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能登のうみやまブシ(西山郷史)

2019年-01月-17日-Thu

蓮能尼の里

| 19:19

17日(木)11〜14組合坊守研修会、新年懇親会に参加。
帰りに14組内、蓮能尼の里に寄った。
耕地整理で景観の変わったところがあった。
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多羅山
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西谷内城山東

2019年-01月-14日-Mon

口能登―「伝説の風景」候補地

| 09:28

−13日(日)散策
成人の日が15日から動き、カレンダーを見ると14日になっているのに、今日(13日)各地で成人式が行われるという。それで、その日が何日なのか、はっきりしないまま、動き出した。
途中、煙が漂っているところが何ヵ所かあった。
家に帰ってから、あの煙は、どうも「左義長」らしいと思えた。
そうだとすると、左義長も十五日のはずなのに―。
日が分からない。
かつて聞き取りで、一月一日を「お上正月」とおっしゃっていた人の思いに近づけたような気がする。

鬼瓦

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かつて調査していた時(『能登国三十三観音のたび』)、雪が残っていたと思うのだが、粘土質の山道で、車がはまりタイヤが空回りして動けなくなったことがあった。
家で世話になっている整備会社から、近くの整備会社に電話してもらい、ワイヤーをつけて引っ張り出してもらったことがあった。
道路―といっても車は通らない山道だが―の下には瓦が敷き詰められていて、それで滑ったのである

この「鬼瓦」のある場所の近くだった。

今になって、あの時の瓦道を思いだし、瓦の一大産地だったのだ・・・、と納得した。
さらに、かつての瓦産地であることを、身を以て体現した人は、そういないだろう・・・、
と、誇らしげな気分になった。

それほど、いい日和の日だった。


杉野天満宮

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現在、報告・論などで活字になっておりながら、原稿原典パソコンに取り込まれていないものを、探しだし残す作業をしている。
1年に365枚は書こうと、続けていた頃のもので、スキャナ―取り込み分はかなりありそうで、
天神信仰天神として祀られていた藩主、天神地蔵と異界、天神・人神・藩祖の信仰など―を当時の調査地を思いだしながら、取り込んでいる。
利家が最初に拠った菅原・杉野屋エリア
そこを通ったので、天満宮へ寄った。

鳥屋

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羽咋

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2019年-01月-13日-Sun

横川巴人生誕133年展―高澤ろうそく店

| 20:58

例年巴人の生誕時期に行われる巴人展が14日までなので、
今日13日、まず、七尾へ向かった。

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・・・なぜ顔見せぬ
化けて出ぬのがうらめしい

絵は右を向いて立っている女性
顔が見えない

今回は、巴人の絵には
こんなにも凛々しい絵もあるのだと・・・思った。

横川巴人

2019年-01月-12日-Sat

「儒医・佐野春菴と春菴世界の広がり」『石川自治と教育』新春号1・2月 712号

| 15:01

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このページ「はじめに」
系譜時代
2佐野春菴―儒・医の学
帰郷
晩年
5医術の伝統
6「私の幼年時代」(佐野純)
教育者・春菴
飯田小学校幹事校長)春菴
鈴木貞太郎(大拙)の赴任
10大拙の手紙蛸島での下宿
11春菴伝説
12「故い佐助」碑
〔参考一〕佐野春菴建碑趣意書
〔参考二〕佐野春庵翁碑 ※前田直行篆額
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まだしっかり読み取られたことのない春菴碑文。
その碑を支えているのが亀石であり、
撰文・書は黒本稼堂。

春菴によって名付けられた「い佐助」
おそらく接点があったであろう鈴木大拙珠洲における3ヶ所の下宿もはっきりした、
そのようなことが重なったので、
書かさせていただいた。

それが、今日届いた。

2019年-01月-09日-Wed

寺史・寺誌―大慈山善福寺史―

| 10:43

大桑先生から、昨年12月初頭に二冊の本を頂いた。
『大慈山善福寺史』と『善福寺文書選―大慈山善福寺史別冊』である

礼文に、寺史の目標となる成果だと思う、と
生意気なことを書いてはいたが、
ここに載せる時を取れずに年を越した。
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先生の賀状に、この寺史に触れた文があった。

文字が残った。
・・・寺史を刊行した。
未来現在に、そして現在が過去に、構造を与える」(M・ガブリエルの新実在論)。
未来から構造化されて過去を構造化した寺史。
苦の中で意味を求めている。

思索の原点・・・ラジカルさを
ますます研ぎ澄ましておいでるようだ。