あきひこのいいたいほうだい

いいたいほうだいってほどいいたいほうだいにいえるわけじゃないけど、おりおりにかんじたこと、かんしんしたことなんかをかいていくよ

馬籠 (まごめ) (あめーば)

東海道の 53次 (ごじゅうさんつぎ)は 有名だが、中山道は 69次で ある。江戸 日本橋を 起点に、最初の 板橋宿から かぞえて 43番めの 宿場が 馬籠 (まごめ)で ある。42番めの 妻籠 (つまご)と あわせて 「妻籠・馬籠」と ひとくくりに よばれる ことも おおい。

10月 12日、安城(あんじょう)から クルマで かたみち 118キロ、この 馬籠に いって きた。

展望台の 藤村 歌碑
展望台の 藤村 歌碑

宿 (しゅく)は 600メートル ほどの 1本の いしだたみの さかみちと、その 両わきに たちならぶ たてものが すべてで ある。うらみちを つくる ことは 管轄する 尾張藩が ゆるさんかったそうだ。

ひるめしを くった そば屋に クルマを おき、さかみちを のぼって くだる。

のぼりはじめて すぐ 清水屋資料館に はいる。ここで 島崎藤村『夜明け前』を かいたのだと いう みはらしの いい 部屋も 2階に あった。

さかみちの なかばで 藤村記念館に はいる。幾多の 作品の 原稿などが 展示して あり、文学には うといながらも ふむふむと うなづき 見学を おえる。

つぎ、木曽馬籠脇本陣資料館に はいる。大名などの えらい ひとが とまるのが 本陣で、その 予備の いえが 脇本陣なのだそうだ。最高位の ひとが とまる 「上段の 間」が 再現されて おり、往時を しのぶ。また、尾張藩の 山林経営は 「木一本首一つ」と いわれる ほどの 苛烈さで、木の 伐採も わざわざ おとの でる おの(斧)に かぎり、おとも ださずに 伐採して しまう のこぎりは 禁止だったそうだ。

中山道の ひとなみ
中山道の ひとなみ

さかを のぼりおえた ところの 展望台で おりかえし、きた みちを くだる。この ような 僻遠の 地で あるにも かかわらず ひとの なみで ある。途中 土蔵を 改造した 喫茶店で ひとやすみし 帰路に つく。