ソフトウェアという商品とサービス、その対価としてお客様からお金を頂いている

今僕が身を置いているソフトウェア業界について最近思うことがある。
当たり前のことなのだが、ソフトウェア会社はモノを作るための会社ではなく、あくまでお客様を相手とする「客商売」なのだと最近実感してきた。

くだりで「当り前のことなのだが」と書いたが、今まで「お客様」の事についてしっかりと考えていたかというとそうでもない。そうでもないのであるが、高品質なサービスを提供するには、そのための意識が程遠いのである。

これはなんでだろう?と考えてみると、恐らく僕が身を置いていた(現在も若干身を置いている)人月で数を数える世界の仕組の影響が少なからずとも影響していると思われる。

労働派遣では、1人月幾らという値札を会社から付けられて僕らは販売されており(典型的な労働価値を提供しその対価を得る資本論構造)、これは労働力を提供する個人側の意識の問題もあるかもしれないが、この人月の世界ではお客様とサービスを提供する者の関係があまり見えないのだ。

本来、〜といった技術力を持った商品(SEとかPGとか)がほしいといった顧客のニーズがあり、労働力という名の商品(SEとかPGとか)を取り扱っている企業は、そのニーズを満たすような商品を提供する。

お客様相手の商売では商品が顧客のニーズを満たすのはもちろん当たり前で、そもそも人月の世界では企業が販売者なのだから、企業という名の法人格が接客業に勤しむことになる。そうなると、その場には商品(SEとかPGとか)が高品質のサービスを提供するステージが見当たらないのだ。そもそもお客様という存在が見えなくなり、その存在がようやく見えるのは法人格という人格からの視点で見たときなのだ。

しかし法人各は人格は持ち合わせていても、マインドがない、マインドがないとお客様へのサービスをより満たそうとする余地がなくなってくる。ううむ、高品質サービスを提供しようにも空を蹴るような感覚だ。

僕らが現場などで満足してもらっているのは、あくまで労働という商品力に対して満足してもらっているだけであり、そこにはサービスやホスピタリティといった付加価値を見出そうにも、見つけるためのステージがないのだ。

これでは、人月商売側のソフトウェア業界に入った人はお客様のことを考えるという意識が低くなることも当然のことであろうと思う。

結局何が言いたいのかというと、今後はさらにソフトウェア業界も淘汰される厳しい時代になるだろうから、お客様の期待を上回る高品質な商品とサービスを提供するために、日々知恵を絞っていかねばなと思う次第でありました。