Hatena::ブログ(Diary)

美月雨竜の「感じるな、考えろ」

2017-12-10

静養日記48 〜セカイを救うために必要な思いもよらぬこと〜

 ある時、神や人類よりも高次元の存在、いわゆる超自然的な存在から世界を救う方法を自分だけが告げられたとしよう。そして、その方法が、たとえば自分の家の庭の松の木を時計回りに3周回ってから祈りを捧げ自宅に火を放つという、自己犠牲的かつ、それがどうして世界を救うことになるのかわからないものだったとしたら、自分は実行できるだろうか。

 こういった類の話の起源がなんなのかは知らない。神話や民話にもあるし、『クレヨンしんちゃん』でも似たようなエピソードがあったはずである。私が最初に触れたのは、おそらくアンドレイ・タルコフスキーの『ノスタルジア』と『サクリファイス』だ(私はこの2作品を同じ日につづけて観た)。

 多くの場合、人類の滅亡や宇宙の消失を防ぐための、文字通りの「世界」が対象であるが、自分の身の周りの(悪く言えば)狭い範囲のみ、「セカイ系」といったワードにも似た、カタカナ表記の「セカイ」と呼んだほうがふさわしい場合のものもある。仮に自分がそんな立場に立たされたとき、どちらの場合のほうが実行に移りやすいだろうと考えたりもする。

 セルトラリンによって抑えられてはいるものの、気圧や周辺状況によって気が沈んでしまったときに考えるのは、だいたいこんなことだ。幸い、鬱による幻聴を超自然的な存在からの啓示だと思い込んでしまうほど重症ではないし、そもそも何らかの啓示めいた幻聴を聞いたこともない。ゆえに、私は自宅に火を放ったりはしていないのだが(していたら今頃は警察署か精神病院の隔離病棟かだろう)、なんとなく、夢で見た自分の妙な行動を、実行しても問題のない範囲のものならば再現してみる、という活動を行っている。これは、鬱になる前からこっそり続けていたことで、幼児だった頃からの私の習慣でもある。実行しても問題のない範囲(つまり、犯罪などに結びつかないもの)とはいっても、傍から見れば不審行動に値するものも多いので、あくまでこっそりした活動ではある。

 もしかしたら、この活動の中から、本当に世界を救うものが出てくるかもしれない、などとは妄想したりもする。世界もセカイも良くなる兆しは見受けられないので、残念ながら、今のところ、ただの私の奇行でしかないのだけれど。

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2017-12-06

静養日記47 〜冬の香りは血の匂い〜

 昨日、今季初の本格除雪。やけに左足だけが濡れて、靴の隙間から雪でも入ったのだろうかと思っていたら、でかい靴擦れで出血していたことが後に発覚し、靴の中がちょっとした犯行現場になってしまった。

 足がやられて、では手のほうはどうかと言うと、しっかり手袋もしていたのだが、私のひどく乾燥している手が市販の手袋だけで防御できるはずもなく、すでに細かくひび割れていた箇所がことごとく悪化し、やはりちょっとした犯行現場状態で、当然、風呂で汚れも血も洗い流しはしたものの、バンドエイドだらけの身体で眠っていると、そのうち滲んだり剥がれたりするもので、結局シーツも犯行現場状態と化し、例年通り、血の匂いの冬を迎えている。

 私の向かうところ、ルミノール反応だらけ。鑑識泣かせの、この身体。いっそ誇っていいかしら。

2017-12-03

静養日記46 〜半分眠ったまま書いた日記〜

 昨晩、なかなか寝付けなかったので、久しぶりにベルソムラ(導眠剤)を服用した。そのせいか、本日は、なんだかずっとぼんやりしている。目を瞑れば、すぐに意識を失ってしまいそうな状態である。あくびのしすぎで、顎の付け根あたりの毛細血管がぶつぶつと切断され、いつのまにか内出血で死んでしまうかもしれない。

 まだ死ぬのは嫌なので、いっそ半分ではなくしっかり眠ってしまおうと思う。

2017-11-29

静養日記45 〜僕らはみんな死にながら生きている〜

「知ってる? 人って必ず死ぬんだよ」
「知ってるよ。もう、死んでるんだよ」

 小学1年生の時、クラスメイトによるこんな会話を耳にしたことがある。しかし、いまだに「もう、死んでるんだよ」の意味がわからない。彼らが、いとうせいこうの名作『ノーライフキング』を読んでいたとは思えないので、作中における「死にながら生きるライフスタイル」のことではないだろう。ならば前世的な話だろうか。あるいは、現実はまやかしといった類の意味だったのだろうか。「死を目前にした老女の視点で自分の人生を観察してる気がする」(リチャード・リンクレイター『ウェイキングライフ』より)なんてことを、あいつは考えていたりしたのだろうか。

 あの1995年を目前にした、1993年の4月から1994年の3月までが、私が小学1年生だった時代。田舎の(その約20年後には閉校を迎えることになる)小学校の中でも、とりわけ小さな第1学年という世界の中での会話。私でさえ今よりは悩みが少なく、笑うことも(今と比べれば)多かったであろう時期、私なんかよりも交友関係が広く、上級生たちとも一緒にサッカーなんかをして遊んでいたクラスメイトが口にした「もう、死んでるんだよ」は、宗教的なものとは別に天国や地獄を信じてしまうような小学1年生ゆえの幼い価値観からくる発言だったのか、はたまた、明るいマンガを暗くしたがった世代よりも後の、一見普通に明るいマンガを明るく楽しんでいたはずの世代が1995年前後の空気感に無自覚に侵されていたことの一症例だったのか。

 当時のクラスメイトと顔を合わせる機会もほぼなく、あったとしても、切り出し易い話題ではない。そもそも、そんな会話を覚えてすらいないかもしれない。傍でたまたま耳にした私だけが気になっているのかもしれない。そして、今後もずっと、死ぬまで気になり続けるのだろう。もう、死んでいるのかもしれないけれど。

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Mess / Age

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2017-11-26

静養日記44 〜大掃除で家すっきり。身体はぼろぼろ〜

 まだ積もり方は薄めであるものの、外は雪景色となってしまった。これなら、北海道をほぼ出たことがなかった頃の私でも「冬がきたなあ」と感じたことであろう。

 北海道の冬は、滅多なことでは外で虫どもと遭遇することもないので、窓なんかを掃除するのには適しているのだが、いかんせん寒いので、手はかじかむ、下手すりゃ使っている水が凍り始める危険性だってあり、やっぱり適しているとは言えない。

 それでも、虫どもの襲撃に怯えながら掃除するよりはましなので、毎年、陽がさして比較的暖かい日を狙って窓や外壁、ベランダなんかを綺麗にする。

 そして、高確率で体調を崩す。