地方都市の問題と限界集落の問題(その2)

昨日の続き。

地方都市の問題

ここ数十年のあいだに無計画に拡大した「郊外」は、住民が自動車で移動することを前提に形成されている。郊外型の大規模店舗にしろ、田んぼや畠、山林をつぶして広がる住宅地にしろ、車なしでは考えられない。おそらくはアメリカのライフスタイルをモデルにした、自動車の存在を前提にした街づくり、地域づくりが、特にここ20年から30年くらい進められてきた。

そうした政策の結果、鉄道など公共交通網の衰退は著しくなっていく*1。中心市街地の衰退も、この文脈の中で捉えることのできる問題だろう。現在問題とされている「無駄な道路」の話は、街づくり、地域づくりという観点から言えば、こうした政策の失敗をどうするのかという話なんだろうと思う。

こうした政策の失敗は、70年代の田中角栄以来繰り返されてきた景気対策としての公共事業政策と、90年代の規制緩和の流れとが、奇妙に混じり合った結果ではないかと僕は考えている。道路問題といえば、前者の政策が問題とされることが多い。けれども地方を果てしない「郊外」の広がりへと変容させたもう一人の犯人は、新自由主義にあると思う。

20年近く前に「ガイアツ」を利用しながら盛んに規制緩和を唱えそれが実現した結果、田んぼや畠はどんどんつぶされて郊外型の大型店舗や宅地開発が進められた。そうした規制緩和を唱えていた人々は、明らかに現在の新自由主義系譜に連続しているはずなのに、それが今ではコンパクトシティなんてことを言い出している始末だ。

コンパクトシティという考え方自体には僕は賛成だ。自分の住んでた地方都市も、その方向に梶を切った社会整備を進めるべきだと思っている*2。だが、新自由主義者景気対策としての公共事業政策に問題があったことを声高に批判するのならば、たかだか20年前に自分たちが旗振って進めてきた規制緩和の挙げ句、地方都市が「郊外」の果てしない広がりとなり、かえって社会的コストが高くなってしまったことを自己批判すべきだ。

限界集落の問題

けれども、限界集落の問題は上記のような地方都市の郊外化の問題とはだいぶ異なっている。

1960年ごろからの高度経済成長において、都市部では大量の若年労働者を必要とした。江戸時代以来あまり社会的インフラに頼らず自律的に営まれていた辺鄙な村からも、その村の営みを担うはずだった若年層が数多く都市部へ流れていった。過疎化の問題が深刻化したのはその頃で、戦前や戦後に林業のため開かれた集落の多くは、その頃廃村になったようだ。こないだ雪山で遭難したスノーボーダーが難を逃れたのも、その頃廃村のため廃校になった「旧広見小学校」の廃校舎だそうだ。

しかし今「限界集落」と言われているところは、高度成長期をなんとか乗り越えた、もとはそれなりの規模の本村規模の集落だったのだろうと思う。そうした村は、高度成長で働き手を奪われ、村としての自律的な営みが難しくなっていく。80年代にはいったん過疎化の動きは沈静化するが、90年代には不況で仕事もなくなって村の労働年齢人口はさらに減少、過疎化の動きは加速し、祖父母世代の高齢者だけが残される限界集落化していった、という流れだと思う。

こうした村では、おそらく「都会に収奪された」という意識が強いのではないか。自分たちのコミュニティの主要な働き手を都市部に取られ、都市部が経済的な繁栄を謳歌しても自分たちの村には恩恵が及ばない。一方でこうした限界集落に住む高齢者は、そこで生まれそこで死ぬというライフサイクルの中で生き、そして老年期を迎えているために、「不便なら移住すれはいい」という選択肢はおそらく最初から持ち合わせていないだろう。

首都圏でしか暮らしたことのない人にとって、生まれてから死ぬまですっと同じ土地で暮らすということには、あまりリアリティを感じられないかもしれない。たとえば八王子から杉並に移住するなんていうのは、単に個人の生活や好みに合わせた移住でしかない。それは居住地における地域的なコミュニティが希薄であり、経済的な理由で居住地を変えることが容易だからだろう。

けれども今限界集落化している村は、単なる居住地ではなくそれ自体がコミュニティであり、移住というのは大げさに言えば、これまで自分が暮らしてきた社会からの離脱を意味するのだと思う。しかもそこに住まう高齢者は、多くの人が都会に出てしまうなか、故郷に残って村としてのコミュニティの維持に尽してきた人々である。もうさほど残されていない時間をどこで過ごすのかがきわめて重要である高齢者にとって、国家財政・地方財政が逼迫しているから限界集落を引き払えなんていうのは、人権無視も甚だしい暴虐な政策にしか映らないのではないか。

僕が限界集落消滅促進論に強烈な違和感を抱くのは、その点だ。

人は経済的なメリットだけで住む場所を決めているわけではないし、そう簡単に移住ができるわけでもない。「居住の自由」と言っても、そもそも僕らは生まれるところを選べない。「移住」は、相当に負担のかかる行為なのだ。権利としての「居住の自由」は十分に保障されるべきだけれど、経済的な観点からのみその「自由」や移住の合理性をとらえるべきではない。

何にお金を使うべきか

景気対策それ自体を目的として道路を造っていったからこそ、無駄な公共事業が問題だったわけで、その批判は有効だと思う。雇用それ自体を目的にお金を使うべきではない。また、高度成長期から90年代ごろまでに無計画に拡大した「郊外」に多くのお金を費やすのもやはり無駄で、もっと市街地の集密化を図るべきだと思う。

けれども今限界集落化している地域は、明らかに日本の社会政策に振り回されるなかで衰退していった地域だ。もちろんある程度それはやむをえない流れではあるけれど、それを積極的に推し進めなければならないほど、日本は貧しい国家なんだろうか。東京の繁栄や景気対策で建設される高速道路などを見るにつけ、否であると思わざるをえない。

こういう村に、これから多大な社会資本を整備する必要はないけれども、これまで整備してきた最低限の社会資本を維持するくらいのことは、やってもいいんじゃないかと思う。どでかい高速道路や新幹線を一本作る金があったら、村に通じる道を維持することくらい、なんてことはないだろう。

数百年ものあいだ維持されてきた村を、10年や20年かそこらの短いスパンで消滅にもってってしまうような政策こそ、亡国の政策であるように、僕は感じる。

*1:もちろん国鉄の地方路線の赤字拡大は「我田引鉄」の問題などさまざまな理由があるだろうけれど、地域の交通が自動車にシフトしたことは社会的な理由として大きいだろう

*2:正直なところ鉄道まで引いちゃうのは相当無理あるとは思うけれど。

ソウルの南大門焼失。

http://www.asahi.com/international/update/0211/TKY200802110015.html

10日夜出火したソウル市の「南大門」(崇礼門)は、木造二層構造の楼閣のうち、一階部分のごく一部を残して全焼、崩壊した。韓国大手朝刊各紙が一面トップで火災を伝えるなど、韓国社会は600年の歴史を持つ国宝第1号の焼失に強い衝撃を受けている

驚いた。あの建物って韓国のシンボルのような建物の一つではなかったの?しかも14世紀末の建立。この時代の研究をやっている人間としては、同時代の他国の文化財の消失にはとりわけ胸が痛む。早くも復元するという方向性が示されているようだが、性急な外観復元にとどまるのではなく、慎重な完全復原を求めたい。