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能登のうみやまブシ(西山郷史)

2017年-06月-19日-Mon

富山ー水橋、石川山玉永寺さんー板碑、五輪のある風景

| 22:23

富山に行く用事があったので、
能登教務所に出入りしていた頃、お世話になった石川さんのお寺・玉永寺さんを訪ねた。
歴史上名高い水島門徒の中心地にある寺院なので
近くには、多くの板碑、五輪群があった。
一帯の田畑にあった五輪・宝篋印塔類が集められたものという。
一石五輪もあった。
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親鸞聖人腰掛けの松

| 06:02

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富山市、浜黒崎の松並木に「親鸞聖人腰掛けの松」があった。
解説板には次のように書かれている。

「親鸞聖人腰掛けの松」は現在富山県指定
天然記念物「浜黒崎の松並木」の指定樹木
一つになっています。
この松の樹齢は五百〜六百年と思われ、松
並木の中でもひときわ目を引く大樹です。
 親鸞聖人は承元(一二〇七)年鎌倉幕府
の怒りにふれ、越後国府(現上越市)に流さ
れる途中、この地にさしかかりました。
 当時、岩瀬から常願寺川の河口にかけて
は一面の松原であり、親鸞聖人は旅の心労
を癒すため、この松の下でしばし腰を下ろ
して休養をとったと伝えられています。
            富山市

間違い:
○承元(一二〇七)年→承元元(一二〇七)年
○鎌倉幕府の怒り→朝廷後鳥羽天皇)の怒り(住蓮・安楽、さらに松虫鈴虫事件による)、
あるいは興福寺などの念仏停止奏上によって、
であって、
鎌倉幕府は関係がないし、主語法然教団、念仏宗あたりで、
親鸞聖人も流された、のである

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岩瀬諏訪町

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海辺、海辺を走ろうとしたのだが、すぐに8号線に入ってしまった。

2017年-06月-17日-Sat

西のぼるが描く白山物語 『魂の沃野』と白山戦国史

| 23:24

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北方謙三氏の歴史小説『魂の沃野』の
世界観を基に、
西のぼる氏が手掛けた挿絵原画や、
加賀一向一揆
貴重な資料を展示します

『魂の沃野』(中央公論社)上巻装画 西のぼる画
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友であったことを、思いだしてくれぬか

加賀一向一揆。名もなき「百姓」たちが加賀国守護富樫政親を打ち倒し、
約一〇〇年間に及ぶ「百姓ノ持チタル国」が成立することになった、
中世戦国史上の一大事件でした。
加賀一向一揆を題材にした北方謙三氏の歴史小説『魂の沃野』の世界観を基に、
西のぼる氏が手掛けた挿絵原画や加賀一向一揆の貴重な資料を公開します。

短冊しおり

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千代尼 短冊しおり 20枚中

文学のさし絵

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文学のさし絵。西のぼる画。
他は、蓬田やすひろ百鬼丸原田維夫画の全4枚セット。

日めくり 勝暦 戦国武将名言

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5日「下々の憂苦を思わず、武具にのみに力を入れても甚だ危うい」
左近 島清興
31日分のうち、5日目。

新聞連載

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17日(土)の「北陸中日新聞連載小説「影ぞ恋しき」
挿絵・西のぼる
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連日の挿絵作業などで、猛烈に忙しいのにも関わらず、
顔を出してくれた。
次の写真のように格好いい西君もいいが、
疲れを見せず、笑顔も優しい西氏は、
深みがあって、なんとも言えない。
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西氏は中学校以来の友人だが、
北方謙三氏も、一度、目の前でお見かけしたことがある。
そのころはハードボイルドで有名な方だった。
それが、一向一揆テーマーに書いておられるとは…。
すぐに本を注文した。

お見かけしたのは、
平成15年(2003)8月25日(月)。
この日、逗子葉山上山口の新善光寺で、
週刊ポストポストブックレビューを連載していた倉本四郎ペンネーム、義兄)さんの葬儀が執り行われた。
24日は、門徒さんの葬儀があり、夜行北陸号で東京さらに逗子に向かった。
20日ごろから、四郎さんの容体が思わしくないとの連絡があり、23日に息を引き取られた。
あと1週間で満60歳を迎える、という若すぎる死だった。
確か葬儀前、四郎さんの棺の前で、ボロボロ涙を流しておいでたのが、北方謙三さんだったのである
謙三氏と四郎さんは、いい関係でおいでたのだなぁ…と、
こころの中で、北方さんに「有り難うございました。」と手を合わせた。

その一方的な私の思い出の方と、
豊かな経験年齢を重ねた西君とが、今、一緒に仕事をしておいでるだ。
25日(日)には、千代女の里俳句館で、北方氏の記念講演会「私の文学放浪」、サイン会があるという。
北方氏の生原稿や西氏のさし絵ー64枚あるといっていたはずだーを味わい
二人の出会い読売新聞連載時のさしえ画の背景、エピソードなどを聞き、
ただただ、素晴らしい時を過ごさせていただいた。

能登国1300年ー北國新聞夕刊「舞台」

| 20:12

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16日(金)
6月6日(火)の「奥能登塾」に関連する記事
内容の神仙思想仏教思想が覆って、新しく国が生まれる発想は、
昨年、埋文の見学会で訪ねた大聖寺弓波遺跡が背景にある。
新幹線ルートにあたる川の流れを変える為に発掘していた弓波廃寺跡エリアは、
古墳群が均され、その上に弓波寺が建てられたらしい。
大事場所は、その時代時代の重要拠点になっていく。
弓波廃寺の前に古墳があったことが、重要だ。

白山を訪ねた泰澄の前に、まず九頭龍(自然そのもの)が現れ、
次に白山比廚姿をあらわし(神仙)
泰澄が覆う(仏教)

神仏習合神話の背景には、全てこの世界がある。

能登は、方道仙人が去り、泰澄が臥、清定行者と共に仏教世界を広め、新たな国ができる。

この日、埋文の評議委員会があったので、
「舞台」の背景にある弓波遺跡と、
1300年を迎える能登国の遺跡で七尾小島西遺跡の忌串が重要なのでないか、と触れてみた。

夕方、従兄弟の子の業績が残る「白山市博物館」を訪ねた。
明日は、「西のぼる、北方謙三」展を、見る予定。

2017年-06月-12日-Mon

良川・鵜家(ういえ)家を訪ねる。

| 20:57

12日(月)
指定重要民俗文化財「気多の鵜祭の習俗」ー鵜様道中のお宿、鵜家家を羽咋歴史民俗資料館関係のお二人と、計3人で訪ねた。
鵜様道中の宿保存会理事長道端齊氏、同会事務局長道端弘子氏に、案内・説明いただき
これ以上は望めない贅沢な時を戴いた。
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能登名跡志』には、18世紀後期の鵜様宿として、観音堂(山田寺)、白比古神社を挙げている。
山田寺の庚申石像
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白比古神社。
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鵜家家。
鵜籠。
奥の間の夜具は、明治時代の鵜捕部さん専用夜具。
織物の里にふさわしい、落ちつきのあるゆっくり休めそうな夜具だった。
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鵜家家墓域
五輪、水輪。種字はバン金剛界大日如来
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鵜埋塚(うまいづか)、鵜埋(うづめ)
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休み石。
金丸祖母実家の真ん前だった。
子供頃、この石の横を通って金丸駅と祖母の実家を度々行き来したはずなのに、
お二方の案内があって、初めて知った。

門野實さん

鵜家家を訪ねるために、「鵜様道中」を読んでいて、門野實さんの名を見つけた。
珠洲市史に主として『能登名跡志』を頼りに能登国三十三観音札所の名を記し、実際の札所を訪ね始めた頃、門野實さんが、御詠歌について書いておられることを知り、訪ねたことがあった。
夜、門野家にたどり着き、札所を訪ねている旨を話すと、若いのに、とすごくお喜びになられ、夕食だけでなく風呂までわかして、もてなして下さった。
門野さんはお医者さんで、家で開業しておられた。
覚えているのは、ここまでである

突然、良川の人だったのだ、本を戴いたはずだ…と古い記憶が蘇ってくる。本箱を探すが見つからない。
万葉集、緑の表紙、と思いだして行くうちに、いつも見ていた書棚に本を見つけた。
『能登国三十三観音のたび』で参照にした十一種類の御詠歌本の初期に参考にした本だった。
今日、門野家前を通った。
あの時代に、どうして訪ねることが出来たのだろうか?
なかなか辿りつけなくて、夜になったのだったろうか…
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昭和41年8月発行。
発行所鳥屋町公民館

「鵜」のつく地名近世の村ー

鵜飼(うかい
鵜島(うしま)以上珠洲市
鵜川(うかわ) 能登町
鵜島(うじま)穴水町
鵜入(うにゅう) 輪島市
鵜山(うやま)旧門前町(輪島市)
鵜野屋(うのや) 旧富来町志賀町
鵜浦(うのうら) 七尾市

こうしてみると「鵜様道中」の北部しか「鵜」のつく地名がない。
加賀には鵜名の村は1ヵ所もない。
見方を変えれば、鵜捕部さんたちのの住む鹿渡島(鵜浦町)は「鵜」のつく地名の南限になる。
そこから気多への道中。
「お出で祭り(平国祭)」の時は、須須神社の辰、七尾にから気多に行って留守番をするーその時あいの風が吹くーという伝承があるが、そのことを思わせると共に、
鵜崖には、北能登一帯の「鵜」が集まる象徴の地であることも考えられる。

私のように鵜飼、鵜島、鵜川名日常になっているものと、
普段「鵜」名を聞かない地域の人とでは、「鵜」に対する感覚距離が違うかも知れない。

2017年-06月-07日-Wed

奥能登塾ー於・能登空港-6月6日(火)

| 06:21

奥能登塾が開講した。
今朝の朝刊に載っていた。
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北陸中日新聞
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北國新聞

久しぶりに、星野さんに会える。
ひょっとして、かつてあちこち一緒に回った「能登を知る会」のメンバーの誰かが来ているかも知れない、と思ってワクワクしながら能登空港へ出向いたが、「能登を知る会」のメンバーはいなかった。

北海道から穴水に帰ってこられ、去年のお説教をきいたから、という方。
富山から、「鵜様道中の宿保存会理事長事務局長の道端ご夫婦。ご主人の齊氏は、広島大学名誉教授理学博士
東洋大学学長(国際担当高橋一男氏
金沢星陵大学経済学部講師 川澄厚志氏
能登産精油プロジェクト 代表 佐野禎宣氏
能登編集長経塚幸夫氏
市役所担当者さん
そして記者さん
など、名刺を戴いたり、見知った方はこれぐらいで、
大学のお二人をはじめ、
星野さんはじめ立ち上げた方々の人脈でおいでた方が多かったのだろう。

私としてはしては、能登のことを書いた本などを集めた一室があって、自由に使ったり集まったりする場があれば…が願い。

七尾博物館ができる。
奥能登にも旧二郡を中心に能登、さらに、それぞれのテーマーで資料をしることができるセンター必要性だ。
この日お話ししたように、奥郡だけで406も村があったエリアに、それこそそういう場がない。

そこで、本がいくらぐらいで手に入るのか、アマゾンで調べて見た。
『能登のくにー半島の風土と歴史』は定価通り

『能登国三十三観音のたび』は、出版元にもなく、6000円以上している。
えー!
奥能登塾とは関係ないが、『蓮如真宗行事』は?
わー、『蓮如と真宗行事ー能登の宗教民俗』
こちらもも木耳社から売っていないのだろうか…。

『のと師走風物詩 鵜様道中』

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鵜家(ういえ)さんから、いただいた。
こんなにキシッとまとめた冊子があるとは思ってもいなかった。
ページごとに、道中に対する愛情がにじみ出ている。




 

干場辰夫干場辰夫 2017/06/07 12:20 西山さんの講演をお聞きしたということで、道端弘子さん(「鵜様道中の宿保存会」事務局長)からメールがありました。相変わらずのご活躍のご様子と拝察いたしました。道端弘子さんの著書『のと師走の風物詩 鵜様道中』をお褒め頂きありがとうございました。また、「七尾に博物館ができる」とありましたが、初めて知りました。楽しみにしております。

umiyamabusiumiyamabusi 2017/06/07 19:25 遠くから来ていただきました。鵜家家あたりを、ゆっくり歩いてみたいと思っています。講義した部屋は、今まで生涯教育関係で、何度も利用させていただいた部屋です。扉の閉まった教育室の横を通り過ぎた時、去年3月まで4人知り合いがいたのに…時の移り変わりの早さをしみじみ感じました。元気でね。

2017年-06月-02日-Fri

佐藤春夫の碑ー羽咋工業高校

| 07:51

羽咋工業に勤めたのは1972(昭和47)年〜1975(昭和50)年。
隣の「汐路」食堂もなければ、町自体も変わった。
一緒に勤めた人もかなり世を去った。
どうもインターハイ県予選時期らしく、学校前を通りかかると静かな気配。
佐藤春夫氏の校歌、ならびにタクミガオカ(工藝台)をこの機会に見ておこうと、学校前の庭へ寄った。
もう45年たち、特に木々はずいぶん成長しているはずだ。
校歌の碑には、記憶がなかった。
工藝台は、そういえば、校門付近にあったのだった、と思いだした。
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校歌
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一番

 古の地に新しき
  文化を産むと若人の
  志見よ我らみな
  國の内外(うちと)に雄飛せん
   自律の児らの睦じく
   楽し我らが学窓は


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二番

   松原つづき庭廣く 
   海山見えて窓高し
   秀麗の地の学校(まなびや)の
   すぐれたる子ら巣立つべし
     自律の児らの睦じく
     楽し我らが学窓は

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三番

   技藝(わざ)に学業(まなび)に人格(ひとがら)に
   向上の途(みち)一すじを
   進まん我ら希望あり
   工藝台(たくみがおか)の春秋(はるあき)や
      自律の児らの睦じく
      楽し我らが学窓は
      自律の児らの睦じく
      楽し我らが学窓は
        佐藤春夫[角印]  

第2回卒業生の寄附だから昭和24年生まれあたりの生徒たち、私より2年下だ。
とすれば、50年経っている。
 綺麗な碑、だと思う。
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工藝台(たくみがおか)
→佐藤春夫の世界ー羽咋工業高校