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能登のうみやまブシ(西山郷史)

2016年-12月-05日-Mon

「ぶらり能登」 2016.12〜2017.11

12月1日、各地の観光地道の駅ホテルなどに一斉に並んだ。
130ページ。
無料
中身の濃い、能登の案内書。
発行は「のと里山空港利用促進協議会」。
こころふるさと」に出会う能登の旅ーを寄稿させていただた。
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PDF
「ぶらり能登」の希望者は「のとねっと」まで。
またダウンロード版はhttp://www.notohantou.net/camp/burarinoto.pdf

2016年-12月-03日-Sat

報恩講ー11月25日〜29日、五昼夜報恩講ー志賀町鹿頭(ししず)蘇陀山常徳寺さん。

25日から29日、報恩講五昼夜法要布教僧として参加。
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28
日中
報恩講式、嘆読文を住職、親戚僧が拝読
伽陀五章を、外陣で門徒さんたち12名が挙げる。
文類偈、念仏讃 三朝浄土大師等 次第三首 淘(ゆり)5

流れ

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26日 12時
この日は輪島門前〜剣地〜ヤセの断崖能登金剛)〜鹿頭へ向かった。
天気がよく、剣地海岸近くで昼食。
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能登金剛、黒崎方面

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28日 午後1時半 満日中
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常徳寺経蔵
黄檗寺版一切経などがあり、報告書も出ている。
常徳寺所蔵「黄檗版大蔵経」の調査・修復・整理
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今までゆっくり見る機会がなくて気づかなかった、
今度欄間を見て、彫刻の立派なのと意匠の素晴らしさに驚いた。
天女や美鳥が「宝林宝樹微妙自然清和伎楽」を奏でている構図では無く、
楽器そのものが虚空から楽を奏でている。
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28日。
午後1時半。大逮夜開始時刻。
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嘆読文拝読。

今回は、座敷で出番を待っていたが、一昨年おうかがいしたときには、流れを出来るだけ眺めた。
その時は、
如来大悲…の調声が終わり、身を粉に…が始まると、投げ銭が行われた。
かつての調査聞き取りで「投げ銭」のことは知っていたが、
実際に、包みをひょいと置くのではなく、
あの時投げるのを見たのが始めて。

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28日、大逮夜法話を終え、宿舎へ。
過分の草鞋銭も(渡す方が、草鞋一足を買ってお帰りの旅をなさって下さいと、最後説教の前に聴聞衆から集められるもので、謙遜語)をいただいた。

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29日、7時40分。
このあたりでハナスイと呼ばれるヒヨドリがチチチチと鳴いている。
ハナスイの名は椿の蜜を吸う鳥から来ているそうだ。
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庫裡から本堂へ。
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1992年に書いた文。
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29日は、お浚い法要に続き、絵解き。
絵解きを指し絵という人がいた
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29日 朝7時10分 、増穂浦ベンチ
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増穂浦〜荒木方面

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29日7時15分
酒見川から見る高爪山。


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御絵伝(四幅)。
絵解きはこのうちの一幅から一場面を選んで語る。
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高座、鳥の毛のついた指し棒を用いての絵解き。


改悔批判といい、絵解きといい
この間、
会うことのない生き生きと息づいている伝統に会わせていただいた。

2016年-11月-24日-Thu

「若山の庄」講義。本日24日(木)17時半〜

高校の先輩から依頼され、タイトル「若山の庄」に関係ある方々に午後5時半から講義をする。
たとえお通夜が入っても大丈夫だろうとの時間設定だったのだが…。

山荘500町歩を寄進された皇太后宮(崇徳上皇皇后藤原聖子は、
九条兼実、慈鎮(慈円和尚の姉。
九条兼実は法名・円照。法然上人選択本願念仏集」成立と深く関わる。御伝鈔にも登場する。
慈円和尚は、親鸞聖人得度剃髪の時の師。


広橋兼郷は、若山荘終焉頃の領家主で蓮如上人の烏帽子親。
吉崎においでた頃は、親の荘園・若山荘から五穀・魚などが供給されていたのは間違いが無い。


真宗浄土宗の広がりの歴史にも大きく関わっている若山荘だが、
今回は、ちらりと触れる程度。
資料を3枚用意した。(写真は半ページずつ)
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(旧若山20ヶ村の藩政期に於ける社名)
立山・黒峰城主伝説阿部判官関係地図
珠洲郡境定め文書
『珠洲散策のーと』関係目次
木像男神像・古麻志比古神社・平安〜鎌倉初期

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(若山荘の成立)
若倭郷
若山荘
『珠洲散策ノート』若山荘の源を歩くー目次

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『図説能登の歴史』年表

新聞

11月26日
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北國。
あの夕刻
講義に若い人が3人見えていた。
2人は市の職員
もう1人が北國新聞社記者さんだった。

2016年-11月-18日-Fri

名作を「往く」ー哀し恋 歌碑ひっそりー大月みやこ「奥能登ブルース」

今朝の北陸中日新聞
大月みやこ「奥能登ブルース」
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取材同行

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飯田三郎色紙
色紙が書かれた年は、私の学生時代で、この頃、珠洲の家にはいなかった
どうして、この色紙があるのかはわからない。
その頃のいくつかの例から考えれば、おそろく本堂で音楽ショーがあったのだろう。
今、その葉書はなく、これよりずーっと前のことだが、本堂で浪花節をうなっていった南條文若(のちの三波春夫)さんが
「おーい船方さんよ」でデビューしました、と写真入りの葉書をくださったのを覚えている。
飯田には2つの映画館があったが、浪曲師歌手の卵などは、本堂を座にして回っていたのだ。
新聞記事が載った後、碑を建てた遺族の方から連絡があり、
大月みやこさんと長年、賀状のやりとりがあったと話して下さった。
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砂取節碑。
高橋掬太郎書。
高橋掬太郎は、昭和25(1950)年に設立された日本民謡協会設立者の一人で、
「砂取節」(県指定)を全国に紹介したのが、高橋さんだった。
この砂取節碑は、元馬緤春日神社境内にあった。、

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奥能登ブルース碑
高橋掬太郎書
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碑入口。
椿トンネルのようで綺麗な道なのだが。
案内板も無く、
これだけではまずたどり着けない。
ひっそりと記念碑がたたずんでいる。


飯田三郎・高橋掬太郎コンビ歌謡曲に、
「啼くな小鳩よ」(岡晴夫)「ここに幸あり」(大津美子)などがあり、
高橋掬太郎作詞に「古城」(作曲細川潤一・歌三橋美智也)、
「酒は涙か溜息か」(作曲・古賀政男藤山一郎)、
石狩川悲歌」(作曲・江口浩司、三橋美智也)などがある。

能沢佳子さん「あなたが帰る日」、そして船村徹

高橋掬太郎の歌碑取材におつきあいしたのは11月1日
急ぐ記事だったようで、10月30日寺井図書館での講義
翌日金沢での故長山直治さん宅での本の整理などを終え、
1日は雨が降っていたにもかかわらず、現地で写真を撮った。
髪は濡れ、暗いのでフラッシュをたいて撮影
髪が薄くなって写っている(写真は事実しか写さないそうで、これはこんなに薄くなっていないはずとの見栄)。

さて、この話が記事になったとき、もう一つの思い出をブログに書こうと用意していたのが、能沢佳子と「あなたが帰る日」である

家に警察学校を終えてすぐの警察官と、内浦町の高校生下宿していたときのことだから、私が中学生2年ぐらいの時だと思うのだが、
雑誌「平凡」か「明星」の付録歌集に、能沢佳子の「あなたが帰る日」が載っていた。
たしか、
♪あなたをここで見送って、泣き泣きここで手を振った。
ああ、思い出の峠の道に、アンズの花が咲いていた。
あなたが帰る、嬉しい日
という歌詞で、その方が胸の前で手を組み、思い人を待っている
そのような写真が載っていた。

当時、近くに貸本屋があり、本体貸本に、付録はかなり安い値段で売っていたはずで、流行歌が好きだった私は、新本が出るなり付録を買いに行っていた。
その歌集に、能沢さんが遠くを見やり、あなたが帰る喜びにあふれる様子で立っている写真があったのだ。
当時のもの結構残っているのに、この能沢さんの写真が載っている本は失われて、無い。

混沌としている少年期の思い出のひとつなのだが
この歌手が、その後どうなったのかを気にかけていて
あるとき、船村徹という作曲家が、能沢佳子さんについて語っている記事をみたか、ラジオ番組を聞いた。


能沢佳子は金沢で流しをやっていた方のお嬢さんで、将来性のあるいい歌手なのだが、この子は私のお嫁さんにしたい人だと思い、彼女向けの曲を作らずにいる…
といった話だった。


その船村徹さんが今年、文化勲章を受章なさった。
ギターも上手く、若い頃は流しもやっておられたと話しておいでる。

ここから推測だが、父君とも御面識があったのだろう。


郷土というか、何でも県と関係があると書く新聞が、
文化勲章の人を支え続けた金沢出身の妻…
に触れないのは、どうしてだろうと思っていた。

それで、「奥能登ブルース」が話題になったところで、思い出話を記した。

小さい頃から流行歌が好きで、歌が好きだからまつわる話も記憶に残っているのは、
正信偈、節談説教ものごころつく頃から聞いていた、お寺の環境がそうさせたようだ。

2016年-11月-16日-Wed

『能登』2016秋号、第25号

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今号の「伝説風景」には、「長島能登町)を訪れた虎御前など」を
書かせていただいた。

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目次
PDF
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NEWS
七尾鹿島珠洲会が発会40周年記念
西山郷史氏(珠洲市)が講演(PDF)
と載っている。

ああ、そういうこともあったなぁ…、
時の流れの感覚はどうなっているのだろう。

いままで見逃していたのだが、
23から「能登一周にっ顔絵の旅」という記事が連載されている。
この文・写真西澤小百合さんという方が、羽咋工業高校建築科の出身
前号にこの方が日本一周して似顔絵を画いて回られたことが載っている。

昭和47年に赴任した初任校・羽咋工業高校。
当時の建築科の生徒の顔々が、ザーーーーと流れていく。
そして、初任の年、科は覚えていないが、夏休み中に東北まで自転車旅行した生徒がいた(旅日記は羽咋工業工業生徒会誌「若竹」所収)ことも思いだした。