いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】カラスの親指 45点


道尾秀介による推理小説の映画化。詐欺師コンビのタケとテツが、ひょんなことから出会った若者たちとともに、共通の敵である犯罪組織の撃退を図る、クライムコメディ(?)。阿部寛村上ショージ能年玲奈石原さとみらが共演。
道尾作品は『向日葵の咲かない夏』しか読んだことがなく、本作の原作も未読なのでなんともいえないが、とりあえず、最後に伏線をダアーーっと回収していくところが魅力かな、というところ。


ただ、この内容で本編160分は長過ぎる。別に人類滅亡のカタストロフィーものをやってるのではなく、こじんまりとした題材のはずなのに、3時間弱ある。
会話はガチャガチャしていてあんまり上手くないし、その一方で1人でダラダラダラダラと説明台詞が続くこともある。もう少しまとめられなかったのか。例えば、骨董品屋の件は後々効いてくるところはあるが、ユースケ・サンタマリアの件がまた別にあるわけだし、まるっきりいらなくね? とか。
阿部・村上と能年の初遭遇シーンは噴飯もので、宙を舞うシャネルの財布という、おそらく世界一どうでもいいCGの使われ方を観客は目撃することになる。


それから、村上ショージ。劇場に観にはいかなかったが、阿部寛と彼の組み合わせに惹かれなかったといえば、ウソになる。ルックスからしてスマートで標準語をあやつる阿部と、誰もが知る関西芸人・村上というミスマッチに、心躍らされるではないか。
だが、冒頭でいきなり失望させられる。

ショ、ショージ兄やんが、標準語つこてる!?

しかも、井筒監督が使うような例の「関西なまりの標準語」だ。これが全編で流れるものだから、めちゃくちゃ変。おまけに仙台出身という設定で、なぜ関西出身ではダメだったのか理解に苦しむ。言葉は育った場所の問題なのだから、親が方言でも子どもたちは標準語という家庭があっても不思議ではないはずだが。


能年玲奈は本作のヒロインだが、『あまちゃん』で大ブレークする前で、この作品当時はまだ無名だ。
しかし、この映画に関していえば彼女は全然可愛く撮られていない。まず、アップになる場面が少なく、全然おいしい場面がない。
おいしい場面がないといえば石原さとみもで、能年よりキャリアも格も上の彼女も、中途半端なことになっている。アップにならないから、初登場時にしばらくは彼女だと気づかなかった人も多いだろう。


標的に対して仕掛ける詐欺、つまり映画最大の見せ場に関しても、不自然さがぬぐえない。
というのも、この映画は「詐欺のターゲットをダマすこと」と「観客をダマすこと」を、同時並行的にやろうとするのだ。
けれど、観客をダマす仕掛けについて、詐欺のターゲット側はその前提を共有していないので、おかしなことになる。貫太郎(小柳友)が拳銃を発砲した後、ショージ兄やんに聞かれてポシェットから別のエアガンを放り投げる件は、ダマされる側からすれば本来はポカーンとなる場面だ。実弾が出たことだけで観客は異変に気づくのだから、別にもう一丁を出す必要はなかったんじゃないだろうか。

結末で、全てはある人物の手の平の上で踊らされただけだったということが明かされるが、そうした作為があったとしても、思惑通りに各駒が動いたというのは、都合がよすぎる。
阿部寛が「できすぎだ」とか何とか言って唖然としているが、トリックに関するエクスキューズにしか聞こえない。「できすぎ」というより、これはそもそも作り物だろ!!!