ファルネーゼ・コレクションとナポリ・バロック

カポディモンテ美術館展」(@国立西洋美術館)に行く。

カポディモンテ美術館は、ナポリ国立美術館。元は、ナポリ王カルロ7世(のちスペイン王カルロス3世)が1738年に建造を始めたブルボン家の宮殿。現在は現代美術までカバーする美術館だが、コレクションの礎となったのは、教皇パウルス3世(在位1534-1549年)や歴代パルマ公を輩出したファルネーゼ家がローマやパルマピアチェンツァで築いたコレクションと、それを引き継いだブルボン家ナポリで築いたコレクション。主にこれらのなかから、ルネサンスマニエリスムバロック期の作品を展示。以下の3部構成。

I. イタリアのルネサンスバロック美術

ファルネーゼ家に出入りしていたヴァザーリティツィアーノエル・グレコ、アンニーバレ・カッラッチ、アゴティーノ・カッラッチらのほか、マンテーニャ、コッレッジョ、パルミジャニーノ、グイド・レーニなど。
主な展示作品は、こちら
アンニーバレ・カッラッチの「リナルドとアルミーダ」(1601-02年)は、トルクァート・タッソの長編叙事詩『解放されたエルサレム』の一場面を描いたもの。十字軍の志士リナルドが、異教徒側の放った魔女アルミーダに誘惑されていちゃついてるところ。『解放されたエルサレム』の岩波文庫抄訳版カバーにも使われている。

タッソ エルサレム解放 (岩波文庫)

タッソ エルサレム解放 (岩波文庫)

同文庫だと、この場面は395-399頁あたり(第16歌 第17-23連)にある。

アンニーバレの兄、アゴティーノ・カッラッチがオドアルド・ファルネーゼ枢機卿のために制作した「毛深いアッリーゴ、狂ったピエトロと小さなアモン」(1598年頃)も興味深い。本展のカタログでは『変身物語』やアンニーバレの「リナルドとアルミーダ」との関連が指摘されているが、この絵には別の見方もある。ポーラ・フィンドレンは『自然の占有』のなかで、この絵の右上に描かれている狂人ピエトロが、当時の著名な珍品蒐集家にしてボローニャ大学博物学者ウリッセ・アルドロヴァンディ(1522-1605年)に似ているとしたうえで、次のように分析している。

カラッチはおそらく、彼と彼の二人の兄弟で当時の芸術シーンを支配していたところのボローニャの、アカデミー時代からアルドロヴァンディと知己であり、彼が生を営んでいる二つの世界を二重に表す肖像画としてこの絵を描こうとしたのである。ひとつは、ローマの宮廷文化であり、そこでは枢機卿が生ある驚異を家族同様に住まわせており、もうひとつは、ボローニャの百科全書的文化であり、そこではカラッチの自然を絵画で表現しようという興味がアルドロヴァンディの蒐集活動とよく調和していたのである。
ポーラ・フィンドレン 『自然の占有―ミュージアム、蒐集、そして初期近代イタリアの科学文化』 伊藤博明・石井朗訳、ありな書房、2005年、474頁

本展覧会の看板娘はパルミジャニーノ「貴婦人の肖像(アンテア)」(1535-37年、上のチラシに使われている作品)なのだが、「スピネッタに向かう自画像」(1559年頃)のソフォニスバ・アングイッソーラも忘れがたい。この目に見つめられると、しばらく絵の前から動けなくなる。

この顔、どこかで見たことあるなと思ったら、リナ・ボルツォーニ『記憶の部屋』のカバー図版の娘だった。こちらは「父親の名前の秘文字が刻まれたメダイヨンを手にした自画像」(1556年頃、ボストン美術館蔵)。

記憶の部屋―印刷時代の文学的‐図像学的モデル

記憶の部屋―印刷時代の文学的‐図像学的モデル

ソフォニスバについては、こちらに詳しい。

II.素描

カポディモンテ美術館が所蔵する約2500点の素描コレクションから、16-17世紀に制作された14点を展示。
主な展示作品は、こちら

III.ナポリバロック絵画

カラヴァッジョの2度にわたるナポリ滞在(1606-07年・09-10年)から始まる、17世紀ナポリバロックの潮流をまとめて紹介。
主な展示作品は、こちら
カラヴァッジョの影響が色濃いアルテミジア・ジェンティレスキ「ユディトとホロフェルネス」もいいが、フランチェスコ・グアリーノの「聖アガタ」も忘れがたい。この目に見つめられると、しばらく絵の前から動けなくなる。

渋めの企画なので日曜でもあまり混んでおらず、ゆっくり鑑賞できた。