ポビーとディンガン ベン・ライス「ポビーとディンガン」。
再読です。前に読んだのは、3年ぐらい前かも。
今回又読もうと思ったきっかけは、カートゥーンでした。
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舞台はオーストラリアの田舎町、オパールの発掘に未来を託す男たちがゴロゴロする町。
主人公のアシュモルは小学生。妹のケリーアンには他の人には見えない(ケリーアンには見えている)お友達がいる。男の子のポビーと女の子のディンガン*1。アシュモルはそのことを凄く嫌がっている。周りの人から頭のおかしい子といわれるから。
お母さんは信じてはいないかもしれないけれど、悪いこととは思っていない様子。
飲んだくれ父さんは全く信じていないのに、家の仕事をサボる口実として、ポビーとディンガンと遊ぶふりなんかして、このへんの件が非常に胸糞クソ悪い。その挙句二人を連れ出しておいて、置き去りにしてしまうのだった*2
ケリーアンはショックで具合が悪くなり、探すふりをしていた父さんは、鉱山荒らしに間違えられ裁判を受けることに。
そこで、全てを解決するためアシュモルのポビーとディンガン探しが始まるのだった*3
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あとは、省略。ポビーとディンガンがなかなか信じてもらえないこと、お父さんの疑いが晴れないこと、そしていくら掘っても見つからないオパールに夢を託すこと。それらの要素が入り混じってアシュモルだけでなく、町の人々の気持ちまでもが次第に変化していくのでした。結末は悲しくて、ちょっと暖かい。
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そういえば「沼地のある森を抜けて」の風野さんって、最初から沼の人の存在を疑わなかった。
信じること。受け入れること。
これって一体なんだろう。
ちょっと思い悩んでみようか。

書店のレヴュー

主人公アシュモルの妹ケリーアンには、他人には見えないお友達がいる。ポビーとディンガン。ある日大事なお友達が行方不明に・・・◆舞台の町はオパールの発掘に一攫千金を夢見る男たちの町。男たちはまだ手にしていないオパールに恋焦がれ語りかける、という背景があって、そのオパールが放つ輝きが重要ポイントとなっている。◆目には見えないこと、探しても探しても見つからないもの。それを信じることは愚かなのだろうか。誰でも心の中に拠り所を持っているはず。誰も言えないおまじないがあるかもしれない。宗教が違えば他の神は妄想?。あらすじだけを聞けば、ただの夢見がちな少女を巡る顛末になってしまう。けれど、このお話には心に訴えかけるものがある。信じるという事。他者を尊重するという事。ハッピーエンドとはいえない結末の最後の2ページが、きっと忘れられないものになるでしょう。2006年秋公開。05/11/11★★★★

*1:これが「フォスターズホーム」でいうところのイマジナリーフレンドか。ブルーは他の人にも見えているから、ちょっと立場は違うけれど。意外とこういう想像のお友達というのはメジャーなのかな、あちらでは。

*2:家に帰ってくるときに二人と一緒のふりをするのを忘れただけなんだが。

*3:「カウアンドチキン」では、カウの見えない犬をチキンが探す(結局探さない)話だった。殆どパクリ?