いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

大学は「職員室」にまで踏み込まないとはじまらない

震災の影響で一部私大では新年度の延期がなされているものの、おおかたの大学ではいよいよ新一年生の新しい生活が始まる。
かくいう僕も、数年前には同じように大学一年生として大学の門をくぐったわけだが、今の時点から振り返ってみると、学部時代の四年間、特にゼミが始まるまでの2年間は時間を無駄に過ごしたという後悔がないわけでもない。

「こうしておけばよかった」「ああしておけばよかった」というのは不思議なもので、それが変えようのない過去になった時になってようやくぽっと思念に浮かび上がってくるもので、だからこそそれは「後悔」と呼ばれる。
だがそれは、これから体験する一年生にとってはひとつの「助言」へと変換されるのではないか。


しかし、僕が経験したのはあくまで文系大学生としての一体験にすぎないのであって、まるで勝手のわからない理系大学生の体験もあるはず。
というわけで、なるべく汎用性の高いものを一つピックアップして、つらつらと書いてみたい。

◆大学は「職員室」にまで踏み込まないとはじまらない

ということで、僕が言いたい「助言」とは、「職員室」にまで踏み込め、ということだ。

中学時代や高校時代を思い出してほしい。
休み時間になると、職員室の先生のもとに遊びにいくような生徒が、一人や二人はいただろう。
たいていの生徒は、職員室なんて近寄るのも嫌だというものなんだけど、中には職員室に行っては先生とフランクに話しているという変なやつがいたものだ。

だが大学では、心理的にはこの「職員室」に入るまでの意気込みを持って接しなければ、たいてい面白い体験はできない。
もちろん大学には、職員室と呼べるものがあるわけではない(非常勤の先生の控室ならある)。
研究室に常駐する人も言えれば、いつも不在という人もいる。
だからここでいう「職員室」というのは、講義の時間外のときの先生に、というあくまで心理的な意味での話だ。
オフィスアワーなどの時間を有効活用して、どんどん教官に積極的にアプローチしていってみてほしい。

◆大学は教育の場であるとともに研究の場でもある

なぜその「職員室」にまで行くべきなのか。
高校までは、職員室なんて近寄らなくてもよかった。
職員室に行かなくても教室で習う内容で完結していたからだ。
だが大学はちがう。
大学は高校までの学校と同じく教育の場でもあるんだけれど、その一方、高校までとはちがって大学は研究の場でもある。
あなたが講義室で習う内容は、その先生の専門領域であったとしても、必ずしもその先生が一番興味を持っている(いわゆるマイブームの)研究内容であるとは限らない。

もちろん、講義の内容に自分の携わる領域の最先端の研究を織り交ぜる先生もいるだろうけども、かといってすべての人がそうであるというわけではない。
特に――これはあとでも触れるけども――大学の先生というのは必ずしも人格者、というわけではない。
教育学部(狭義の教員育成課程)でないかぎり、自分は教育者ではなく研究者だという自負を持っている人が多い。
大学の先生になるまで勝ち抜いてきた「研究者」たちだ。
そんなプライドの高そうな連中が、「高校4年生」というペーペーの学生たちに自らやすやすと「一番おいしいところ」を開陳してくれると思えるだろうか?


そうなると、自分から「職員室」に積極的に乗り込んでいく学生は、他の学生から俄然差をつけれる。
もしかしたら、「お、こいつ一年なのになかなか積極的じゃーないか」と一目置かれるかもしれない。
そしてなにより、その先生の今一番ビビッドな研究内容までが聞ける可能性が高まるわけだ。

◆研究とは実用になる前の最先端、荒削りで「ヤバイ」のだ

いちおう触れておくと、研究というは実用になる前ということだ。
そして実用になってないということは、論理的に考えれば「一般で実用にするにはまだなにか問題がある」ということを意味する。
いわばそれは、まだ実用化するには「ヤバイもの」ということだ。
だが、実用化してマイルドになる前の、荒削りな最先端を体験できるのは一般的な就職をすることになるだろう多くの学生にとっては、学生の間までだ。
場合によっては、その先生自身まだ論文化していないような、アイデアの段階の話まで聞けるかもしれない。
こんなおいしい話はふつうない。
大学の講義に満足ができず、悶々しているという人はぜひとも、まだ理論化もされていない先生のワイルドなアイデアを聞いてみるべきなのだ。


これは実験のある理系に限った話ではないかって?
もちろん文系も関係ないわけではない。
大いにある。
今人文系、思想・哲学、芸術の分野にも荒廃のムードが漂っている。
想像してみてほしい。
あなたが想像絶するほどの大量の本を読み、研究してきた人たちが「もう新しいものは何もない」という姿を。
あなたが現時点で思いつくことはとうの昔に思いついているような人が「もう新しいものは何もない」という姿を。
人文系の学生は、先生からこの荒廃したムードを肌で感じ、「ああ、本当にもう新しいものは何もないのだ」と実感することが、一つの大きな体験になるだろう。
その後で何か新しいものがあるかもしれないと考え直しみても、遅くないではないか!

◆変な人、へんてこな体験に出会いたいとしても、大学の先生に出会うのが一番の近道

また、大学という新しい社会に入って、「変な人」とつながりたいという欲求を持つ人がよくいる。
そういう人にかぎって、サークルへ行ったりバイトを始めたりして、そこで「変な人」を見つけた気になっている。
けれど、大学生を一応やり遂げ、バイトも経験したことのある僕の経験から言わせれば、世の中そんなに簡単に「変な人」に出会えるというものでもない。
そんな中、一番常軌を逸しているのはやはり、大学の先生をおいて他にない。
考えてみたらこれは当たり前のことだ。
あの年齢まで大学なんていう世俗から密閉された異常空間に居座っているのだから、重症にちがいない。


へんてこな体験にしたってそうだ。
サークル飲みで無茶をしてゲロ吐いただ、徹マンで目が真っ赤になるまで配牌しただ、言葉尻をとったらそれはたしかに「へんてこな体験」だ。
けれど考えてもらいたい。
現在日本には約800校の大学がひしめき合い、その中を300万人もの大学生がうごめいている。
心配しなくても、きっとあなたの代わりに何千、何万もの大学生が、ゲロ吐いてくれているだろうし、牌をジャラジャラするのにいそしんでいるだろう。
そんなありきたりなことより、あなたの学部のあの先生に直接会って話が聴けるのは、まぎれもなくあなたの他、多くても数百名しかいないわけだ。

◆もちろん節度のある付き合いを!

もっとも、すべての大学の先生がそうした変な人であるわけではなく、れっきとた常識人だって少なくない。
そしてなにより、彼らはあなたにとってこれから教えを請う「大人」になるわけだから、慣れないうちは特に節度をもった態度で接しないといけないのは当然。
少なくとも、バイト先の店長以上には敬った態度はもつべきだ。


これはくれぐれも注意してほしいんだけれど、なにかの粗相で相手の気分を害してしまったとして、その先生との人間関係が完全に「終わり」ということも十分ありうる。
相手が高校までの教師なら、どんなに怒りの買占めをして内心殺してやろうかと思われていたとしても、完全に嫌われるということはまずない。
それは、高校までは生徒がまだまだ未熟で成長過程の子供、という設定になっているからだ。
けれど大学の先生はちがう。
良くも悪くも、大学の先生の多くはあなたたちを子ども扱いしない。
したがって、人間としてガチで嫌われるということもありうる。
というのも、何度もいうようだけど、大学の先生はいい意味でも悪い意味でも、ちょっと痛いのだ。
人間として針が飛んでいる。
だからこそ、最先端の現場で活躍できるということでもあるのだけれど。



就活をするにしたって、早くても3年に入ってからだ。
どうせテキトーに単位を取っていたらやりすごせる1、2年生のうちは、時間を持て余すという学生も増えていく。
もちろん、サークルに精を出すのも、バイトで汗を流すのも、それは個人の勝手だけど、もしそれらに魅力を見いだせないのであれば、一度「職員室」まで行ってみてはどうだろうか。

それでは、すばらしい(願わくば4年間の)大学生活をー!