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uumin3の日記 RSSフィード

2006-08-16

靖国参拝―ネットと新聞の意見の対比 靖国参拝―ネットと新聞の意見の対比を含むブックマーク

首相の靖国参拝 ネットで圧倒的「支持」

2006年8月15日、小泉純一郎首相は「公約」どおり終戦記念日に靖国神社を参拝した。「首相の靖国参拝」について、翌日の新聞各紙は概ねこれを批判的に取り上げている。しかし、ネット上の反応は圧倒的に「小泉支持」が優勢だ。なぜこれほど乖離があるのだろう。

なぜ、新聞各紙とネット上では、首相の靖国参拝をめぐる賛否がこれほど極端に割れているのか。

若年のほうが年配者に比べて、ネット利用者が多いことが原因と見られる。つまり、若年層に首相の靖国参拝を支持する意見が多く、そういった若者がネット上で発言しているということだ。(後略)

(JCASTニュース)

 そもそも「新聞各紙とネット上」という対照でものごとを考えるのがおかしいように思います。確かにネット上での意見集約はアクセシビリティー云々を考えなければならないので単純に輿論とはできないでしょう。しかしそれでも「ネット上の意見」と「ネット上ではない人々の意見」あたりを対照させるならともかく、わずか四つの大新聞の意見(の多数派)と「人々の意見」が妥当に釣り合うものにはちょっと思えません。

 この記事を書いた方は、三大紙(朝・毎・読)の「良識」が輿論と並べてちょうど比較できるぐらいになっていると思っておられるのでしょうか?それならばマスコミの驕りとかいう悪弊にはまっているのでは?

 あるいは三大紙は庶民の声を集約していると考えるものなのか、もしくは民意の形成に相当な力があるとお考えなのか…。いずれにせよそれならば現状認識が相当ずれているのでは?


 一読して「えっ、何でこれとこれが対照されているの?」と相当不思議な感じを受けたのは私だけでしょうか?

 まあ結局、ネット上の「右傾化」云々という結論ありきで記事を一本書いてみました…というところなのでしょうけど。

[] 靖国データベース  靖国データベースを含むブックマーク

 たとえばクリスチャンであるかどうかは、形式的にみればまず洗礼を受けているか否かに依ります。ムスリムでいうなら信仰告白(シャハーダ)をするかどうかが最も重要かと思いますが、これらは言ってみれば分岐点であり、信者となるか否かが教義的には「神の国」に行けるかどうか「救済」されるかどうかのラインを引くのです。

 しかしこの救われるか否かという個々人には重要な分岐に対し、近代国家は基本的に関与しません。その価値が現世的なところでは捉えきれないところにあるからですし、むしろその価値を信仰の自由という内面的なところに限定することにより、無用な反目や対立を引き起こさずに多様な人間を一つの国の枠に入れることができるという利点を持つからです。

 実際、誰も此岸的には確かめ得なかったこの救いの線引きのために、どれだけ多くの血が現世的に流されてきたことでしょう。彼岸のことは彼岸で決着をみればよい、此の世ではその価値は問わない…というのは、一つの重要な知恵だと思います。


 さて靖国神社に祭神として祀られるということは、一つの名簿に名前が載せられるということです。そして煎じ詰めれば靖国神社問題は、このデータベースをどう意味づけるか(価値づけるか)ということに帰着します。

 靖国は宗教であるという見方からすれば、そこで祭神となることの価値は現世的には評価し得ないことです。信仰を共にする人たちにはもちろん大きな意味があるでしょうが、本来非信仰者にとっては意味がないと言ってもいいでしょう。

 たとえばどこかの国籍を持つ、といいますかいずれかの国民としてデータベースに載るということは現実にとても実際的な意味を持つことです。霊爾簿に載るということをこういうものと同様のことと勘違いしてはいけません。靖国を一つの宗教として見るということは、その価値を彼岸的なものに限定して考えるということでもあります。

 それが個人の名前であるという点では、何だかプライバシー権と結びつけて考えるような誤解も生じやすいでしょうが、亡くなった方の家族が「故人の遺志」とか「遺族の意思」などを持ち出して霊爾簿からの削除を要求するというのも、逆に言えばそこに書き込まれることの価値(批判者にとって*1マイナスの価値)を認めてしまっているという点で靖国の信仰の価値観の共有ということになってしまっています。

 二宮尊徳を祀る神社は全国に存在します。銅像はもっとたくさんあったでしょう。しかしその神社や銅像の意味は、彼の業績・事跡を讃えそれに意味を見出す側にのみあります。翁の遺族や子孫、あるいは翁本人の遺志とはもともと異なる次元の話なのです。

 そのデータベースの効用と言いますか実際的意味が現世にない以上、無意味だと思ったら放っておく、無視する。そこらへんが信仰と相容れない人のできるぎりぎりのところではないかと思います。

 ある意味皮肉なものです。熱っぽく靖国を否定し、戦犯の悪を声高に言い立てる方々が、最もその価値を認める人たちと同じくらい「靖国」の価値を称揚していることになっているのですから…


 ただ、靖国神社には「国のために亡くなった人を顕彰する」ということに関しての議論は存在しています。私はすでに一宗教法人となった靖国に、この責を担わせることは適当ではないと思います。しかしこれには異論もあるでしょうし、それこそこの際議論百出して良いと思ってもいます。

 これはベネディクト・アンダーソンが『想像の共同体』(NTT出版、1997)の冒頭で言及した、「無名戦士の墓」が持つ国家統合の働きをする「国民的想像力」に関わる類の話であると考えます。近代国家がそれとして統合するために生み出した(生み出す)新たなる超越的価値、といったものの話ですね。これに関しては、まだ私の中で語るに足るだけのものがないと思いますのでここでは触れません。しかし唯一つ、この側面はきわめて内政的な問題であるということだけは断言できます。自分の国をどう思うか、その統合をどう思いどう表現するかということに対し、他国が容喙できると思うのは非常におこがましいことです。有り得ません。


 ということで、私は靖国神社の問題を宗教の側面で基本的に考えたいと思っておりますし、そこに現れてくる国としての慰霊の問題は切り分けて考えるべきだと思ってもおります。そして特に後者は、他国がどうこういうものでは絶対にないということも…

 こうした考えの構図が、おそらく昨日の小泉首相の考えと私の考えの最も異なるところ(小泉氏は必ずしも切り分けて考えていないと思われます)でしょう。ただし、彼の言明は非常に明確なものでしたので、賛成するにせよ反対するにせよ議論の叩き台としては優れたものであったと評価します。

 ところが野党にせよ、反小泉陣営から昨日出てきたステートメントに小泉発言と真正面からぶつかるものが全く見られなかったということには、私は心底失望しております。もうちょっと待つべきでしょうか…あまり期待もできないように思うのですが…。

*1:←表現追加

madrigallmadrigall 2006/08/17 00:27 弥生慰霊堂(旧・弥生神社、戦前は警視庁管理 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%85%B0%E9%9C%8A%E5%A0%82)の無宗教化などが参考になるのではないでしょうか?この弥生慰霊堂は民営のままなのかなと思いますが(建物は神社だったころの名残りは少しあります)、千鳥が淵は環境庁の管轄下です。
靖国の場合は今ある霊爾簿の扱いとその宗教性の扱いとあと遊就館に展示された資料の扱いの主に3点を整理して、おそらくは霊爾簿と遊就館展示物の管理については管轄の省庁を分けるやり方があるのかな、と思います。そういうところが考えに入っているところで、基本的に麻生案で個人的には大丈夫だと思っていますが、「出来っこない」という方が多いですね。国立の慰霊施設を作るやり方もありますが、それがそのまま靖国の始末になるかどうか、という問題もあるとも思うのです。

madrigallmadrigall 2006/08/17 00:33 追記、すみません。つまり「靖国の始末」というのは戦前陸軍省の管轄だった靖国が『政教分離』のためにGHQの方針に従って宗教法人化(=民営化)をしたわけで。その始末を完全につける方法というのは、神道から切って離すことなのではないかな、と思ってます。元々、靖国が神社本庁に属さない単立であるのは、「いずれ国にかえさなくてはならない」という理由であったということなので。

uumin3uumin3 2006/08/17 09:29 トラックバックをいただいた記事は読ませていただいておりました。慰霊堂のurlも参考になります。ありがとうございます。
国としての慰霊施設に関して輿論の議題に上ってきたのは良いことだと思いますね。これに麻生試案のように靖国神社を絡めるか、あるいは千鳥が淵を拡充するか(確か新宗連とかもこの意見だったかと)、第三のものを考えるか…。私は靖国神社を現在崇敬されている方々が神道色を失うのに前向きとは思えませんので、それはそれで尊重して他の道を考えるのがよいのではないかと個人的には考えています。
ただ、実はここに至ると「国家統合」自体を悪いもののように考えられている人たちが出てきたりもいたしますので(ナショナリズムを悪とだけ考えられている方々です)話は長引きそうでもありますが…
あと日記の方でも書きますが、分祀ということで中韓に配慮という発想はどうにも意味を持ち得ないように感じます。ですから、靖国は今の靖国のままで…という結論に結局至るのではないかと…。

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