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2018-01-23

講書始の儀におけるご進講の内容(平成30年1月10日) 対馬宗家文書からみた江戸時代の日朝貿易(進講者:田代和生) 意識をつむぐワーキングメモリ(進講者:苧阪直行) 太陽エネルギーと光触媒(進講者:藤嶋昭)

講書始の儀におけるご進講の内容(平成30年1月10日)

対馬宗家文書からみた江戸時代の日朝貿易(進講者:田代和生

意識をつむぐワーキングメモリ(進講者:苧阪直行)

太陽エネルギーと光触媒(進講者:藤嶋昭

対馬宗家文書からみた江戸時代の日朝貿易

慶應義塾大学名誉教授

日本学士院会員

田代 和生

江戸時代の国際関係は,幕府の対外政策によって交流相手国を,中国(明・清),オランダ,朝鮮,琉球の4か国に限りました。このうち将軍と対等に国書を交換したのは,朝鮮国王だけでした。中国,オランダとは長崎における通商関係のみで外交関係は成立せず,琉球は「異国扱い」としながらも事実上は薩摩藩(島津氏)の支配下に置かれていたためです。

昭和40年から昭和44年にかけて発表された中村栄孝氏の研究書(『日鮮関係史の研究』上中下巻,吉川弘文館)は,日本の歴代政権が東アジア国際社会に果たした役割について言及したものです。特に下巻の近世編は,日本が中国の冊封(朝貢関係)に入ることを前提とせずに,朝鮮との間に独自の外交を展開させていたことを指摘し,固定化された鎖国史概念を一変させる画期的な成果として注目されました。江戸時代を通じて12回に及んだ朝鮮国王の外交使節団通信使がもたらす国書は,常に対等な書式をもって書かれ,寛永期(1630年代)以降,朝鮮国から承認された将軍の国際称号「大君たいくん」号が用いられていました。幕末の開港時期,日本が欧米諸国と新しい国際条約を締結するにあたり,征夷大将軍の称号に「大君」の英文Tycoonを用いたことは,朝鮮が開港以前までの唯一の外交樹立国であった証であるといえます。

この研究成果を裏付けるかのように,昭和50年代以降,日本の各地で通信使にかかわる絵図類の発見が頻繁に報道されるようになりました。絵巻物や屏風,浮絵うきえ版画などに描かれた総勢400人から500人に及ぶ使節団は,朝鮮王朝の高級官僚を中心に,軍人,楽隊,医師,画員,通訳,美しく着飾った童子らで構成されています。たとえば一行へ供される食事内容などをみても,海路や陸路の道中はもとより,江戸城内においても最上級の饗応膳が用意され,鄭重にもてなされたことがわかります。絵画史あるいは地域史・郷土史の視点からも,江戸時代の日本と朝鮮の平和な善隣関係が鮮明に描き出されていました。

ところでこの通信使の絵図類には,随行員に同行する日本人,たとえば駕籠をかつぐ人足,馬の口取り,物資を運ぶ人夫たちに混じって,誇らしげに警護する大勢の武士や朝鮮語通詞たちの姿が描かれています。かれらは行列を取り仕切る対馬藩の者たちで,通信使行列の前には,10万石の格式で編成された対馬藩主宗氏の大名行列が先行して護衛にあたっていました。そもそも通信使の来日自体,宗氏が「修聘使しゅうへいし」という使節を毎回朝鮮へ派遣することで実現したものです。対馬藩の役割は,通信使関係だけではありません。たとえば正月に始まる季節ごとの定例使節,日常的な外交折衝,将軍家の吉凶を含む日本国内の情報伝達,救助された両国漂流民の送迎などを行うため,朝鮮釜山に置かれた日本人居住地の倭館(和館)へ向けて一年間に何度も外交使節を派遣し,しかもそこでは中世以来の伝統的な「宗氏外交」=朝貢的儀式が展開されていました。つまり対馬藩宗氏は,将軍と国王の両者の下位に位置することで,双方の自国意識を和らげ,幕藩体制と王朝社会という異質の国家をうまくリンクさせながら外交体制を支えていたのです。

こうした江戸時代独自の日朝外交の在り方が,対馬藩宗家に膨大な記録を生む契機となりました。外交は常に故事先例が重んじられ,先例はやがて慣習となり,さらに「法」という形に定着します。いつ,何が,どのように処理されたか,それを記録に留めておけば,後で同様の問題に直面したときの解決の糸口になります。英語の外交(diplomacy)と古文書の古語(diploma)が同じ語源からできているように,国際関係は口約束ではなく,常に文字にして記録に残しておく行為を伴っていました。江戸時代中期の著名な対馬藩儒者雨森芳洲あめのもりほうしゅうは,藩主宗義誠そうよしのぶへの提言書『交隣提醒こうりんていせい』(享保13年完成)において,交渉事は圧力や技術に頼るのではなく,よりどころとなる確かな史料をもって臨むべきで,そのためにも倭館や通信使関係の記録を継続して蓄積することが重要であると説いています。

そこで対馬藩は,日朝外交の最前線ともいうべき倭館の管理機構を整備する一方,朝鮮との間で起きた様々な出来事を記録に留め,後日の問題処理のための保存に努めました。たとえば倭館の館守や使節の交渉官に任命された者は,就任の日から筆を起こし,任務を終えて対馬へ帰国するまでの全期間,絶え間なく記録をつけることが義務づけられました。朝鮮側と交わした書簡は,たとえ私的なものであっても総てを保存し,あるいは詳細な記録類からさらに事項別に区分けした新たな編纂書を作成して,後日の利便を図る工夫を凝らしました。やがて文書の管理と活用は朝鮮関係にとどまることなく,領内治世や対幕府関係など諸方面にも及ぶこととなり,大別すると対馬藩庁・倭館江戸藩邸の3か所で進められました。その結果,江戸時代を終えるころまでに,総点数,十数万点といわれる膨大な対馬宗家文書が成立したのです。

江戸時代を通じて対馬藩に秘蔵されてきたこれらの記録類は,近代以降様々な経緯を経て,現在,国内6か所,国外1か所の合計7か所に分割保管されております。このうち最大の蔵書点数を誇るのが,対馬市厳原いづはら町内にある「宗家御文庫史料」です。私が初めてここを訪れた昭和43年,木造の倉庫に古文書が山のように隙間無く積み上げられた状態で,目録はおろか管理者も不在の状態でした。昭和50年,貴重な対馬の宝を守るべく地元島民の願いを込めた御文庫調査委員会が編成され,断続的ながら約30年の歳月をかけて,古文書・古記録・絵図類等8万3千点余りの調査が完了したのは,平成24年のことです。ここに至って膨大な対馬宗家文書の全貌が明らかになり,外交先行の形で進められてきた日朝関係史研究に,ようやく経済的側面の光を当てることが可能となりました。

対馬藩は外交実務の代行に対する経済的保証として,幕府から朝鮮貿易の独占経営権を認められていました。貿易は通常の外交と同様,倭館という外国の地で行われるため,対馬から船を出す,いわば「出貿易型」になります。朝鮮への渡航船は,江戸時代初期の己き酉ゆう約条(慶長14年)によって年間20艘に限られていましたが,その後の対馬藩の増加工作によって宝永期(1700年代)ごろには80艘から90艘の航行が可能になっていました。対馬藩の船奉行など船舶関係の記録によると,渡航船は貿易商人の持船で500石から800石積クラスの中型和船が用いられ,帰国時に必ず朝鮮米を積んでいたことから「米漕船こめこぎぶね」と呼ばれていました。米は,朝鮮国王との朝貢貿易や朝鮮政府との公貿易(総称して官営貿易)の年間の輸入総額から換算されて,京枡で量って精米8500石以上(重量にして約1200トン)に及んだことから,米穀生産の乏しい対馬の島民3万人を支える生命線になっていました。

官営貿易は輸出入品目と数量が固定した定量貿易であったのに対し,毎月6回倭館の開市大庁で朝鮮商人と相対取引する「私貿易」(開市かいし)にはその規定がなく,したがって対馬藩の貿易収入のほとんどがそこに集中していました。貞じょう享きょう元年(1684)から宝永7年(1710)までの27年間,私貿易は貿易商人が組織した「元方役もとかたやく」に委託され,その時期の詳細な貿易帳簿が現存しています。これによると,輸出入ともに最多の年は銀6000貫目に達しており,この額は同じ時期,長崎において幕府が中国貿易に規定した年間の貿易制限枠に匹敵します。帳簿の全期間を平均するとオランダ貿易に匹敵する3000貫目ほどですが,これに定額制の官営貿易額の約1000貫目を加えると,日朝貿易全体はその頃のオランダ貿易の規模を上回っていたことになります。かつて日朝貿易の規模は,長崎貿易に比較して微々たるものに過ぎないと考えられてきましたが,対馬宗家文書を利用することで,決して劣ることのない盛大な貿易であったことが明らかになります。

私貿易の取引内容を商品別にみると,輸出の大半は日本の銀貨幣で,これが貿易全体の6割以上を占めていました。残りの3割余りは,銅や錫といった鉱産物,胡椒や丹木(スオウ),水牛角といった東南アジア産品,あるいはタバコやキセルなど日本から朝鮮へ伝わった喫煙慣習に必要な商品も含まれています。このうち東南アジア産品は官営貿易の輸出定品でもあったことから,対馬藩は長崎出島のオランダ商館近くに屋敷を構え,そこで入手して倭館へ送り込んでいました。また輸入品は,8割が中国産品である生糸と絹織物で占められ,残りの2割が貴重薬の朝鮮人参で,いずれも日本国内で高値で取引される商品ばかりです。日朝貿易は,日本と朝鮮間の物資の交換にとどまらず,東南アジアから中国大陸へとつながる東アジア交易圏の一環をなしていたことがわかります。

私貿易の最大の特徴は,すでに長崎で輸出が規制されていた銀貨幣が大量に取引されていた点です。銀は箱詰めにされて「お銀船」と呼ばれる小船で倭館へ持ち込まれました。館守の記録によって,このお銀船の入港日と積載額を月別に集計すると,7月から8月,それと10月から11月の4ヶ月間に,輸送が集中していたことがわかります。対馬藩では,前者を「皇暦銀こうれきぎん」,後者を「冬至銀」と名付けて,銀を調達する京都藩邸へ発送時期を守るよう指示していましたので,この季節変動は計画的なものです。「皇暦」とは中国の暦のこと,「冬至」とは冬至から正月にかけての時期のことで,いずれも朝鮮が中国(清)へ派遣する年2回の朝貢使節(燕行使えんこうし)を意味します。つまり日本の銀は,朝鮮の燕行使によって中国へ運ばれており,調達地である京都→対馬→釜山(倭館)→ソウル→北京という,いわば「銀の路」が開かれていました。その逆ルートが,「絹の路」です。燕行使に随って北京入りした朝鮮の通訳官や商人たちは,日本の銀貨で中国の生糸や絹織物を買い付け,これに朝鮮人参を加えて倭館の私貿易市場へ送り込んでいました。

結果的に貞享元年(1684)から寛延3年(1750)までの67年間,少なく見積もっても総計8万貫目(約300トン)以上の銀貨幣が,対馬を経由して朝鮮半島へ運ばれたことは明らかです。長崎から銀がほとんど輸出されない時期,これほどの貿易を可能としたのは,市場が外国の地にあったため幕府の監督が及ばなかったこと,あるいは通信使来日に代表される「外交費用」として黙認されていたことも理由として考えられます。近世後期になると国益を重視した輸入品の国産化政策が実施され,日朝貿易はかつてのような利益が望めなくなりましたが,それでも,「外交費用」の名目で幕府から得た莫大な下賜金や拝借金を原資とし,私貿易の輸出の主力を朝鮮銅銭の原料となる銅へ移行させた貿易経営を展開させていきます。時代と方法は異なっても,古代から「南北に市糴してきする」(『魏志倭人伝』)といわれた対馬島民の姿は変わることがありませんでした。

対馬宗家文書は,日本と朝鮮関係だけでなく,前近代東アジア国際社会の抱える複雑な諸様相を余すことなく伝えています。分割保管の現状は変わりませんが,通信使記録・江戸藩邸日記・倭館館守日記については全冊がマイクロフィルム出版され,また,国立国会図書館本はデジタル化されてインターネットを通じて世界へ発信されるなど,研究者への便宜が図られるようになりました。近年は外国の研究者,とくに韓国の留学生が,この史料の重要性を認識し,難解な日本の古文書解読に挑み,東アジア外交史・経済史・文化史を考察しようとしています。アジア諸国との交流が一層密になった現代社会において,この第一級史料の果たす役割はさらに重要なものになっていくと確信しております。

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意識をつむぐワーキングメモリ

京都大学名誉教授

日本学士院会員

苧阪 直行

私は実験心理学の立場から,人間の意識について研究しております。意識を考える上で,ワーキングメモリという脳の一時的な記憶システムが重要だと考えております。ここでは,ワーキングメモリがどのように意識を創発するのかについてお話させていただきます。

意識が脳に宿ることは,古代ギリシャ時代から知られていました。しかし,脳の働きを担うのが神経系のニューロン(神経細胞)の働きにあり,ニューロンの集合的な働きによって意識や記憶の働きが営まれることが発見されたのは20世紀になってからのことです。脳には銀河系の星の数に匹敵する1千億ものニューロンがあり,この膨大な数のニューロンがネットワークを形成し意識を織り上げていると考えられていますが,その仕組みはまだ解明されていません。脳の宇宙に広がる意識の観測にもハッブル宇宙望遠鏡のような観測装置が必要ですが,その役割を担っているのが機能的磁気共鳴画像法を用いた脳イメージング装置です。意識が働くとき,それと同期した脳のニューロン活動が生じますが,その活動を支えるために血流が増加します。この血流量を通して意識を観測することができるのです。

まず,ワーキングメモリについて考えます。ワーキングメモリは日常生活に欠かすことができません。友人と会話する時,我々は相手の話を聞いて一時的にそれを記憶して相手に応答します。相手も同様です。会話がスムーズに進行するのは一時的記憶であるワーキングメモリの働きのお陰なのです。ワーキングメモリという用語は,コンピュータのメモリの概念から生まれました。1970年代に誕生したマイコンピュータは当時,記憶素子が高価なため,わずかな記憶容量しか実装できませんでした。そこで,処理の流れを分割し,途中の計算結果を一時的に空いたメモリに移し,次の作業に利用するなどの有効利用をしました。これが,作業のための一時的記憶という意味で作業記憶,つまりワーキングメモリと呼ばれ,人間の能動的な記憶にも適用されるようになったのです。

心理学では,ワーキングメモリの働きを検討するために,記憶と操作を同時的に遂行できるかどうかを調べる二重課題が用いられます。例えばドライバーが運転しながら助手席の人と会話するのも二重課題です。運転と会話にうまくワーキングメモリが配分できれば事故は起こりません。しかし,ワーキングメモリには厳しい容量制約があるので,難しい話になってくると注意の配分がそちらに傾き,運転がおろそかになってしまいます。このように,ワーキングメモリの働きでは,必要に応じて適切に注意を向けることが重要です。

ワーキングメモリは,情報の一時的な保持と操作にかかわる時間依存的な記憶で,情報を時間的制約の中でまとめる働きがあります。いわば,過去と未来を接続する現在という時間窓がその流れの中に開いているのです。ここに活性化された記憶があり,この記憶は,短い時間の間だけ必要に応じて利用されます。情報の操作は実行系と呼ばれる注意制御システムが担っており,これがワーキングメモリの中核となっています。情報の更新,プランニング,抑制や自己モニターなどの働きをもちます。ワーキングメモリや意識をとらえる上で大切な注意の脳内メカニズムが,最近の実験心理学と認知脳科学の進展によって解明されつつあり,注意には情報を束ねる働きがあることもわかってきました。

さて,長い記憶(長期記憶)とワーキングメモリのような一時的な記憶(短期記憶)の役割の違いをみてみたいと思います。長期記憶は,小学校時代の記憶が生涯思い出せるように,そこに入った情報は長く保持され,容量に限界もない記憶です。一方,短期記憶はまだ不安定な一時的な記憶で,記憶容量に限界があります。例えば意味のない電話番号を機械的に憶えても,一度に憶えられる桁数はおよそ5から9桁という制限があることが,米国のミラーという心理学者によって発見されています。一方,意味のある情報を憶えながら同時に操作する二重課題が要求されるワーキングメモリの場合は事情が異なってきます。幾つかの短文を連続的に読み上げて,その後,各短文の中の指定された単語を憶えて報告するような場合,3つ程度に下がります。暗算もよい例になります。桁上がりがある足し算では,桁上がりの情報を保持しつつ,計算という操作を同時に行う二重課題が求められます。桁数が多くなって操作が難しくなると容量限界に近づき,正答を得るのが難しくなってきます。

次に,ワーキングメモリと意識のかかわりについて考えます。研究者によって意識の定義は様々ですが,意識は何のためにあるのかを考えますと,ここでは,近未来の目標達成のための行動プランを立案すること(志向的意識)と,自己に気づくため(自覚的意識)にあると私は考えます。まず,何かの目標を達成するにはその段取り,つまり外に向かって行動や認知のプランを立てる志向的な意識が必要です。一方,内に向かっては自己(や他者)に気付く自覚的意識が要請されます。自覚的意識については,哲学者の西田幾多郎が意識を考えるに当たっては,自覚が重要な概念であると述べている通りです。17世紀の哲学者,デカルトも,「われ思う,ゆえにわれあり」と述べて,自己を疑う自分の存在に気付きましたが,これもある意味で自覚の契機となります。ワーキングメモリには自己モニターの働きがあり,自分の意識状態を再帰的に自覚することで自己に気付くことが可能です。

ワーキングメモリは時間依存的と申しましたが,一方意識も時間に依存した特徴を帯びています。そこで,次に,記憶と時間意識のかかわりを考えてみたいと思います。

5世紀の神学者アウグスティヌスは,時間と意識についてユニークな考えを述べています。「時間とは何か,誰もがそれを知っているが,尋ねられて説明しようとすると何だかわからなくなる」というのです。禅の問答のようですが,ここには意識が時間の流れと,それに沿った記憶に深くかかわることが示唆されています。過去は現在の意識から想起される記憶であり,未来は期待の記憶であり,現在は過去と未来を橋渡しする生きた記憶であるということです。

19世紀の米国の心理学者ウィリアム・ジェームスも意識経験を時間の流れの中でとらえて,意識の流れという概念を提案しました。彼は,意識を流動的な性質をもつプロセスであると考えました。そして,記憶にはふつう私たちが考える長期記憶以外に,ごく短い記憶があると重要な指摘をしています。意識は流動性を帯びた記憶と考えるのです。彼の指摘する一時的な記憶が,過去と未来をつなぐワーキングメモリだと私は思います。現在の意識の先端にある予期は,まだ来ぬ近未来とつながり,消え去る意識の直前は,近い過去の想起とつながります。両者を滑らかに接着するのが短い記憶としてのワーキングメモリだと考えられます。したがって,ワーキングメモリは,一時的な記憶によって我々の近い過去,現在と近未来を接合する役割をもち,結果として,継ぎ目のない連続した時間意識の流れを感じさせます。

日常生活での一例をあげてみます。2階へ上がったのに,何を取りに来たのかを忘れたようなことは誰にもあると思います。これは,近未来の行動目標と結びついた,忘れたものとの接続が一時的に失われ,継ぎ目がなくなるため,現在と近未来を結ぶ橋が見つからなくなった状態です。近い過去を想起しながら,もう一度階下に戻ってみると,テーブルの上に新聞があり,それを読むために眼鏡を取りに2階に上がってきたことを思い出します。このような物忘れは,何か別のことを考えていたために,注意の配分に一時的に障害が起こり,ワーキングメモリにオーバーフローが生じたために起こるのです。ワーキングメモリは情報を書いたり消したりできる小さな心の黒板のようなものです。黒板は小さいので,新たな情報を一つ書き込むには,既にある情報を一つ消去せねばなりません。消去が不完全だと,このような物忘れや行為のし忘れが起こります。

様々な情報を取捨選択して,新たな行動の実行プランを作り,それを順序立てて遂行するワーキングメモリの役割は,ワーキングメモリが近未来の適応的行動を準備していること,つまり未来への記憶の性質を帯びていることを示しています。ワーキングメモリは近い過去と近い未来を橋渡しすることで,現在進行形の意識を刻々とつむぎ出してゆくのです。

ここで,意識の仕組みについて考えてみます。私は意識の働きは三つの階層で担われていると思います。第一階層は,覚醒の状態(生物的意識)で,ワーキングメモリは準備状態にあります。第二層は,覚醒に基づき注意の選択性が現れる中間的意識の段階で,知覚・運動的意識とかかわるワーキングメモリが作動し,適応行動が導かれます。さらに,高次の第三階層では,さらに深い自己や他者への自覚的意識が社会性を帯びたワーキングメモリとして働き始めると考えられます。近未来のプランを創出し,それを実行する志向的意識や自覚的意識を生むのがワーキングメモリなのです。

最後に,ワーキングメモリと意識にかかわる脳の仕組みについて触れたいと思います。ワーキングメモリの働きは主として,前頭葉の前頭前野が担っていますが,頭頂葉が担う注意の働きとネットワークで結ばれています。前頭前野は外側と内側の領域に分類でき,第二階層の働きに対応する外側領域は,主にコンピュータの計算原理と似て,合理的な思考などを担い,主に第三階層の働きに対応する内側領域は,自己や他者の心の想像など,社会性の認知を担う社会脳の領域であることがわかってきました。二つの領域がバランスよく働くことで,外部環境に適応し,自己を知り他者を理解し,豊かな社会性をもつ意識の働きが実現すると考えられます。前頭前野は,人類の進化を推進してきた人間の最高の知性の座です。しかし,前頭前野は,他の脳の領域と比べて,成人になる頃までにゆっくりと成熟し,高齢になると最も早く衰えるという厄介な性質をもっており,これが高齢者の物忘れなどの原因の一つとなっています。

内側前頭前野は自覚や他者の信念の理解とかかわります。例えば他者の心を想像し行動を予測するメンタライジングと呼ぶ働きがありますが,これは自己意識の芽生えとかかわります。発達的にはおよそ5歳ころから他者の心を想像することができるようになるといわれます。

近年,この外側と内側領域をそれぞれワーキングメモリとデフォールトモードと呼ばれるネットワークで説明できる可能性が出てきました。デフォールトは脳が安静時の,ワーキングメモリは活動時の意識状態に対応します。この二つのネットワークの興味ある特徴は,一方が働いていると他方が休んでいるという,いわばシーソーのような関係にあります。一生懸命数学の問題を考えている時にはワーキングメモリネットワークが働きますが,一休みしている時には,自由に社会的な想像力を働かせるデフォールトモードネットワークが働きだします。仕事と安静の時間が,入れ替わりながら意識をつくっているようです。ワーキングメモリを通してアクティブで未来志向的な意識の姿を,科学的に解明できる日が近づいているように思います。

このように,ワーキングメモリは時間の流れの中で,その縦糸となり横糸となり我々の意識をつむいでいると思われます。ワーキングメモリは過去と未来を接続することで,脳の宇宙で現在の意識を織り上げているのです。

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太陽エネルギーと光触媒

東京理科大学長

東京大学名誉教授

藤嶋 昭

太陽エネルギーは偉大です。

季節の移り変わりは言うに及ばず,日々の天候も太陽光が雲にどの程度遮られるかによってほとんど決まります。また,雨や風も,太陽エネルギーによって生みだされたものです。

太陽がなかったら,私たち人間も,そしてすべての動植物も地球上に存在できません。地球は冷えた暗黒の球体となってしまうでしょう。では,どのくらいのエネルギーが太陽から地球上にきているのでしょうか。

まず,太陽の中で消費されている水素の量は,1秒間に6億トンといわれています。これだけの水素が核融合反応を行い,ヘリウムに変化しながらエネルギーを生みだしています。太陽の放射している全エネルギーは3.8×1026J/sですが,地球にはこのうちのたった22億分の1しか届いていません。しかしそれでも,一年間に5.5×1024Jの太陽エネルギーが地球上に届いていることになります。これは,現在の全人類が一年間に消費している全エネルギー量の約1万倍ものエネルギー量なのです。しかし,総量は大きくてもエネルギーの密度が希薄で,天候や季節による変動も大きいものです。

地表に到達した太陽エネルギーのうち,どのくらいの量を人間は利用できているのでしょうか。

50%近くが水の蒸発のエネルギーに使われ,30%が地表で熱エネルギーとして吸収され,ふたたび地表から赤外線になって宇宙空間へ放射されています。また20%が大気をあたため,そのうち4%が地面や水面で反射されています。陸と海の植物の光合成につかわれるのは,わずか0.2%であり,そのうちの0.5%を人類が食料や燃料として利用しています。つまり,人間は太陽エネルギー全体のうち0.001%を利用しているだけです。

太陽エネルギーは,光エネルギー源や熱エネルギー源として直接利用されています。光エネルギーとしての利用の代表が植物が行っている光合成です。光合成反応によって植物はその内部に太陽エネルギーを蓄積しています。光合成をする植物は太陽エネルギーの缶詰です。石油や石炭も,過去数億年間の太陽エネルギーの缶詰です。これら太陽エネルギーの缶詰が,地球上のほとんどの生産活動をささえ,我々人類の文明はそれを利用してつくられています。もう一つの利用法が太陽電池です。最近では太陽電池が普及し,家の屋根の上で働いているのをよく見かけます。電気を直接作っているのです。

太陽エネルギーを利用するもう一つの方法が光触媒です。酸化チタンを用いる光触媒は,環境浄化材料として我々の身近に幅広く応用されてきています。例えば光触媒フィルターを搭載した空気清浄機は,煙草の煙や空中の浮遊菌を除去できることから,新型の東海道新幹線N700系)の車両や病院に設置されており,また光触媒を塗布したビルのタイルや窓ガラスは建物を常にきれいに保つことができるため,日本をはじめ世界中で使われるようになってきています。光触媒に関連した製品はこれまで数多く登場し,住宅関連,電化製品,車両,道路関係,農業,水処理,衣料,生活用品,医療分野など,市場規模は国内だけでも現在1000億円以上にも及んでいます。

さて,「光触媒」とはいったいどういうものでしょうか。「触媒」というのは,そのもの自身は反応の前後で変化しないのですが,化学反応を早く進める効果のある物質のことです。ですから,「光」が当たったときに「触媒」として働くものが「光触媒」ということになります。

光触媒反応においては,主に用いられる材料は酸化チタン(TiO2)という物質です。酸化チタンは特別珍しい物質ではありません。白色のペンキや顔料は,主として酸化チタンからできていますし,薄い紙の中や,日常使うものとしては歯みがき粉の中にも入っています。ホワイトチョコレートの白さは酸化チタンによります。このような一般的な利用法では,白さやかたさ,化学的に安定であることなどの特性が利用されていて,できるだけ光に反応しない酸化チタンが利用されてきました。しかし,光触媒用としては,逆に光反応をできるだけ高めた酸化チタンが使われています。

酸化チタンが光触媒で主に使われることになっている理由は,私が酸化チタンの単結晶を水の中に入れて紫外線を当てたところ,水が分解して酸素と水素を生成させることができるという研究を行い,1972年にNature誌に発表したことによります。 この論文は今でもおどろくほどたくさんの研究者によって読まれ,引用されてきています。

酸化チタン光触媒には大きく分けて二つの特徴ある反応が関連しています。

ひとつは光触媒による酸化分解といって,表面にある物質を分解する反応です。水だけが表面にあれば水を分解しますが,有機物があればこの有機物の方が優先的に二酸化炭素まで分解されます。この反応は光が当たるときに,光の量の分だけ起こります。通常の燃焼反応と異なり,温度の上昇もなく室温の状態で反応が進みます。

もうひとつの超親水化は,水に非常になじみやすくなる現象です。一般的に多くの材料では,表面に水を落とすと水滴が付きますが,酸化チタンをコーティングした材料に光を当てると,その酸化チタン光触媒表面では水は水滴にならずに,ほぼ完全に一様な薄い膜として広がります。このため,油汚れなどが表面に付着していても水をかけるだけで,汚れの下に水がしみ込んで汚れを浮かせ,簡単に水で洗い流すことができます。また,水滴ができないことから,曇らないガラスや鏡としての応用もできます。既に車のサイドミラーに応用され,雨の日でも水滴が付かず良好な視界を確保できる技術として好評を得ています。

酸化分解と超親水化の相乗効果は「セルフクリーニング効果」と名付けられました。晴天時の日光と雨天時の雨水によって汚れを分解・洗浄して,その名の通りメンテナンスを必要とせず常に清浄な表面が保たれますので,外装材としての応用が大きく広がっています。光触媒タイルがよく使われますが,そのほかブロックや窓ガラスなど多種多様な光触媒コート外装材が実用化されています。最近では,光触媒コーティングしたテント材が,駅のホームの屋根などに多く用いられています。こうした白色のテント屋根は,鮮やかな視覚効果やデザイン性のみならず,熱線を遮り,可視光をテント内部に取りこむ効果も有しています。したがって,気温を低く保ちながらテント内部を明るくでき,夏などは省エネに役立っています。

光触媒の基本分野は現在のところ,「空気浄化」,「水浄化」,「抗菌・殺菌」,および「防汚・防曇(セルフクリーニング)」の四つに分けて考えることができます。

住宅関連分野では,外装タイル,アルミ建材,ガラス,塗料,テント材などの外装建材の領域で広く光触媒のセルフクリーニング効果を付与する製品開発が行われています。また,内装材では,ブラインド,鏡,壁紙,内装タイルなどで,光触媒の抗菌,脱臭の効果を持つ製品の開発が進んでいます。

外装材と同様に大きく市場が伸びている浄化機器分野では,空気清浄機としての応用展開が目立ちます。1990年代以降,シックハウス症候群や花粉症など,生活環境の有害物質による健康被害が問題視されるようになり,光触媒技術を応用した空気清浄機の需要が増加しました。やがて,家庭はもとより,病院,ホテル,レストラン,喫煙所など,多種多様な場所に光触媒フィルターを組み込んだ空気清浄機が導入されるようになったのです。これらの空気清浄機は,一般的に,酸化チタンをコーティングした光触媒フィルター,紫外光源,ファンを組み込んだ構造になっています。室内の有害物質や微生物などは,ファンで取り込まれて光触媒フィルター表面に吸着し,紫外光照射による光触媒反応で酸化分解されます。しかも,光触媒フィルターは浄化処理の前後で変化しないため,煩雑な再生処理や交換を必要とせず,半永久的に使用できます。

現在,さらなる応用展開を目指し,家電メーカーを中心に,光触媒フィルター及びそれを組み込んだ空気清浄機の高性能化,小型化,コストダウンなどが検討されています。

光触媒の医療分野への応用も活発です。酸化チタンに光が照射されると,その強い酸化力で大腸菌などが簡単に殺菌できることを見付けることができたのが30年近く前のことでした。タイル上に透明に酸化チタン薄膜をつけ,病院の手術室の床や壁に使ってもらい,空中浮遊菌も自動的に殺菌できるという良好な結果を得たことが始まりでした。その後,ヒーラセルなどのガン細胞も簡単に殺すことなどを見付け,さらにウィルスにも効果があることがわかり,現在も研究を続けています。

医学・医療への光触媒の応用の可能性は非常に大きいものがあります。疾患の治療への試み,医療器具への応用,環境汚染物質の分解除去など環境医学,公衆衛生への応用,防菌,防汚,防臭などの医療環境の改善への応用など,非常に多くの分野への展開の可能性を持っています。

この世に生を受けたからには,どの人も天寿を全うしたいと願っています。きれいな空気や水のもと,十分なエネルギーや食糧もあり,健康を保ちつつ,一生を快適に送りたいものです。科学技術の目的は,この誰もが望んでいる天寿を全うすることに寄与することであると思っています。

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