人に伝えるということ。

 人に、自分の考えていることを伝えるということ、自分が感じたことを伝えるということ、その伝えるということは大変難しいことです。現に、私もこうして人に伝えるための文章を吐き出すということに大変な苦痛を感じながら書き綴っています。難しくて。
 もちろん、そんなことは今始まったことではありません。昔から、伝えるという努力は続けられています。たとえば、文言一致運動などはその最たる例です。もともと書くための言語と話すための言語が別々だったものを、一致させていくという運動が起こったのは、多くの人に考えを伝えるための工夫からでした。それが、今では地の文まで会話調の文章まで出版されるほど、多様化しています。伝える努力・工夫の積み重ねが、ついにここまで来たのか、という感慨も私にはあります。
 しかし、それだけの努力・工夫を重ねても、なお難しい問題です。目の前にいる人に伝えるというだけでも、大変に難しい作業なのに、多くの人に見てもらって、誤解の生まれないような伝え方をしていくのは、それ以上に難しい。それでも、日常の中でそういった作業が要求されるわけです。
 ただ、それを苦痛だと考えるのは、伝えるということの一面しか見ていないと言えるのではないかと私は考えています。伝えるということは、時間を、考えを、感情を、共有していくということです。様々なものを共有できるということは、とても嬉しい・楽しいことなのではないかと思います。たとえば、旅に行ったエピソードを、伝えていく。そのことで、相手を楽しい気持ちにしたり、旅にいきたいという気持ちにしたり、そういった影響を与えることも出来るし、自分の旅の楽しさを共有できる時間でもあるわけです。もちろん、一緒に旅に行くのが一番なのでしょうけれど、どうしても出来ないことはあるものです。
 そういう、伝えるということを日々重ねながら、もっとうまく、相手と様々なものを共有していきたい。そう考えています。