シリーズ自句自選?ベスト100 池田澄子

池田澄子 (シリーズ自句自解―ベスト100)

池田澄子 (シリーズ自句自解―ベスト100)

句に添えられた短い文章が、これまた詩のようで、やっぱりこの人は ほれぼれするほどかっこいい。

らくだこぶ書房21世紀古書目録

らくだこぶ書房21世紀古書目録

らくだこぶ書房21世紀古書目録

こっそりと、頁の間に砂を はさんでやろうかしら。(せえへんけど)

整形前夜

整形前夜

整形前夜

私たちが揃って安全に「生き延びる」ためには、新聞の記事に限らず多くの場面で言葉を殺す必要がある。殺し方のルールとしては「5W1Hをはっきりさせろ」とか、「結論から述べよ」とか、「空気読め」(これ自体は意外性のある詩的な表現だが)とか。学校教育や社員研修や飲み会の席で、我々はこれらのルールを学び続ける。全ては「生き延びる」という大目的に向かって言葉をツール化するためだ。
また「生き延びる」ための効率上、「次の一瞬に全く無根拠な死に見舞われる可能性」などは丁寧に隠蔽される必要がある。今まさに死に直面した人間の目に映る一万円札はただの紙切れだが、全ての人間がその目をもっていては社会が成立しない。お金はちゃんとお金にみえないと困るのだ。
というわけで、生に対して本質的に唯一の未知性である死の匂いを忘れた人間の言葉からは意外性が消える。死から遠ざかることで詩からも遠ざかるわけだ。そんな私たちは意外な言葉に出会うと不安になってしまう。死の匂いを嗅がされた気がするから。その不安を忘れるために「今すぐ全てがうまくいく方法」という本を読むことにする。まずは「生き延びる」ことだ。「生きる」のは明日でいい。こうして「生きる」は一日ずつ後ろにずれてゆく。



曇。映画『家族』

2日連続で、九条のシネ・ヌーヴォへ。
山田洋次監督の『家族』を観に。
長崎の小さな島から、北海道の開拓村へ家族で行く…という映画なのですが、万博の頃の昭和の日本の様子が描かれていて、ちょうど、私が生まれた頃の日本の景色が見てみたくて。長崎、福山(広島)、大阪(梅田→万博)、東京、青森、北海道の その頃の街並み・自然。
東京の俳優さんたちなのに、初めての都会(大阪・梅田)に、呆然としている様子が、本当に田舎から出て来て驚いているように見える。
倍賞千恵子のみずみずしさ!
ラストの笑顔で、涙ぐんでしまうほど、みずみずしくて、溌剌としていて、「希望」の象徴のようだった。もうこんな風に笑える人は誰もいない。
青森の食堂での賠償千恵子と、渥美清が会釈しあうシーンでは吹き出してしまった。*1


昔の映画を 観ていて思うのが、女優・俳優さんたちの存在感。
最近の俳優・女優さんたちにいは なかなかいない。
80年代くらいからか、ドラマや映画に出ていても、彼ら、彼女らは たまたま、ドラマ(や映画)に出ているという感じしかしない。
「THE 女優」という雰囲気を持った人がいなくなってしまったな。


*1:さくらと寅さんが会釈しあってる・:*ゞ(∇≦* )