同人サークル・IOSYSのCD「ぬるぽCD2」にムネオハウス特集が収録

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同人サークルIOSYSが本日リリースしたCD「ぬるぽCD2」に「特集2『ムネオハウス』」が収録。IOSYSのWEBラジオ「ぬるぽ放送局」のスタイルでムネオハウス楽曲が紹介されています。
音源中、冒頭で行われた「ムネオハウスとは何か」についての解説は以下のとおり。

ムネオハウス
2002年初頭、2ちゃんねるを起点に巻き起こった音楽ムーブメント。元国会議員の鈴木宗男氏が関係し不正入札により建設されたという国後島の友好の家、いわゆる「ムネオハウス」と、音楽ジャンルの一つ「アシッドハウス」をかけた、というのが名前の由来である。
「特集2『ムネオハウス』」 『ぬるぽCD2』(IOSYS 2004) 02:19-02:40頃

またIOSYS・たくや氏が語ったムネオハウスの聴きどころの説明はこんな感じ。

聴きどころとしては、DJムネオのキャラクターの面白さ、これを業界では「ムネムネしさ」と言いますが、これとハウスミュージックの良さのバランスですね。このどちらか一方だけではムネオハウスとしてはイマイチだなぁ、なんかそういう感じになっております。
「特集2『ムネオハウス』」 『ぬるぽCD2』(IOSYS 2004) 02:45-02:59頃

そしてトラック中で流されたムネオハウス楽曲は「Intro(1st-01)」、「Usodayo(5th-07)」、「四輪駆動車宗男号(10th-08)」、「Stranger(5th-06)」、「Investigation(11th-03)」、「Sorry(7th-08)」、「What(7th-02)」、「Tears(3rd-02)」の8曲。随分沢山流して頂きました。またこの他に「唯一神又吉イエスを讃える歌」も使用されています。

補足

同人では過去にも曲の作者が有料頒布するCDに自身のムネオハウス楽曲を収録するケースはありました。しかし曲の作者でもなければスレッド周りへの参加も無かった人物・団体が曲を収録し、有料で頒布するというケースはこのIOSYSしか確認されていません。
商業も含めれば、Flashの無断掲載で顰蹙を買った英知出版のムック「バカウケFlash爆笑315連発」に続く二例目になると思われます。

muneO'lounge

IOSYSメンバーD.wat氏の作品。本日発売のIOSYSのCD「ぬるぽCD2」9トラック目に収録される形で発表されました。
この曲が製作された経緯については同CD8トラック目「特集2『ムネオハウス』」で語られており、それによると「D.wat氏がたくや氏に依頼されて『ムネオハウスの新曲』として製作した」とのこと。またD.wat氏は「ゆったりとした大人のディープなムネオハウスを目指した」という旨を語っています。
*ニコニコ動画の同曲の音源は翌年に発売された「逝ってョCDテラヤバス」からのもの。

補足

この曲はスレッドで発表されたものでは無いため、(嘘)ディスコグラフィ上ではムネオハウス楽曲にはカウントされていません。また同人CDでムネオハウスがネタにされている事自体、ムネオハウス関連サイト&掲示板には持ち込まれず、他のウェブページでも全く話題にならなかったため、当時IOSYSを追っかけている方以外は誰も知りませんでした。

インターネットと“世論”形成 またムネオハウスについての記載

昨年と同じ遠藤薫先生の著書。「第9章 : インターネットにおける文化実践と世論」の第3項「ネットを介した文化実践が身体性を見いだすとき - ムネオハウス・ムーブメント」でムネオハウスに関して言及が有ります。
ポイントは、2002年の論文「テクノ・エクリチュール−−コンピュータ=ネットを媒介とした音楽における身体性と共同性の非在/所在」では時期的に触れられなかったムネオハウスの衰退とその終末の部分について、

ネットを介した文化実践の多くは、あるいは全ての文化実践一般は、実は、政治/社会に関する意思表明の迂回路であると考えられる。
しかし、少なくともムネオハウスの場合、これに関与した人びとは、自らムネオハウスの意味無いし立ち位置を明確化することも、意識化することもないまま、一方では現実政治の激しい動向、一方では知的所有権問題の危うさ、また一方では理想主義的な市民政治運動など、多少なベクトルの交差するはざまで、無防備な子供のように途方にくれ、内部批判を繰り返しつつ、なすすべなくあっけなく自然消滅していったのである。
2004年7月29日、北海道札幌市中央区のクラブで、本物の鈴木宗男氏を招いて、「伝説のムネオハウス」イベントが開催されたというトピックが伝えられた。鈴木宗男氏は2004年7月の参院選出馬もあって出席したらしいが、主催者側はムネオハウスを歴史的ネタとして楽しもうとしただけであったようだ。このような、縮小再生産的プロセスをたどったのが、ムネオハウスにあらかじめ仕込まれていた現代社会状況の縮図とも言える。
遠藤薫 「ネットを介した文化実践が身体性を見いだすとき - ムネオハウス・ムーブメント」 『インターネットと"世論"形成−間メディア的言説の連鎖と抗争』 (東京電機大学出版局 2004) p.160

と述べているところ。