夏目友人帳

夏目友人帳 (1) (花とゆめCOMICS)夏目友人帳 (2) (花とゆめCOMICS (2969))夏目友人帳 第3巻 (花とゆめCOMICS)夏目友人帳 4 (花とゆめCOMICS)夏目友人帳 第5巻 (花とゆめCOMICS)
 最近はこれをゆっくりと読んでおりました。妖怪の見える主人公、祖母の残した友人帳、そしてニャンコ先生。読んであたまにうかんだのが、ふたつのマンガ。ひとつ目は「うしおととら」。マンガの内容の雰囲気は全然違うんだけど、主人公とニャンコ先生をみていると、とっても「うしおととら」のあいだがらと似ていて、懐かしく、ほくそえむ(とらを大好きだったように、もちろんニャンコ先生も大好きなんだ)。そして、もうひとつは「蟲師」。蟲師ほどに暗い感じというか、じめっとした感じはないんだけど、蟲=妖怪とのあいだを通じて、見知らぬひとの思い出・大切なものに触れたりして、解決していく一話完結的なところが。
 ともあれ、じんわりと心を動かされる好きなマンガとなりました。毎回、依頼解決的なかたちですすんでいくのか、ニャンコ先生と夏目ばあさんの関係とか、謎は盛りだくさん。

言語はなぜ哲学の問題になるのか

言語はなぜ哲学の問題になるのか

言語はなぜ哲学の問題になるのか

 雑用にひとくぎりついたかと思えば、つぎのものが舞い込んできて、なかなか集中して時間がとれん……。そんななか、これを読んでいるんだけど、「2 意味の全盛期」の手前まで読了。いろんなところで絶賛されている文献なんだけど、ほんとうに読みやすい。ハッキングの問いの明記とそれに向けた議論のまとめかたはとてもさわやか。その分、切り落としたことはたくさんあるということについてもちゃんと理由づけ(言い訳)を書いてくれています。
追記
 読了。まとめは最後の章の図でだいたいわかるようになった(笑)。メモとしては、「言語哲学」における「対象」と「精神分析」における「対象」における位置づけがどうなっているのか、ということ。観念の時代の「対象」と、一昔前のアメリカにおける精神分析の「対象」ってけっこう意味が似てるなとか、対象関係論なんかは、観念における「対象」と外的現実の「対象」のすりあわせをおこなおうとしてるだけど、「言語哲学」だと「公的なもの」と「私的なもの」って完全に区切られて、説明としてはすりあわせられないのかな、とか。そんなことを思った。たぶん、そのうち忘れるんで、いまのうちにメモっとこう。