オンデマンド本を読んでみた

 昨年たまたま買ったオンデマンド本(詳しくは→三省堂書店でエスプレッソ)の『ジャズ喫茶「ベイシー」の選択』(菅原正二、講談社オンデマンドブックス)を読んでみました。
 ジャズはあまり詳しくないからどうかな、なんて思いながら読み始めたのですが、これがもう面白いのなんのって。
 著者紹介には、「1970年、岩手県一関市にジャズ喫茶「ベイシー」を開店。日本一〈音〉の良いジャズ喫茶としてジャズファン伝説の地となる。」とあるくらいで、これはジャズの本というより「いい音」を求め続けるオーディオ・マニアの本。それもそのはず、初出は『ステレオサウンド』誌でした。
 レコードに刻まれた音をどう巧く再生するか、それもバンドマンがジャズ喫茶の中で演っているように聞こえるにはどうすればいいか。アンプ、スピーカ、レコードプレーヤーはもちろん、配線やドアの位置まで試行錯誤を重ねる描写には、ワケがわからないながらも感動しました。しかし張り紙一つで音が変わるとは……ほとんど〈音〉の求道僧だ。それに、いい音を出したり聞いたりしたときの菅原氏の描写がまた素晴らしい。

 店頭で一目惚れした「ジム・ランシングのプリメインアンプ、SA600」を「性能も機能も感触も試さずに」買ってきた菅原氏は、

 最初っから「ドカン!」とくるものをかけるほどぼくは神経が太くない。ルーレット・レーベルの『ヴィレッジ・ゲイトのクリス・コナー』をさりげなくかけてみた。さりげないつもりが、出てきた音はそれどころではなかった!!
 ザワザワと人の気配がそこらじゅうに広がり、ステージが見渡せるような状況の中でクリス・コナーが歌い出した。
 冗談ではない、今までとまるで様子が違うではないか!! 音の広がり、奥行き、見晴らしが、それまでととにかく全然違うのだ。ロクハンのスピーカーがこんな音を出していいのか、いったい!!
 マンガでいうと、ぼくのコメカミのあたりにタラリと汗がひとしずくたれた。
 今まで眠っていたコーン紙のすべての部分が丁寧に揉みほぐされているような、それは鳴りっぷりであった。低音は何処までもしなやかに伸び、高音とて、トゥイーターもないのに天井知らず、といった感じの伸び上がり方であった。四方にガクブチがないといったらいいか……。(p. 74)

 SA600もクリス・コナーも知らないけれど、でも確実にその興奮が伝わってくる。こんな描写がわんさと出てきます。


 この本に収録された文章は1988〜92年に書かれたもので、ちょうどCDに押されてレコードが消えていった時期にあたる。なので、他人事とは思えないこんな文章もありました。

(前略)つまり、此処で筆者がいおうとしていることは、アナログレコードは不便だ、時代遅れだ、ロクなことがない、と認めていながらも、〈音〉がいいから止められない、という一点に集約されている。
 袋からレコードを取り出し、おもむろにゴミを拭いてから静かに針を下ろすと、さあ、これから演奏が始まるゾ、というパチパチ音がたまらない。などとは一言もいっていない。
 土台、〝パチパチ音〟などなんとか出さないように心血を注いで来たのではなかったか!?
 ハッキリいおう。レコードは、ジャケットがいいのと、音がいいのと、長持ちすること以外は全部CDにしてやられたのだ。
 だから、合理性を最優先する人は迷わずレコードを全部ドブに棄てたらいい。
 少数派の「あきらめきれぬ人」たちがレコードをちゃんと守っていくから、心配は無用だ。(p. 80)

 レコードを本や活版印刷に、CDを電子書籍にかえれば、そのまま今の出版状況に当てはまってしまう。極端な話、この本全体が〈本作り〉の比喩としても読めてしまう。というか、そんな読み方をしてしまった。だからよけいに感動したのかもしれない。
 本作りという面で苦言を一つだけ。せっかく素晴らしい内容なのに、ジャスティファイ(両端揃え)が掛かってなくて行末がバラバラなのがなんとも残念だった。PDFからの出力だから元はDTPソフトを使って組んでいるんだろうに。それとも意図的にやったのかな? 行末が気になって、いいところで気が散って集中力が削がれてしまったりした。むちゃくちゃ面白い内容なのに、もったいないよ、ほんと。