いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

ニコニコ超会議のホリエモン対談の感想 #chokaigi

http://matome.naver.jp/odai/2136713100697206401
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ニコニコ超会議での堀江貴文さんと、ハフィントンポスト・ジャパン編集長・松浦茂樹さんとの対談を書き起こした内容。堀江さんが今後目指しているメディアのあり方が端的にわかったような気がして、面白かった。一読の価値がある。
本稿ではその感想について書いておきたい。

ニュースを「ぶっちゃけ」るメディア

堀江:ぶっちゃけどうなのよ?と。その「ぶっちゃけ」っていうところを、たとえば新聞という枠だったりすると、ぶっちゃけられなかったりするから、要はぶっちゃけられるメディアを作りたい。それはあくまでも批判とかではなくて、もっとポジティブなもの。

たとえば、昨日まで政治に何の関心もなかった読者に「0増5減法案」が可決されましたと伝えても、理解できるわけがない。
「0増5減」法案がどういうもので、なぜそのような法案が生まれたのか、そして今後何がどう変わっていくのか。それを「ぶっちゃけ」る機能が必要になってくる。
この「ぶっちゃけ」を堀江さん自身が対談ですこし体現していたのが、松浦さんのハフィントンポストについて聞いた件で、悪意はないのだけれどちょっと面白いので引用したい。

(堀江)それでさ、ハフィントン・ポストは何をやろうとしているの?

松浦:ハフィントン・ポストは新しい言論空間を日本に持ち込むべくやってきました。

堀江:そのカッコイイ言葉はいいから、ぶっちゃけどうなの?

松浦:いやぶっちゃけ本当に、全米No.1なんですよ。ニューヨクタイムズとか抜いちゃって。

堀江:それは知ってる。たぶん、みんな知ってるから。ここ来てる人は知ってるだろうから。そうじゃなくて、ぶちゃけどういうものなの。一言で説明すると。

松浦:「ソーシャルニュース」という言い方してますけど。

堀江:だからそういうカッコイイ言い方はいいから。

全米NO.1という実績や長ったらしい横文字はどうでもいいから、一言でいうとそれは何でどういうものなの?――このように常々「ぶっちゃけ」を求める堀江さんからしたら、さぞ既存メディアは冗長に思えるんじゃないだろうか。

堀江:ニュース長すぎ。たとえば新聞も長すぎ。新聞の記事って内容がない割にはけっこうだらだら書いてあって。ネット時代は長くて400文字。

っていうのはスマートフォンで一画面で読める量以上の記事って忙しい現代人には向いてないと僕は思う。

これに関連して本文でも話題になっているのが、ライブドアスマホ版で最近つけられている「ざっくり言うと」というサービス。
あれは元をたどれば2ちゃんねるの「今北産業」なのだと思う。「今来たんだけれど、状況を3行で説明してくれ」の意なんだけれど、途中参加者に要約でニュースの流れをつかんでもらうことには、参入障壁を下げる効果がある。ネットメディアを中心に、「ざっくり」もしくは「まとめ」にマンパワーを割こうという潮流は確実にある。

本文で、「ざっくり」と「ぶっちゃけ」の関係について堀江さんはあまり深くは述べていないけれど、ぼくは両者の機能はバッティングしないと思う。「ざっくり」=要約であるならば、「ぶっちゃけ」=短い解説、というところだろうか。

ただ、「ぶっちゃけ」には「ぶっちゃける人」の政治的、思想的立場によってズレが出てきそうだし、端的な間違いだって生まれる可能性が大いにある。
けれど、複数の「ぶっちゃけ」が林立する環境があるならば、それらを比較して考えればいい。400字なら読む手間もたいしてないし。読者の無関心を減らせるならば、そちらのほうが断然いい。

本文中でもとりあげられている池上彰氏の「学べるニュース」のヒットが示すように、物事が「わかる」というのは、普遍的なエンターテイメントなのだ。

cf.これからのは新聞はかぎりなく“エンタメ化”を追求するべきだ - 倒錯委員長の活動日誌
cf.「限界シリーズ」はなぜわかりやすくておもしろいのか?〜高橋昌一郎『感性の限界』書評〜★★★★★★★★★☆ - 倒錯委員長の活動日誌

「釣り記事」に頼らないメディア構築

堀江:たとえば新聞を見たらさ、北朝鮮のミサイルが明日にも飛んでくる。ミサイル防衛費1兆円どうなるんだみたいな話になるでしょ。だけどあれって騙されちゃいけないわけよ。新聞は昔からそうなんだけど、煽って煽って煽って煽って煽ってばかり。

マスコミの人、よく聞いて欲しいんですけど、視聴率とか部数とかのために危機を煽るの本当にやめて欲しいんですよ。

どれだけ耳目を集めれるかに収益がかかっている点では、実はマスメディアも現行の多くのネットメディアも選ぶところがない。先日も書いたが、読者にどれだけ蔑まれても注目を集めさえすれば成り立つモデルなのだ。

cf.ネット上の悪貨は駆逐できないのか - 倒錯委員長の活動日誌
そのビジネスモデルにおいては、「できるだけ異常なことが、できるだけ不幸なことが起きてほしい」という非常に倒錯した願いをメディアの「中の人」が持つことなってしまう。また、そのようなルールの上で、「中の人」が「釣り記事」を自制できるという性善説に立つことは難しい。


このことへの直接的な処方箋を堀江さんは提示していないけれど、このまとめの中で触れられている中でいえば、「メルマガ」がそれに該当するだろうか。
というのも、メールマガジンとは「あらかじめ収益を確保した上でなりたつ」ビジネスモデルだからだ。このビジネスモデルで長期的な収益を見据えるならば、重要なのは記事の「質」に他ならない。
もっとも、そこらの「(ネット)有名人」でなければなりたたないという程度には参入障壁が高いことも確かだが。

これ以外にも、堀江氏がインターフェイスの「もっさり」感を嫌悪している話や、火星の話だとか、いろいろ語っているんだけれど、ぼく個人の関心領域でいえば、このあたりが一番興味を引いた。


この対談を読んで改めて感じたことは、ぼくは堀江氏のシンパではないが、ちかごろ名前の挙がるネオヒルズ族などに比べることさえおこがましいということだ。
彼がどれだけお金を稼ぐことに優れていようが、両者の考えていることの射程の広さは、天と地ほどの差があるんじゃないだろうか。