映画「エゴン・シーレ 死と乙女」と等身大の鏡

エゴン・シーレ(1890-1918)の絵に強く惹かれるようになったのはいつ頃からだろうかと気になって、書棚からシーレの評伝を幾つか引っ張り出してきて奥付けを確認してみました。

エゴン・シーレ』(フランク・ウィットフォード著・講談社)(1984年1月)
エゴン・シーレ - 二重の自画像』(坂崎乙郎著・岩波書店)(1984年6月)
『永遠なる子供』(黒井千次著・河出書房)(1984年7月)

1984年に相次いで彼の評伝が刊行されていたことが分かります。2年後の1986年に開催された巡回展「エゴン・シーレとウィーン世紀末」の図録が手元にありますから、シーレの絵を観たのはおそらくこの頃です。シーレの絵を初めて見たのは遡って大学卒業間際のこと、旅行先のウィーンでした。そのとき受けた衝撃は言葉にならないくらい強烈でした。やがて、評伝の表紙を飾る自画像に吸引されて再びこの画家に興味を覚えたに違いありません。

一切の虚飾や贅肉を排除したあとに残る肉体と魂と格闘することがエゴン・シーレの画業そのものでした。遺された夥しい数の自画像は彼の日記に他なりません。28年という短い生涯にもかかわらず、ひときわシーレの作品が輝いて見えるのは、背後に血の通った刹那のドラマがあったからなのです。


凝視する画家エゴン・シーレを演じたのは白皙の美青年ノア・サーベトラ。その額から一直線に伸びる鼻梁といい憂いを湛えた瞳といい、自画像に描かれたシーレそのものでした。エゴン・シーレクリムトの紹介でモデルのヴァリ・ノイツェルと出会います。クルマウ、ノイレンバッハと連なるシーレの創作活動を献身的に支えたのは、同棲相手のモデルのヴァリでした。

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しかし、4年間の同棲生活に突然破局が訪れます。シーレはアトリエと道を隔てた向かいに住む姉妹のエディットと婚姻を決意、結婚後も逢瀬を提案されたヴァリでしたが受け容れられるはずもなくシーレの前から立ち去ります。その後、赤十字従軍看護婦として働き、夢見た終の棲家の地ダルマチアで猩紅熱のため病没します。

サブタイトルの「死と乙女」(写真上)とは、1915年にシーレがヴァリとの別離をテーマに描いた作品名です。ヴァリをモデルに描いた最期の作品が改題されるシーンに向かって、映画はフラッシュバックを繰り返しながらひた進んでいきます。

映画のなかで重要な役割を果たしているのが等身大の鏡。引っ越しするたびに持ち運び死ぬまで手放さなかったというもので、エゴン・シーレオルター・エゴの如き存在。シーレと彼を取り巻くモデルの女性たちが駆け抜けた世紀末の雰囲気をよく捉えた佳作だと思います。ちなみにヴァリをジェーン・バーキンが演じた「エゴン・シーレ/愛欲と陶酔の日々」(1980年/オーストリア=西独)という先駆的作品もあるので興味のある方はご覧下さい。