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Utopiapartment

2017-03-24

ドヴォルザーク「ルサルカ」★★★★★


久しぶりにどうしてもブログに感想を残さなくてはと思ったルサルカ。
ドヴォルザーク作曲、METによるメアリージマーマン演出作品。

この作品はアンデルセンの人魚姫を元にしているものの、
描かれているのは童話から一歩踏み込んだ愛することの業。
全編チェコ語だったので耳慣れない言語に睡魔が襲って来て、
二幕までは正直かなり眠気との戦いだったのだけど、
ラストでまさに冷水を浴びせられたように目が覚めて釘付けになった。だいぶ遅いけど。

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まずこのセットと衣装の美!!
水の精であるルサルカの住む世界をあらわすのに水辺ではなく
湖のある深い森を中心に据え、大きな月がのぼる神秘さを表現。
このセットで一幕で歌われるのが有名なアリアでよく単品でも歌われる「月に寄せる歌」、
ルサルカ役のオポライスはルサルカは世間知らずでピュアに演じられることもあるけれど、
他人を死に追いやる危険性も持っているとインタビューで話していて、
まさに心許ない儚さとともに深い声が妖しい感じも醸し出していてゾクッとした。
美人で表情があまり変化しない虚ろな感じがルサルカ役にすごく合っていたと思う。
下まぶたにメタリックなブルーのアイラインが引いてあって、それもミステリアスをすごく出していてよかった。このオペラ、魔女イェジババのカラコンも効いてたしメイクもすごく良かった。

その、ルサルカが人間になるために力を借りる魔女イェジババ。
ダークファンタジー絵本に描かれそうな実験室で薬品らしき小道具を手に、
体が不完全に猫やカラスやネズミと混ざった人間の姿をした手下たちを従えて魔法を使う。
イェジババ役のジェイミーバートンは豊かな体躯からよく響く輝きと優雅さがある声のメゾで、
悪役を心から楽しんで演じていてめちゃくちゃファンになった。
彼女がチュリムリフックと魔法の言葉を唱えるアリア、劇中でいちばん好きだった!
https://youtu.be/SvMl6-cLiwg

人間の姿となったルサルカは、妖精たちの世界とはちがう、
本能と感情の渦巻く人間の世界であり、王子の住む場所である宮殿にやってくる。
この宮殿シーン、後ろで踊る集団のダンスが官能的で練られていてやたらいいと思ったら
NY拠点の若手コンテ振付家と彼のダンサーたちを連れてきて入れていたらしい。どうりで!!
宮殿ではすべてのセットと衣装が赤をテーマに染まり、その中に形だけ同じだけれど
一人ひんやりした水色の衣装を纏うルサルカの異質さがとてもわかりやすく浮く。

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水の精である自分を捨て人間の姿になったことにより仲間たちのいる水の世界に帰れないルサルカは、
しかし人間たちの集まりの中でも圧倒的に浮いてしまい、人間として生きていくことも出来ない。
好きになった王子からは情熱を感じないと言われ捨てられて、最後に思いは通じるものの、
ルサルカにキスをした王子は呪いにより命を絶たれ森の中で死に、ルサルカは一人残される。

水の精としても人間としても生きられず、元が不死身であり人間として死ぬことも出来ず、
ラストシーンで後ろを向いたルサルカは王子の形見の服を羽織り、森の中にふらふらと消えていく。
王子は生き、人魚姫は泡となって消えるアンデルセンの童話の結末よりよっぽどダーク!
そして重苦しい!!すてきだった…

ドヴォルザークの音楽がまた、雑な言い方をするといろんな作曲家のいいとこ取りで、
優雅でもあり劇的でもありお伽話的な楽しさもあってとってもよかった。
他の出演者も全員よくてものすごい当たり回。
劇場行きたかったわー
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休憩中に流れた演出家ジマーマンのインタビューで、彼女が
「好きになった相手のために大きな犠牲を払ってまで人間になっても、
ルサルカは王子から情熱を感じないと言われてしまう。
不完全な偽りの姿で愛そうとしても、結局は心を開くことができず、
情熱を傾けることが出来ないのではないか」というようなことをいっていて、
その瞬間、美女と野獣について考えた。

ディズニー作品の中で最初に強く共感出来たプリンセスはわたしにとってベルだった。本好きだから。
けれどもどうしても最後いきなり見たこともない王子になってしまうのが許せず、
その王子にやぶさかでない態度のベルが理解できないと思っていた。

frozen(アナと雪の女王)が公開され、プリンセスの系譜を思い返したとき
ベルについて考えずにはいられずパリでミュージカル上演があったので見に行ったのだけど、
やはり大人になってもわたしにはその部分が納得できなかった。舞台は素晴らしかったけど。
外見まで含めてその人なのではないの?醜いままでもいいじゃないか。

でも、今回ルサルカを見て今まで考えてみなかった野獣側の視点について考えさせられた。
そもそも野獣は城に訪れたみすぼらしい老婆の姿をした仙女を助けることを拒絶し、
美しい姿で現れたらきちんと遇するという態度を罰せられ呪いをかけられて野獣の姿にさせられる。
自分の犯した過ちとはいえ、呪いに囚われた身であるのはたしかなことだ。
つまり、水の精でありながら声と引き換えに外見上人間になろうとしたルサルカと同じ、
野獣もまた「不完全な偽りの姿」と言えるのかもしれない。

たとえベルを好きになったとしても、偽りの姿ではほんとうに心を開き情熱を傾けることができないとすれば、物語の終わりで元の姿である王子の姿に戻ってから彼はやっとほんとうに心を開いてベルを愛することが出来るとも言え、野獣視点で見ればこれは心を閉ざし他者にかけられた呪いに囚われていた自己が解放されて、愛することが出来るようになるまでの物語だ。
実際、野獣側からは愛を告白できないのはルサルカと同じ縛りのように思える。
偽りの姿では完全に愛することがまだ出来ない。劇中で愛することが出来るのはベルの側だけなのだ。


「本当に美しい姿になったのかどうかは問題ではない、美は愛するものの目に宿る」と
フランスの童話では美女と野獣にしろ似た部類の巻き毛のリケにしろ最後に付け加えられたりしていて
文字通りの美女、文字通りの美しい王子である必要はないというのを読んだことがあるけれど、
野獣というのも見方を変えればほんとうに文字通りの野獣の姿かどうかは問題ではなくて、
己の内なる醜さを突きつけられた王子にとって鏡に映る自分が世にも醜い野獣の姿だったのかもしれない。その醜い姿を晒して人に接することは難しい。
誰よりも自分が自分を嫌っているのだから少しばかりの好意など信じることはできない。
でも自分の醜さを認め、その醜い自分を愛する他者の存在を受け入れたとき、醜い自分に良さを認め、初めて野獣は自らの呪いから外へ出て、等身大の自分の姿に戻ることが出来る。
物語の結末は野獣が愛することを始められるスタートとも言える。
そう考えたら、あの結末を完全に否定する気持ちは少なくともやわらいだ。

今度の実写版ディズニー美女と野獣を見たらどんなふうになっているのか、
どんなふうに感じるのか、楽しみだな。

2017-03-11

パリ・オペラ座来日公演グランガラ★★★★☆


最初に幕上がった瞬間のセッティングでもう、
すごく、来てよかった…フランス万歳…ってなった。

前回見たパリ・オペラ座のバレエはスカラ座ツアーのロミジュリなのでものすごく久しぶりで、
パリにいた頃いちばん好きだったマチアスエイマンの来日公演プラス、
モローとオレリー共演とあってあえてガラの方のチケットを取ったんだけど、
結果的にはモローはキャンセルになったのでシルフィードにした方が良かったかもしれない。
が、悔いが残るほどではない満足感で、とくに苦手意識があったアリュがすごく好きになったので収穫だった。

あとでもう少しいろいろ書きたい。

2016-11-23

プッチーニ「ラボエーム」★★★★☆

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とにかくミミ役のオレリアンフローリアンがすばらしくて、
最初の一音で震えるほど感動してしまい最初のアリアぼろぼろ泣いた。
久しぶりに知らない人で「これは!!」っていう人に出会えてうれしい。
なにしろ中低音が上手いのでキャラクターにも深みが出る。もっと追いかけたい。

2016-07-03

團伊玖磨「夕鶴」★★★★☆

日本に帰国してから初めてオペラを生で観に行ってきた!
ずっとみてみたいと思いながらみたことなかった、日本語オペラ、夕鶴。
たまたま東京の新国立近くに公演日に居合わせることに気づいてチケット見てみたら
まだ残っててすべりこみ。結論としてはとっても、とっても、よかった!!たのしかった!
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ストーリーは日本の昔ばなしの代表的なもののひとつ、鶴の恩返し。
矢が刺さってケガをしていた鶴を助けた独り者、与ひょうのもとにある日美しい女が訪ねてきて、
妻にしてほしいと言う(現代ならその時点で怪しいがここは日本昔ばなし)
その妻つうが織る布があまりに美しく高値で売れ、都でも評判になるほどだが
与ひょうはつうから機織りをする姿を見てはいけないと約束させられている。
しかしあるとき我慢できず与ひょうがのぞいてしまうと、そこには自らの羽をくちばしで抜いて
機を織る鶴の姿があった。秘密を知られたつうは哀しみのうちに去っていく、というあれ。

オペラ版はこの短いお話を2時間に引き延ばすため
与ひょう(テノール)、つう(ソプラノ)以外に、
村の子供たち(コーラス)、惣ど&運ず(バリトン、バス)というわかりやすく悪人な村人がいて
歌唱上もバランスが取れるようになっている。作曲は当時20代の團伊玖磨。
脚本の元になったのは木下順二作、山本安英主演で1949年に初演された同タイトルの戯曲。
知らなかったんだけど、オリジナル戯曲は山本安英のために書き下ろされ37年間にわたって上演、
彼女以外による上演をゆるされなかったという伝説の舞台(っていうか紅天女の元ネタ)
ほんものの月影先生がいたとは…!!あつい!!

キャストは3日目の方。
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今回のオペラは栗山民也2000年演出バージョン。
上手側と舞台奥の壁にバンと水色と紫の色が当てられてる中に
舞台中心から下手に向かってポツンと一本枯れ木が立っていて雪の降る広場、
上手手前に歌舞伎で見る感じのシンプルな構造の与ひょうの家(能舞台イメージらしい)
家の壁はプロジェクションできるパネルになっていて、その奥は機屋をあらわしている。
っていうミニマルな、しかし効果的で少し禅を思わせるセノグラフィー。

これに似たシンプルな構造のセノグラフィーは最近のコンテンポラリー演出ではよくあるけど、
少しヨーロッパのそれと違うと感じたのは、ヨーロッパだと一面まっっ白にして装置を最小限にして
舞台の変化に従って何かがそこに加わっていくという形を取ることが多い気がするんだけど、
今回のこの演出は何かを加えるというよりは状況が変わっているのに構造が同じであることで
逆に変化を際立たせているように感じて、その知的さに痺れてしまった。

脚本も、演劇版と一字一句違わないそうだけれど、
戦後日本で人々に物質の豊かさに囚われてはいけないと説く少し宗教がかったものを感じるものの
それが悪く出ていなくて、きちんとオペラという音楽と歌唱の力で増幅されて胸に響いてきて、
ひさしぶりに感動した。

2016-06-29

日本に本帰国してからは、なかなか劇場に行けないので
METやボリショイバレエや歌舞伎のシネマビューイングに行っている。
心に残ったものについては思い出せる時に書きたい。
美術館もけっこう行ったので書かなくては。

今のところ生で見たものでは金沢の能楽堂で見た野村萬の栗焼がめちゃくちゃ良かった。日本にいる間はなるべく狂言や歌舞伎も行きたい。新しくなってからいまだに歌舞伎座に行けていない。

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