前史

大学に進学した僕は、同人誌活動を始めた。
高校漫研OG会(部員は圧倒的に女子が多かったので)の即売会参加に付いて行ったのは、当時武蔵小杉でやっていたMGM。小さな創作オンリーのイベントだったが、そこには『楽書館』や『アップルBOXクリエート』といった「ぱふ」や「Comic Box」でも見たことのある有名なサークルも参加していた。
主に「ぱふ」を愛読していた当時の自分にとって、そこに名前の出ている同人作家たちは尊敬と憧れの対象でもあった。

青木俊直青山剛昌MEIMU、そして西崎まりの。

この四つの名は、当時の僕にとってはヒーローの響きを持っていた。
四者に共通していたのは、既成のマンガ表現とは異質の、極めてアーティスティックな作品を創作していたこと。
中でも西崎まりのとの遭遇は自分に大きなカルチャーショックを与えた。
繊細で細密なタッチと、美少女キャラとの融合は当時でもかなり新しい作風であったように思う。
その作品を始めて目にしたのは、おそらく「ぱふ」の見開き2ページの同人誌紹介ではなかったかと思う。当時まだ香川大学に在籍していた(と思う)まりの氏は次第に同人誌界で注目をされ始めていた。
同じ「ぱふ」だったのか、それとも「Comic Box」あるいはその前身の「ふゅーじょんぷろだくと」だったのか記憶が定かではないが、氏の同人作品が掲載され、それも自分は目にしている。
たしか『風街ろまん』という作品だったと思う。はっぴぃえんどのアルバム名。もっとも、そんなことも後に知ったのだが。
その頃から、僕の中では「西崎まりの」という絵描きの名はしっかりと頭のメモリーに記憶されることになった。
先に挙げた四人の作家のうちでも、西崎まりのがいちばんの好みの作家だった。

時に、昭和60年。
まだ「萌え」という言葉も知らず、エロ漫画がようやく「美少女まんが」として同人即売会に萌芽を現しはじめた頃だった。

   *   *   *   *

青木俊直氏は主にアニメーション作家として現在は活動、NHKみんなのうた」やテレビ朝日やじうまプラス」の『やじおくんとうまこちゃん』のデザインなどを手がけている。
青山剛昌氏は、言わずと知れた『名探偵コナン』の作者。大人気漫画家だ。
MEIMU氏は「キカイダー02」などの作品でも知られる実力派となっている。

だが…彼だけは、この日本漫画界という歴史から忘れられようとしている。
西崎まりの。
山田章博の弟子。うたたねひろゆきの師匠。
本人は酒席での肴話、とは言っていたし、実際もその程度であったのも本当だが…
が、この有名な二人の間に、この名があったのは紛れもなき事実。
二人には決して劣らぬほどの実力を持ち乍ら、不遇のまま世を去ってしまったひと。
僕にとって、兄のような存在だった。



ようやく書きはじめることができました。
どうやって書いたらいいのか、また正確な年代や画像資料などもあったほうがいいのか…などと悩むうち、時間だけがどんどん過ぎていってしまうのに気付いて、とにかくもそんな正確さや時間軸は期さなくてもいいから、私の記憶にあるとおりのことを書き記していこうと決めました。

あまり頻繁に更新はできないかもしれませんが、これから私の中の西崎まりのの記憶を辿っていこうと思います。