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美月雨竜の「感じるな、考えろ」

2017-06-07

『東京腸女むすび』(目次)

 この日記は2017年3月31日に書いたものです。

 では、なぜタイムマシンを使ったわけでもないのに、2ヶ月以上の時が経っているのかというと、まず第一には、ブログの詳細編集機能を悪用したからなのですが、もうひとつの理由は、4月から少々、生活環境が大きく変化することになり、慣れるまではブログを定期的に更新するのが難しいなと感じたため、なにか2ヶ月分くらいの記事を先に埋めておこうと考えたからです。

 というわけで、400字詰原稿用紙200枚ほどの小説『東京腸女むすび』を全19回に分けて投稿しました。

 私は小説の新人賞に応募した際(闇雲に送っているわけではないので、まだ実質的には4回ほど)、気が小さいので最終候補の発表があるまでは、一次/二次選考の結果を見ません(掲載誌は買っても、そのページを読まない。ホチキスで閉じたこともあります)。ゆえに昨年の8月、着想から書き上げまで4日で無理矢理こなしたこの小説が、とある新人賞の一次選考を通過していたことを、かなり遅れて知りました(一次選考の結果は昨年の12月頃に発表されていました。さすがに二次選考は無理でしたけれど)。

 元になった掌編があるとはいえ、4日で書き上げたものが一次選考を通過できたのは、けっこう驚きで(読み直すと、さすがに粗だらけですし)、「まあ、二次選考は無理だったけれど、ちょうど良い機会なのでブログに投稿してみよう」と考えたわけです。一次選考は通過するかもしれないけれど、二次選考だと無理、というラインの目安にでもしてください。

 ちなみに、元になった掌編は、これ(賞に応募し、結果がわかるまでは一時的に削除していました)↓
http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20000101



東京腸女むすび』(目次)

(1)http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20170402

(2)http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20170405

(3)http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20170409

(4)http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20170412

(5)http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20170416

(6)http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20170419

(7)http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20170423

(8)http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20170426

(9)http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20170430

(10)http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20170503

(11)http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20170507

(12)http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20170510

(13)http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20170514

(14)http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20170517

(15)http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20170521

(16)http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20170524

(17)http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20170528

(18)http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20170531

(19・完)http://d.hatena.ne.jp/uryuu1969/20170604

2017-06-04

『東京腸女むすび』(19・完)

 飛行機を降りて、空港へ入った途端、人の多さにすこしだけめまいがしました。
 ひくひくひくひく。
 東京はあいかわらず人だらけですね。
 同じ空港でも、仰光堂の最寄の空港では、人もまばらだったというのに。
 わたしは、そっとお腹をおさえます。
 きっとこの中には、わたしのような生き方をこころよく思わない人たちもたくさんいるのでしょう。
 ひくひくひくひく。
 震えはじめた腸を、やさしく撫でてあげます。他人から撫でてもらえたら、もっと気持ち良いかもしれません。
 もう大丈夫。いや、ずっと前から大丈夫だったのでしょう。わたしには頼もしいお友達がいるのですから。そして、そのことをもっとはやく分かっていれば、あんな後味の悪いお別れをすることもなかったのでしょう。
 でも、さすがに人が多すぎますね。これでは、落ち着いてメールの文章が打てません。何かあったときのため、塔子さんからボギーさんや山上さんの連絡先も聞いておいたのですけれど、間違ってお二人に送ってしまったら、とんでもない笑い話ですね。もう、そういう恥はしばらくごめんなのです。
 飛び立った空港と違い、こちらには喫茶店もあることですし、ちょっと静かな場所に移動しましょうか。
 わたしは、空港内の喫茶店に入り、ここでも紅茶を一杯だけ頼みます。目の前の席で、コーヒーを啜る男性はいません。どんなお話をしようか悩む必要もありません。
 わたしは、最後にお会いした時から一度も連絡することのなかった、それでいて、消去することもなかったアドレスにメールを送ります。
 月が大好きな古くさい女とMDを使いつづけていた時代おくれの男の子です。二人の連絡は、せいぜい電話かメールだけでした。
 そういえば、サトウさんが別の女性とLINEなどで隠れてやりとりしているというような情報は、どんなおせっかいなお友達からも聞いたことはありませんでした。
 どうやら、ちゃんと送れたようです。アドレスは変わっていなかったようですね。
 わたしがゆっくりと紅茶を飲み、カップの底が見えてきた頃、返信が届きました。
「おひさしぶりです。どこでお会いしましょうか?」
 そうですね。どこにしましょうか。そういえば、そろそろ夕暮れどきですね。

      ○      ○      ○

 待ち合わせは、代々木八幡駅近くの小田急線の上を通る歩道橋にしました。
 サトウさんが好きな映画のロケ地になった場所です。
 良い時間を選んだせいか、ここに来るまでの電車は、あまり混雑していませんでした。
「この人たちの歌を聴きながら、夕暮れどきに、人の少ない電車に乗って、生田あたりから代々木八幡あたりまでの景色を眺めてみたら、きっと涙がこぼれてきますよ」
 わたしは、片耳にだけイヤホンをして、サトウさんが教えてくれた歌を聴きます。両耳を塞いでしまうと、大事な声が聞こえなくなってしまいますからね。
 ちょうど夕暮れどきです。電車の中からではありませんが、たしかにこの景色は涙を誘います。なぜでしょうね。
経堂駅あたりの民家の屋根が並ぶ景色も良いのですよ」
 少し遠回りして、経堂下北沢の景色も見ておくべきだったかもしれません。でも、それはこれからでも大丈夫です。
「小竹さん?」
 きゅんきゅんきゅん。
 なつかしい声が聞こえました。
 人がなつかしさを感じるには、だいたい十年かかると聞いたことがあります。でも、そこまでの時間は必要なかったみたいですね。
「おひさしぶりですね」
 わたしはサトウさんに言いました。涙はきれいに拭いておきました。
「はい。おひさしぶりです」
 サトウさんも答えてくれました。
「おかわりないようですね」
 サトウさんの言葉に、わたしは「ふふふ」と笑ってしまいました。
 当然ですよ、サトウさん。なにしろ、腸が飛び出てからのわたしは、普通ではありませんでしたからね。
 久しぶりにお会いしたサトウさんは、なんだかあの頃よりも、さらに可愛らしくみえました。
 どれくらい可愛らしかったかといえば、そうですね、結婚を前提としないお付き合いを再開したくなるくらい、とでも言いましょうか。遠距離恋愛というのも、悪くないと思いますよ。
 きゅんきゅんきゅん。きゅっきゅっきゅっ。
 わたしは、そっとお腹に手をあて、腸をなだめました。
 きゅんきゅんきゅん。きゅっきゅっきゅっ。きゅんきゅるきゅん。きゅっきゅるきゅん……。
 腸はおとなしくなっていきます。
 でも、不思議ですね。東京を出てからは、心よりも腸のほうがさわがしかったはずなのに、今日はなぜだか、腸が先におとなしくなってくれました。
 サトウさん。あなたのお友達とその彼女さんのお話に、どうしてわたしがいやな感じがしたのか、ついにわかりましたよ。
 もちろん、サトウさんと同じ理由かどうかは分かりませんけれどね。でも、わたしのほうは遅ればせながら理解しました。ぜひ、それについてもお話しましょうね。そして、これは少々下世話かもしれませんが、そのお友達と彼女さんが、その後どうなったのかも聞かせてもらえますか?
 それから、「ハシモトアヤコさんのブルーベリー」の瓶は、まだ残っていますか? 残っているのなら、ぜひ譲っていただきたいです。あと、申し訳ありませんけれど、いまだに『トム・ソーヤーの冒険』は読み切れていません。感想はまた、いずれ。
 いやいや、それよりなにより、言わなければいけないことがありましたね。

      ○      ○      ○

 では、あらためてお聞きします。
 腸のきれいなおねえさんは好きですか?


 (完)

2017-05-31

『東京腸女むすび』(18)

 わたしが祖母のお墓参りをさぼっていた理由は、両親には車の運転が苦手だからだと伝えてあります。
 罰当りな理由と思われるかもしれません。
 嘘ではないのですけれど、しかし、やはりどこかで祖母の記憶と対峙することを避けていたのでしょうね。
「このお供えの団子、食べてみたことある? びっくりするくらい美味しくないよ」
 祖母のお墓にお供えした、紅白の積み団子を指差して、塔子さんが言いました。これを塔子さんが食べたことがあるという事実に驚きです。なんて好奇心旺盛なのでしょう。
「生きた人間が食べるために作られたものには見えませんからね」
「うん。ほら、なんか妙につやつやしてるでしょ? でも、すっごいねっとりしてんの。ねちょって感じかな。一個食べただけで、しばらく胸が鉛色になっちゃって。ただでさえ食の細いなっちゃんなんだから、これは絶対食べちゃだめだよ」
 大丈夫です。たぶん、このお団子に限らず、わたし食事とは無縁の生活を送っていくことになりますから。
 とは言えないので、わたしは「ご忠告、しっかり心に刻んでおきますね」と言いました。
「塔子さんは、これから同居人の方とどうされるおつもりなんですか?」
 わたしは、祖母のお墓を用意してきた新品のタオルで拭きながら、塔子さんに尋ねます。
洋ちゃんと? べつに、このままだよ?」
 同居人の方のお名前は、「洋ちゃん」とおっしゃるのですか。
 わたしは、はじめて明らかにされた塔子さんの同居人のお名前を頭に刻みこみます。
「このまま、ですか」
「なんなら、あたしたちか、なっちゃんのどっちかが引っ越して、一緒に住む? 楽しいかもよ」
 きゅんきゅんきゅんきゅん。
 あら、いけません。ときめいてしまいました。わたしは腸の飛び出た女だというのに。
 でも、なんというか、本当に勝手な憶測ですけれど、塔子さんや、塔子さんの周りの奇々怪々な方々なら、腸の飛び出た女でさえも、すんなり受け入れてくれるのかもしれませんね。
「前向きに考えさせてもらっても良いのですか?」
「うん。もちろん」
 塔子さんは、敷地内の雑草をむしりながら気持ちよく答えてくれました。
 わたしはお墓を拭き終え、タオルをビニール袋にしまいます。
「ロウソクと線香やっとくね」
 なんでもてきぱきこなす塔子さんは、昔わたしがいつも難儀したロウソクへの着火作業も、タバコに火をつけるかのようにさらりと完了し、つづけてお線香もロウソクの火にあぶして、良い香りを辺りに漂わせました。
 わたしは久しぶりの祖母のお墓を前に、すがすがしい気分で手を合わせます。
 おばあちゃん、紹介しますね。この人は、わたしの大切なお友達の塔子さんです。
 塔子さんも、わたしに並んで手を合わせてくれています。わたしも塔子さんも、祖母が考えていた「普通の女の子」ではないのでしょう。安らかに眠っているはずの祖母には、少々刺激が強すぎる二人かもしれません。でも、ちゃんと報告しなければいけませんね。
 おばあちゃん。よく聞いてくださいね。世界は変わりはじめています。

      ○      ○      ○

 帰りの車の中で、わたしは塔子さんに、「せっかくですけれど、やっぱりわたしは旅行には行けません」とお答えしました。
「あら、残念。一緒にキャンピングカーで暮らすの嫌だった?」
 そんなことはありません。
 腸が飛び出ていようがいまいが、塔子さんのお誘いなら、いつだって、どこへだってついていきたいのです。
 しかし、今回は、わたしにはやらなければいけないことが出来たのです。
 わたしは、塔子さんに「ぜひ、またの機会に誘ってくださいね」と強くお伝えしました。そして、今回の旅行には参加できなくなった理由も告げました。
「実はわたし東京に行かないといけなくなったんです」

      ○      ○      ○

 嫌われ者の新田さんのお部屋を出て、サトウさんといっしょに電車に揺られているときのことです。
 学生も社会人もあまり見かけない時間帯です。電車の中は、とても空いていました。
 サトウさんは、中学生の頃から好きだという、ある音楽グループのことを教えてくれました。
「この人たちの歌を聴きながら、夕暮れどきに、人の少ない電車に乗って、生田あたりから代々木八幡あたりまでの景色を眺めてみたら、きっと涙がこぼれてきますよ」
 あの頃、サトウさんは、ポータブルMDプレーヤーを使っていました。当時でも、少々時代遅れといった感じです。
 サトウさんは、プレーヤーにその音楽グループの曲を録音したMDを入れました。そしてイヤホンを右耳にだけ差し込みました。
「聴いてみてください」
 わたしは、もう片方のイヤホンをサトウさんから受け取り、自分の左耳に差し込みます。
「特にこの歌です」
 片耳ずつのイヤホンで聴かれるのは、音に細かくこだわるアーティストさん側からすれば、あまりうれしくないことかもしれません。
 ですが、その時のわたしにとっては、この世にこれ以上美しい歌があるのでしょうか、なんてことを思ってしまうほどに素敵なものでした。
「山上さんがファンだって言っていた子が、この歌のプロモーションビデオに出演していましたよ」
 映画だけではなく、映像作品全般に詳しかったサトウさんは、そんなうんちくも教えてくれました。
代々木八幡の歩道橋にも、その女優さんはいたはずです。別の映画の話ですけどね。好きな映画なんです」
 歌とサトウさんの声が混ざりあいます。
 これもまた、音楽を送り出す側としては、望ましくない聴き方でしょうか。だからなのか、涙は出ませんでした。幸せだったからかもしれません。
「経堂駅あたりの民家の屋根が並ぶ景色も良いのですよ」
わたし下北沢の街並みが好きです」
「あそこも良いですね」
 眠ってしまいそうなほど、気持ちの良い空間でした。ついさっき、ゴキブリに怯えていたというのに、おかしなものです。
 また、あんな気持ちになれるでしょうか。

2017-05-28

『東京腸女むすび』(17)

「克仁さん」
 わたしは、自分の頭がこれまでの人生でいちばん冴えわたっているような感覚になっていました。
 名前を呼ばれた克仁さんは、そんなわたしの気分を、なんとなく察したようでした。ですが、それが自分にとってどんな未来を意味するのかは、分かっていないようでした。
 わたしはすっきりした気分でいました。自然と笑顔になります。しかし、その笑顔はきっと克仁さんにとって、少々こわくもあったことでしょう。
 実際、克仁さんのお顔からうかがえるのは、ただのとまどいです。
 わたしは、そんな克仁さんに、しっかり声が伝わるように告げました。
わたしが、そんなことを気にする女に見えますか?」
 なにしろ、腸が飛び出ても気にしない女ですよ。わたしより気持ち悪い存在なんて、なかなかあり得ないですよ。
 わたしは笑顔のまま言葉を続けます。
「うぬぼれと言われるかもしれませんが、これでもわたしは、もしあなたから告白されたらどうお答えしようと悩んだりもしていたのです。あまりくわしくは言えませんが、わたしにもいろいろありまして、良い返事はできないだろうなと思っていました。それでも、悩んではいたのです」
 それが、今となっては、ちょっとでもあなたに好意を持ったことが恥ずかしいくらいです。あのデートでのわたしの振る舞いなんて目じゃないくらいの恥ずかしさです。今なら、『トム・ソーヤーの冒険』も、しっかり最後まで読み切れそうですよ。
 なんだか、目の前の男性を振るのが、とても面白く感じてきました。自分が塔子さんに近づけたような、そんな誇らしい気分になります。塔子さんに見てほしかったです。いまのわたしの晴れ姿。
 克仁さんは、ちょっと泣きそうな顔にも見えますけれど、ここはこのまま、はっきり言ってしまいましょう。
「今、あなたに対する答えが、しっかりとみつかりました。ごめんなさい。あなたとお付き合いすることはできません」
 最後まで笑顔で言い切りました。おめでとう、わたし
 茫然とした様子の克仁さんを置いて、わたしは自分の部屋の方角へ歩き出します。背中に克仁さんの悲しい視線が刺さりますが、もう痛くもかゆくもありません。腸が飛び出たって痛くもかゆくもなかった女ですからね。視線なんて痛いはずがありません。
 おっと、そうでした。ひとつ、言い忘れたことがありました。
 わたしは振り返って克仁さんに叫びます。
「ああ、克仁さん。仰光堂は、今後ともご贔屓にお願いしますね。わたしに振られた理由を考えていただければ、当然、仰光堂に来ないなんて選択肢を選ぶことはないと思いますけれどね。でも、もし、わたしに会いたくないからお店にも行かない、なんてことをお考えなのでしたら、それはあまりにみっともないと思いますよ。もし、そんな選択肢をあなたが選んだら、わたしがあなたの愛のないストーカーになって、あなたのお部屋でお腹をかっさばいて、中身を全部お見せしてさしあげますからね!」
 きゅんきゅんきゅんきゅん!
 腸がわたしを祝福してくれているようでした。

      ○      ○      ○

 わたしはこれまで、いろんなことを塔子さんに相談させてもらってきました。
 ですが、サトウさんに関して彼女に相談させてもらったのは、二回だけでした。
 相談しなければいけないことが、ほとんどなかったからです。
 わたしはサトウさんに対して、なんの不満も疑念も抱いていなかったのです。それは、腸が飛び出た今も変わりません。
 最初に塔子さんに相談させてもらったサトウさんに関する悩みは、周りのお友達が、なんだかサトウさんのことを怪しんでいるようで気になるのです、というものでした。
 塔子さんは、「なんでもかんでも不純交友みたいに考えるような所有欲の強すぎる連中のことは、ほっときなさい」とおっしゃりました。
 なので、わたしもそういった方々のことは、ほっとかせていただきました。
 そのせいで、塔子さん以外のお友達がほとんどいなくなりましたが、まったく後悔していません。
 さて、次に相談させてもらったのは、サトウさんとお別れした後のお話です。
「どうしてもサトウさんとお別れしなくてはいけなくなったのですが、本当の理由を告げることが不可能だったので、将来性がどうのという心にもないことを理由にしてしまいました」
 これは、相談というより、ただお話ししたかっただけです。
 慰めてほしかったのか、あるいは叱ってほしかったのか。いずれにしても、なにか解決策を示してほしいわけではありませんでした。
 典型的な「面倒な女の相談」というやつかもしれません。
 そんな面倒くさいわたしに、塔子さんは言いました。
「将来的に誤解を解けるチャンスがあるってことなんだから、そこまで悲観的にならなくてもいいんじゃない?」
 ああ、なんて素敵な人なのでしょう。

      ○      ○      ○

なっちゃん、今回はしっかり振ってあげたんだね」
「塔子さんのおかげです」
 三度目のロケハンの最中、わたしは塔子さんに、克仁さんとお別れするまでの顛末をお話しました。彼女はおかしそうに笑いながら聞いてくれました。実際、わたしの人生の中でも、おそらく最大級におもしろい事件だったと思います。しかも、克仁さんにとってはどうだか分かりませんが、わたしにとってはハッピーエンドそのものでしたからね。
 予定とは少々違ってしまいましたが、克仁さんも、ちゃんと諦めてくれたようです。
最後のわたしの決め台詞のあと、「分かりました。なんだか、いろいろご迷惑かけてすみません」と頭を下げてくれました。サトウさんが謝ってくれたときと比べて、ちょっと悲愴感が濃く、あまり可愛らしさは感じませんでした。もっと可愛らしければ、わたしの中の克仁さんへの好意も、ほんの少しは回復したかもしれません。
 それでも、克仁さんは、しょんぼりとした様子ではありましたが、わたしをナイフ片手に付け狙ったりはしないと思います。もし、そんな気配を察すれば、わたしは、いま目の前にいらっしゃる長身美麗なお友達に助けを求めます。鎌田店長にも来てもらいましょう。なんなら、茅原主任や岡田主任、それにボギーさんや山上さんも呼んでもらいましょうか。
「どうしてそんなに結婚したがるんだろうねえ」
 自分の車のボンネットに腰をあずけて、塔子さんが言います。この車に対する愛のない姿勢がかっこいいですね。わたしも真似してみたいものですけれど、さすがに塔子さんの車に腰掛ける勇気はありません。彼女は気にしなさそうですけれど。
「しかも、自分の大好きなものを犠牲にしないと結婚ができないと思ってしまうのは、なんなのでしょうね」
 わたしの言葉に、塔子さんは「なんか勘違いしてるんだろうね」と言って笑います。
 それにしても、思っていたことを口に出すというのは、ずいぶんと気持ちの良いものなのですね。別の穴からなにも出せなくなったぶん、わたしはいろいろ溜まってしまっていたのかもしれません。
 わたしが晴れ晴れとした気持ちで北海道の高い空を見上げていると、塔子さんが思い出したように言いました。
「そうだ。来月あたりを予定してるんだけどね。同居人たちとキャンピングカーで北海道内をあちこち廻る旅をしてみようかなって思ってるの。良かったら、なっちゃんも参加しない?」
 塔子さんといっしょに、同じキャンピングカーですか!
 きゅんきゅんきゅんきゅん。
 腸が飛び出ていることも忘れて、心の内で浮かれてしまうわたしです。こらこら、わたしも腸も落ち着いて。
 それに、塔子さんと二人きりというわけではないですよ。
「同居人ってどんな方なんですか?」
 わたしは、お名前も聞いたことのない、塔子さんの同居人について尋ねてみました。
「あたしともう十五年以上友達やってるんだから、ドMなんだろうね」
 それはそれは。
「塔子さん。いっしょにキャンピングカーで旅行ということは、あの……いわゆる裸のお付き合いというのもあるのでしょうか?」
「え? いや、そんなのはないよ。したいっていうんだったら、あたしはかまわないけど」
「ああ、いえいえ。わたしもしたいわけではないです」
 むしろ、したくないのです。
「それならいいんだけど。お風呂も食事も、みんな好きなタイミングで、お互い余計な干渉はなし。ただ、ひとつのキャンピングカーで移動するだけの旅だよ。でも、急に裸のお付き合いとか言うから、ちょっとびっくりした。なっちゃん、そういうの嫌いそうだもんね」
 ええ、嫌いなんです。というか、腸が飛び出てからは、死活問題ですらあるのです。
「旅行のことは、ちょっと心ひかれる部分もあるので、少し考えておきます。ただ、その前にお願いしたいことがあるんです」
「なあに? なんかおもしろいこと?」
 塔子さんが、ぐいっとわたしに顔を近づけてきます。傍から見れば、背の低い後輩の女を脅している姿に映ったかもしれません。でも、わたしは悪くない意味でどきどきしてしまいます。
 きゅんきゅんきゅんきゅん。
 いえいえ、ときめいていてはいけません。ちゃんと、お願いしたいことをお伝えしなければ。
「いえ、塔子さんにとっては、さほどおもしろくないかもしれませんけど……」
 わたしは、すこし躊躇しながらも、しっかりお願いしました。
「キャンピングカーでなくてもいいので、今から、わたしを祖母のお墓まで車で送っていただけますか?」

2017-05-24

『東京腸女むすび』(16)

 結局、花火に興味のないわたしは、延々と好きなお笑い芸人さんのコントを頭の中で再生して、一人でくすくすうふふと思い出し笑いばかりしていました。本当に変な女ですね。そりゃあ、腸が飛び出たりもするわけです。
 克仁さんは、やけに口数も少なく、花火をぼんやり眺めたり、くすくすうふふと思い出し笑いするわたしをちらちら横目で見たりしていました。こんな変な女の隣で花火見物をして、いったいどんな気分でいらっしゃったのでしょう。おそらく、わたしには永遠に分からないままだと思います。
 花火が終わると、集まっていた大勢の観客が、ざわりざわりと帰り支度をはじめます。
 お祭りの雰囲気にあてられて調子に乗ってしまっている人もいるかもしれませんから、わたしも帰り道は、なるべく安全な道を通らなければなりません。そのためにも、克仁さんには、途中まで送っていただかないといけません。あくまで途中まで、ですけれど。
「そろそろ帰りましょうか」
 わたしが先に切り出しました。
 克仁さんは、「そうですね」と答えて立ち上がります。
 さて、わたしから切り出しておいて、このあとはどう続けましょう。二人とも、無言で歩き始めてしまいましたよ。
 まるで、どちらかが真剣なお付き合いをお願いしかねない、危険な雰囲気です。もちろん、わたしにそのつもりはないのですけれど。
 サトウさんとお付き合いをはじめたときだって、こんな雰囲気にはなりませんでした。もっと軽やかで爽やかでした。というか、いつの間にか、お互いのお部屋でおしゃべりするようになっていました。だからこそ、わたしはサトウさんのことが忘れられないのかもしれません。
 なんだか、このましくない緊張感です。
 どうしましょう、どうしましょう。
 ひくひくひくひく。
 このような湿度の高い雰囲気の場合、よく急に男性が女性の腰などに手をまわしたり、がばっと覆いかぶさってきたりという場面を映画やドラマなどでは目にします。なんだか、それが自然なことだと世界中で思われているかのような、ちょっとした圧迫感すら感じてしまいますが、世の中にはそんな人ばかりではありません。
 克仁さんが、心の内では、どのように思っているのか分かりませんが、少なくとも彼は、行動よりも先に言葉が出るタイプのようでした。腸の飛び出たわたしとしては、幸いなことです。
「あの、小竹さん」
 周りから人気が少なくなった辺りで、ついに克仁さんが立ち止まり、少し震えた声でわたしを呼びます。
 やばいかもしれません。
 このままでは、先に告白されてしまうかもしれません。
 はやく、あくまでお友達という笑顔でお別れしないと。
 でも、他人の言葉を遮るのは、得意ではありません。
 せめて、克仁さんの口から後に続く言葉が、告白とは別のものであってくれれば良いと願います。
「もし、よかったら……その、いわゆる結婚を前提としたお付き合いをしていただけませんか?」
 ついに来てしまいました。しかも、なんと古風な告白の仕方なのでしょう。
「あの……それは、ちょっと」
 さっさと「楽しかったですね。いいお友達でいましょうね」で一刀両断すれば良かったものを、わたしはやっぱりぬけています。
「もし、僕の将来性に不安があるというのでしたら……」
 ああ、どうしてわたしの古傷をえぐるようなセリフをおっしゃるのですか。
「お金のこととかも。なんなら、これまでに集めたマンガとかDVDとかも、一度手放してもいいと思っています」
 おや、ちょっと妙な展開ですね。
「趣味を断ち切る覚悟もできています」
 あらあら、まあまあ。
 そんな考えは、いけないと思いますよ、克仁さん。
 ひくひくひく。

      ○      ○      ○

 サトウさんと、一度だけ口論になったことがありました。
 それは、サトウさんが、マンガやアニメもお好きであるということを隠していたからです。
 マンガやアニメが好きな男性のことを気持ち悪く思う人たちは、残念なことに今も少なくはないようです。
 女の子に幻想を抱き過ぎとか、都合の良い恋愛妄想ばっかりだとか。
 でもそれは、女性向けのマンガやアニメにおける男性像でも、あまり変わらないような気がします。
 実はサトウさんも映画だけでなく、マンガやアニメが大好きだったのです。ですが、映画については、出会って間もないころからいろいろとお話してくれていたのですが、マンガやアニメがお好きだということは、しばらく隠されていました。
 打ち解けていくうちに、サトウさんは自らマンガやアニメのお話もしてくれるようになりました。しかし、一時は隠そうとしていたということが、ほんの軽いものではありましたが、たった一度だけのサトウさんとの口論の原因になりました。いえ、口論というより、わたしが一方的に怒ってしまったのですけれどね。
 たしかに、マンガやアニメに出てくるきらきらした女の子に幻想を抱いている人もいるのでしょう。サトウさんだって、そんな女の子たちがお好きであることは間違いないようでした。しかし、女の子はマンガやアニメに出てくるようなきらきらのつるつるのすべすべでなければいけない、と考えてしまうほどの残念な人でもありませんでした。
 そもそも、趣味を犠牲にして恋愛をするという考えが分かりません。
 サトウさんは、わたしがそういうものを軽蔑するような女だと思っていたのですか? それは心外ですよ。
 そうお伝えすると、サトウさんは、「そうですね。ごめんなさい。小竹さんのことを、勝手にそんなろくでもない人かもしれないと考えてしまって、本当に申し訳ありません」とゆっくり頭を下げてくれました。その謝り方も、なんだかとても可愛らしかったのを覚えています。
 サトウさんとお付き合いしていた頃のわたしは、いたって普通の女の子でした。
 しかし、腸が飛び出てしまい、そのことを隠しながらサトウさんと別れ、田舎に逃げてきたわたしは、皮肉なことに、サトウさんが今もひょっとしたらお好きなのかもしれない、マンガやアニメに出てくるような理想の女の子に近い存在になってしまったのです。
 ですが、気持ち悪い男の幻想と揶揄されそうな女の子だって、それはあくまで、マンガやアニメのなかでそういったことが描かれていないというだけのことです。現実に、トイレを必要としない女性というのは、さすがに本当に気持ち悪がられてしまうかもしれません。しかも、飛び出た腸がおまけで付いてくるのですからね。
 サトウさんは、こんなわたしでも、お付き合いを続けてくれていたでしょうか。
 もう一度、お会いできたら、今度は本気で聞いてみたいです。
「腸のきれいなおねえさんは好きですか?」と。