オトタナバタ補遺

 七月七日の記事で、オトタナバタの歌謡をめぐって、『古事記』に「棚機津女という巫女の伝説」があると広まっていた説を否定したわけですが(参照)、その際コメント欄でid:keya1984さんに「この説の出所は折口信夫。ただし彼が古事記にその伝説があると主張したわけではない」ということを御教示いただきました。ただしその後、当の折口の本を見る機会がなかなか得られずにおりました。それでもたまたま平林章仁『七夕と相撲の古代史』白水社、という本に出会い、そこで折口の説について触れられているのは目にしております。いずれ折口の本が読めてからと思ってはいたのですが、今日で七月も終わってしまいますので、とりあえずその平林氏の本にあった一節を書きとめておこうと思います。


 平林氏はこの本で「宮廷儀礼化以前に七夕が我が国に伝来していたこと」について論考しておられるのですが、そこで『古事記』の「弟織女(おとたなばた)」の歌と、ほぼ同様の物語と歌を収めた『神代紀』(第九段一書第一の国譲り神話、葦原中国平定段)の歌について触れ、「歌謡中のオトタナバタ(原文は神代紀では乙登多奈婆多、『記』では淤登多那婆多)と七夕節の関係の有無」についてまず考察されています。
 結論を言えば氏は「関係あり」という説でして、それは次のように書かれていました。

 要するに、オトタナバタの歌謡の背景には、そろって伝えられた機台付のタナバタ、その技術をもつ織女、七夕の儀礼と説話、これらを内包する機織り集団の存在が想定される。おそらく、この頃に我が国に伝えられた七夕の儀礼と説話は、機台付のタナバタを織る織女(星)の物語に重心がおかれ、女性の技芸の上達を祈願する乞巧奠も伴っていたが、牽牛の影はいくぶん薄かったと推察される。
 このように、『万葉集』の七夕歌よりも古く、中国南朝などから機台付の機や織女と共に、七夕の儀礼や説話ももたらされていたのである。(同書p.150)

 この結論に至る過程で、オトタナバタの歌謡と(中国伝来の)七夕の関係を否定する見解の一つとして折口説が紹介されている部分がありました。

 …折口信夫氏(13)は、神聖な水辺に造り出してある棚(湯河板挙 ゆかわたな)の上で聖なる女性が機を織りながら寄り来る神を迎えるという祭儀があり、彼女がタナバタツメで、タナバタツメには姉姫(えひめ)と妹姫(おとひめ)があったと説く。そしてこれを承けた次のような否定的見解も少なくない。すなわち、日本にも七夕説話とよく似たタナバタツメの神婚伝承が古くに存在したが、これは我が国固有のもので、後に、これと中国から伝えられた七夕説話とが習合するが、本来は日本のタナバタツメと中国の七夕説話の織女星は別々のものであり、歌謡のオトタナバタも「エタナバタ」の存在が想定されることから、中国の七夕説話(習俗)の影響とは言えない、という見解(14)である。(同書p.134)

原注(13) 折口信夫水の女」(『折口信夫全集』第二巻、1965年)、同「七夕祭りの話」(同全集第一五巻、1967年)など。
原注(14) 小島憲之上代日本文学と中国文学』中、1964年、1120頁以降。大久保正「人麻呂歌集七夕歌の位相」(『万葉集研究』第四集、1975年)。入江英弥「七夕と相撲」(『万葉集民俗学』1993年)…など。

 平林氏はこれらの説に対して、「オトタナバタのオトは兄・姉に対する弟・妹の意のオトではなく、かわいい・美しいという意の接頭語である」とし、また「オトタナバタのタナは、神を迎える巫女が神衣(かんみそ)を織るために神聖な水辺に架け渡したタナではない」とも論考されてこれを否定されます。

 もちろん、折口氏が説くように、神聖な水辺での神の妻となる巫女が機を織りながら、寄り来る神を迎えるという神婚説話とそれに関わる祭儀が、我が国古代に存在したことは認められる。しかし、これとて我が国独自のものであることが証明されているわけではない。(同書p.136)

 また機会がありましたら折口氏の本を読んでこの話題にも触れたいと思いますが、とりあえず現時点ではこのぐらいまで跡付けたといった程度です。


 ちなみに、なぜ七夕と相撲が絡めて語られるの?ということにつきましては、相撲の歴史で必ず触れられる「當麻邑の力士當麻蹶速(たいまのけはや)と出雲国の勇士野見宿禰(のみのすくね)が相撲を取った」という記事が『日本書紀』の垂仁天皇の七年七月乙亥(七日)の条に見られるということに由来します。
 平林氏のこの本は体裁は一般書な感じなのですが、内容はかなり専門的で(くどく)、おそらく一般受けしなかっただろうなと思いました…。1998年の発行です。

善意の責任

 善意でボランティアに出かけて、そこで何がしかの事件があって、その時本人に責任はあるかという問題を考えるのは難しい問題です。どのレベルでの責任か、どれほどの責任かなどを判断しなければならないからです。
 少なくとも刑事罰に関しては、善意もしくは悪意の不在の場合それを問えないという常識はそれなりに共有されていると思いますが…

 …まず原則として「故意」がなければ犯罪にならないということをおさえてください。故意というのは「こういうことをすると処罰しますよ」の「こういうことをする」という気持ちをさします。そういう気持ちがなければ故意はないのです。例えば刑法261条の器物損壊罪は「他人の物を損壊」した時に成立する犯罪ですから「他人の物を損壊」する気持ちがなければ故意がないので犯罪が成立しません。刑法38条1項本文がこのことを定めておりまして「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。」としております。「ちなみに罪を犯す意思がない」の具体的判断基準の1つが、刑法38条3項本文の「法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。」です。法律を知らなければ「何をすると処罰されるかわかるわけがない」ので、処罰されないように行動することもできないという理屈はなり立ち得る話です。…刑法ではそこをあらためて明記することにして、「法律を知らなかったというのはだめだよ。」としたのです。
構成要件に該当するための3つの要件

 どこかのフォーマルな演奏会に幼い子供を連れて行くという例を考えてみます。もちろんそれは子供に良い演奏を聞かせてやりたいという善意からのもので、さらには演奏を邪魔しようという気持は毛頭無い場合だったとします。その場合でも、結果的に子供が場を弁えず演奏をめちゃくちゃにしてしまうということはあり得ます。
 その場に居合わせた人の迷惑に関して、子供を連れて行った人に責任は生ずると考えるのは妥当なことだと私には思えます。ここにある責任は、当然予見し得た「子供が騒ぐ」というリスクを過少に評価(もしくは評価していなかった)ことによって発生した周囲の不利益に対する責任と理解するのがふさわしいと思います。
 とはいえそれをどのぐらいの責任と見積もるか、周囲の受けた損害を適正に評価しその度合いを測るということは必要ですし、これはどちらかと言うと民事の「被害者救済」の発想による損害回復が適用されるケースでしょう。そんな比喩で考えてみても、善意の責任をどう測るかは本当に難しいことだなと思えます。


 韓国人人質事件で、また一人が処刑されたとの報が出てきています。たとえ彼らにいくらかの責任はあったにせよ、命を奪われるまでのものとは到底思えません。なんとも救いようがないケースです。
 タリバン、人質シム・ソンミンさんを殺害か中央日報日本語版)