夏目友人帳
最近はこれをゆっくりと読んでおりました。妖怪の見える主人公、祖母の残した友人帳、そしてニャンコ先生。読んであたまにうかんだのが、ふたつのマンガ。ひとつ目は「うしおととら」。マンガの内容の雰囲気は全然違うんだけど、主人公とニャンコ先生をみていると、とっても「うしおととら」のあいだがらと似ていて、懐かしく、ほくそえむ(とらを大好きだったように、もちろんニャンコ先生も大好きなんだ)。そして、もうひとつは「蟲師」。蟲師ほどに暗い感じというか、じめっとした感じはないんだけど、蟲=妖怪とのあいだを通じて、見知らぬひとの思い出・大切なものに触れたりして、解決していく一話完結的なところが。
ともあれ、じんわりと心を動かされる好きなマンガとなりました。毎回、依頼解決的なかたちですすんでいくのか、ニャンコ先生と夏目ばあさんの関係とか、謎は盛りだくさん。
言語はなぜ哲学の問題になるのか
- 作者: イアン・ハッキング,伊藤邦武
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 1989/05/01
- メディア: 単行本
- クリック: 21回
- この商品を含むブログ (33件) を見る
追記
読了。まとめは最後の章の図でだいたいわかるようになった(笑)。メモとしては、「言語哲学」における「対象」と「精神分析」における「対象」における位置づけがどうなっているのか、ということ。観念の時代の「対象」と、一昔前のアメリカにおける精神分析の「対象」ってけっこう意味が似てるなとか、対象関係論なんかは、観念における「対象」と外的現実の「対象」のすりあわせをおこなおうとしてるだけど、「言語哲学」だと「公的なもの」と「私的なもの」って完全に区切られて、説明としてはすりあわせられないのかな、とか。そんなことを思った。たぶん、そのうち忘れるんで、いまのうちにメモっとこう。