Hatena::ブログ(Diary)

美月雨竜の「感じるな、考えろ」

2018-08-15

『この西瓜ころがし野郎』(15)

 いくら西瓜がへばるほど中身がほじくり出されていたからといって、頭を突っ込んでみれば食えるだけの中身はそれなりに残っており、しかも西瓜知りたがりのスプーキーは皮まで食い破らんとする勢いで中身に齧りついており、この場に西瓜知りたがりのスプーキー以外の者がいたならば、あまりの恐ろしさに西瓜の皮ごと西瓜知りたがりのスプーキーの頭を叩き潰したことであろうが、そこは元より珍しもの好きのスプーキーだった西瓜知りたがりのスプーキー、彼の周りに見守る者など一人もおらず、西瓜西瓜知りたがりのスプーキーの頭も叩き潰されることはなかったのだけれど、西瓜知りたがりのスプーキーよりはるかに奇妙なことに、いくら中身を齧りとっても皮を突き破るどころか、先に西瓜知りたがりのスプーキーの胃が張り裂けそうになる始末で、それもそのはず、西瓜は齧りとられるそばから西瓜ころがしへの憎悪によって赤い血肉が滲み産まれていたわけで、西瓜知りたがりのスプーキーが顎の疲れを癒そうと一息ついている間に、彼の頭が西瓜から取り出すことができないほど血肉を産出、西瓜知りたがりのスプーキーは身も心も西瓜知りたがりのスプーキーとなり、西瓜の皮の中でくぐもった大声で「この西瓜ころがし野郎!」と叫び手術台の部屋から飛び出し、やみくもに皮を掻きむしりながら大通りを走り回ったものだから、他の西瓜たちも呼応して「この西瓜ころがし野郎!」「この西瓜ころがし野郎!」、その声は遠い異国の西瓜ころがしの耳にも届いていたのだけれど、その時すでにこの土地の西瓜たちが西瓜ころがしを追って坂を転げ上がっており、西瓜ころがしの野郎は西瓜の血汁にまみれて逆に坂を転げ落ちている最中で、遠い異国の西瓜たちの叫びなど気にする余裕は当然なかった。

2018-08-12

『この西瓜ころがし野郎』(14)

 そんな新鮮町の住人のなかに西瓜の中身について調べたくなった者がおり、それまでは周りから珍しもの好きのスプーキーと呼ばれていたが、西瓜ころがしの野郎のせいで西瓜知りたがりのスプーキーと呼ばれるようになってしまい、幸いにもスプーキーな彼はなんと呼ばれようと気にすることもなく、巻き添えくってスプーキー呼ばわりされるような家族も友人もおらず、西瓜ころがしの野郎の罪がこの一件で増えることもなかったのだが、西瓜ころがしの野郎の罪なんぞ増えてしかるべきとも思うわけで、私は会ったことも目にしたこともない新鮮町の珍しもの好きのスプーキーを西瓜知りたがりのスプーキーと呼ぶことにまったく抵抗を感じることもない、ゆえに珍しもの好きのスプーキーではなく西瓜知りたがりのスプーキーであるこの男は、その辺で跳ねていた西瓜をいくつか捕まえると、自宅の解剖台の上でミシンやこうもり傘の手を借りながら西瓜を抑え込み、鉈やら金槌やらで西瓜の中身をさらけだすのだが、西瓜知りたがりのスプーキーが前世の別世界で観た映画のように臓物が現れることはなく、気につく点と言えば種がやけに少なく感じることくらいで、しかしそれは、西瓜たちが勝手に繁殖していることからもわかるとおり、種の必要性を西瓜が失いはじめているからであって、いまさら種が少なく感じることを公にしたところで西瓜知りたがりのスプーキーは西瓜知りのスプーキーと呼ばれるようになることはなく、七つ目の西瓜をこうもり傘の先で貫いたあたりで、これ以上中身を調べてもどうにもならんと西瓜知りたがりのスプーキーも考え直し、中身を出されてへばった西瓜に頭を突っ込んで、今度は中身を余すことなく喰らいはじめた。

2018-08-08

『この西瓜ころがし野郎』(13)

 ラカンバのお百姓さんが腹いせに蹴とばした小ぶりの西瓜は上空を飛んでいたペリカンの口にがぽっとはまり、あわてたペリカンは羽ばたくのを忘れて顎をがっこがっこと揺さぶりながらお百姓さんの頭の上に落下、ペリカン嫌いのお百姓さんは体中を掻きむしりながら、ふと頭に浮かんだ言葉をそのまま叫んでみると、どうしたことか「おのれ西瓜ころがし野郎!」、お百姓さんの叫びはそのままあちこちで跳ね回っている西瓜たちの耳にも飛び込み、どうやら自分たちが潰されたり弾き飛ばされたりしているのは西瓜ころがしの野郎のせいであると気づく者が現れ、西瓜割りの報復としてオランジア海岸沿いの坂道で子供たちを追いかけながら転げ落ちていた西瓜の一団を横目に「おのれ西瓜ころがし」「おのれ西瓜ころがし」と弾むリズムをモールス信号のように駆使しつつ、どこでなにをしているのかわからない西瓜ころがしの野郎の頭をどついてやろうと知恵の実を取り込みつつ野を越え山を越え砂漠や海も越え、しかしながら、西瓜ころがしの野郎が我々の土地の厄介者であることに気づく西瓜はなかなか出てこず、いたるところで西瓜こわがりな人々は増える一方、そんな西瓜こわがりとなった人々も皆一様に口から出るのは「おのれ西瓜ころがし野郎!」、体力を使い果たした西瓜たちは西瓜こわがりの人々によって真ん中の甘いところだけをくり抜かれて栄養にされ、残りはしおっとへたれこんでいるものだから、せいぜい野良生きする者が軽く喉を潤す程度、自慢の景観を損なわれた新鮮町の人々はしゅうしゅうと鼻息を沸騰させながら欅の葉をあぶって作った布で必死に西瓜汁を拭ってまわるのだった。

2018-08-05

『この西瓜ころがし野郎』(12)

 西瓜ころがしはかたくなに西瓜我が国だけの作物だと言い張るのだが、それはもちろん西瓜ころがしの無知ゆえに成せる業であり、リプトニアやラカンバの者たちは、皆それぞれの言語で「この西瓜野郎、この西瓜野郎」と跳ね交う西瓜ともみあいへしあいしていたわけで、仮に西瓜ころがしの言う通り、西瓜我が国だけの作物だったとしても、私が三つ目の西瓜の行方を想視するころには、リプトニアやラカンバでも西瓜が当たり前の存在となっていたであろうことは想像に難くなく、それゆえに西瓜をそれぞれの言葉で当たり前のように知っていたリプトニアやラカンバの者たちは、一生分の西瓜を意味する言語を口にし、また来世分を合わせてもなお溢れるほどの西瓜汁を浴びていたのだから、ただでさえどこの土地でも雑に扱われることで有名な西瓜への意識はさらに雑になり、車を降りる時に足元に西瓜がおれば臆することなく踏み潰し、窓からぽーんと西瓜が飛び降りれば狙いを定めて棒かなにかで振り飛ばし、リプトニアの育ちの悪い街などでは暇つぶしに便器に大玉西瓜を投げこんでみる者まで現れ、頭部が便器にぶちまけられたような様を晒し、あわてて水で流そうとすれば下水道をさかのぼってやってきた別の西瓜とごっつんこ、あちこちの配管の内で西瓜たちがごった返し、こうしていると西瓜同士もまた知らぬうちに繁殖してしまうものだから配管とて堪えきれずばつんと弾け飛んでしまうこともしばしば、しかしながら、あまりにも増えた西瓜たちによって中身のほとんどは西瓜汁と化していて、二百年前のように配管の破裂が相次いだところで疫病の類が街を覆うなんてことにはならなかったのが幸いだ。

2018-08-01

『この西瓜ころがし野郎』(11)

 全身を西瓜で紅く染めた店主の妻がやみくもに鉈を振り回すものだから、店の中は西瓜以外の赤い色まで混じって大変な騒ぎで、この期に乗じて気に入らぬ者の頭と西瓜を見紛う振りをする者も続出、悲鳴と歓声も混ざり合うなか、基本的には性善説が信じられていた島だったものだから、だんだんと歓声のほうが大きくなり、零れた酒と西瓜の混ざった香りに各々が西瓜以上に弾んだ気分になった頃には、すっかりラカンバの首都西瓜くさくなっており、島と違って酒を好む者もいない都市だったせいで、純度100%の西瓜くささ、これには西瓜嫌いで有名なラカンバ一の正義語りもたまったものではないと急いで小舟を出し、しかし少女が怨みを込めて蹴り飛ばした西瓜が小舟に勢いよく、ぼふうんと音を立てて落っこちると、小舟はばいんばいんと大きく揺れて正義語りを振り落とし、西瓜を喰おうとやってきた大鮫がばくんとでかい口を閉じると、そこにはちょうど正義語りの頭だったものだから、ラカンバの首都の者は西瓜くさいのも忘れて大いに喜び、ろくでもないものを口にしてしまった大鮫にもすぐに喰い易く割った西瓜が与えられて一件落着、残りの身体は小魚たちが味わいながらついばんでいたが、ぼしゃんぼしゃんとひっきりなしに西瓜が落ちてくるものだから、正義語りの身体は細かく千切れ、あちこちで小魚の群れを寄せ付け、いつの間にか西瓜の欠片のなかにも泳ぎだすものが現れはじめ、やがて新種のうみうしやらひとでとなり島の浜辺を潤うことになるのだが、それはさすがに我々の語るべき話ではなく、元気に跳ね回る西瓜たちの行方を可能な限り見届けるべきだろう。