南相馬の騎馬武者ロックフェスに行きましたの話 ①
突然土日が休みになった。どうしようどうしよう考えていて、全日までは長野に行く予定で疲れてそのまま寝落ち。
9月20日朝どうしようかなーと思いツイッターを見ていると、
mixi時代からお世話になっているさくまったさん(@sakumatta)のツイートを見て、無料で行けるロックフェスがあると。本日。しかもTHE BACK HORNとBRAHMANがでると。朝の9時には開場、10時からライブが始まっていて、これはすぐ行かなきゃってことでバックにカメラとフィルムを詰めて速攻行きました南相馬へ。雨は降らないだろう。
グーグルマップで調べる限り三太平洋側の道路、国道6号線(第一原発の目と鼻の先)のルートが表示されていた。あぁ開通したんだ6号線!ということで三郷インターから北上。家を10時半頃駆け出して、飛ばしに飛ばす。綺麗な海だ。14時前に常磐自動車道最北端常磐富岡到着。
高速道路上でもちらちら警告看板が見えてはいたが降りてちゃんと気付いたのだが、国道6号線は富岡から北上できるのは自動車のみで、歩行者、二輪車は通行規制が掛かっていた。
つまりはガイガーカウンターの数値がまだまだ高く、二輪車、歩行者は空気に直接服や肌があたるのでダメという事なのだろうか。
という事で6号線ではなく、一本西側の山道を試みるが入ったらすぐスクリーニング作業場があり、検問で止められる。許可が無い車は通行不可らしい。
という事で大きく(約30キロ程?)西に逸れるルートの地図を貰い南相馬へ向かう。走行距離約120キロ。
走っていると至る所にどす黒いパンパンにふくれた巨大なずた袋が道路脇に並べてある。そこに白で「残」とゴシック体で書かれている。除染作業後の「ゴミ」だろか。ネットかテレビで見た事が有る。
一カ所に横並びや、縦に積んであるところもある。一カ所に少なくとも3つ、多いところでは何百個も集合しているところもあった。
また、黄色地にピンクの字で「除染作業中」と書かれたのろしがこれもまた至る所に道路脇に掲げられている。
それによって何カ所も片道交互通行の道路規制があった。
迂回もあって結局バックホーンに間に合わず。外の道路で一瞬演奏が聞こえて、会場に入った瞬間に「さすがですねよかったですね」的な終わりだとMCが喋っていた。四輪車だったら余裕で見れたのに!!
でも今回(勿論バックホーンはとても見たかったが)一番見たかったのはブラフマン。
震災後ボーカルのTOSHI-LOWがライブで必ず震災関連の事を話しているのはどこかで聞いた事が有って知っていて。
YOUTUBEでもそれは見ていたし。
津波被害、放射線被害の大きい南相馬でブラフマンなら絶対行きたいと思っていた。
勿論それまでもいろんなバンドを見た。夕日浴びながらの音楽は気分が良かった。
第一人称を「要約」「把握」すること
本棚を新調した。
以前の本棚のままだとこれ以上本が増やせない(場所が無いと感じる精神)!!と思ったので、思い切って大きくしてみました。
最初は有り余るだろうと安易に考えていたのですが、一列に並べてみると結構いっぱいになってしまった。
元々は単に欲しいと思った本を正直に買いたいと思ったら(勿論買える値段だったらだが)買える用になりたいが為に大きくした訳だけれども、
実際にやってみるとそれよりもなによりも本棚を一目見ただけで全体が見えるというのが良い事に気付いた。自分の趣味趣向傾向価値観等々がガラーーーッと見える感じがして。
あと、単純に見ていて気持ちがいい。うっとりする。気持ち良さ大事。
床に転がっていたり、段ボールの中に入っていたり、見える本の奥にあったりすると実際その本を所有していた事自体を忘れてしまう。何が書いてあった事さえも。読んだはずなのに。
日常の中に本の題名が見えるだけでも凄く重要だし、段ボールに入れられるよりもよっぽど記憶に残る気がして。
本が読みたくなるし、手にとってまた読めば以前読んだ時からまた新しい発見をするかもしれないし、大げさかもしれないけれども人生が少し良い方向に変わるかもしれない。
「すぐ手に取れる環境」というのは本当に重要な事なんだなぁ。
自分の昔からのイメージで処分するよりも、ちゃんと本と対面して表紙を見るなりもう一度読み返したりしてから処分しようと思う物は処分した方が納得いくと思うし。
欲しいと思う本は気持ちおもむくままに購入しましょうそうしましょう。
悲しみの果て
去年10月にFACEBOOKに書いた事に加筆、修正してここに記録します。
大学時代、一番仲が良かった女友達が亡くなった。
彼女とは大学3年の終わりからふとしたきっかけで急激に仲良くなった。(其の時彼女は大学1年生の終わりだった。入学してから1年間話せなかったのは彼女が美人すぎて怖くてまともに話せなかった)
一緒に沢山の経験をした。
自分の学生生活最後の思い出にと、初めてフジロックに二人で行ったり。
朝まで大学で飲んで踊り続けていたり。
沢山の説教をしてくれたり(それによって僕は初めて人を愛せた)。
彼氏の愚痴をひたすらきいたり。
そして魅力的な彼女をとにかく沢山撮影した。
大学4年生の青春は彼女がかなり大部分を占めていた。
勿論大学を卒業してからもいろんな場所に行ったし、沢山の時間を共有した。
大事な人が亡くなるのは初めての経験だった。
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最後に彼女に会ったのは2013年9月のはじめで、富津でバーベキューをして肉を食いながらみんなでipodからかかる曲を聴いていた。
エレファントカシマシの「悲しみの果て」をかけて、(西日の射す夕方のBBQに)「合うわー良いわー」なんてい良いながらみんなで歌っていた。
最近音楽番組で「歌詞にとっても共感する!」とか、「切ない歌詞がどうちゃらこうちゃら」とかよく言われるのを見るけど、あまりそういう感覚で音楽を聴いた事は無かった。
自分の場合メロディーの中に文章が瞬間瞬間でポツっと出てきては消えて行く、瞬間の一言、一語、1フレーズにかっこよさを感じ好きになる事が多く、全体を全て眺めて曲の善し悪しを考えた事は無かった。
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電話が来たのは突然で、夜の新宿にいた。知らない電話番号は普段から出ない癖がついているのだが、
なぜかたまたまそのときは電話に出た。
彼女の母親からの電話だった。僕はすぐに其の声で気付いた。一度家に御邪魔させて頂いた事があったからだ。
独特の東北訛りがすぐに彼女の母親だという事を僕に思い出させた。
「宇佐美さんですか、娘がいつもお世話になっております。」
「こちらこそお世話になっておりますご無沙汰しておりますー。突然どうかなさいましたか?」
一瞬の間があった。
こういう突然のときは何か不吉な事を考えてしまう癖が有る。
「。。実は娘が亡くなりました。」突然電話の向こうで泣き崩た。
僕はどうして良いか分からずひとまず「落ち着きましょう」と言った。
嘘か夢か冗談かと思った。でもお母様は電話越しでも本気の感情が伝わってきたし、
3回の階段から前を見上げても新宿の町並みは変わって居なかった。
「どうやら本当の事なんだなぁ」と彼女の母親が泣いている声を耳で聞きながら頭の上で反芻していた。
「娘の携帯電話の暗証番号が分からなくて通知する人が分からず、全ての式がばたばたと終わってようやく連絡帳ひらけました。そこで”宇佐美”はあの宇佐美さんだと思ったので、連絡差し上げた次第です」
大学関係で唯一僕だけお母様は知っていたらしい。(彼女の卒業振り袖の写真を実家に送付していたためだろうか)
ひとしきりお母様と話して電話を切った後、大学関係、彼女と交友があったの友人に片っ端から電話をかけ続けた。
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先週既に骨になった彼女に会いに行った。お母様からの話を聞いて、僕らも彼女の話をして、終始明るい会となった。3時間以上居ただろうか。
帰りに6人みんなで音楽を聴きながら帰った。
ナンバーガールのラストライブをかけたので音量を上げて盛り上がり、彼女と3人で部室でラストライブのDVDをプロジェクタで爆音でかけたよねー、と友達に話した。
その後、BBQで(6人中4人は9月はじめのBBQで会ったのが最後だった)なに曲かけてたっけー。すごく良いわー!!って彼女がいってた曲があったよねと思い返し、そうだと言って「悲しみの果て」を首都高の車内でかけてくれた。
http://www.youtube.com/watch?v=0WZu7L7Hjds
悲しみの果てに何があるかなんて
俺は知らない
見た事も無い
唯あなたの顔が浮かんで消えるだろう
ここまで具体的に目に浮かぶように、言い当てられる感覚を体験した事はなかった。身震いがした。
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もう式も終わってからお母様から連絡をいただいたので、彼女の最後の顔を見る事は出来なかった。
だからかは分からないけれど、とにかく現実味が無い。「彼女の死を受け入れたく無い!」とは思わない。
只只リアリティが無いのだ。
またふらっと「うさみく会おうよ飲もうよー」なんて具合に連絡がくる気がして。
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死とは何かと考える。
彼女を見れば彼女を見る事が出来る。
お墓に参れば彼女に話しかけられる。
彼女と夢の中で対話する事も出来るかもしれない。
彼女からもらったシャツもある。お守りもある。彼女を感じる事が出来る。
でも絶対的な事実は、「もう二度と会えない」
という事だ。いくら彼女の事に思いを馳せても、彼女の事を考えても、彼女にメールをしたとしても、手紙を書いたとしても
二度と会えないという事だ。
僕はこれから彼女の事を思い出し、彼女の写真を見て、彼女に思いを馳せ、もう会えないという事実を噛み締めながら少しずつリアリティを感じて生きて行こう。
大事なのはこの今生きて居る世界で彼女の死を感じつつどうやって生きて行くかであって。彼女に添い遂げることではない。
彼女に会えないのは本当に悲しいし、寂しい事だ。
もっと愚痴こぼして欲しかったし、また一緒に飲みたかったし、もっともっと沢山の写真を撮りたかった。
もう会えない。けど其れを背負って楽しく生きて行こう。人生楽しもうぜーっ。
五味田、本当にありがとう。大好きだよ。僕の青春はあなたです。
コンパクトカメラの話
運命の出会いをした。
学生時代(正確に言うと大学二年生の夏頃から)の8割以上を僕はHEXARというカメラで撮影してきた。
一応所謂コンパクトカメラの位置づけだが、大きさ重さ的に "オートフォーカスのレンジファインダーカメラ” だ。
大学二年の時、大阪のカメラマンさんの影響で今はもう無い新橋の中古カメラ屋で買った。そのときはまぁまぁ綺麗な状態だった。
扱いが粗雑なため今現在はボロボロになっていて、ファインダーアイピースは消息不明、ファインダーをのぞくと大きく斜めに傷が入っていて、軍幹部のHEXARやらMFの文字も禿げている。底の部分はエグり削られ骨組みが露出しているし、レンズ下も叩き付けられてまるで戦場カメラマンが持って行ったようになっている。
一回X接点部の基盤が露出し(接点の配線どうにもならないから切り落とした)、さらにシャッターボタンがきかなくなって修理に出した事もある。(結構高い値段だった)
仕事も辞めて物欲に走り新しいカメラが欲しくなり、今もヘキサーの調子があまり宜しくは無いため新しいコンパクトカメラを買おうか悩んでいた。
僕の欲しいコンパクトカメラの基準はフラッシュが付いてフィルムは自動巻き上げ、日付焼き込み機能、焦点距離が35mm前後が最低条件で、かつ絞りを自分で操作出来たらというのが良いなという感じ。
そうすると必然的に限られてきて、CONTAX T2,CONTAX T3,FUJI KLASSE,あとはヘキサーを考えていた。
富士フィルムのクラッセが生産終了しているが一番最新なので其れも良いかなぁと。T3今中古で7万以上するし。でもやっぱり愛着も有るし写りも兎に角好きなヘキサーも頭の中にずーっとちらちら。オークションでも状態普通で3万円前後。
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昨日池袋に用事があり、数年振りに昼間に出向いた。友人と服を買いに行こうという話になって。彼女は基本遅れてくるので(慣れてる)某カメラ屋を見に行った。池袋の昼間は本当に久しぶりだった。
中古カメラを拝見していると突如、そこにHEXARが置いてあったのを確認した。やっぱり良いな、お店の人がヘキサーの紹介もしている。店員さんも愛着のあるカメラなんだろうな。
しかし綺麗な個体だなと思って見てて、値段の横のポップをみたらまさかの新品。しかももちろん新品の純正ストロボとケース付き。
その日新宿でやはり長く使って行きたいという事でレンズフードとフィルターを買ったばかりだった。
店員さんに伺うと二ヶ月前に店舗の倉庫から5台「発掘」されたらしく、ぽつぽつと売れて残り最後の一台だそうで。ここ数年置きっぱならわかるが、本当にここ最近入って売れて行って、最後の一台。
中古カメラ屋でも「新古品」(新品に限りなく近い中古品)が年に1回、いやいや、数年に一回出れば良い方だろう。というかそもそも2年程生産して20年前に生産が終了しているカメラの「新品」が手に入る事はもうこの先相当なタイミングに恵まれないと出会わないだろうと思った。
自分の学生時代を切り取った8割以上がこのカメラで。
このカメラでしか出来ない被写体とのペース、空気感が有る(と僕は信じている)。
社会人になってからも幾度となく使ってきた。
いろいろこのカメラの事を考えていた時期に最高の状態の物が目の前に合ったので腹をくくって購入。
人との出会いで運命を感じる事は有るけど、カメラとの出会いでここまでドキドキしたのは初めてだった。
あまりにも使いすぎてカメラの基準がヘキサーになってるところが有る。そのくらい親密に関わってきた。
というか、数少ない愛着の湧く機械なんだよなぁ。
あたまんなかグワーーーってなった。この出会いは本当に運命だったんだなぁと感じた。本当にこのカメラを僕は好きなんだと思った。
大事に使います。ひとまず今既存の愛機を使い倒します。
忘れられない愛おしい物に思いを馳せていたら良い事って有るのね。
だから頑張って働きますそうしよう(KANENAI)。
好きな事に素直に貪欲に。
2013.5/26-27 高円寺
久方ぶりに不健康ズで飲んだ。
【不健康ズとは】
[未野]
http://ameblo.jp/miya38miya/
[宮本]
http://d.hatena.ne.jp/shitisan/
そして私
[usamiryo]
による三人組。みんな何かしら不健康だから不健康ズ。
仕事終わりに高円寺へ。22時過ぎに合流。
この後終電まで宮本に
「てめぇ最近マジつまんねぇ!!」
の罵声をひたすら浴びせられるのだが、
これがまぁ頭の中で反響して痛い痛い。
今の仕事に就いた理由をもう一度考えてみよう。
自分にとって何が気持ちいいのか。心の底から震えるのか。楽しさを感じられるのだろうか。
「好きな人や物が多すぎて見放されてしまいそうだ」と椎名林檎は言っていたけれど、
経験していない快楽が多すぎて、其の全てを飲み込んで噛み砕いて排泄したいと思っている。常にだ。
けれど自分の時間は限られていて、自分が世の中で経験しない事なんて圧倒的に多いわけで。
快楽の傾向は考える事が出来る。自分の経験の中で何が心底良かったのかを思い返してみよう。
写真が好きだ。
音楽が好きだ。
人間が好きだ。
乗り物が好きだ。
人の写真を撮るのが好きだ。
音に陶酔するのが好きだ。
人間と関係するのが好きだ。
自分の体の一体となって乗り物で移動するのが好きだ。
その人の内面を捉えるのが好きだ。
音にまみれてどうにかなりそうな状態が好きだ。
人ととことん話し合って、共鳴する事が好きだ。
後ろの景色が遠くかすんで見えなくなって行く感覚が好きだ。
不健康ズとして会うのは本当に久しぶりだったのだけれども、とても居心地が良い。
さらに、相手に対して「しなければならない」(気をつかうだったり無理をすることだったり)が無いのがまた良い。
勿論無理してやらなければならない事も多々在るけれども其れとは別で、精神的に無理する必要が無い。
これは自分の中でもなかなか稀な関係で、
友人として何でも話せることは勿論、それ以上の関係なのだ。特別なのだ。
宇佐美自身がが思う”本当に楽しい、嬉しい、気持ちいいってなんだ?”を引っ張りだしてくれる。
底の底から引きずり出してくる。
そういう力が彼らにはある。
26-27日の高円寺ではそんな感覚が確かにあったんだ。
仕事やらプライベートやらで顧みる作業がなかなか出来てないけれども、
また自分の中に穴が空いている事に気づいた。気づかされた。ハっとした。
埋めていこう。
好きな事に貪欲に行こう。
好きな事に素直に貪欲に。
思い返してみると、そういう状態の自分が自分は一番好きだと思う。
常に自分の事が好きな自分で居る事はとても難しい。
好きな事に素直に貪欲に。
環境と考え方の変化
今年は環境が大きく変化している年です。
正確に言うと2012年の後半からだけども。
大学時代に考えていたのは自分の幸せの尺度は人間関係で。
毎日のように時間を作っては、仕事終わりに友達に会いに行って酒を飲んで語り合ったりしていた。
勿論其れは十二分に大切。なんだけれどもどうしても自分一人の時間は少なかった。
其れが悪い事だとも思っていない。
今の職場は前にも書いたけれども基本的に前日になるまで予定が分からない。
明日休みなのか今日の夜までわからない。
必然的に職場以外の人と会って食事や語らったり、いろんな事をする時間が極端に減っている今日この頃。
いい時期だよと彼女は言った。
確かに自分の時間は増えるし、沢山考える事も出来るから良いよね。よいよい。
ただし、まだ(自分の中で)他人との時間にどっぷりハマっていた時間が無い自分に慣れてないのが実情。
やっぱり寂しさだったり満たされない感じは在る訳で。
其れをどうやって自分の時間の中で満たして行くかが今年の重要課題だな。
ぼちぼち慣れていかねば。
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- キリトリ---------------------
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というわけで幸せの本質を考えて大学の卒業論文で発表し、
大きくは良い人間関係が継続している状態が幸せだという結論になった訳ですが、
其れがただの寂しさの埋め合わせだとは思わないけれども、
その概念も(ほかにも沢山の満たされ方があるよねー的な)変わってくる訳で。
そんなわけで現在卒論の続きを書こうとしていて、近日発表する予定なのですがまー書けないです。
完全に手詰まり。
そんな感じ。
宜しくお願い致します。
2013年になりまして、思った事吐き出せる場所が欲しくてブログ始めました。
SNSでいうとmixi全盛期が終わり、twitter、facebookにかなりの数流れて行った昨今。
インターネット上で発言をする際に、
twitterでは自分が発言した事が排泄物の用に下の方下の方に流されてしまいすぐに消えてしまうし、
facebookに関しては身内ノリになり易い印象です。
かるい近況報告程度にしか受け入れてもらえないイメージがどうしても強い。
発言もインスタントになりやすく「軽さ」が目立ってしまいました(自分自身でも)。
其れが悪い事だとは思わないけれども。
何か言いたい気持ちやら
考えたい事が会ったときに、
twitter,facebook等のSNSでは満足しきれないもどかしさというのが在りました。
と、いうわけで今後は不定期ですがこちらにも吐瀉して行こうと思います。
宜しくお願い致します。