いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

【映画評】殺人の告白



15年前に起きた連続殺人事件が2005年、ついに時効成立となってしまった。捜査を仕切っていたチェ班長は、その瞬間をむざむざ迎えてしまう。
生きがいであった事件が時効となり、無気力な毎日を送っていた彼だがその2年後、ありえないことが起きる。イ・ドゥソクなる男が公の場に姿を現し、一連の犯行を自分自身によるものと認めたのだ。
罪を償うとして事のあらましを綴ったイの「告白本」は飛ぶように売れる。色白の好青年ということもあいまって、あろうことかメディアは彼をスターのように祭りあげていく……。



韓国発のアクション、サスペンス、エンタテイメントを足して3で割らずにそのまま出してみました、みたいな一本。エンターテイメント(=観るものを楽しませること)の原義をとことんまで追求した作品だ。原題の“내가 살인범이다”は直訳すると「私は殺人者である」になるらしい。


冒頭のようにあらすじを書くと、たとえば『殺人の追憶』のような韓国ならではの陰惨なサスペンス作かと思われるだろうが、観客がサスペンス要素よりまず先に出くわすのは、息もつかせぬアクションシーンだ。
チェ班長は実は15年前に一度、あと一歩のところまで犯人を追い詰めていた。しかし返り討ちにあって重傷を負い、「お前が俺の広告塔になれ」というメッセージとともに、口元に屈辱的な傷を付けられてしまう。
この追跡シーンの激しさはまさに「掴みはOK」というド派手さである。あまりに激しすぎて、正直チェも犯人もアメコミヒーローものの登場人物のように超人じみて、別の映画になってしまっている。それぐらいすごい。


そんなチェ班長の前に待ってましたとばかりに現れたのが、パク・シフが演じるイ・ドゥソク。


見よ、この憎々しい微笑み! 自分が法で裁かれない確信があるからこそできるような、不敵な笑みだ。思わず「時効成立顔」と名付けたくなった。
作品それ自体が力を持っていることに間違いないが、それでもイを演じたのがパク・シフであるか否かで、そのデキは大きく変わっていただろう。それぐらい強い磁場を発している俳優だ。
なんといっても、あの絶対零度の流し目である。あんな目で射抜かれたらあたし男だけど濡れる! ああいうタイプは日本にあまりいない気がする。系統的には及川ミッチー、速水健朗さんと同じフォルダに入るだろうか。あくまで観測範囲内だが、韓国産一重イケメンの最高傑作の気がする。


時効が成立しても諦めきれない遺族だっている。
中盤からは復讐に燃える遺族と、彼らに狙われるイ・ドゥソク、そして(不本意ながらも)復讐を阻止せんとするチェ班長という三つ巴の戦いが始まる。ここでも激しいカーアクションがあって、超現実的な描写は半ばコメディの域に達している。


さらに、チェ班長とイ・ドゥソクが出演したテレビの公開討論会では、真犯人を名乗る“J”なる人物が登場し、イとの「俺が殺した」「いや、本当は俺だ」という価値が転倒したおかしな争いが勃発する。
え? 告白本の記述にまちがいはないし、イ・ドゥソクが犯人じゃなかったの!? と観客はアクションのみならず、ストーリー上でも驚かされるのである。なんと贅沢な作品だろう。


そしてついに“J”を交えての生放送の公開討論会が催される。連続殺人鬼ははたしてイなのか、それとも“J”なのか?  その先にある驚くべき真相については、自らの目で確かめてもらいたい。


観終わってから考えると、物足りなかったり不自然だったり、おかしかったりするところがないわけではない。
たとえば、事の発端となる連続殺人についての描写は、他の韓国映画に比べると結構おざなりで、何人が殺されどういう手口だったかすら描写されない。それから、イ・ドゥソクについても、後半以降もうちょっと描写に深まりがあってほしかったかも。
そして極めつけは、蛇を使ってのイの誘拐シーン。誰がどう観ても失笑を禁じ得ないだろう。なんであんな方法を使ったんだ……。



そうやって浮かんでくる疑問点はいくつかあり、完全無欠とはいえないけれど、観ているうちには全く気にならない。まさしくエンターテイメントとして一級品の作品だと思う。