記識の外 このページをアンテナに追加 RSSフィード

記識(きし)…… 書きつける。記しておく。

外(そと)…… 表に現れた部分。表面。外面。

1977 | 02 |
1982 | 01 |
2001 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2002 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2003 | 01 | 02 | 04 | 05 | 06 | 08 | 09 | 10 |
2004 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 11 |
2007 | 06 |

2002-03-22

[]追悼:千野榮一

和光大学の前学長にして、日本を代表する言語学者の一人であった千野榮一が19日深夜に亡くなった。

学長としての態度や振る舞い等に関しては全然評価していないのだが(というか学祭に時間制限を課したのがこの人だったし、学生への締めつけが千野さんの代から急激に厳しくなった。そのせいで対立したこと数知れず。和光の学長としては最悪の部類に入る人だろう)、学者としては一流の人だった。僕も講義に出てレポートを提出したし、希有な語学力を活かして言語の広さと多様性を説く千野さんの講義は僕にとっては面白かった思い出がある(もっとも晩年の千野さんは講義中同じ話を繰り返すことも多かったが)。1996年講義の段階ではアルメニア語を修得している最中だとかで、その独特の発音の難しさなんかについてよく講義中に語っていた。また、ピジン英語やクレオールの話なんかもちょくちょくしていたっけ。

千野さんはソシュールからヤコブソン、バンヴェニストへと至る記号論的言語学こそが言語学の中核にあるべきだ、と考えていたようで(とくにヤコブソンの音韻論)、生成文法論を基本とするチョムスキー系統の言語学者のことを嫌っていたようだ。生成文法論が文の生成構造に着目するのに対し、記号論的言語理論はすでに確立した言語とその文を基本に言語の記号的な側面を解き明かすことを目標にしている。千野さんはよく「アムラー」の例などを出して言語においてはいつついかなる場合であっても新しい単語が創出され、またそれはさほど問題なく受容されていくのだ、ということを強調していたのだが、それはごく当たり前のことであって、生成文法論が取り上げるレベルでの問題ではない、というように考えていたのただろう(講義ノートを探したのだけれど見つからず。よって詳しいことはよく分からないです)。

千野さんが亡くなられた、ということを聞いたのは20日に和光大学卒業式へと出かけたときのことだったが、その他の教員に話を聞いたところによると、もうだいぶ前から糖尿病で苦しんでいたそうだ。ということは僕がまだ和光学生学生自治活動をバリバリにやっていた時分もそうだった可能性が高く、なんだか老体に鞭を打つような真似をしてしまったのかなぁ、と今更ながらに思う。当時は千野さんと言えば、学長選が共産党系教員と非共産党系教員との間で票が分かれ、いつまで立っても次期学長が決定しそうにないなか、なんだか中立の立場そうという雰囲気の中で擁立された学長候補だった。結果、千野さんは学長選に勝ち、千野"ボナパルティズム"学長体制が成立することになった。

このことは学生にとっては非常に迷惑、というか、前々学長であった杉山さんが優れた学長であったために、果たして千野さんに和光大学の学長職が勤まるのか、という疑問はわりとごく初期から出ていたように思う(そのころはまだまだサークル連合も元気だったし、学祭も24時間やってましたからね)。はっきり言って千野さんが学長となった責任は教員側のあまり本質的ではない対立に問題があるのだと思うけれど、学生にとっては千野さんが学長になったことで、学生生活にとって大変な迷惑を受けたことは確かなのだ。とは言っても、この責任を千野さんに押し付ける気はあまりなく、むしろ学生にとって迷惑だったのは千野さんが学長になったことを良い機会にして途端に調子付きはじめた一部の和光大学職員の態度だった。ただ、その点で学生生活と和光大学の校風を維持するために職員を拘束することができなかった千野さんの責任というのも確かにある。

そういう中、病気を持ちながらも学長職を努めた千野さんは立派なものだと思う。ただ、一学生としては千野さんが梅根悟の和光大学建学の理念を理解しているのだろうか、ということや、その理念を継承しているのだろうか、ということが非常に気になったわけで、ほとんど悪徳職員の傀儡政権のようなものとしか見えなかった千野体制は批判の的でしかなかった。そしてそれに対するさまざまな活動が千野さんの寿命を縮める結果になってしまったとしたら、それは非常に気の毒なことだと思うのだが、学生側には学生側の論理がやはりあるのだ。

そんなわけで、僕の千野さんに対する評価は「学者/研究者」という側面と「学長」という側面とによって大きく異なる。「学長としてはかなり酷かったが、学者/研究者としては一流であった」という感じだろうか。どちらかの評価がどちらかの評価を上回るということはなく、それらは互いに並列するものだ。社会的な関係性というものはさまざまな関係性のコードのうちにしか存在しないのだから、それら関係性のコードを捨象して全人格的な評価などできるはずもない。故人に対して失礼な言い方をしている部分もあるかもしれないが、それはお許しいただこう。

最後に、慎んでご冥福をお祈りします。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/using_pleasure/20020322/p1