ハキダメ記

読書録(主にキリスト教関連)

「よりよき世界を求めて」第一四章

「よりよき世界を求めて」(カール・R・ポパー著/小河原誠・蔭山泰之訳 未来社 1995年刊)
Auf der Suche nach einer besseren Welt by Karl R. Popper(1989年刊)

よりよき世界を求めて (ポイエーシス叢書)

よりよき世界を求めて (ポイエーシス叢書)

要約

第一四章 寛容と知的責任(クセノファネスとヴォルテールからとられた)

当該部分は、著作権法に触れる可能性があるため、削除しました。(2017.11.11)

感想

 さいきん私は、スタンダールの『赤と黒』をブックオフで入手し、チマチマ読み進めているのだが、その中で、ヴォルテールカトリック教会から疎んじられている人物として描かれている。その厄介者ヴォルテールが、この章の重要人物なのだ。
 ヴォルテールは「啓蒙には寛容な態度が必須である」と説く。つまり、啓蒙とは、「確かな知」とは関係なく、「不確かな知」よって生じる「過ち」を許しあう「寛容」な態度にあるというのだ。

 不確かなもの、未熟なものを受け入れるには、忍耐と、何より愛が必要不可欠である。一方、確かなもの、輝かしいものを受け入れるのに、忍耐も愛も必要ではない。必要なのは、それを所有するための努力である。

 私たちには、「確実なもの」を自分たちの「所有物」にしたいという願望があるのかもしれない。確かなものを手にすることによって「権威」になりたいという願望が。
 この点において、教会の批判者であった啓蒙主義者ら知識人も、教会の権威主義にはそのまま倣ったといえる。
 聖職者は「洗礼」という印を与える「権威」であった。そして、知識人もまた、「確かな知」という印を与える「権威」となることを望んだ。

 私がよく読んでいるブログで、このヴォルテールの「啓蒙とは寛容である」といった言説がとりあげられていて、それによって、この本とポパーに興味を持ったのだが、実際読んでみて、共感する部分が多い。
 私もまた、漠然とした権威主義の環境で育ってきたので、私自身も権威主義的態度をとりやすい。しかし、そういう態度では、知的にも信仰上でも「自己欺瞞」や「独善」が生じてしまうと思う。
 確実な真理の側に立って、自分自身や他人を引っ張り上げようとするより、不確実な人間の側に立って、真理に近づいていく方が「正直」に育っていくことができる、と私は思う。こうした思いが、ポパーに通じるものがあると思って、私は勝手に共感している次第なのである。

赤と黒 (上) (新潮文庫)

赤と黒 (上) (新潮文庫)