面接などに絡む事例

高校入試、茶髪・眉そりチェックし不合格 神奈川の県立朝日新聞

 神奈川県平塚市の県立神田高校(生徒数347人)が入学試験で選考基準になっていない茶髪や眉そりなどをチェックし、該当する受験生を不合格にしていたことが28日、わかった。県教育委員会の発表によると、本来の基準では合格圏内にいながら不合格にされた生徒は、過去3回の入試で計22人にのぼるという。


 県教委によると、この不正なチェックは05、06、08年度入試で校長の指示により行われた。対象項目は、髪の色やピアス跡、つめの長さ、眉そりやスカートの長さなど。こうした「裏基準」に基づき、教員が願書受付日や受験日に受験生をチェックした。


 県教委が公表している県立高の選考基準では、調査書と面接、学力検査を点数化し、合算した上位から合格を決めることになっており、身なりや態度は基準に含まれていない。
(中略)
 【合否判定に使われた主なチェック項目】 茶髪に染めた跡がある▽つめが長い▽願書受付日や受験日の態度が悪い▽願書提出時に軍手をつけたままで受け渡しをした▽胸ボタンを外している▽服装がだらしない▽ズボンを引きずっている▽スカートが短い▽まゆをそった跡がある▽化粧をしている
(2008年10月28日)

 面接話をちょっと続けた頃合いに興味深いケースが出てきました。
 おそらく問題となるのは、先の「面接者の欠点」に照らし合わせると

5 ステレオタイプや個人的なバイアスを持っている
6 志願者の非言語的行動に影響される
8 一つ二つの長所や欠点に影響された全体評価を行う

 というあたりに引っかかっているということであって、それが「公立高校」で「面接以外の場で」行われていたという点が批判されているのでしょう。前者はパブリックな場に個人的バイアスを持ち込んでいるという不正、後者は受験者に対策する機会を与えなかったという不実、これらがそれぞれ記事を読んだ者に不快感を与えるのではないでしょうか。


 ただこの記事で少し疑問なのは(これはおそらく県教委の発表自体にあった表現を引き継いでのことと思いますが)身なりや態度は(選考)基準に含まれていないと言っているところです。選考の中に「面接」がある以上、そこでの「態度」(挨拶、視線、姿勢、落ち着き、言葉遣い、身だしなみ…)は当然考慮され点数化されているはずだと考えられるからです。
 ですからもし学校側が面接点の比重を高くし、校長の「裏基準」をそこで評価のポイントにすることを申し合わせていただけならば、これがスキャンダラスに話題になることもなかったろうにと思います。
 逆に言えばバイアスがごく自然に面接の中で点数化され得るというところ(これは常にあり、この先も解消され難い)が根っこにある問題かなとも思えてきますね。


 後者の方の問題点、面接時以外の「願書受付日や受験日に受験生をチェックした」というところはおそらく厳に戒められて再び行われないことと思います。ここにあるのは面接と面接対策のジレンマでしょう。(「態度」評価を重視する)面接者は「素の」志願者を見たいと考えます。ところが志願者は「対策した」自分を見て評価して欲しいと考えます。ここらへんは読み合いでイタチごっこの部分があって、神田高校は対策が効かない受付日などの「素の態度」を評価することでうまいことできていると考えたのでしょうが、問題視されてみればいかにもずるいような印象を与えてしまうものでした。せめてこれをやるならば「志願者は学校側との接触のすべての機会が評価対象になっていると認識してください」ぐらいのことを先に明示しておくべきでしたが、それをやってしまうとすべての時点で「対策」される可能性が出てきてしまうので、求める「素の」ところにはどうしても届かないという厄介な状況に気付いたことでしょう。


 「うわべで人を判断してはいけない」という看板はこの高校は下ろしていたのでしょうか?
 初等教育ではよく出てくるこのポリシー、中等教育のあたりではあまり聞かなくなる印象があります。
 「こういう人についていってはダメ」とかいう注意も、それが具体的であればあるほど「うわべで人を判断する」ことになりますよね。そろそろこの理想もはっきり続けるか止めるか意識すべき時節柄なのかもしれません。