見えているのだろうか。

位置情報・住所情報と完全にシンクロした、なおかつ今後「擬似リアルタイム化」すらされなねないシロモノが「風景」の一言ですまされるわけがない。一体、何を見ているのかと言いたい。

ほか、Google社の「表札」論を無用な「燃料投下」だとしているが、先に見たように、それはある意味でGoogle社の本音を上書きするものだったのである。




この対立を一言でまとめると、「放っておいてもらう権利」を認めるか認めないかということになるだろうか。

それが社会的な「信頼」の基盤に触れる問題であることは確かであるが、それ以上はまだうまく表現できない。

その代わりとして、なぜGoogle社がこのような大胆な犯行を犯すことが出来たのかについて、参考になるネタ記事を挙げる。

小学生のブログが話題『隣の家ビューを作ってみた』 脳内新聞(ブログ版)

http://noonai.blog9.fc2.com/blog-entry-867.html


マスコミに「横暴な取材」が「許されている」のはなぜか。個人ではなく企業だからである。

Google社が「独断で、無断で、勝手に社会インフラを構築する」ことが「許されている」のはなぜか。個人ではなく企業だからである。


倫理の如何などではなく、数の力によって「正義」は決定されているのである。

ならば、それに対抗するためにはそれを上回る数の力が必要なのか。それも違う。

企業活動に対しては経済活動によって反撃しなければならない。




――そう、毎日新聞に対してネットユーザーがやったように。






<関連>

機械化帝国Googleが破壊する「生身の人間」 - こころ世代のテンノーゲーム

http://d.hatena.ne.jp/umeten/20080805/p1


「情報機械」について - こころ世代のテンノーゲーム

http://d.hatena.ne.jp/umeten/20080806/p2

*1:その「自閉」化の原因となっている社風の実態を示す記事(特に3ページ目)>http://builder.japan.zdnet.com/news/story/0,3800079086,20378629,00.htm

trshugutrshugu 2008/08/12 16:08 長すぎていまいちよくわかりにくいですが。肖像権に関して言及してる人はいないんですかねぇ。プライバシーとか文化とか持ち出してきてもまったくムダな気がするんですが・・・

umetenumeten 2008/08/12 22:15 肖像権を持ち出した場合、それこそ「想定の範囲内」として今の「申告制のモザイク処理/削除処理」を切り替えされて終わりになる気がします。
また、企業活動の一環として勝手に撮られた写真が無断で公開されているのに、それに対して異議申し立てするには、自力で見つけないといけないというのが、理不尽に思えて仕方ありません。
単純な作業として、人物や車を画像処理で「消して」からUPするという発想はなかったのでしょうか。


こちらとしては、「Googleストリートビュー」が「どれくらい有用」で「どういう点ですばらしいのか」についての「肯定派」の側からの意見を聞きたいのですが、
そういうブクマコメントをしてる人に限って、ダイアリーがなかったり、「考えるまでもないだろ」みたいな感情論が多いので、正直困っています。

まあ、お上に逆らわず、自分の頭で考えないのが日本の伝統だと言えばそれまでですが。

miramira 2008/08/12 22:48 まず盗撮である根拠がわかりません。
盗撮犯罪っていうのが結論ではなく前提に見えます。
表札の問題は、表札が世に受け入れられている以上「強制されて仕方なく」という表現は通用しないと思います。
google社のデータベース化の論理っていうのもナンセンスです。
さらっと書いていますが、説明もなしにstreet viewがデータベース化を目的としているというのは誘導でしょう。
池田信夫の引用も意図的な誤解が見られます。
彼が言っているのは「プライバシーの権利を法整備することは危険である」ということです。
というかプライバシーの権利は新たに付け加えられた権利であって、決して既存の権利にとって変わるような強力なものではないはずです。
毎日ネタ見る限り釣りっぽいですね。

nanasinanasi 2008/08/13 00:32 本当にgoogleコレ止めてくんないかな・・・勝手に人の家を撮ってうpするなよと。
俺んちは観光名所でもなんでも無いのに。

mapicomapico 2008/08/13 04:17 >「どういう点ですばらしいのか」についての「肯定派」の側からの意見を聞きたいのですが、

大きく3つ
・発信側の情報操作から解放される
・旅行前にリアル情報、マイナー情報がつかめる
・それらを他人と共有できる

企業の会社案内や、雑誌の地図など、個々の独自ルールでデフォルメされた分かりにくい地図から解放される。

平面の地図と違い、すべての景観情報が得られるので、自分で目印やルートを選択できる。

旅行の下調べに大変便利。
既存の、各ガイド、情報誌、代理店などの情報は、観光客からお金を取る目的の情報がほとんどだった。マイナーな場所へのアクセシビリティが格段に上がり、個々人にあったルートや計画が立てられ、短い旅行期間を有効に使える。

企業等が行う地名のまやかし(メッカに事務所はあるが、実際の見た目はずさんといった類いの)が、あまり通用しなくなる。ペーパーカンパニーや、詐欺などの疑いがある時に、情報収集手段のひとつになる。

その個人に重要な事件、事故の際、メディアや企業側のフィルタのかかっていない地域の事実情報が、素早く得られる。

umetenumeten 2008/08/13 13:28 コメントありがとうございます。参考になりました。

Google=MercyGoogle=Mercy 2008/08/16 12:13 >企業の会社案内や、雑誌の地図など、個々の独自ルールでデフォルメされた分かりにくい地図から解放される。
→デフォルメされてない地図みれば充分

>平面の地図と違い、すべての景観情報が得られるので、自分で目印やルートを選択できる。
→それってそんなに便利か?まあ地図読むのが苦手な人とか極端な方向音痴には多少よいかもね。

>旅行の下調べに大変便利。
じゃあ観光地とか商業地域限定でいいんじゃないの?住宅街まで網羅的に写して回る必要性はない。

>メディアや企業側のフィルタのかかっていない地域の事実情報が、素早く得られる。
これは悪意や興味本位の利用であれば、調べられる側からすればデメリットです。

はっきり言って「面白そうだから作ってみました」というだけで、住人の感情を逆なでしてまで強行する程の有用性はないただのおもちゃ。肯定派は無料のおもちゃを与えられて喜んでいるだけ。現に全世界的にネット上で話題になって晒されているのは、覗き見趣味を満足させるようなものばかり。

あと「将来リアルタイム化されたら〜」などの仮定条件をつけた議論は、反論する糸口を与えてしまうだけだと思います。既に現状が充分問題あるものなのですから。

t_ft_f 2008/08/18 22:26 「批判的精神に基づいた歴史学的見地」というからどんなのが出てくるかと思ったら、フーコーの出涸らしみたいなのだったんですね。

でも、問題は素直に“便利すぎること”としていいんじゃないでしょうか?

まるまる 2008/08/18 23:25 冗長な上に、「自閉症」の誤った認識。
「自閉症」を例に出すのなら、「一般社会とのコミュニケーション不足による不適合。或いは百歩譲ってフライング行為」という説明で事足りると思う。

sysy 2008/08/19 03:04 とりあえず筆者が自閉症のことを全く知らないことはよく分かった。
で、何の話だっけ?

hexstatichexstatic 2008/08/19 04:08 書きたいことだけ書いて、有用そうなコメントにはきちんと文章も書けない。
自閉症の件はスルーしていましたが敢えて書きます、間近で接すると著者様の認識が間違っていることに気付きますよ、社会的に勘違いした認識が付いて回っているのも事実ですが、「無知は罪、見ようとしない、知ろうとしないことは罪」という言葉もありますよ。
頭でっかちに論理武装で固めた文章ですな…

プライバシーについては、国道などはともかく実質私道とも取れるような、例えば学校の敷地内を平気で通るなどあまりに「アメリカ仕事」という感じもします、きっとあとでいらないもの・都合が悪いものは消すので大丈夫だろう、とでも思っているのでしょう。

内情を見ようともせず自身の考え方を推し進めるのにだけ引用だけをするくらいでしたら、グーグルストリートは個人的になんかいやだ
とでも言っておけばいいんじゃないかな^^;

帰国子女帰国子女 2008/08/25 20:28 一度アメリカに住めば?
カーナビいらないですよ!
日本狭いくせに迷子になる。
目的地周辺に到着しました。目的地に着かないし!
批判する人は外に遊びに行かないの?
何時間もストリートビュウを見て自分探しをしているのですか?
自分の家の写真を更新されるたびに保存してアルバムを作るのかな?
2Dの写真から3Dの想像をするのですか?
あなたは不動産屋さんの写真を見ただけで家を買う感じなんですね!
すごい!
あなたの家はただの目印ですよ!
もしあなたが写真に写っていてもあなたに表札が付いてないから安心ですね!
知人が写っていたらそれを教えて不快感をあたえてください!
カーナビからもあなたの住所を消さなければ安心できないですね!
世界中の人があなたの事を24時間調べているので安心できないですね!
すごい!
自分大好きな記者さんあなたのことですよ!

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