ぼっとんべんじょ このページをアンテナに追加 RSSフィード

2014/03/27

2013/08/29

趣味はどこからくるの

8月頭から、自動車教習所に通っています。
2chテンプレ入りするほど悪評の多い教習所で、実際、車を止めてブチ切れてやればよかったと後悔する事も数多くあるのですが、それはまた別の機会に。

僕としては"当然"という気持ちで、限定なしの免許を取るべく通っていますが、
自分の周りではちらほら「MT車なんて一生乗らないからAT限定で十分」「MTは見栄」という話も飛び交っていたり。
昔に比べ型落ちの車でもATが増え、中古車の値段はATもMTも変わらなくなりました。が、小さい頃から車が好きで、若いうちに乗るのはやっぱりMTでスポーツ走行の出来るような車だよなあとか思っている僕にはなかなかの衝撃でした。

衝撃を受け止めつつ、ふと思うことがありました。
僕は、いつ、どうして車に興味を持ったんだろう、と。

同年代の友人・知人で車やバイクが好きだという人は、大抵、親だとか兄弟に影響を受けているようです。
これには、車やバイクに限らない傾向があるように思います。例えば、楽器が趣味の人は親も同じ系統の楽器をしていたりすることが多い、漫画好きの親を持つ子はマンガ・アニメ系カルチャーが好き、ということが少なくない印象です。
やらせるのが先か、やりたいと思うのが先かはわかりませんが、結果として、趣味は受け継がれるということはよくあるように思います。
今は触れませんが、文化資本の話にも共通する部分があるでしょう。

一方の僕ですが、こういった影響を親から受けたことは無いように思います。
一言で言ってしまえば無趣味なので、遺伝のしようがありませんでした。

じゃあ、僕のこの興味のルーツは何だ?という話になるわけです。

僕が初めて車の面白さと触れ合った機会をよくよく思い出してみると、伯父の家で遊ばせてもらった「グランツーリスモ」というゲームだったように思います。僕の家はあまり裕福でなく、一人っ子だったこともあり、なかなかゲーム機を買ってもらうことはありませんでした。当時、たまに遊べるゲームなのでえらく感動したように思います。

その後、10歳を超えるあたりまで、伯父から哀れみのあまり譲ってもらったスーパーファミコンPCエンジンで遊んでいました。幸い、家にPCはあったので、ガーピガーピガーピーーと鳴り響く接続音とオフラインモードを駆使してインターネットの世界にちょっとだけ足を踏み入れたりもしました。
ガンダムにハマったのはこの頃だったと思います。PCを触る以前に海老名ゲーセンで遊ばせてくれた"連ジ"で受けた衝撃が忘れられなかったのです。
しかし、そんな時代遅れの少年もついに我慢できなくなったので、お小遣いで1980円のプレイステーションを買いました。値段から察する通り、既にPS2は出て、あと少しすればPS3が出るというような時期でしたが、買いました。あの感動を求めて。
プレイステーションといったらグランツーリスモ、という思い出補正による固定観念が出来上がってしまっていた僕は、ベスト版の出ていたグランツーリスモ2を買いました。はじめて自宅で遊べる3Dポリゴン映像のゲームは、やはり衝撃でした。
その後は、他のゲームを買うお金もなかったので、相当な期間はこのゲームを遊んでいました。

今思えば、プレイステーションの感動と、ゲームで表現されている車の面白さが混同されていた、というほかないでしょう。しかし、幼き少年にそんなことはわかりませんし、それを大きく分けて二度も経験してしまったわけですから、ある意味こうなってしまうのも当然と言えるかもしれません。

で、僕の趣味というのは、だいたいここがスタート地点なんじゃないかなと。

GT2をひと通りやりこんだ後、バクシードというミニ四駆パチモンにハマりました。キッカケは、親から与えられたものでもCMを見たものでもないことは確かです。インターネットか模型屋か、といった感じです。当時ようやくADSLが使えるようになって、友達も多い方ではなかった僕はネットにドハマりしていたので、多分ネットでしょう。
ここで知り合った人が大体ミニ四駆界隈出身のひとだったので、パチモン終焉と同時に四駆を始めました。
ミニ四駆の世界は怖いもので、なぜか機械工作・電子工作の知識が必要になったので、どちらも始めました。
その繋がりで、ゲーセンに置いてある湾岸ミッドナイトをやらないかと誘われ、始めました。ゲーセンで待ち時間ヒマだったのでぼーっと他のゲームを眺めていて、なんか面白そうだなと思った格ゲー音ゲーも始めてみました。で、今に至るって感じ。

もう一つルーツになってるものがあって、それはガンダムです。僕の、いわゆるオタク系趣味は大体ここから始まっているんじゃないかなあと思います。

ルーツなんてただの懐古だろう、という文句もあるかと思います。事実、自分もここまでだいぶ自分語りをしました。

だけども、このルーツというのが、とても重要だと思うのです。
上に書いたのは僕の「モノ」のルーツなのですが、「手段」のルーツというと、やはり、ゲームとインターネットということになるでしょう。

僕がもし、これ以上にゲームに触れる機会が無かったり、幸運にもインターネットの世界に早くから足を踏み入れることが出来なかったとしたら、今の僕が持っているものは殆ど得られないでしょう。
他に、小さい頃からスポーツなどをして運動に長けていたりだとかあれば、また違った青春時代など謳歌出来たかもしれませんが、子供のお小遣いでは習い事の月謝には厳しい物があるので、ネットにどっぷり浸かったこの道は間違ってなかったといえるでしょう。

つまるところ、何がいいたいのかというと、自分で色々見つけてやるのもそれはそれで楽しいけど、自然とぼっちになる世界が生まれてくるし、親が支援してくれることもないから、多趣味な親の下に生まれたほうが、自我が出来てから親元を離れるまでの十数年の人生はかなり幸せになるんじゃないかなということです。

2013/06/15

大学に

第一志望の大学に受かりました。
焦燥感と絶望感のもとでダラダラする日々と無事にお別れです。

都会コンプレックスのある僕にとって都落ちは非常に回避したい事案だったので、また、学歴コンプレックスのある僕にとっては就職でフィルタにかかるような学校は嫌だったので、他にも、
編入生の取り扱いについて優しいとか、知り合いの先輩がいて安心だとか、だいたい全ての面で僕にとって理想的な学校だったので、非常に嬉しいです。

正直なところ、実感が湧いていません。
僕みたいな決して育ちの良いとはいえない、かつ、頭も良いとはいえないような人間が本当に大学なんかに行けるのだろうかという感じです。
何年か前、高専に入った時もこんなことを考えていた気がします。

きっと、高専に入った時と同じように、周りのレベルの高さに絶望するのだろうと思います。
そして、劣等感に苛まれながら、僕の脳みそのレベルは引き上げられて行くのでしょう。
楽しみで仕方がありません。


結果論で言ってしまうと、滑り止めとして出願した大学の受験費用でMBAが一台買えたのと、勉強時間の確保のためにあまり興味のない(ぬるい)研究室に入ってしまったのは失敗です。
その分、より遊び呆けられるので良いという話もあります。何か熱中できるゲームが見つかると良いなあ。

2013/03/30

19歳になりました

3/29で19歳になりました。
学校の同級生だと3月生まれは僕しかいないので、一ヶ月以上ぼっち18歳でした。

年齢がインクリメントされるごとに思い出す話があります。
年中無休で開店休業: 人生について考えた:体感時間と人生の折り返し地点
僕の何個か上の先輩にあたる方のブログ記事なのですが、何度見てもなるほどと思います。

そろそろ然るべき変化を伴って大人になるべき時期だと思うのですが、この一年間の僕には驚くほど変化がありませんでした。
何か熱中したわけでもなく、何かを身につけたわけでもなく、一体何をやっていたんだろうかと自省するばかりの日々です。

一度自分に対して問いを投げかけると、これがなかなかやめられなくなってしまうもので、過去の自分に文句をつけることばかりです。
スティーブ・ジョブズが「点と点が繋がってることが後からわかった」という趣旨のことを有名なスピーチで言っていた気がしますが、あれは成功者の台詞でしょう。
自分に当てはまらないとは言いません。というのも、今の僕は過去の僕の延長であることが明らかだからです。そう考えると、この言葉は「人は変われない」という、ある種の帰納法的な意味に思えてきて少し辛いです。

小学校の頃、背の順という整列規則がありました。僕は背が小さく、一番前の常連でした。
その時の記憶が強すぎて、僕の中では僕は未だにチビなのですが、実際に今の同級生たちと比べてみると決して低くない身長のようです。
ところが不思議なことに、この事実を認識しても、心にある低身長固有の劣等感はなかなか消えないものです。

今年はこの負け犬根性を綺麗サッパリ捨てることを目標にしていきたい。
考えれば考えるだけ負けの事実を認識することになるので、深く考えず、バカになろうと思います。なれたら苦労しないけど。

2013/01/20

ONK48

今まで、オナ禁なんて狂人のやることだと思っていたのだが、気持ちがモヤモヤしていたのと、ニキビが2年間くらい治らない状態が続いていたので美肌効果目当てで、物は試しにやってみた。

一日最低二回は自慰行為に勤しみ、方法の探求についても非常に積極的な僕が欲を禁ずるわけだから、当然クソみたいに辛い。

まず、最初の一週間は地獄である。今までは暇さえあればブックマークの中からエロサイトを選んでいたので、開始初日にフォルダを見えない位置まで追いやったのだが、ふとした瞬間に以前それがあった場所にマウスカーソルが動いていってしまう。そこで抜きたいと思ってしまうわけだ。これが一日に何回もあるのだから相当大変だった。

二週間目は学校の定期試験期間と重なったのだが、いやあ、辛かった。この週が一番辛かったかもしれない。
抜きたいという気持ちで脳がいよいよ本格的に支配されてきて、オナニーのことしか考えられなくなる。脳みそ全部チンコ
「おちんぽ欲しいのおおおおおおお」みたいなエロ漫画あるでしょう。あんな感じ。
当然、試験は死んだ。

試験最終日の前の夜に人生初の夢精をしたのだが、これがターニングポイントとなった。
夢精でもいわゆる賢者タイムには突入するようなのだが、重要なのはその後だ。
この賢者タイムが、結局終了まで続くこととなったのだ。

というわけで、三週間目以降はズルズルと記録を伸ばしていくだけであった。
止め時も見つけられず、オナ禁を継続したまま年を越し、最後は四十八手など下ネタに縁のある数字である48日目を終えたところで僕の戦いは終わった。


オナ禁の効果はあったのかというと、全然なかった。
お肌は綺麗にならずニキビは常に更新されていったし、気持ちが前向きになるとかもあんまり分からなかった。寝起きも相変わらず相当に悪かった。

とは言うものの、期待していた効果はなかった、と言ったほうがいささか正確かもしれない。
実は変化はあった。というか、変化していたらしい。僕は知らない。
他人から言われることだからイマイチ分からないのだが、どうやらストライクゾーンが広がったらしい。性別方向に。
この時期に仲が良くなった男友達がいるのだが、時期が時期だけにホモホモだと煽られる始末であった。
訳の分からない言いがかりをされ僕は非常に腹が立ったが、それ以上に彼が可哀想だと思った。


今はオナニーに明け暮れる日々を取り戻したが、やはりオナニーは気持ちいい。
だが、今のところ人生で一番気持ちよかったのは、オナ禁を終えるオナニーだ。
量も多いのだが、何より濃さがおかしい。色は黄色そのものだし、塊が出来上がっている。精液というより精ゼリー、精ドロリッチと言ったほうがよいだろう。
久々が故の、腰の抜けるような物凄い快感とともに、これが大量に出てくるのだ。
48日間溜め込んだ甲斐はあったと思う。

皆様も是非、オナ禁オナニーという新たな世界に飛び込んでいただきたい。