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能登のうみやまブシ(西山郷史)

2017年-10月-20日-Fri

秋明菊

| 19:07

18日(水)坊守会で柳田石井のお寺にお邪魔した。
宮商和しての、宮商がハーモニーとなるのは、何オクターブ離れた所なのか確かめたくて、
伊東乾さんの本を読み出したら、本堂が光と音の大きな器であることが具体的に書かれていてやめられなくなった。
本堂で同朋奉讃をあげておいでるところに混じり、内陣と外陣の造りを確かめた。
確かに欄間の内陣側は、どのお寺も黒く塗られている。
身近な所に、大変な工芸芸術品を持っているのだ。

講義を終えて帰る時に、庭の花が目にとまった。
何ですか?
秋明菊です。白と赤があって…
秋明菊?
親鸞聖人自然法爾と関係がある歌があったはずだ。
記録から探し出した。
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その頃は、本にするため、千代と一茶を調べていた頃だった。
それまでもそうだったが、和歌とか句が向こうからやってくるように思えた頃だった。
なんと、もう5年経つ。

○『加賀の千代女と小林一茶俳諧に生きた妙好人

俳諧の他力を信じ親鸞忌 深見けん二
明易や花鳥諷詠南無阿弥陀  虚子
退職し鬱になる友学ぶ友酒乱になる友微笑み美しき友 沢野唯志 2013年6月17日
2012 平成24年
0206
○音もなく我より去りしものなれど書きて偲びぬ明日という字を 京大 木村久夫 上等兵
 1921〜46 28歳
1918〜
2012年7月

○貴船菊咲きて明るむ夕庭に「自然法爾」の親鸞偲ぶ 20120706梶井重雄→沢野唯志の師

6年ぶり7冊目の歌集。近詠4D9首が収められている中で、お気に入りの一首は
天空に黒き太陽現れてめぐれるコロナの光冠の彩>。
3年前の皆既日食の感動を詠んだものだ。「光の冠をいただく皆既日食も宇宙の中では一瞬のこと。しかし自分の命はその瞬間にあり、かつ永遠であるという思いをこめました」
〈貴船菊咲きて明るむ夕庭に自然法爾の親鷺偲ぶ〉
※秋明菊japaneseAnemoneなど自然を題材にした歌が多いが、梶井さんにとって歌は「写生」だ。
「まず自然を見つめ、自然と一体となってそれを歌にする。生命いのちを写すことが写生であり、そこまで行かなければ、歌は自分の分身にはなりません」梶井さんはこれを「斎藤茂吉のいう『写生の極意』とする。
歌作を始めるきっかけを与えてくれた旧制四高時代の恩師、犬丸秀雄は茂吉の直弟子だった。
四高卒業後に東北帝国大学国文科に進んだが、在学中に結核で実父母を相次いで亡くし、その悲しみや苦しみを忘れるために短歌に没入。仙台アララギ会に入会し、「アララギ」で、茂吉の選を受けた。
戦後は七尾市立図書館長や北陸学院短大教授などを歴任してきた。
大学同級生だった妻の幸代さん(101)と二人暮らし、今も週に数日は、犀川沿いを散歩し歌の着想を得る。
「一日何首などと決めるのではなく、常に心に歌をもつこと。心が燃焼したときは、それが歌になって現れるのです」(樋口大二)
朝日新聞石川版の歌壇選者を長く務めた歌人の梶井重雄さん=金沢市本多町2丁目=が、歌集「光冠の彩(いろ)」(紅書房、3千円)を刊行した。梶井さんはこの(6月に満百歳になった。

2012年7月6日朝日石川版

2017年-10月-16日-Mon

「弦哲也の人生夢もあり歌もあり」ーゲスト大月みやこさん

| 08:02

15日(日)、先日撮影された、タイトル番組が放映された。
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弦さん、大月さんコンビは、のと里山海道を通って、車で能登珠洲へ向かう。

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昭和48年の「奥能登ブルース」発表会には、能登線で来たこと、飯田先生の前で緊張しっぱなしだったこと、三橋美智也春日八郎さんの前座時代が長かったこと、弦さんは、三橋さんなんかは大月さんでないとダメなんだとおっしゃていたという話を聞いていて、若いから大月さんを高く評価しておいでた話などが続く…。
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奥能登ブルースレコードジャケット
初めて見た。さすがキングレコード

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西勝寺ーお二人がお出でになるらしいとのうわさを聞きつけて集まってこられたファンの方々。
本当に、口コミと遠方の講義などでお二人がおいでになることを話しただけでこの日を迎えた。
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西勝寺には、飯田三郎さん(作曲家:啼くな小鳩よ、ここに幸ありなどがあり、大月さんの奥能登ブルースを作曲なさった)の色紙があり、私は、この時飯田さんが西勝寺本堂で講演をし、その縁で色紙を書いて行かれた、と推定した。
予定では、訪ねて来られたお二人を境内でお迎えし、色紙を見せ、木の浦へ向かい、その後、飯田さんの思い出の地(雨の心配もあり、西勝寺本堂)で、奥能登ブルースを披露なさる、ということになっていたのだが、日程が迫っており、
まず、その思いでの場所を訪ね、当時の思い出を語ることに…
思いで話を語り合うお二人に、私が当時のことや、いきさつに合いの手を入れることになったのである

あとで知ったのだが、大月さんは森下旅館に泊まられ、春日中学校体育館(現飯田小学校)で歌っておいでる。現在のワクワク広場が旅館跡地で、お寺から200メートル程の地、中学校も背後にあり、この付近に2、3日過ごされている。

右胸がふくらんでいるのは集音器が入っているため。
ボタンを外せば、すっきりするのだが、鏡を見ないでネクタイを締めたため、ボタンを外すと、下の方が長いネクタイ姿が現れると困る、悩みに悩んでボタンを付けたままにした。分からないままに、スタイリスト必要世界があることはそれとなく理解できた…とどうでもいい話。

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当時学生で、珠洲にいなかった私は、
現在、僧侶の傍ら、地域史などをやっているので、
このような紹介も挟んで下さった。
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飯田三郎さんの楽譜(「奥能登ブルース」)入り色紙を、手に取ってみておいでる。
1968年3月とある

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これは、大月さんの当時の手帳
昭和43年3月30日から4月1日にかけて、奥能登ブルース発表会で珠洲に来ておいでたことがわかる。
そうこうしていうちに、昭和48年に作った、作詞者:高橋掬太郎さんの自筆になる「奥能登ブルース」碑が
実際にあるのか、それはどこにあるのかという話になり、
案内することに…、
車社会になってから、自然のままの入口が気づかれないまま、
碑のありかを知っている人は、折戸町木の浦、高屋町の方々をのぞけばほとんどいないようだ。
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思い出、数えで50年前の出来事、高橋掬太郎さんの字、左碑文の高屋町、48年3月ー除幕式は3月だった…
そのようなことが次々、浮かんでこられたようで、
本当にその場所へ、来たのだとの喜び、何度も何度も、ご縁ですね、とおっしゃった思いが、案内している私にも伝わってきた。
碑文を読んでいる時、バックに奥能登ブルースが流れる
色紙の時もそうだったが、名場面だと思う。
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高橋掬太郎氏直筆碑

誰に焦がれて 木の浦つばき
赤く咲くやら 燃えるやら
逢うて 別れて
思いでだけに
生きる女の身がつらい
あの夜の歌 あの夜の歌
奥能登ブルース

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テレビ画面では拓本を取ったように
高橋氏の字が、読み取れる。
私が署名の掬太郎の郎は縦棒一本で、この字が高橋さんだと知っていないと当時は知られていたのでしょうが、誰の何の碑か、分からないような碑に…
そうです、そうでしたした、高橋先生の郎は傍線のような書き方をされました…
といったことをお話ししていた場面

大月さんが昭和21年まれ西山昭和22年早生まれ、弦さん昭和22年生まれ。
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この後、ふたたびお寺に向かい、せっかく思い出の地を訪ねたのだから、と、弦さん伴奏
大月さんがほぼ50年ぶりに「奥能登ブルース」を歌われる。
その時、思わぬ感動のできことが、
記念碑を刻んだ方の思いで、も合わせ、
次回、11月5日を楽しみに。

2017年-10月-13日-Fri

(公財)石川県埋蔵文化財センター 評議員・理事・監事発掘調査現地視察

| 06:39

10月5日(木)

一針c遺跡小松市一針町)

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梯川ー発掘準備現場
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さすが小松市。弁慶だ(勧進帳安宅の関
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秀峰 白山

庄・西島遺跡、津波倉廃寺(加賀市

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江沼盆地中央部
弥生時代中世集落跡。
付近から和同開珎、古墳時代終末〜平安初期の寺院屋根瓦破片が見つかっている。
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何ですか?と尋ねる。
土器須恵器です。と答える。
珠洲焼も須恵器の流れですものね…と加える。
私は、フーンと答える。
こころの中で聞いてよかった、と思った。

庄町内を移動して2ヵ所訪ねた(視察した)。
お寺が見えたので、あとで確かめると、教員時代、その後も法話を聞くなどで交流があった故・家山勉さんのお寺だった。
古代から、つい先日まで、一気につながる光景として現場一帯が浮かんで来る。

八日市遺跡(加賀市八日市)

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古墳時代前期(約1700年前)竪穴建物4号住居の中央付近に小型の炉跡3基が確認され、銅鏃の未完成品2点が出土。
学会に衝撃を与えた。

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手に銅鏃。
石器から銅族へ。
狩に使ったのですか?
戦争でしょう…。
聞いて…よかった?聞かねばよかった?

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加賀市はうさぎ
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この幅が新幹線の幅。
どうでもいいけど、まだ北陸新幹線に乗ったことが無い。
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柴山潟近く
2014年度、梯川も

その他

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越前19世紀
と、昼食時によった料亭のたまり場で、所長が一言言った。
私は、おかみさんは越前は知っていても19世紀は知らないだろうと、19世紀の越前ですって、と声をかけた。
どちらも知らず(初めて聞いた)、ちょっとした騒ぎ・興奮状況になった。
「知」の広がりの実際…これだけでも素晴らしい視察になる。
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以上白水蓮如清水
『蓮如上人伝承』(1998年真宗大谷派金沢別院刊)で書いた。
その時、写真を撮って載せたのだが、こんな所だったのだ。
あれから20年、しばらくすれば、近くを新幹線が通る時代を迎える。

白山、越前焼、蓮如清水…遺跡

鶴来

6日(金)用を済ませ、次まで時間があるので、金沢を離れ鶴来に向かった。
いつも静かな所で食事をしているので、ひとりで混んでいる食堂に入るには勇気が要る。
それで、郊外へ出る。今回もそのパターン
偶然、ほうらい祭りの前日祭に会った。
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右奥・鶴来別院
清沢町青年団赤鬼
永正5年(1508年)本願寺蓮如の七男蓮悟によって築かれた清沢坊に始まり、永正10年(1513年)蓮如の10男実悟が移住して願得寺と号した。 享徳4年(1531年)享徳の乱で衰退するが、別院、まわりの寺院がその清沢願得寺の法燈を伝えている。
別院と清沢地名のほうらいとが別院通りにいる。「面白い」と撮った。

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赤鬼たち


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鶴来別院
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煩悩を彼方に
運ぶ
秋の風

月情山良源寺さん法語

2017年-10月-03日-Tue

地産地消文化情報誌『能登』2017秋ー29号

| 21:33

今日(3日)届いた。
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目次
今号は
特別寄稿 綺麗な自然と豊かな恵みをあらわす「珠洲(鈴)の名」
と、連載
伝説風景28梨山大蛇木葉石ー珠洲市馬緤町」
を書いた。
写真が綺麗なのと、全体の構成統一感が素晴らしく、
基本資料となって伝えられる内実を持った仕上がりとなっている。
素晴らしい本だと思う。
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大坂平野、大念仏寺ー融通念仏宗総本山ー

| 13:15

2日(月)大坂へ行ってきた。

四天王寺

新大阪から車で平野へ向かう途中、四天王寺などがあったのだが、雨模様カメラはバッグにしまってあり、走っている車の窓から手を合わせた。
ついこの前、お彼岸中日23日(土)には、
観想念仏と、称名念仏の違いをお話しし、
観経日想観のもっとも具体的な例として、極楽の東門と言われた(言われる)四天王寺の話をしたところだった。
まさか、四天王寺のすぐ側を、10日も経たずに通ることになろうとは…、義兄が車で迎えに来てくれたおかげである

極楽浄土
東門は
難波の海にぞ
対(むか)へたる
転法輪所の西門
念仏する人
参れとて
梁塵秘抄』巻第二 法文歌(極楽歌)
岩波古典文学大系『和漢朗詠集 梁塵秘抄』P375

親鸞聖人和讃

※後ほど

融通念仏宗総本山 大念仏寺

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1127年、聖徳太子信仰の厚かった良忍上人が四天王寺に立ち寄った際、太子から夢のお告げを受け、鳥羽上皇の勅願により平野に根本道場として創建したのが始まり。平安末期以降広まった念仏信仰の先駆けとなり、国産念仏門の最初宗派日本最初の念仏道場といわれる。その後、火災などで荒廃するが、元禄期(1700年頃)に本山として体裁が整い、現在に至る。融通念佛宗の総本山。
(大念仏寺HP

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良忍(りょうにん、延久5年1月1日(1073年2月10日)? - 天承2年2月1日(1132年2月19日))は、平安時代後期の天台宗の僧で、融通念仏宗の開祖。聖応大師
尾張国知多郡領主の秦道武(はた の みちたけ)の子。良仁とも書き、房号は光静房または光乗房。生年は延久4年(1072年)説もある。
比叡山東塔常行三昧堂の堂僧となり、雑役をつとめながら、良賀に師事不断念仏を修める。また禅仁・観勢から円頓戒脈を相承して円頓戒の復興に力を尽くした。22歳から23歳のころ京都大原隠棲して念仏三昧の一方で、来迎院・浄蓮華院を創建し(寂光院も良忍による創建説がある)、また分裂していた天台声明統一をはかり、大原声明を完成させた。
1117年(永久5年)阿弥陀仏の示現を受け、「1人の念仏が万人の念仏に通じる」という自他の念仏が相即融合しあうという立場から融通念仏を創始し、称名念仏で浄土に生まれると説き、結縁した人々の名を記入する名帳を携えて各地で勧進を行った。四天王寺に参籠した時に見た霊夢により、摂津国住吉郡平野庄(現大阪市平野区)の領主の坂上広野邸宅地に開いた修楽寺が、その後の融通念仏の総本山の大念仏寺の前身である。
1773年(安永2年)聖応大師の謚号を賜った。
ウキペディア)より

一茶句碑

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はる風や
順禮ともか
ねり供養
 一茶(花押

一茶は法名

涼しやな
弥陀成仏
この方は

がある。
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2017年-10月-01日-Sun

ケロンの小さな村

| 20:38

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知り合いに会っておこうと、
今日は上乗さんのケロン村をたずねた。
すごく元気に働いておられた。
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穴水へ、お嬢さん絵本原画展を見に行った
上乗さんに聞いて、会場が、図書館一角だということを初めて知った。
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ここは河内
さらに富来〜釶打〜中島海岸回りで穴水〜柳田大町泥木〜

大月みやこさんから

| 08:39

30日(土)は第10組同朋会推進員会。
その前に、大月さんと一緒に歌った方々へ写真をお渡しするため、仲間を誘い合っておいでた「扇珠会」(「奥能登ブルース」を踊った踊りの会)、碑のある高屋地区の人、8組坊守会で話した時の柳田の人に来てもらったり、電話をして大体の方々が分かった。
推進会に門徒さん関係がおいでるので、そこでもお分けしたり親戚の方に渡してもらえるよう頼み、明日もう一団体に聞き、柳田へ出向けば大体の写真配布が終わる。

そこで、この推進員勉強会には同世代が多く、大月さんが来ることをあらかじめ知っていたら、かなり多くの人に話しが広まっただろうし、いつも来ているお寺だ、気楽に顔を出された方もおいでたはずだ、と思いつつ、「古城」が御和讃と同じ今様形式の詩であることなどを絡めながら、3日前に大月さんがここで「奥能登ブルース」を歌って行かれた、と話すと
それこそ、悲鳴に近い声ーどうして(知ることが出切なかったのだよー)…?ーがあがった。
もっとも残念がった人は、本当に大月みやこさんが好きなのだという。
これとは別にエーッと一斉に声が上がったのが、大月さんは山梨・大月出身ではないと言った時だった。
こういううわさが事実のように広がっているのを、民俗では「都市伝説」と分類するが、
珠洲で思わぬ都市伝説に会った。
講義が終わって、部屋で着替えている時、大月さん(事務所)から宅配便が届いた。
何というタイミングの良さ。

お礼状

先日は大変お世話になりました。
から始まり
椿の下の歌碑を見ることができ、とても感激したこと、
お寺の中でたくさんの皆さまと一緒に「奥能登ブルース」を歌うことができ、また皆さまも覚えていて下さりとても嬉しかった、
ことなどが書かれていて、
新曲流氷の宿」のCDをお送りさせていただきますとあって、
次の品々が入っていた。

写真に写っている人が誰かを聞いている時、ファンである踊りの会の方が、遠くで眺めることしかできない人がすぐ身近においでて、しかも一緒に歌えるなんて、一晩嬉しくて一睡もできなかった、とおっしゃていたが、ファン心理とはそんなものだろう。
会えた人はよかったが、すごいファンなのに、お出でになる情報が届かず無念の思いをなさっている方に、CDをお渡ししたいと、考えている。
そして、すぐお礼の手紙を書いた。
「流氷の宿」は弦・大月コンビ初めての曲(のはず)で、少し前に聞いた時、壮大な氷の流れを思わせる、壮大な自然が浮かぶ、いわばシンフォニーの中に、隠れ宿の身を寄せる女性が歌う…、
「悲の器」が描かれている歌だと思っていた。
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CD
カラオケオリジナルと大月さんのキーはやや高めなので、一般用カラオケとして半音下げが入っている。
相手を思いやる、すごい発想だ。
法話に関わる者が、基本としなければ手本が、こういう所にもある。
カテゴリーに[真宗生活(習俗資料)]を加えたのは、相手と私(たち)のこの一点。
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サイン入り カード
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これはファイル
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パンフ

聞き応えあるドラマチックな作風は、王道にして新鮮!

大月みやこの原点とも言えるドラマチックな王道演歌です。
どこか「女の港」「豊予海峡」を彷彿とさせる作風と、
物語の細部まで表現する歌唱力は、まさに王道にして新鮮、
真骨頂ともいえる仕上がり。
今年、春の叙勲大輪の花を咲かせた歌職人・大月みやこが辿り着いた『女を歌う歌世界』の最高傑作!!

都会を捨て辿りついた最果ての町。
もう恋などしないと決めていたのに…
心を閉ざして暮らす女性が出逢ったのは、
同じ疵を持つ無口なひと。
ふるさとどこかと訊かないで」
過去を棄て流氷の地で、
最後の恋にかける儚い恋物語

フーン!(感動、すごいの絵文字
文を書く上で、
お話しする時の盛り上がる場所で、
すごく参考になる。

物語の細部まで表現する歌唱力
大輪の花を咲かせた歌職人(5,7,5)