サイバーコミックスとゼネプロ時代(その2)

平成元年。すでに季節がいつだったかは記憶が欠落しているが、時期を考えると秋くらいのことだったのだろうか。
もはや、細かいことは思い出せなくなってしまった。それだけ年月が過ぎたのだ。
西崎まりのは、ガイナックス(ゼネプロ)の『サイレントメビウス』のPCゲームのグラフィックの仕事をしていた。同コミックのキャラを使ったいわゆる脱衣系のゲーム。2、3ヶ月はその仕事に関わっていたと思う。幾度か僕もガイナのオフィスに行き始めていたので、深夜の仕事場でパソコンのモニターに向かっているまりのさんを見た記憶がある。
下に書くが、僕があの吉祥寺はずれのオフィスに出入りするようになるのはMがゼネプロに入社して以後のことになるから、Mはほぼその前後にゼネプロに入ったのだろう。平成元年の秋から平成2年春までの間のことはたしかなようだ。

正直、あれほどの独創性を持った西崎まりののような芸術家タイプの絵師なら、今更べつにパソコンのドッターやグラフィッカーのような仕事なぞやることも無いだろう、と思う。
引き受けたのは、昔のよしみからだったろう。ちょうどガイナのほうで手が足りないから請われたようなことも言っていた覚えがある。

だが、と僕は思う。

いくら人手不足だからと云っても、西崎まりのにはもっと彼にふさわしい仕事を与えたらいいだろうに。確かにあの当時、パソコン上で絵を仕上げるには今よりも難しいスキルも必要だったろう。けれど、それは西崎まりのに頼むべき仕事だろうか。
先のサイバーコミックスの件もそうだが、ガイナやゼネプロは人のいい西崎まりのに甘えていた、と思う。

それが、以後更なる事態を見ることになるのだが。



この頃、すぐ後くらいだったろうか、以前に何度か登場した司書房の編集アルバイトをしていたMが、ゼネプロのサイバーコミックス編集部に入る。もちろん、まりのさんとの繋がりでそうなっていたはずだ。詳しい時期はこれも失念してしまったが。
そのMがゼネプロで手がけたのが、朝日ソノラマから発行された「エリアルコミック」だった。平成2年、夏。
同誌の主な執筆陣の中、松原香織、そしてDr.モローなどはMの"手土産"だ。僕も3号めから参加をしている。
当初不定期に発行されていた同誌だったが、その4号めにMからの依頼を受け、西崎まりのは「Windy Lady」という4頁作品を執筆する。
もちろん、当人はべつに「ARIEL」という笹本祐一氏のSF小説のファンだったわけではない。
もともとゼネプロとは因縁もあるし、友人のMからの頼みだったので引き受けた。平成3年5月前後のこと。

そのエリアルコミックが出てすぐのこと。Mが話した。
「いやー驚きましたよぉ。編集部でまりのさんにエリアルの原稿を返したら、まりのさん、その場でその原稿を破ってゴミ箱に捨てちゃったんですよ…」

まりのさんも、僕も、ゼネプロ編集部に振り回されはじめていた。