即時通話、待時通話・その2

 1970年(昭和45年)を過ぎても、市内通話もダイヤル化されていず、受話器を上げれば(あるいは受話器を取りハンドルを回すと)、交換手がハイと出るいわゆる共電式や磁石式の電話局、郵便局のエリアがまだ相当数残っていたと思われる。例えば、それらの地域では、市外へ電話するときは、交換手が出た時、市外と告げる。すると市外担当の交換手につながり、相手先の電話番号をいう。しかしそのままつながるわけではない。一旦切って、つながる順番を待つ。

 対地ごとに申し込み順につないで行くのだが、申し込みが山のようにあれば、つながるのは1時間も1時間半も後ということもざらだった。そこまでは待っていられないとならば、申し込みを優先飛び越す「急報扱い」というのがあり、急報扱いがたまっていればまた順番待ちとなるが、更に優先する「特急扱い」というのもあった。もちろん、それなりの料金が加算される。今ではとても考えられない電話・通話の有り様であるが、戦後30年余の長い間続いた現実でもある。即時通話、待時通話なんていう業界言葉も今は死語であry。