Hatena::ブログ(Diary)

うさうさメモ RSSフィード Twitter

2015-12-26

「ダメな科学」を見分けるための大まかな指針」のポスター解説(4)推測表現 (おまけ:「科学的風だけど実は科学的証拠ではないもの」の例)

5.推測表現(難易度☆☆)

研究結果からの推測は、まさに、単なる推測でしかありません。「〜だろう」「〜かもしれない」「〜の可能性がある」等の言葉には警戒しましょう。このような表現が用いられている場合、研究によって、その結論の確かな証拠が得られているとは考えにくいからです。

対処法の例:「今わかっていること」と推測は分けて考える。科学では一つ一つのステップを踏んで証明していくが、報道や広告ではしばしば数段飛ばしの推測がなされていることを念頭に置いておく。



f:id:usausa1975:20151226095458g:image:w640


科学記事の例

昨今論文として発表されるような科学研究の成果というのは、専門外の者からはその意義がわかりにくいことが少なくありません。科学研究というのは、はるか遠いゴールに向けて、一歩ずつ、地道に進んでいくものです。一歩=一つの研究の結果と考えると、その歩幅-つまり、研究の進み方-はとても小さかったりします。一般のメディア報道されるような研究成果はその中でも比較的大きなもの(または重要なもの)でしょう。それでも、多くの人が考えるより、一つの研究で明らかになることは少ないものです。かなり適当ですが、モデルとして、「疾患Aの治療薬ができるまでの研究」をイメージして、例を考えてみました。

[研究1(Aという疾患がある)]

[研究2(Aになる人には共通の遺伝子Bに変異がある)]

[研究3(遺伝子Bはある物質Cの代謝に関わっている)]

[研究4(Cは体内の特定の細胞Dに蓄積する)]

[研究5(培養細胞では、DにCが蓄積すると本来作られるはず物質Eが作りにくくなる)]

[研究6(Aを発症した人では細胞D内の物質Eが少ない)]

[研究7(Aを発症するモデルマウスを作り、物質Eを与えてもAは改善しなかった。物質Eは細胞Dに取り込まれる前に分解されていた)]

[研究8(物質Eを少し変化させた物質E'をモデルマウスに与えたところAに効果があった)]

[研究9(E'がヒトでも効果があるか、安全に使えるかの臨床試験)]

[研究の目的(疾患Aの治療薬の完成)]


こんな感じで、一歩一歩進んでいきます(これでも実際にはあり得ないほどスムーズに進んでいるし、ステップを端折っています)。

一般のメディア報道では、科学に詳しくない多くの人の興味を引き、「この研究の結果からなにが言えるのか」が理解できた、と感じさせることが必要となります。で、よくあるのが、「実際の研究成果からかなり遠いゴールを強調して書く」方法。例えば[研究6(Aを発症した人では細胞D内の物質Eが少ない)]の段階の報道がこんな感じに書かれたりします。

「疾患Aの発症メカニズムを解明-疾患Aを発症細胞D内の物資Eが関与していることが研究により明らかになった。Eは疾患Aの治療薬として利用できるかもしれない」

この場合、「Eは疾患Aの治療薬として利用できるかもしれない」というところに推測表現が使われています。間違ってはいないけど、なんかちょっとずれてる感じがしませんか*1? もちろん、この研究は最終的に疾患Aの治療薬の開発に結びつく、ということがわからなければ、研究の意義自体が伝わらないのですが、実際にはまだまだそのゴールには程遠いところでこういった推測表現が使われてしまうことには注意が必要です。この例ではEを直接投与するのでは効果がなくて、すこし変えた化合物E'には効果があった、ということになっています。もしE'を使うことを誰も思いつかなかったら、あるいはE'が合成不可能だったら、またはE'には効果があったけど副作用が大きくて人の薬として使うことが難しかったら…、疾患Aの治療薬ができることはありません。実際、「病気のメカニズム解明」から実際に安全で効果的な薬が開発成功するまでには膨大な時間(10年以上)が必要で、新薬開発プロジェクトの成功率はわずか4%という低確率なのです。

こういった報道自体は、「その問題に詳しくない人に意義をわかりやすく伝える」というメディア特性上、(特にすぐに成果が応用に結びつかない基礎研究では)仕方がないことなのかもしれません。しかし、疾患Aに苦しんでいる人にとっては、「ゴールまでの距離」はとても大きな意味があります。また、疾患Aを持つ人に対して何かを売りたい人たちに利用される可能性もあります。これについて次に詳しく述べます。



健康食品等の広告の場合

健康食品や健康法の広告の場合、目的は通常の報道とは異なり、「自分のところの商品を売るための箔付けがほしい」というところにあります。ですから、科学的にはかなり根拠が薄くても、「科学的に証明されている」と断言してしまうことがあります。この場合、「推測表現」ですらなくなってしまうこともありますが。

上記の例で言うと、たとえばこんな例が考えられます。

  • [研究3(遺伝子Bがある物質Cの代謝に関わっている)]から→「物質Cが疾患Aの原因だった!物質Cは××という食物に含まれているから食べてはいけない」と言う

(確かに物質Cが疾患Aに関わっているかもしれませんが、食べたCがそのまま体内で働くかどうか、またAの原因となりうるのかはわかりません。また、Cは他のところで必要不可欠かもしれません)

  • [研究3(遺伝子Bがある物質Cの代謝に関わっている)]から→「物質Cを分解する酵素を食べましょう!」と言う

酵素タンパク質であり、体内に吸収される際にバラバラに分解されてしまうため、食べても体内では働けません)

  • [研究6(Aを発症した人では細胞D内の物質Eが少ない)]から→「物質Eの不足が疾患Aの原因であることが証明されています。新聞でも報道されました。A予防に、Eをたくさん含む△△を食べましょう!」という

(E自体を食べて効果があるかどうかはこの時点では不明、後の研究でEそのものは効果がないと分かる)



では、「科学的な根拠が弱いか、強いか」をどこで見分ければいいのか?これは、科学研究に馴染みがなければ、なかなか、というか、かなり難しい問題です。この連載、次回以降はすべて「科学的な根拠の強さをどう見極めるか」という話になります。今回は、一見「科学的」風であっても、「そもそもそれ『科学的証拠』ちゃう」というのをいくつか挙げてみたいと思います。

  • 「○○の専門家××氏も推奨!」

専門家」にもいろいろな人がいます。例え医師免許を持っていたり、「理学博士」や「なんとか大学名誉教授」の肩書があっても、本当にその分野の専門家として責任を持った発言や行動をしているかどうかはわかりません。専門分野でまっとうな業績を上げるよりも、健康食品やあやしい独自治療で儲けることを生業としている人もいます。また、まっとうな専門家が経験や知識に基づいて「これはいいかもしれない」と考えていたとしても、「科学的根拠」にはなりません。専門家であっても、未知のことについて推測する場合は「仮説」でしかないのです。「○○の専門家」が考える「仮説」が必ず当たるなら、世の中の研究はどれも全部うまく行くということになります。どの研究もその分野の専門家が考えた「仮説」を証明しようとしてやるわけですから。「専門家のコメント」と言っても、専門家同士では広く知られた既知の事実について述べるのと、未知のことについての「仮説」は区別する必要があるのです。これの変形版として「医師(またはその家族)に使いたいかどうかアンケートを実施」というのもあります。これももちろん、「科学的根拠」とは言えません。

Q4「専門家」「博士」「研究者」が言っていたのですが…?
A 「専門家が言っていた」ことが必ずしも科学的な裏付けにはなりません。情報の発信者がたとえ専門家であっても、その情報が「その人1人だけが主張していること」であったり、論文報告がなかったり、再現性が確認されていない、という場合もあるからです。通常「科学的根拠」とされる情報は、学術論文として既に発表されているもので、かつ、多くの科学者によって再現性の確認や多角的な評価がなされているものです。また、テレビや雑誌などマスメディアを通しての発表であれば、そこには必ず「編集」という第三者の手が加わっています。専門家の示す内容が正確に伝わらない可能性も考えられますので、これも科学的根拠とするには不十分です。


学会発表」は、学会員であれば誰でもできます。学生が卒業論文修士論文に書くような内容を(指導教官の指導の元にではありますが)発表することもありますし、学会によってはときどきかなり奇妙な内容の発表が行われることもあるそうです。学会発表は、通常論文として発表する前にしますので、詳細なデータを出すわけでもないし、内容を事前に審査するわけでもありません。

Q8
学会発表」と「学術論文」の違いがよく分からないのですが。


学会発表学術論文も「研究の成果を公表する」という点では同じものですが、このうち科学的根拠となりうるのは、「学術専門雑誌に掲載された論文」に限られています。

  • 学会発表…研究成果を発表したい者に平等に開かれている場で、学会員であれば誰でも (論文を書いていなくても) 発表できます。一般的に学会への入会や研究発表に厳密な審査などはありません。
  • 学術論文…研究成果を書きたい人は誰でも (学会発表をしていなくても) 書くことができますが、書いた論文を公表するには、専門誌に投稿して掲載されることが必要です。掲載に当たっては、各分野の複数の専門家が個々の論文内容 (実験方法、結果の解釈、記述内容など) を審査し、掲載する価値があるかどうかを判断しています (査読といいます) 。従って「専門誌に掲載された学術論文」は、査読によってある程度の客観的な評価がされたものと解釈できます。

専門誌に掲載された論文は、データベース (PubMedなど) にも蓄積され、多くの科学者に参照・引用されながら繰り返し評価をされます。これが次の研究へとつながり、膨大な研究成果が蓄積・共有されていきます。自然科学の分野では、一つ一つの研究から得られた結果を事実としてとらえ、再現性のある研究情報を積み重ねることで「より真実に近い情報」がつくられていきます。このようなことから、「学会発表のみの研究」や「専門誌に掲載されていない論文」は審査・参照・引用などされる機会が少ないため、客観的な評価が不十分である可能性があります。


実は、特許の審査では「科学的に妥当かどうか」とか、再現性があるかどうか、データにどこまで信ぴょう性があるか等は問われません。科学的には、「特許を取得している」ということはなんの証拠にもならないのです。

Q6
特許番号は科学的根拠ではないのですか?

特許番号は科学的根拠にはなりません。特許とは、前例のない技術、発明、アイデアなど (の発明者) に対して政府が一定期間の独占権を保証するものです。科学的な発明に対して特許が与えられることはありますが、特許をとっていることが科学的であることの証明にはなりません。


動物実験で効果が証明されても、ヒトで同じように働くかどうかはまた別です。

Q5
細胞や動物の実験で効果が証明されているようですが…?

食品の有効性や安全性を評価するには、通常「試験管内での実験→動物実験→ヒトでの試験」と3つの段階的な実験がありますが、それぞれ以下のような問題点があります。
・試験管内での実験…その研究結果が体内でも同様に再現されるかどうかわからない。
・ ネズミなどの動物実験…ヒトとネズミの違い (種差) があるため、その結果をヒトに直接当てはめることができない。動物実験だけでは「ヒトが食べても大丈夫な量」の推測には不十分である。
・ヒトを対象とした実験…各個人の体質等の違い (年齢、性別、遺伝的要素) 、食習慣など、種々の要因によって影響の受け易さが異なるため、必ずしも多くの人に適用できるとは限らない。

ヒトでの実験は、倫理的・コスト的な両面で最も実施が困難な研究ですが、科学的根拠として実生活に最も必要なのは、ヒトでの試験結果と考えられています。なぜなら、食品は人間が口に入れて食べるものなので、有効性だけでなく安全性まで確認しなければなりません。そのためにはヒト試験の結果が必要だからです。


こちらのページが非常に参考になります。

だいたいのばあい、このような広告に使われる「科学的根拠」は、書かれていることがそれまでで最上の証拠、です。当然のことですが。ですから、書かれている「科学的証拠」が弱ければ、それより先に進めない程度の根拠しかどうがんばっても得られなかったんだ、くらいに考える必要があると思います。もちろん、中には今後実際有望であることが示されるものがない、と断言することはできません。しかし本当に有望であれば、研究の種を常に探している研究者たちや、新薬の種を常に探している製薬業界が目をつけない訳はなく、現実的な効果があれば、それが証明されて実用化されるでしょう。それまで待って、他のもっと根拠の強いもの(普通に病院で受けられる標準的な医療など)にリソースを割いたほうが賢明なのではないでしょうか。

*1:大きな流れの中のほんの一部が明らかになったことを「○○の仕組みを解明」と断言するような表現が一般向けメディアに多くてうさじまはいつも違和感を感じています