ORICON STYLE 「鈴木宗男 もうひとつの“ムネオハウス”問題を告白」


中身はただのテレビ番組のパブで、同様の記事はザテレビジョンドガッチからも配信されていますが、こちらのオリコンスタイルの記事でだけこっちの方の「もうひとつのムネオハウス」の話題に触れていました。

過去に“しくじった”ことのある芸能人・著名人などが、自らの失敗を教材に授業を行うテレビ朝日系反面教師バラエティーしくじり先生 俺みたいになるな!!』(毎週月曜 後8:00)。ゴールデンタイムに進出して3回目となる11日の放送では、鈴木宗男衆院議員が登壇し、“もう一つのムネオハウス”について告白。ひとりの父親として教訓を語る。
ムネオハウス”とは、かつて北海道開発庁長官・沖縄開発庁長官、内閣官房副長官などを歴任した鈴木氏が、2002年に利権疑惑で起訴され、有罪判決を受けるきっかけの一つとなった千島列島国後島の「日本人とロシア人の友好の家」の俗称。ネット上では鈴木氏や辻元清美議員の国会答弁などの声をサンプリングネタとして使ったハウスミュージックとして流行ったこともあった。
今回、授業で語られるのは、“宗男”氏のハウス、“家庭”の問題。妻との間に息子2人、娘1人がいるが、議員時代は多忙なあまり、週末しか子どもたちと過ごすことができなかったという。
当時、小学生だった息子たちをとにかく正しくしつけようという思いから、家に帰ると「お母さんの言うことを聞きなさい!」「ちゃんと勉強しろ!」などと怒鳴り散らしていたことも告白。子どもたちはストレスから胃薬を飲むほど、父親の帰宅に精神的苦痛を感じていたという。愛情を注いでいたつもりが、いつの間にか子どもに嫌われる父になっていたというしくじりをやらかしていたのだ。
鈴木氏は、私生活で起きた数々の事件を例に、子どもに自分の意見を押しつけがちな世のお父さんたちに向け、授業を展開。“仕事バカ”すぎて政治家としての習性を自宅でも出して家族に嫌がられていた日々や、結婚式で読む“両親への手紙”で初めて息子からカミングアウトされ、言葉を失った衝撃の真実についても懺悔(ざんげ)する。もちろん、家族に多大な迷惑をかけた事件や騒動についても振り返る。
鈴木宗男氏、もうひとつの“ムネオハウス”問題を告白 | ORICON STYLE

「ネット上では鈴木氏や辻元清美議員の国会答弁などの声をサンプリングネタとして使ったハウスミュージックとして流行ったこともあった。」。久々に聞くフレーズです。

音響メディア史

谷口文和氏(京都精華大学ポピュラーカルチャー学部講師)、中川克志氏(横浜国立大学大学院准教授)、福田裕大氏(近畿大学法学部講師)の三名による共著。谷口氏が担当した第14章「音を創造する飽くなき探求-レコーディング・スタジオにおけるサウンドの開拓」内で具体例の一つとしてムネオハウスが取り上げられています。またmuneohouse.netから取ってきた1stアルバムEU版のジャケット画像も掲載されています。

増殖するサウンド

さらに, インターネット環境においてレコード音楽がパッケージを必要としなくなると, サンプリングを通じたサウンドの増殖はさらに加速した。元となる音も音楽に限らず, 何かの拍子に注目を集めた音を流用したダンス・ミュージックが制作されてインターネットで流通するという減少がしばしば見られるようになった。


そうした現象の一つに, 2000年代なかばに日本で爆発的に流行した「ムネオハウス」がある。2002年, 当時国会議員だった鈴木宗男に起こった一連の政治スキャンダルの中に, 彼の肝入りで北方領土に建設された, 通称「ムネオハウス」という施設があった。この話題が連日テレビで取り上げられるうちに, 「ハウス」をダンス・ミュージックの一種であるハウス・ミュージックに読み替え, 国会で答弁する鈴木らの声をサンプリングした楽曲が次々とインターネットで公開されるという自体がおこった。匿名で発表された楽曲群は「DJムネオの作品」として扱われ, ウェブサイトで架空のアルバムとしてまとめられた (遠藤 2003 : 77-79)。


ここで注目すべきは, 「ムネオハウスにおけるムネオの声」が, 実在する鈴木宗男という人物の声とは別のもの, すなわちサウンドになっているということだ。ムネオハウスを面白がって制作した人々は, テレビで繰り返し流れてくる声が, それゆえに一種のサウンドと化していることをよく見抜いていた。レコード音楽をレコードから開放したデジタル環境では, 歌や演奏に限らずさまざまな音がサウンドとして増殖していくのだ。
谷口文和 「音を創造する飽くなき探求」 『音響メディア史 (メディアの未来05) 』 (ナカニシヤ出版 2015) pp.278-279

第二段落末にあるように、2003年の遠藤薫氏のムネオハウス研究論文「テクノ・エクリチュール―音楽における身体性と共同性の非在/所在」が下敷きになっています。

なお、ここで言うサウンドとは「『音階』、『拍子』、『和音』といった楽譜上に表すことのできる枠組みでは測れない要素を持った音楽表現」を指し、「『ビートルズサウンド』『ヘビメタ・サウンド』といったように、ある音楽の特徴や印象を漠然と指すため用いられる傾向がある」と説明されています (谷口, 前掲, p.265)。

備考

記事投稿日: 2019年2月28日
記事の日付は当該書記載の発行日に準拠しています。