uruya’s diary

夏山登山とツーリング。冬は鉄分多め。

【大散財】被災地視察&遠野観光 その2

1410 石巻駅


7337D 陸前小野発石巻仙石線普通 1352矢本→石巻1406
言わずと知れた石森章太郎生誕の地、石巻。この街は全面的に石森章太郎推し。いたるところにサイボーグ009
ここでは90分弱の待ち時間がある。計画では日和山に行ってみようと考えていたのだが…急遽キャンセル。靴ずれが痛くてかなわんのですよ。旅には履きなれた靴を履いていくのが鉄則。しかも今回は相当歩き回る予定なのに、なぜ下ろしたてかつサイズ小さめの靴で来てしまったのか。魔が差したとしか思えない。
市内中心部の靴屋を検索して回ってみたが、今求めている「低価格、幅広サイズ、スニーカー」の条件を満たす商品を扱っている店は見つからない。しかたがないので、絶対に扱っているはずの東京靴流通センターまで1kmほど歩くことにした。郊外型店舗の並ぶバイパス沿いにあり、くねくねした旧市街を通りぬけなければならない。Google Mapの徒歩ナビがなければたどり着けなかっただろう。便利な世の中になったものよ。

1517 ゆるい009


靴を履き替えたら嘘のように楽になった。画伯的009を見つけて小躍りするなどの余裕を取り戻す。
だがしかし。余裕が出すぎて呆けてしまったのか、痛恨の事態発生。やばい、列車を間違えた!1533石巻→前谷地1552、1557前谷地→柳津1618で気仙沼線BRTに乗り換える予定だったが、ホームに入っていた列車でぼーっとしていたら、違う番線から小牛田方面の列車が発車していったというね。番線間違えた。
あとで確認したら、到着が1時間ほど遅れる程度のミスだったのだが、とっさにこの行程をリカバリしようと思いつく。つまり柳津までタクシー移動。となると時間が惜しいので、すぐにタクシー乗り場へ移動し、時間内に柳津まで着けるか確認。大丈夫だというので、そのまま行ってもらった。落ち着いて調べたら1時間遅れの到着を選択したかもしれないが、まあいいか…今日も明日も早朝起床なので、1時間は惜しいといえば惜しい。あと日没でBRTから景色が見えなくなるというのは大きい。

1615 柳津駅


無事に時間前に柳津駅に到着。7420円ナリ。いたたたた…降りぎわに「ありがとうございました」と言ったら「かえってどうも」だってさ。そりゃそうだ、長距離でおいしい客だろう。復興支援のため現地に金を落としたんだ、とむりやり自分を納得させる。そうでも思わんとやってられんw
右に待機しているのがBRT。延々と一般道を走るので、はじめはどこがBRTやねんと思った。専用道を走るのはごく限られた区間のみ。つまり、それ以外の区間はまだ復旧できていないということだ。旧線路の敷地自体が消滅していたり、橋梁が崩壊していたりする箇所がたくさんある。

1702 BRT車窓の景色・1

1703 BRT車窓の景色・2

1712 BRT車窓の景色・3

1728 BRT車窓の景色・4

1734 BRT車窓の景色・5

1739 BRT車窓の景色・6

1746 BRT車窓の景色・7

1746 BRT車窓の景色・8


石巻まではやたらと更地は目につくものの、工事・建築ラッシュだったりして、復興の足音が聞こえてくる雰囲気。ときどき川の護岸が崩壊して土嚢で応急措置している場所などを見かけ、震災の爪跡を感じさせたくらい。
ところが気仙沼線BRTに乗って南三陸町に入ったあたりから、とたんに本気度を増してくる。いやあ、こりゃひどい…4年もたっているのに、まだ廃墟がそのままになっていたり、橋が落ちていたり、崩壊した橋梁がそのままになっていたりする。少しでも海に近い場所は必ずなんらかの工事が行われ、盛り土されて土地を造成している。特にひどかったのが南三陸町気仙沼市陸前高田市陸前高田に至っては、街全体が消滅してしまったのだろう。おそらく旧市街地全域と思われる、広大な範囲を整地している。ぜんぜん復興なんて段階じゃない。
あと驚くのは、日本にはこんなにたくさん重機があるんだ、ってことだ。工事関係者も全国から大量に集まってきているだろう。

1830 南気仙沼


柳津発気仙沼気仙沼線BRT 1636柳津→南気仙沼1824
目的地最寄の南気仙沼駅で降りるはずが、こんなところで降ろされた。旧南気仙沼駅からかなり離れた位置。飲食店なども立ち並ぶ国道沿いだが、プレハブ店舗が目立つ。それと、このあと住宅地を歩いて気づいたが、家の明かりが少ない。全体に街が暗い。

1846 旧南気仙沼駅のあった場所


少し遠回りにはなるが南気仙沼駅があった場所に行ってみる。うわあ…影も形もない…そりゃそうだ、こんな場所には降りられんわな。周辺はやはり盛り土して標高をかさ上げし、土地造成の真っ最中。地図で見ると、この周辺はそれなりに市街地を形成していたはずだが、すべて津波に呑まれてしまったか…

1900 気仙沼復興屋台村


宿に入る前にメシを食っていく。いつもならよさげな店を事前に調べるのだが、気仙沼は激甚な被害を受けた土地であり、飲食店が今も営業しているのか、そもそも店舗自体存在するのか、判然としない。それに、「気仙沼ホルモン」というものを食ってみたかったのだが、金曜日の19時ごろ焼肉屋に1人で入るほどあつかましくもない。1人焼肉程度ぜんぜん余裕だけど、混む時間帯は避けるのが作法。そこで、確実に営業しているだろうこちらへ向かった。ちょい飲みして、つまみに気仙沼ホルモンというわけだ。
気仙沼港にすぐ近い場所にある。日が暮れて周りのようすはよくわからないが、あちこち工事中で雑然としながらも、このあたりは復旧に向かっているように思えた。屋台村は多数のちょうちんが灯されて、とても明るい。周囲が暗いだけに、ぽっかり浮かび上がっているように見えた。
出店している店舗は居酒屋が多い。というかほぼ居酒屋だ。客入りが極端で、ヒマそうにしている店もあれば多数の客でにぎわっている店もある。適当に選択して入店。

そしてこれが気仙沼ホルモン。みそホルモンにキャベツがついたものだ。キャベツにウスターソースをかけて、ホルモンと一緒に食べるらしい。味は…みそホルモンとウスターソースをかけたキャベツを一緒に食べた味がする。あたりまえ。レバーが多かったのが特徴かな。ホルモン焼きにレバーが入るのはめずらしいかも。レバー好きなのでうまかった。

2010 宿泊先



宿はちょっと離れた場所にあるので、国道に合流する途中の飲み屋街にいたタクシーに乗って移動。気仙沼駅から西に徒歩10分くらいの距離。2階建てのホテルで、主に工事関係者の長期滞在拠点として震災後にできたもの。寮みたいな雰囲気がある。
カードキー方式で、部屋はせまめだが寝るには十分。長期滞在だと荷物が多くなるので通常シングルじゃせますぎるかな。アメニティ類はロビーに置いてあるので必要なぶんだけ取っていく。
部屋にもユニットバスがついているが、大浴場もある。ロビーで部屋のキーを渡すと大浴場のキーと交換してくれるので、いったん外に出て別棟の浴場まで行く方式。宿の玄関からほんの数歩くらいなので、真冬でも軽装でいける。
設備は新しいし、気軽な感覚で大浴場もあるので使いやすい。ただ、宿の性質上ガテン系の兄さんたちがうろうろしているので、人によっては気になるかもしれない。
あと被災地はどこもそうだが、予約は取りにくいらしい。被災地には工事関係者、ボランティア、観光客がたくさん詰めかけているので。


諸事情により3回休み。