「よりよき世界を求めて」第一四章
「よりよき世界を求めて」(カール・R・ポパー著/小河原誠・蔭山泰之訳 未来社 1995年刊)
Auf der Suche nach einer besseren Welt by Karl R. Popper(1989年刊)
- 作者: カール・R.ポパー,Karl R. Popper,小河原誠,蔭山泰之
- 出版社/メーカー: 未来社
- 発売日: 1995/12/01
- メディア: 単行本
- 購入: 2人 クリック: 18回
- この商品を含むブログ (38件) を見る
感想
さいきん私は、スタンダールの『赤と黒』をブックオフで入手し、チマチマ読み進めているのだが、その中で、ヴォルテールはカトリック教会から疎んじられている人物として描かれている。その厄介者ヴォルテールが、この章の重要人物なのだ。
ヴォルテールは「啓蒙には寛容な態度が必須である」と説く。つまり、啓蒙とは、「確かな知」とは関係なく、「不確かな知」よって生じる「過ち」を許しあう「寛容」な態度にあるというのだ。
不確かなもの、未熟なものを受け入れるには、忍耐と、何より愛が必要不可欠である。一方、確かなもの、輝かしいものを受け入れるのに、忍耐も愛も必要ではない。必要なのは、それを所有するための努力である。
私たちには、「確実なもの」を自分たちの「所有物」にしたいという願望があるのかもしれない。確かなものを手にすることによって「権威」になりたいという願望が。
この点において、教会の批判者であった啓蒙主義者ら知識人も、教会の権威主義にはそのまま倣ったといえる。
聖職者は「洗礼」という印を与える「権威」であった。そして、知識人もまた、「確かな知」という印を与える「権威」となることを望んだ。
私がよく読んでいるブログで、このヴォルテールの「啓蒙とは寛容である」といった言説がとりあげられていて、それによって、この本とポパーに興味を持ったのだが、実際読んでみて、共感する部分が多い。
私もまた、漠然とした権威主義の環境で育ってきたので、私自身も権威主義的態度をとりやすい。しかし、そういう態度では、知的にも信仰上でも「自己欺瞞」や「独善」が生じてしまうと思う。
確実な真理の側に立って、自分自身や他人を引っ張り上げようとするより、不確実な人間の側に立って、真理に近づいていく方が「正直」に育っていくことができる、と私は思う。こうした思いが、ポパーに通じるものがあると思って、私は勝手に共感している次第なのである。
- 作者: スタンダール,小林正
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1957/02/27
- メディア: 文庫
- 購入: 3人 クリック: 31回
- この商品を含むブログ (56件) を見る