Hatena::ブログ(Diary)

能登のうみやまブシ(西山郷史)

2016年-05月-23日-Mon

新緑は曇硝子を青くせり…

2日前から、朝4時半に起きて、…ではなく、目が覚めて、タブの落ち葉を掃いている。
今朝は5時半。
もう、タブの花(?)が咲き、細かい花びら落としている。
落ち葉を掃き出したのだから、気分は夏の終わり。
部屋へ帰ると、こたつが待っている。
気分は春の終わり。


f:id:umiyamabusi:20160523074501j:image
栗の葉「新緑は曇硝子を青くせり…」
f:id:umiyamabusi:20160523074451j:image
タブ、もう葉が散り始めた。
f:id:umiyamabusi:20160523074445j:image
タブの先端部


書きたかったのは
「新緑は 曇硝子を青くせり
西方浄土の木なる栗の木 東京都 豊英二」

2011年東日本大震災のあと、詠まれた短歌
朝日新聞朝日歌壇」欄でこの歌を見つけたとき、衝撃を受けた。
先ず、「栗」に
西の木、すなわち西方浄土の木、という発想に驚いた。
「緑」が大震災で、全く先が見えず、このまま日本全体が駄目になってしまうのではないか…という思いを
励ますように、生きる強さ、やさしさを持った色だとあらためて気づかさせてくれた。
その励ましが、西方浄土ー阿弥陀さまからの贈り物。
現在説法(「阿弥陀経」)、寝ても覚めても称名念仏すべきものなり(「御文」第5帖第1通)の具現だと思えたのである

当時、メモはしてあった。
あちこちでの話しにこの歌も、用いた。
いつのまにか、私の中では
「新緑は曇り硝子を緑にす」に代わっていた。

この頃のメモは。歌が分かればいい程度だったので、歌だけ記している。
ヒョッとしたら何かの文に用いることになるかもしれない、どなたの歌なのか、知りたいと思っていたのを、ようやく調べに行くことが出来た。
それは、3月30日
年度末で何人かの人とはもう会えなくなると思い一周した日だった。
県立図書館で2011年の新聞を調べた。
5月23日の朝日歌壇にあった。
東京都 豊英二さんという人の歌である。
5年前の今日。今日は偶然。

家の栗はもう花を付けている。

自然は何があろうと、いのちのサイクルを刻んでくれている。
朝早く目覚めるのも、4時半がもう明るいのである。

f:id:umiyamabusi:20160523074437j:image
フキ、蕗。民謡では富貴
♩ 茗荷(冥加)めでたい、蕗(富貴)繁盛…
間もなく蕗刈り。
f:id:umiyamabusi:20160523074428j:image
山椒にも実がつきだした。
f:id:umiyamabusi:20160523074422j:image
これは苔。
f:id:umiyamabusi:20160523074414j:image
こうしてみると何だろう。
藤。
f:id:umiyamabusi:20160523074402j:image
これは柚子
f:id:umiyamabusi:20160523074353j:image
緑々の中で、このような紅もある。

2016年-05月-17日-Tue

松扉哲雄師の書籍、引用書

学生時代三木清に「親鸞」の草稿(遺稿)があることを知った。
ちょうど岩波から全集刊行された。
デパートでのバイト代をつぎ込んで一冊500円の全集を注文した。
2冊目だったかドイツ語論文が載っていた。
ドイツ語から勉強しなくては、と岩波ドイツ語入門を買って勉強しだした。
時は夏。
海が待っている、帰省していた仲間たちとキャンプもしなければならない。
バスイスト・ダスまで進んだところで挫折した。
三木清は法話などで引用しているが、読まれないままに書棚に鎮座いしている。


ここで、松扉さんの本を集め、松扉さんの引用した書籍の何冊かを古本で手に入れ、
今こうやって書いてみると、性格は変わらない…ことを思い知らされる。
極端なことを言うと、夏休み勉強計画を立て、それを訂正しているうちに夏休みが終わったような記憶さえある。
f:id:umiyamabusi:20160314102715j:image
f:id:umiyamabusi:20160314102550j:image
f:id:umiyamabusi:20160314102456j:image
f:id:umiyamabusi:20160314102454j:image
f:id:umiyamabusi:20160314102452j:image
f:id:umiyamabusi:20160314102450j:image
f:id:umiyamabusi:20160314102447j:image
f:id:umiyamabusi:20160314102445j:image
f:id:umiyamabusi:20160314102442j:image
f:id:umiyamabusi:20160314102440j:image
f:id:umiyamabusi:20160314102438j:image
f:id:umiyamabusi:20160314103439j:image
f:id:umiyamabusi:20160314103436j:image
f:id:umiyamabusi:20160314103434j:image
f:id:umiyamabusi:20160314103432j:image
f:id:umiyamabusi:20160314103429j:image
f:id:umiyamabusi:20160314103426j:image
f:id:umiyamabusi:20160314103424j:image
f:id:umiyamabusi:20160314103422j:image
f:id:umiyamabusi:20160314103420j:image
f:id:umiyamabusi:20160314103418j:image
f:id:umiyamabusi:20160314103713j:image
f:id:umiyamabusi:20160314103711j:image
f:id:umiyamabusi:20160314103800j:image

2016年-04月-27日-Wed

蓮如忌ー4月25日(月)

3月の御祥月蓮如忌から、ほぼ一ヶ月ブログを記さなかった。
いろいろ宿題を始め、問い合わせ、従兄弟のお寺へ通うことなどが続いたということです。
f:id:umiyamabusi:20160427053302j:image
蓮如上人「鏡の寿像」
昔、拝読した縁起では、上人六十七歳の御尊像とある
六十七歳だと、文明十三(1481)年。上人の山科時代で、前年の11月18日には宗祖御真影近松から山科へ御移徙(おわたまし)されており、吉崎御坊の御坊時代から、山科本願寺本願寺時代への移行、その意味では重要な節目の年だった。
西勝寺旧本尊方便法身尊像画像)はこの年に下付されいる。
御代前のこの場所に蓮如上人画像が安置なさるのは、一年に一度、4月25日だけである

f:id:umiyamabusi:20160427053254j:image
様々な仏事があるが、仏旗を立てるの蓮如忌だけにしている。
仏旗は釈尊の体の色とそれに伴う清浄などをあらわしているそうだが、
青色青光・黄色黄光〜白色白光(阿弥陀経)であり、紫は六色(6×6)の「三十六百千億の光明」とも通じ合う。
意識せずに綺麗だから、と飾っていた。
f:id:umiyamabusi:20160427053246j:image
右近の桜」?「左近の桜」?
23日に蓮能尼の里からいただいてきた。
皆、知らない、見たことないというので本堂へ移して見ていただいた。
内陣の金に映えて、それは綺麗だった(そうだ。私は花を間に皆とは反対側から見ていて気づかなかった)。
このような桜があることを知っている人は皆無。
年が行くと新たな発見が次々にあって驚くーその通りの桜だった。

ひな人形向かって右側にこの桜、左側は橘。
内裏から庭見た時の呼び名なので、左近の桜が正解。
f:id:umiyamabusi:20160427053238j:image
左近の桜原木
緑の葉の木としか思わなかった。
桜だと聞いてビックリ
まりビックリしていたので、枝を切って下さった。
f:id:umiyamabusi:20160427053229j:image
本山の御遠忌(3月11日間近だったので、追悼法要に変更となり、正式には御遠忌は営まれなかった)から5年。
22日に本山へお参りしたときには、すべてが修復されて浄土の荘厳が光り輝いていた。
11月20、21日には「真宗本廟両堂御修復完了報告法要」が報恩講に先立って営まれるという。

この瓦から始まった。
感慨深いものがるので、しばらく見やすいところに出しておく。

2016年-03月-24日-Thu

講義、講演3連続

自分講師だったり、講義を聴きに行ったりが3日続いた。


今日3月24日 十組同朋会推進員勉強会 於西勝寺
f:id:umiyamabusi:20160324185617j:image
資料4
f:id:umiyamabusi:20160324190122j:image

昨日「戸坂潤とその母」 於富来活性化センター
f:id:umiyamabusi:20160323195754j:image
講師:浅見洋氏
f:id:umiyamabusi:20160323195801j:image

一昨日22日 輪島ロータリークラブ 於ホテル高州
ピンチヒッターで、急遽お話
f:id:umiyamabusi:20160322203146j:image

2016年-03月-22日-Tue

お彼岸-中日前後

f:id:umiyamabusi:20160322203014j:image
3月4日(金)
釶打山麓。あぜ道の途中で親子が語り合っていた。
どこか懐かしい風景
f:id:umiyamabusi:20160322203007j:image
お彼岸中日までに所用があって動くので、
15日にテントを外した。
f:id:umiyamabusi:20160322203000j:image

f:id:umiyamabusi:20160322202954j:image
中日のお参りも終わった21日。
ザゼンソウも咲いている。
f:id:umiyamabusi:20160322202948j:image
フキ6月には一面にフキがなる。
刈って、報恩講お斎用に漬けておく。
あっというまに、その時がやってくるはずだ。
f:id:umiyamabusi:20160322202942j:image
手前、梅。奥の茶色の葉は栗。
西方浄土の木なる栗の木…だ。
f:id:umiyamabusi:20160322202935j:image
椿
f:id:umiyamabusi:20160322202925j:image
力士
向かって右「故い佐助(かながしら佐助)」、左「故七五三守(しめのもり)」
後の木はタブ。右は棕櫚
飯田町では、西勝寺(さいしようじ)境内(けいだい)の大タブの下に「故七五三守」「故い佐助」と書いた珍しい相撲取碑が建っている。「七五三守」は「しめのもり」、「い佐助」は「かながしら佐助」と読む。「七五三守」は、鍛冶町助八家の次郎で、次郎は、顔役で力士。一時期酒屋を営んでいたという。碑は高さ一・三二叩∈蚤臧一叩厚さ三十三天保(てんぽう)年間(一八三〇〜四四)に建てられたと伝わってきた。「い佐助」は、浅田鉄次郎(彦治)氏で、鉄次郎氏は、明治十九年(一八八六)から四十四年まで、町の二代目消防組頭を勤めた。医師佐野春庵(しゆんあん)氏が「い(仮名(かな)がしら)」と名付(なづ)けたといい、飯田町消防団の纏(まとい)が「い(かながしら)」であるのも、同じ由来(ゆらい)による。大正初年に若山町中田から石を引っ張ってきて建てた碑といわれ、高さ一・一七叩横幅九十七臓厚さ三十七臓IЪ氏の先代または先々代が、榎本(えのもと)武揚(たけあき)軍に従って函館(はこだて)五稜郭(ごりようかく)で行動を共にしたといい、函館の港公園の碑に名が記されているという。」(『伝説ロマンの里』飯田高校百年誌より)

f:id:umiyamabusi:20160322202908j:image
リュウキンカ(立金花)
f:id:umiyamabusi:20160322202902j:image
ジンチョウゲ沈丁花