遺志に興じる2つの光

前回からの続き)


4月13日の金曜日
パチパチと暖炉の火が燃え
ロッキングチェアの揺れに合わせて
キイキイと床の軋むが音がする。
パラパラとページをめくる音も、時折混じる。


月も欠け、窓から差し込む光は弱々しい。
薄暗がりのこの書斎で
読むともなしに手にした本を
椅子に体を預けた男は
ただパラパラとめくっていた。


すっと、書斎への光が遮られる。
ふと男は顔を上げた。
視線の先には、窓枠に腰掛ける人影があった。
その影が口を開くより先に
男は語りかけた。


「ようこそ、お嬢さん。待っていたよ」


窓枠から降り立った女の表情は見えなかったが
随分と小柄だった。
「よく女性だとわかりましたね」
「君が隠れ家を詮索していたのがわからないとでも?」
再びパラパラと小さな音が鳴る。


「苦労したんですよ」
女はコートを脱ぎながらそう答えた。
「ひいおじいさまは当然、
 盗まれた本の在り処を知っていました。
 筋書きは記されていたのですからね。
 そして、かの探偵は来たるべき時を待っていた」


男は、パタンと勢いよく本を閉じ、
暗がりの中に掲げて見せた。
「この本のことかな」
徐に立ち上がり、男は続けた。
「題名は」


「レイフィとツユリ」
2人の声が重なった。


「しかし」
男はさらに続ける。
「残念ながらその時は来なかった」
「そのようですね」


「この本にはこう紡がれている――」
開いた本に目を落とすことなく、男は諳んじた。
「巡る4月13日の金曜日
 探偵ツユリは本の奪還のため、ついに突き止めた小屋へと向かう。
 月明かりの中、窓から侵入したツユリを
 盗賊レイフィは椅子に腰掛けて待ち受けていた」


「だけど、かの女盗賊は演じませんでした。
 その日、ここには誰もいなかったと伺っています」
「演じることが叶わなかったんだ。
 すでに彼女は、現世にいなかったからな」
男はわずかに俯いてそう呟いた。


「ですから苦労したんですよ」
コートを腕にかけて直立したまま、女は続ける。
「途切れてしまった彼女の物語とともに、
 我々の物語も そこで止まったかと思われていました」


女はわかりやすく首をかしげる
「不思議なことに、物語は再び動き始めました。
 レイフィを名乗る者からの手紙が
 ツユリ宛に届けられたのです。
 まるでこの章の始まりをなぞるように」
そして女は突然、深々と頭を下げた。


「なんだ、いきなり。
 頭を下げられる謂れはない」
あっけにとられる男を前に、女は顔をあげて続ける。
「あなたは遺志を受け継いだのですね。
 たまたま手に取った、世に一つしかない小説に描かれた、
 赤の他人の遺志を」


「メモが挟まれていたのでね」
男は暖炉の炎に目を移し、口ごもりながら答える。
「チェックマークのついていない予定がいくつも。
 完結していない物語の続きに興味が湧いたんだ。
 それに君だって、探偵ツユリの遺志を継いで
 この本を取り返しに来たのだろう?」


「いいえ」
女は暗がりでもわかるようなにこやかな笑顔を見せた。
「なんだと?」
男は女の顔に視線を戻し、その笑顔にたじろぎつつも、
質問を投げかける。
「ではなんのために?」


「私もまた、この物語の続きが気になったのです。
 ひいおじいさまの遺した、物語の続きを」
男はその言葉を飲み込めぬまま、問いを返す。
「その曽祖父というのが
 ツユリを演じる者ではないのか?」


「私のひいおじいさまは、ツユリではありません。
 あなたが手にするその本の、著者なのですよ」


男の呆然とする顔を眺めつつ、女は付け加える。
「レイフィが本を盗んだまま姿を消してしまったので
 ツユリの子達はその物語を知ることすらなかったのです。
 かく言う私が読んだものも、遺された下書きだけですけれどね」


女はさらに続けた。
「ツユリを演じた方は、果たされなかった約束の後、
 真実を知るために私の親族の元に来られました。
 レイフィ側のご不幸を私達は存じ上げていたので、
 情報を伝え合い、それで終止符を打たれたのです。
 その本の所在も分からずじまいでした」


「そう、だったのか」
椅子に腰掛けていた男は、言葉を漏らした。
「いや、実は半信半疑だった。
 物語上の洋館もすでに取り壊されていたようだし、
 事実のような妄想だとも思っていた。
 君がこの小屋を偵察に来るまではね」


「それはおあいこです。
 私だって俄かには信じられませんでしたよ」
ふふっと、女は笑い声を漏らす。
暖炉の炎を眺めて男は呟く。
「本当にツユリが現れた、と確信したんだが。
 見当は外れたようだ」
 

女はコートを着直しながら、笑顔で語りかけた。
「今日はあなたに感謝を伝えに来たのです。
 とっても楽しかったですし、
 ひいおじいさまも、さぞお喜びのことでしょう」


「礼を言われる筋合いなどない」
揺らめく炎から視線を外さずに男は答える。
「それに、この本は素直に返しておいたほうがいいだろう」
そう言って、男は本を差し出した。


「もう一つ、用件があったのでした」
女はわざとらしく懐を探り、別の本を取り出した。
「あなたが遺志を受け継いだように、
 私も遺志を受け継ぎたくなったのです。
 ぜひ、受け取ってはもらえませんか?」
そう言って、男の差し出した本の上に重ねた。


「先ほどの答えを、1つ嘘に変えましょう。
 私はツユリの遺志を継ぐ者です。
 そして、ひいおじいさまの遺志を継ぐ者でもあります」


その言葉を聞いた男は、手にした2冊の本を一瞥し
炎の音の混じる静寂の中で逡巡した。
そして決意の眼差しで女を見据えて言葉を放った。


「その挑戦、受けようじゃないか。
 このレイフィの名において!」


次の瞬間、暖炉の炎が消えた。
窓も閉じられて月明かりもなく、部屋は闇に包まれた。
女は冷静に背後にある窓を開け直し、月光を導く。
そして男の姿がないことを確認した。


「お見事ですね、レイフィさん。
 新たに巡る時の中で、続く物語を共に紡ぎましょう。
 このツユリの名において」


(完)