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日記

2018-10-04

専門性について

精神科医のkyupin先生のブログをよく読んでいる。

過去記事に「専門性について」というのがあった。

https://ameblo.jp/kyupin/entry-10017162421.html



一部抜粋

「さて、医学生が卒業して精神科に入ってしまうと、

なんとなくテンポが精神科になってしまうのでツブシがきかなくなる。

だから、そういうことを心配する人は最初に2〜3年内科に入局し、

それから精神科に来ようとする。

実は、その方法は良くないのである。

精神科の診断、治療には独特の感覚があり、

これは最初から精神科に来ないと身につかない。

何が違うかと言われても、うまく説明できない。

卒業後、最初に他の科で診療しているのが傷になってしまう感じなのである。

だから僕の大学の医局では、

特に助教授が最初から精神科に来なさいとアドバイスしていたらしい。(同期の友人がそう言っていた)

僕は最初から他科に行き勉強しようなどとは思わなかったのでそんな質問はしなかった。

僕はこのようなセンスは診断の時に影響するような気がしている。

心理学的要因と生物学的要因の評価というか、バランスをとり診断する面で少し違うのである。」



これはよくわかる気がする。

若い時期に「最初に」身に着けた専門性というのは尾を引く。



以前、子宮頸がんの検査で引っかかって、

子宮頸がんとはなんぞや?と思って、解説本を読んでいた。

統合失調症になって少し経っていたから、

統合失調症の本は何冊か読んでいた。

病気は病気でも、統合失調症子宮頚がんの解説本では随分様子が違うもんだなあ、と思った。

私の感覚でいうと、

精神科の本は、国語の授業っぽく、

婦人科の本は、生物の授業っぽい。

科によって違うんだなあ、と思った。




私は、精神科クリニックをいくつか変えている。

今までかかったクリニックは以下の通りだ。


・入院した精神科単科病院

・大学近くの個人クリニック(おじいちゃん先生)

・実家近くの大学病院精神科(女性の先生)

・結婚して引っ越した先の近くの婦人科精神科を診る個人クリニック(男性の先生)

・医者が複数人勤務している個人開業のメンタルクリニック(数回のみ)(私の担当は男性の先生)

大学病院精神科(出産のため、産科もある大きな大学病院に移った)(男性の先生)


この中で、4番目の婦人科精神科の見れる医者は、あきらかに毛色が違う、と最初の受診から思った。

(ちなみにこの記事に書いた、相性の悪かった医者である。

http://d.hatena.ne.jp/unaao/20180624/1529842679


この医師は、産婦人科研鑽を積んだあと、

産婦人科の患者に精神的なケアが必要なことを感じ、精神科に転科したと、雑誌で読んだ。

そして今は婦人科精神科を両方診るクリニックを開業している。



この先生にお世話になっていて文句を言うのも悪いが、

最初はよかったものの、だんだん違和感が増大し、限界になり、クリニックを変えることにした。

違和感をどう説明すればいいか、なんとも難しいが、

最初の専門が産婦人科なので、もしかして、精神科診療は劣っているのではないか、

間違いがあるのではないか、という疑念が大きくなってしまった。

普段の診療で何事もなければそんなことは思わなかったのだろうが、

診察の中でちょっとした違和感があり、それが積み重なった感じである。




患者の身分で、医師の専門性について文句を言っていても悪いので、

自分の専門である、絵画について書く。



ギャラリーや美術館で絵を見ていて、

この人の絵は〇〇美術大学っぽいなあ、この人は〇〇芸術大学っぽい、と思うことがある。

経歴をみるとだいたい当たっている。



また、日本画、洋画、彫刻科、デザイン科、などの科による違いもある。

デッサンなどを見るとその違いは如実に表れる。

彫刻のデッサンと、日本画の人の描くデッサンは全然違うのである。



そもそも受験のときに、美術受験予備校

科による違いは出来上がってしまうし、

〇〇大学用の作風、というのもわざと作り上げる。

受験対策だ。


なにがどう違うかというのは、説明できなくもないのだけど、

すごくめんどくさいのでここでは割愛する。


同じ絵を描くでも、

ずっと絵画をやってきた人と、イラストから絵画に移行した人というのは違いが出る。

グラフィックデザインから絵画でも、絵画から彫刻でも、

成功を収めた人はいるし、移行することは全然構わないのだが、

違いは絶対現れる。それが良いとか悪いとか言ってるのではなく、

違いがあるというだけだ。


学生の頃、言語学の世界的にエライ人の本を読んでいた。

言語学に興味があって手にとったのだが、

基礎知識が無い私には歯が立たず、読破できなかった。

しかし、印象に残ったエピソードがひとつあった。

言語学の研究をするためには、

必要な学問の専門性を20歳までにすべて身につけておかなければならない、というのだ。

必要な学問がなんだったか、思い出せないが、

この話は20歳までに、というのがミソだと思う。

若い時期に身につけた専門性というのは、のちのちまで尾を引く。

何か専門を身につけて歳をとったあと

別の専門を身につけるのは、きっとできなくはないんだろうけど

先に身につけた専門が影響すると思う。

まあ、言語学の大家になるような天才が言う事なので、万人に当てはめなくても良い。

凡人は一つの専門性を身に着けるだけで精一杯である。


個人で言っても、

洋画出身だから、そういう描き方が身についてしまっていて、

テーマは日本画に近いし、日本画テクスチャが大好きなんだけど

日本画に転向するのはやめようと思っている。

とりあえず発表するものに関しては。



こんなこと考えているのも、

精神科クリニックを渡り歩いてきたからであって、

最初の受診で、あれ、毛色が違うぞ、と思えるほど、

精神科に精通してしまったのが少し悲しい。

2018-09-29

アメブロでも書いています

最近、アメブロでも記事を書いています。

アメブロは主に子育て関係の内容です。

宜しければお読みください。

こちら

https://ameblo.jp/ameba-no-unaao

2018-07-26 くじ運が強いか弱いか

夫と、くじ運が強いか弱いかの話から、

人生全体の運の話になった。



私は小さい規模のくじは当たることが多いので、

くじ運が強いと言った。

夫はくじは子供のころ、1回しかあたったことがないと言った。



運を使っちゃうからくじはしない、という知り合いの話から、

人生全体の運の話になった。

私は即答で「私、運いいよ!」と言った。

基本的に私は恵まれていて、ありがたいなーと思いながら生きている。

でもちょっと考えて、統合失調症にかかって運がいいのも変だな、と考え直した。



夫は「統合失調症にかかって運がいいと言うのは、ずいぶん力強いね」と言った。

確かにそうかもしれない

それでも私は自分の人生は運がいい、という確信はゆらがない。

統合失調症はなんか大変だったけど、

私は気分の感じ方が激しいほうだと思っていて、

つらい考えや負の感情を味わっているときはとことん、落ち込むけど、

代わりに朗らかでいられるときは、すごくハッピーで機嫌がいい。



そして朗らかでいられる時間や、朗らかさの「強さ」の総量が、

今までの人生で、つらい感情よりも多いから、

基本的に私は運がいいのだと思っている。

その方がハッピーだから、そういうことにしておこう。

2018-07-24

抗うつ剤をやめてから

抗うつ剤ジェイゾロフト)をやめてから、一日8時間以上眠れなくなった。

そして現在は6〜7時間睡眠で日中快適に活動出来て、とてもハッピーな日々を過ごしている。



私は抗うつ剤を9年近く飲み続けていて、

今年の5月にやめてから、一か月間くらいは以前の記事にも書いた、

http://d.hatena.ne.jp/unaao/20180512/1526127355

気分の落ち込みや不眠やビリビリ感などで落ち着かなかったが、

それが落ち着いて、平常に過ごせるようになると、

過眠ができなくなった。



今までは8〜10時間の睡眠で、

疲れるような出来事があると16時間寝続けることもあったし、

昼寝を3時間しても、その日の夜になるとちゃんと眠れた。

そんな生活を10年近くやってきたから、

8時間以上眠れなくなって調子がくるってしまった。

ちょっと疲れたのでいつものように3時間ほど昼寝をした日、

夜になっても寝付けないことがあって、そのことに気づいた。



そしてある日、早朝に起きなければいけない用事があって

朝の5時前に起きた。

眠かったが起きれたので、動きだしてみると、

これは感覚的な印象でしかないのだが、

この体の感じからすると、早起きを続けられそうな気がする!と思った。



それで5:30に起きることを続けてみることにした。

夜は23時までには寝るようにした。

感覚的に思ったことは当たっていて、この生活を始めて数週間だが

日中きちんと活動できるし、今までよりも頭がクリアな感じがするし、

やりたいことはできるしで、いま、すごく幸せだ。

(絵の制作の都合で、現在は25時〜8時で就寝に変えた)



私はやりたいことが多くて、描きたい絵もいっぱいあるから、

一刻でも長く絵を描いていたくて、

もっと起きていられればもっと描けるのに、と随分悩んでいた。

今まで実はけっこうつらい状態だったのだということに元気になって気づいた。

こんなに日中眠くないし、頭がクリアでいられるのか!

元気な状態と比較ができるようになって、

今まで自分はしんどい状態で頑張ってたんだ、と認められるようになった。



このように認められることで得られる安定感は大きい。

今までは自分は怠けものだ、とか、何こんなにできないんだろう?もっと頑張らなきゃ、と思うことが多かった。

なんのことはない、身体も心も元気になれば、私は言われなくたって、家事もするし絵も描くのだ。



私は主治医が何回か変わっている。

眠りすぎで困っています、と相談したことも何回かある。

今までの主治医のなかで、「眠れないよりはいいから」と言う人が数人いた。

不眠=再発の兆候、だから、眠れなくなることには敏感だけれど、

眠りすぎについてはあまり対応してくれない。

再発を抑えることが最重要で、眠れているならむしろ安心、という印象をうけた。



しかし、こんなに快適に日々を過ごせている喜びを感じると、

もうちょっと何とかできなかったのだろうか?と思わなくもない。

私は妊娠のために薬を調整し、変薬・減薬し、現在の主治医になってさらに減らしたらこんなに元気になった。

妊娠というイベントがなくて、薬の調整がなかったら、

眠いし頭が重くてだるい、という日常を死ぬまで一生やっていた可能性もあるわけで、

考え込んでしまうものがある。



出産したらまた状況も変わるだろうから、

何とも言えないけど、

とにかく今は毎日幸せでしょうがない。

身体が動いて頭が働くってこんなに幸せなこと!!

とりあえずは出産までの数か月、この幸せをかみしめようと思う。

2018-06-24

介入されること

以前の主治医と相性が悪かった。



結婚したばかりの頃にかかりはじめたから、

環境の変化で体調が安定していない様子を初めに見たから、

体調が悪めだと警戒されていたのかもしれない。



また、一般的にみて、すごく優しい親切なタイプの医者だった。

今までかかった医者のなかで、一番話を聞いてくれ、態度も柔らかで、

結構具体的なアドバイスも多かった。

精神科にあまりかかったことのない人から見たら、

なんて良い医者だ!って思うかもしれない。



でも私はだんだん負担になってきていた。

夫が、コロコロ医者を変えるのは良くない、というので、

我慢して結局3年かかったが、最後のほうはもう負担でしかたがなく、通院日が憂鬱だった。



統合失調症になると、月1回程度の通院を死ぬまで続けなければならないことになる。

薬をまとめてもらえるのは一か月分くらいが限度だから、しかたがない。

精神科の病気だから、何かの数値を見るわけでなく、

生活の状況の確認や世間話的なものをすることになる。

これってよく考えたら結構不自然なことだ。



定期的に日常の相談を出来る人を得るということでもあり、

嫌でも介入されるということでもある。



医者にも個性や考え方の違いがあって、

病状が悪くなっていなければ、日常のことを聞きはするけど、介入しないという人もいる。

日常の事を聞くことで病状の把握だけする、という感じだろうか。

こういうことで悩んでるんです、困っているんです、と訴えても、

それが妄想とか危険な行為とかでなければ、

「うーん、そういうこともあるよねー」だけでバッサリ切って、診察が終わっちゃう、というような。

これは考えてみたら当たり前のことで、

医者はよろず相談を受けているわけではないので、日常の相談をいちいち真面目に答えていたら身がもたないのだ。



私はどちらかというと、バッサリ切ってくれる医者のほうが相性がいいみたいだ。

診察で悩んでることを言っている間は、本気で困っているかもしれないけど、

生きていたら不安でどうしようもない出来事が起こることもあるし、

人間関係のいざこざもある。

そういうことは自分で試行錯誤して解決しなければならない。

そういうことに、バッサリ切られると、気づいて、自分で自分の人生を歩み始める。

ましてや、20歳そこそこの、社会経験も浅い頃から、医者にかかっているのだから、

少し、医者というなんか頼りにできそうな存在に甘えてきた面もあるかもしれない。

でも、それはイレギュラーな状態であって、

大抵の人は、医者になんか相談せず、もがいて生きてゆくのだ。



相性が悪かった医者は、割と介入してくるタイプだった。

相性が悪かったので、悪口のようになってしまうが、

日常の悩み事ってそう簡単にアドバイスできるものでもない。

数分の診察で状況をすべて把握するなんて無理だし、

絵画で言えば私のほうが専門家だ。

(絵の内容を相談していたわけではなくて、絵の専門家がどれくらいの労力をかけて絵に取り組むかなんてことは、数分ではわかってもらえない)

(※追記 この文章に違和感があって、考えてみたけど、この主治医は絵の事をわかろうとしてなかったな。自分の知らない分野過ぎて怖気づいてた)

アドバイスするならそれなりのヒアリングが必要だと思うが、

数分の診療でそれをやろうとしていて、やらなければならないとさえ思ってるみたいだった。

悪い言い方になるが、介入するわりに雑なのだ。

それを疑問にも思っていないようだった。医者として真面目過ぎるのだ。

その真面目さ(医者はこうであるべき、みたいな)を支えている緊張感が伝わってきて、こちらが疲れることもあった。

いちばん堪えたのは、時々、夫と一緒に受診したのだが、

いつも夫の味方だったことだ。

なんだか私は病気をもっている未熟な人で、管理が必要な人みたいに思われているように感じられた。



医者にかかることで、

いざという時のセーフティネットになっている面はありがたい。

しかし、病気の事なんて忘れていたいし、月に一回の通院も面倒だ。

その通院で、アドバイスを受けるという形で私の未熟さを突き付けられる。

私は最初は医者の言うことを真に受けていたから、

医者の発言に縛られ、違和感や不安感が増長し、さらに気持ちが安定しなくなるという状態になっていたと思う。



もう、介入されないように何も言わないようにしよう、と思い、

最後のほうは、「変わりないです、元気です。」

と言っていた。

病院に行って元気です!と言うのはなんだか痛快で面白かった。

でもその頃は不妊治療でストレスMaxだった。

不妊治療に介入されるくらいだったらストレスを抱えてでも黙っていたほうがよかった。

「不安になることはないですか?落ち込むことはないですか?」

よくそんな質問をされた。誘導尋問じゃないか!

毎回毎回、すごくめんどくさかった。

何も言わないようになってから、診断書や紹介状に「安定しています」の文字が見えたのは苦笑だった。



もう限界になって、夫に言って、病院を変えた。

この医者には申し訳ないけど、

今現在も憎しみしかない。

本当に疲れた。