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about something too important to be taken seriously

ヴェルディ「ドンカルロ」★★★★★

レッジョ(トリノ王立劇場)が火事で焼け落ち、70年代に修復再開してから今年で40年。劇場の外装や展示、オープンデーなどでかなり盛大にお祝いがなされる中、40周年イベントのひとつとして上演された今回のドンカルロ。演出はデアナ、豪華出演陣、指揮は音楽監督のノセダととにかく気合い入りまくりでゴージャス!!


http://www.teatroregio.torino.it/node/3457/galleria

実際に見るまで公式サイトの写真はイメージ画像だろうかと疑っていたのだけれど(たまにある)
本物も本物、時代背景に則したスタンダードさ、期待を大きく上回る絢爛豪華、細かいところまで神経とお金の行き届いたもう、圧巻の舞台。これぞオペラーーーーーー!!って感じ。


一番好きだったのは幕が上がる前、王室を思わせる深い青地に金糸の、めくれ上がったような騙し絵になった緞帳、音楽が鳴ると上がる代わりにそれが透き通り、背景の巨大な門扉と石柱が暗闇の中で浮かぶ仕掛けの部分。

舞台装置の豪華さは金ぴかで豪華というのではなく、全幕通して石柱や彫像、壁など石の使い方があまりに見事なので本物の建築物に見えることで生まれていて、うわーさすが本場だなあと言うしかない。物によっては完全に本物にしか見えない。


ドンカルロはスペイン王フィリッポ二世の息子で、父の元にフランスから嫁いだエリザベッタ王妃と結婚前に知り合い恋をする。しかし愛する彼女は自分の継母の立場になってしまい思いを秘めざるを得ない。エリザベッタもカルロをいまだに思いつつ、スペインとフランスの和平のため自分の思いよりも国への責任を優先して耐えている。父フィリッポ二世はフィリッポ二世で、嫁いできた妻の心が自分にはないこと、息子は自分の政策に反対の立場を取っていることなどで孤独を感じている。
カルロの心の支えは親友であるロドリーゴ。ロドリーゴはエリザベッタのことは忘れ、この時代宗教対立による弾圧で苦しんでいたフランドル地方(ベルギーあたり)の人々を救うことに注力するよう助言する。そしてカルロが自分を愛していると勘違いして密かに想いを募らせていたエボリ公女は、カルロとエリザベッタの関係に気づき、カルロにフられた腹いせにフィリッポ二世にそれを告発してしまう…

物語は以上が大筋で、他のオペラに比べ主要な登場人物が多くひとりひとりの見せ場もあり、力のある歌い手をカルロ、ロドリーゴ、フィリッポ二世、エリザベッタ、エボリ、と5人は用意する必要がある贅沢な作り(他のオペラに比べると主役が霞みやすいという弊害はある気がする)
今回レッジョが用意した配役は以下の通り。


残念ながら今回一番の目的だったイタリアの名ソプラノ、バルバラフリットリが直前キャンセル…ゲネプロに行った友達が調子悪そうって言ってたけどそれが当たったようで初日以外歌ってないらしかった。当日受付でチケットを受け取るのを待つ間に掲示板に代役で行う旨が書いてあることに気づきテンションがた落ち。ショックから戻れない…
しかし、よく考えたらドンカルロでよかったと思った。他のオペラで主役がキャンセルになったら、たとえば椿姫でヴィオレッタが代役になったらもう全幕通して辛い。主役出ずっぱりだからだ。ネトレプコか出るはずだったマノンが代役エルモネラヤオになってしまったときは悲しすぎた。ドンカルロは事実上主役5人の舞台。一人かけても見所が多いし、誰か一人が出ずっぱりの作品じゃない。


果たして幕が上がったら代役のスベトラナは目も当てられない惨状だったものの(声聴こえないし、唯一楽に出ると思われる高音部は勢い余ったのか耳をつんざく絶叫、身長もなく気品も美しさもなく王室に掃除婦が紛れているようだった)
ロドリーゴ役のテジエはうつくしく(何度か聴いたことはあったのだけれど、今回初めてうつくしい!と思った)
フィリッポ二世役のアブドラザコフにはそのイケメンぶりと伸びやかで暖かい低音の心地よさに拍手も忘れてウットリ…完全にファンになった。
そしてエボリ役のバルチェローナ、圧倒的な声と存在感で舞台をすべて持って行った。ステキ!!!!!!!
ドンカルロじゃなくて、エボリ。エボリの舞台だった。


カルロ役のヴァルガスは調子が悪かったのか声に粗があって、ロドリーゴとの友情のデュエットもなんか残念ハーモニーだった。フィリッポ二世やエボリが長身で恵まれたスタイルのため舞台上で余計ちっちゃくぷくっとして見えて、真夏の夜の夢のロバ男のようにしか見えなくて気の毒だった。彼は彼で声はいいし愛らしいんだけれども…
なんでエリザベッタはあの体格もよく顔もよく声もうつくしくセクシーな王様よりこっちが好きなのか、という説得力に完全に欠ける。

ヴァルガスもロドリーゴ役のテジエもわりといかつい顔と体格なので2人が組むとノーブルな青年2人というより元応援団長か柔道部部長のオジサン2人組にしか見えないし、何度熱い抱擁を交わしても、熱く見つめあっても、肩を組んで友情を歌い上げても、死に際に抱きとめても、仲良しの感じがおそろしいまでに皆無。2人の美しい友情を歌うこの舞台のメインテーマと言ってもいいDio che nell'alma infondereがとにかくひどくて泣いた。
こんなにも熱い友情ぶりを動作では演じながら何も伝わってこないなんて二人が裏でめちゃめちゃ仲悪いとしか思えない。
演技は感情が伴わなければここまで嘘になってしまうんだなあと感動すら覚える薄っぺらさだった。テジエはそもそもいつものっぺらぼうな印象だけど、これは彼一人の問題ではなかろう…

(ROHのヴィラゾン&キーンリサイド組はハーモニーも見事で青年二人の友情をとても上手く演じていてイイ!!細かい演技やアイコンタクトは重要だなあ… http://youtu.be/LN4UKs_EH38


全体的にそれぞれの歌い手がひとりで歌うシーンは文句のつけようがないのだけれど複数が絡むととたんに感情が行き交う様子が感じられず、どうしてなんだろう、人間同士の関係性が設定のようにしか感じられなかった。つかの間でも舞台にいる間はそれぞれがそれぞれ本人とはちがう人物になり、その人物同士がぶつかってドラマが生まれる。紙の上にしか存在しない人たちが肉体と心を持って本物になる。でもここでは、見事な舞台と歌で覆い尽くされているけれども、独白はあっても絡み合う感情はなくドラマがなかった…別の部分に力を入れすぎて出演者たちを窮屈に縛ってしまったのかなあ。

でもでも舞台美術は後にも先にもここまでのものはないのではと思うほどのすばらしさで、それぞれの歌い手も見事、物語も丁寧にそれぞれのキャラクターを描いた群像劇で楽しめるし、合唱の迫力、恍惚感、キャラクターの心情をいきいきと描いたそれぞれの見せ場、ひんやりとした部屋と夜とフィリッポ二世の孤独感が温度で迫ってくるような音、ヴェルディがこれでもかと自分の力を注ぎ込む様が伝わってくる音楽のよろこび。ほんとうによいオペラ。
それがよい舞台美術、よい衣装、よい音、よい歌で楽しめる幸福。
オペラを好きになってよかった。今このときトリノに住んでいてよかった。と思わせてくれる最高の舞台だった。
レッジョありがとうーーー