上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

飲みの席の話

先日出席した飲みの席での話。

カップルで参加していたうちの片方が、もう片方の悪口をずっと言っていた。本人の目の前でずっと当人の悪口を言い続けているという行為自体がそもそも私にとって気分の良くないものだったけれど、後になって気づいたのは、全部、「あれもしてくれない」「これもしてくれない」という内容だった、ということだった。なんとなく、そのことも自分としては居心地が悪かったんだろうな、と思った。

相手に期待しすぎるとロクなことがない、というのは人生経験的にもなんとなく感じていることだけれど、期待ってそういうもんなんだろうか。相手を思い通りに御すことが良い人間関係につながるのだろうか。それって、自己満足なだけなんじゃないの、と思うところがあるのだけれど。「もっと相手に対して思いやりを持ってほしい」というと聞こえは良いけれど、それって自分の都合の良いように相手を仕向けたいだけなんじゃなかろうか。相手に自分の理想なり、希望なりを一方的に押し付けているだけなんじゃなかろうか。社会に出てサービス業で働いていると、なんとなくそういうことを思うことがある。

つきあいを長く続けるこつは「人間関係を理解と共感の上につくらないこと」と昔内田樹が言っていたけれど、なんとなく真理を突いた言葉なんじゃないかなぁ、と思っている。今でも。そういう意味で、やっぱり私は根っこが相対主義者なんだと思う。

自分の経験から来る多少の反省も、その中には含まれている。

もう一つ、先日出席した飲みの席での話。

パーソナルスペースが私の感覚からすると「近すぎる」人がいた。割と初対面なのに、少し話しただけで、馴れ馴れしく友達感覚になって話しかけてきた。2回目に飲んだ時には、「タメ語でいい?」なんて話しかけてきた。年は私のほうが1つ上で、入社年次的には3つ上のはずなのだけれど。そもそもが、同じ社会人同士という土俵の上で会話をしていたはずなのだけれど。めんどくさかったから特に否定もしなかったけれど、いきなりそう来られると、なんとなく、逆に一定の距離を置きたくなってしまった。

パーソナルスペースの近い遠いがあるのは仕方がないと思っていて、私は割と遠いほうなのだと思う。最初は遠いところから、次第に相互理解が深まってくるにつれ、近いところにいきたい、という感覚を持っているのだと思う。同じような感覚を持っている人とはなんとなく付き合いやすいし、いきなり近くにぐっと踏み込まれると、離れたくなってしまう。ここの距離感覚は、人間関係を図るうえで実は結構大事なことなんじゃないかと思っている。ビジネス上も。もちろん私生活はいわんや。初対面の時に、相手のパーソナルスペースの遠近感を図る癖があると、なんとなくうまくいくのだと思っている。

NYという場所で同世代で集まっている感覚がそうさせているのかもしれない、というのは、あるのかもしれない。あるいは、私がこの会社でずっと9年近くを過ごしてきたからだ、というのも、もちろんあるのかもしれない。それまでの環境の違いで随分と色々なことがあるのだと思う。色々な要素がそこには含まれていると思うのだけれど、ちょっとパーソナルスペースの遠近感に注意するだけで、もったいないことで人の気分を損ねることはなくて済むのかもしれない。

自分の身を省みてみる。自分では大丈夫だと思っているけれど、本当にそうなんでしょうか。他人の視点に本当に立つことは出来ない。私が正しいと思っていることの尺度を、時々、フラットな目で問いただしてみる必要がある。その物差しも、果たして正しいかどうかはわからないけれど。