劇団フーダニット『罠』

 劇団フーダニット創立十周年記念公演『罠』(PIEGE POUR UN HOMME SEUL par Robert Thomas, 1960)を見てきました。
 家出して十日目に、妻がようやく戻ってきた……かと思ったら、来たのは知らない女。だが、新婚旅行の写真は消えてしまっていて、本当の妻はどんな女なのか、示すものがない。これは何かの陰謀か? 刑事を相手にしても堂々としているその女を前に、彼女が妻でないことを証明する手立てを探して、夫は苦闘する。
 ミステリ演劇のお約束で、詳しく書くわけにはいきませんが、このお話には、タイトルどおり、周到な罠が仕掛けられています。不条理な状況が主人公をぎりぎりまで追い詰めたかと思いきや、一転して迎える結末は、見事に理詰め。ヒッチコックが映画化を考えたそうですが、この結末の鮮やかさは、やはり舞台であってこそのものでしょう。
 今回は、登場人物の性別を変えた「消えた妻」と「消えた夫」の、二つのヴァージョンが上演されました。「消えた妻」のほうがオリジナルとのこと。妻を連れてくるのは神父で、警部は男。こちらでは、怖いながらもどこかしらコミカルな味が出ていました。消えた夫をシスターが連れ戻し、待っていた妻のかたわらには女性警部、という「消えた夫」ヴァージョンには、ニューロティック・ホラーと呼びたくなるほど、恐怖感の強さを感じました。同じ筋立てでも、登場人物の性別を変えただけで、別物といっていいほどに印象が違ってくるのには、驚くほかありません。
 ちょっと例をあげてみると、警部の台詞に「子供が三人いる」と語るところがあります。これが、不敵そうな男優が言うのと、冷静な女優の口から出るのとでは、同じ言葉でもまるで違う。そういった性差による「違い」が台詞ごとに感じられるのが、別物のような印象につながるのでしょう。
 だから、一日のうちに両公演を通して見ても、飽きることはなく、むしろ楽しさが増したほどでした。ヴァージョン違いの面白さと、ミステリ演劇としての細部の丁寧な計算を確認する面白さとで。そう、キャストは違っても二度見たわけなので、ちょっとした台詞に隠された伏線のあれこれに、二度目はいちいち唸ってしまったのです。
 原作者ロベール・トマ(1927〜1989)は、フランスのミステリ演劇の第一人者であり、ヒッチコックに比されたほど。しかし、現在では忘れられつつあるのだそうです。戯曲も、翻訳ミステリも、本としては売れないようですが、これだけ面白いミステリを書いているのですから、どこかの出版社で、小部数でも『ロベール・トマ推理劇集』を出版してもらえないものでしょうか。

* * *

 末筆ながら。劇団フーダニットの皆様、創立十周年、おめでとうございます。これからの公演も、楽しみにしております。

劇団フーダニットHP http://www.geocities.jp/gekidan_whodunit/