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2018-03-05

海水ウランの大いなる可能性

アゴラに投稿し掲載してもらった。

http://agora-web.jp/archives/2031414.html

こっちにも載せておこう。


「海水ウランの大いなる可能性」

日本の原子力の現状

 日本はエネルギー自給率が低く、それを解決するために原子力及び高速増殖炉による核燃料サイクル計画が立てられたが、福島第一原発事故やもんじゅの失敗により、その先行きは暗い。日本は高速増殖炉開発をフランスに相乗りする形で続ける方針だが、そのフランスでも開発縮小が伝えられている。高速増殖炉がなければウラン資源は限りあるエネルギーであり、今後中国やインドが原発を増設すれば入手が難しくなる可能性もある。原子力は準国産エネルギーとされているがウランは純輸入品であり、今のままでは反対運動がなかったとしても脱原発せざるを得ない。

海水ウランとは

 一方で日本は海に囲まれた海洋国である。海にはウランがわずかながら溶け込んでおり、それを回収できればウランの枯渇の心配はなくなる。海水ウランは使っても減らないと言われており、事実上無尽蔵で再生可能エネルギーと言ってよい。原子力は再生可能エネルギーの仲間入りができ、純国産エネルギーの仲間入りもできる。海水ウランが実用化できれば原子力は環境の点でも自給の点でも制御性の点でも申し分ないエネルギーになることができる。海水ウラン捕集の実験はすでに行われており、実際にウラン抽出の実績もある。技術的に可能であることは実証されている。

 

海水ウランの実情

 ところが、海水ウランは非常に薄いためその回収には多大のエネルギーが必要で、海水ウランを作って発電しても発電エネルギーが回収エネルギーを下回るということが起こりうる。例えば年間1200tのウランを回収する計算では沖合に係留した167万本もの捕集材を使用する。回収する船は1000t積み116隻が年間を通して稼働する。船の燃料に重油を使うようだとそのエネルギーも必要、コストも必要、CO2も出てしまう。ウランを回収しても軽水炉で使うには精製、濃縮が必要である。これらのエネルギーが発電エネルギーより大きければせっかく海水ウランを回収してもエネルギーはかえって赤字だ。これまで海水ウランのエネルギー収支の報告はなく実態は不明だが、海水ウランがエネルギー源として役に立たない可能性は高い。

再生可能エネルギーはどうか

 では、太陽光発電風力発電などはどうか。これらは再生可能エネルギーであり、燃料費ゼロの純国産エネルギーであり、温暖化ガスも出さないし、導入ポテンシャルも十分あり、世界的にも望ましいエネルギーとされ日本でもFIT制度のもとで導入が進んでいる。ところが、太陽光や風力などの変動性再エネは制御性がないので大量に導入すると、発電するときは皆一斉に発電するので電力が余ってしまい、発電しないときには皆一斉に発電しないので電力が不足する。稼働率が20%程度しかない再エネで十分な量のエネルギーを確保しようと思えば時により最大需要の5倍発電してしまうこともある。これを対策するためにEVやFCVの活用が提案されているが、すべての車をEVにしてもすべてため込むのは無理であり、ため込める電力量も限られる。水素ならため込む量の制限はないが、体積はかさばるし漏れやすく危険でもあり、大量かつ長期の貯蔵性には難がある。変動性の再エネがエネルギー供給の主体となったとき、その変動性をいかに克服するかは難しい課題であり、各国とも頭を悩ませている。

海水ウランの活用

 そこで再び海水ウランが登場する。海水ウランは回収や濃縮にエネルギーが必要だ。そのエネルギーを回収したウランから得られなくても太陽光や風力発電の余剰エネルギーを使えばウラン燃料はできる。これは太陽光や風力の余剰エネルギーをウランに貯めていることに相当する。ウランは非常にエネルギー密度の高い燃料だ。つまり、どんなに太陽光や風力の余剰エネルギーがあってもウランにしてしまえばその貯蔵は楽なのだ。しかも安定だから一度作ったウラン燃料は長期保存も可能。いくらでも余裕のある揚水発電のようなものである。今日の昼発電した電気を今日の夜使うというような用途には向いていないが、去年の再エネの余剰エネルギーを来年使うというような使い方が海水ウランで可能になる。

 

再エネ社会の完成

 

 こうしてできたウランは再生可能エネルギーであり、純国産エネルギーであり、温暖化ガスフリーであり、しかも制御性もよい、理想のエネルギー源になる。再エネが余れば余るほど、ウランをため込むことができ、それは日本のエネルギー安全保障を確かなものにする。再エネは原子力を救うのだ。一方で太陽光、風力などの変動問題を原子力が解決できる。ウランというこの上なくエネルギー密度の高い蓄電池を活用することにより再エネの導入制限もなくなる。原子力で再エネも救われるのだ。

 

再エネと原子力の共存

 

 福島事故から7年。原発推進派と再エネ派は互いに反目しあっている。その理由の一つに変動性の再エネと出力制御を行わない原発の共存が難しいという側面がある。しかし、海水ウランを活用することにより再エネの変動を海水ウランで吸収出来る。同時にウランの枯渇問題を再エネが解決する。変動性再エネと原子力はお互い必要不可欠な存在になる。再エネが多くある方が余剰エネルギーも増えて原発の燃料がたくさんできるし、原発の出力制御も50%程度は十分可能であり、原発が十分あれば再エネの変動も原発の出力制御で解決できる。原発か再エネかではなく、両者ともお互いのためにお互いが増えることが有利になってくる。

 

原子力の環境整備

 

 海水ウランの活用のためには原子力活用の環境が整っていなければならない。海水ウランが活用できるなら原子力は未来永劫使えるエネルギー源である。その活用のためには未来永劫原発が受け入れられる社会環境が必要だ。しかし現在の状況では原発の新設・増設は見込めない状況にあり、原子力の活用ができる環境とは言い難い。約一年前、日本社会が原発を受け入れやすくするアイデアの一つとして「根室原発特区構想」を提案した。日本のすべての原発を根室に集中立地する提案だ。これと海水ウラン活用を組み合わせれば日本のエネルギーは未来永劫安泰だ。そうなる鍵は技術でなく社会にある。既存原発再稼働、核燃料サイクルだけが原子力ではない。過去の路線は白紙に戻し、未来に向けて社会が納得する原子力の姿を考えていくべきだろう。

参考資料

ウランは充分あるか? http://agora-web.jp/archives/2022455.html

海水ウラン回収技術の現状と展望 https://www.jaea.go.jp/03/senryaku/seminar/s09-3.pdf

根室原発特区構想 http://agora-web.jp/archives/2024855.html

2014-05-30

原発について

原発稼働差し止めを命じた判決がでたが、それを聞いて考えたこと。(判決中身とは関係ない)

原発は事故がおきる可能性があり、それは確率的なリスクである。推進派はその確率は十分低いのだから動かした方が得だという。ふつうこういう確率的なリスクに人はどう対処しているか。株取引でも自動車や飛行機に乗るときも確率的なリスクはある。それはわかっているが、それを了解の上で配当や利便性を重視して人はそれを行う。あるいは行わない。事故のリスクを恐れ自動車を使わないという人は少ないだろうが、飛行機を使わない人はもう少し多いだろうし、株価下落を恐れて株取引をしない人は多数派かもしれない。これはリスクの大小とは関係ない。明らかに自動車より飛行機の方がリスクは少ない。代替手段があるかないかも重要だ。飛行機のリスクを恐れて鉄道やバスや船を選択する人はいるかもしれない。このように確率的リスクについてはそのリスクを引き受ける決断は普通個人に任される。リスクが顕在化した場合の被害もその決断をした個人に起こり、他の判断をした人には起きない。原発はそうではない。原発を動かしたときの配当は電気料金の形で多くの人に振り分けられるが、リスクが顕在化した場合の被害も多くの人に襲いかかる。個人的な選択ができないわけだ。逆に言えばリスクを引き受けようとする人がリスクを引き受けきれない、その判断をしなかった他人にもリスクが及ぶというわけだ。事故確率の大小ではなく、そのリスクを皆が引き受けられるのかが問題ということである。全員がリスク引き受けに同意すれば問題ないが、リスク引き受けを拒否する人がいた場合にどうなるか。そしてそれは憲法の人格権とどうかかわるのか。原発問題とはそういう問題なのだ。それから国富について。原発を止めると燃料輸入量が増え、赤字になって国富が流出するというが、それはフローの話だ。原発が事故ったときに失われる地域社会はストックである。フローの改善とストックの破壊を天秤にかけることはできるのか。フローが改善した分が破壊されるストックを上回るならフローの改善を選択する理由にはなるが、どうやって測るのか。その比較方法、評価方法について合意が得られなければどちらが得かも結局のところ不明だ。やはり原発推進派はいろいろなところをすっ飛ばして自分たちに都合のいい論理を展開しているように思える。

2013-12-10

「我国の原子力界はなぜ旧態依然として改革、改善されなかったか」

エネルギー会というところでまたなかなかいい講演があったようだ。

http://www.engy-sqr.com/lecture/document/zadannkai138siryou.pdf

事故原因というとハード面の対応がよく語られていてそちらはある程度対策も進んでいると思うが、この人は安全はハードとソフトの2本柱であってソフト面について指摘を行っている。まあ一言で言えば原子力界の面々は電力会社もメーカーも規制当局も社会への貢献という最終目的を忘れていたということである。原発推進のためには最終的に社会との和解が必要なのだ。今の社会風潮を攻撃したり原子力を守るため社会と戦うみたいな延長上に原発の将来はない。こういう講演会をやるのだからエネルギー会というところは将来性がある。ゆくゆくは原子力情報資料室とかと一緒に民間シンクタンクとなってこの資料で説明されるNEIのような活動をして欲しいなと思う。

2013-05-07

「福島事故のCommunication 日・英の状況から考える」

ときどき紹介している原発推進側団体である「エネルギー問題に発言する会」というのが座談会資料を載せてくれているのだが、「最近福島事故のCommunication日・英の状況から考える」というのを載せて、この内容が面白い。講演者は元読売新聞編集委員だそうだから基本的には原発推進派の流れを汲んでいると思うが、内容は非常に推進側に手厳しいものだ。原発事故後、推進派と反原発派の間でお互いを攻撃しあう関係が続いているが、実際には反原発派というのは危険を指摘してくれるという意味で安全対策の面では敵ではない。規制委作りは成功して実効あるものとなっているが、あくまで枠をはめるだけのものだ。本当に実効ある安全対策をするには真の専門家による分析が必要でありそれは原発を作り運転しているメーカーや事業者に他ならない。だから規制委は事業者と話せという主張は見られても、じゃあ実際に推進側の事業者が事故原因について鋭い分析をしたものを見たことがなかった。今回の資料はまあジャーナリストによるものだから専門家によるものではないが、そうはいっても推進側目線でのかなり鋭い指摘がされているように思う。この講演会を推進側団体でやるところに意味がある。こういう議論を推進側内部でおおいに戦わせ、それを世間にも公開すればまさしく専門家の信頼回復に貢献することになるだろう。推進派がやるべきことは内なる敵の撲滅であるべきなのだ。

http://www.engy-sqr.com/lecture/index.html

2013-05-06

原発関連記事

アゴラにのる原発推進記事に対して反論をコメントすることを趣味にしていたのに、原子力規制委が安全基準を発表してからそういった記事がめっきりなくなってしまい、最近つまらない。まあ、規制委がそれなりの信頼を得たということでもあろうし、規制委の言うとおりにすることにより電力会社も信頼を回復しようと考えているのかも知れない。規制委が電力会社が期待するほど緩くなかったのは確かだが、とはいえ言うとおりにすることも原発の再稼動ができることを考えれば悪くないということだろう。規制委の作った基準どおりに対策が進むとすれば悪いことではない。

そんななか茂木大臣が規制委だけではなく、業界内で安全をチェックする組織を作ることを表明した。これも規制委に対抗する組織であるようでは困るが、規制委はそうはいっても自ら原子炉を操作することはない、言ってみれば机上の組織であるのでその規制が適正であるかは疑問もでることもあろう。そんななか、茂木大臣の言うような組織が実効的に機能すれば、より有効な安全対策が可能になることもあろう。理想的にはそういった安全対策が国の安全基準を超えて成されるようになり、国の安全基準は追いついていない電力会社のみを規制するぐらいであればいうことはない。大臣はそういう趣旨で考えているであろうから悪い話ではない。もちろんできたからといってそうなるとは限らず、ただ単に規制を緩めようとする組織に成り下がる可能性もこれまでの電力会社の姿勢からいえばおおいにあるとも思われるが。

さらにトルコに原発輸出が決まったというニュースがあった。安倍総理が世界一安全な原発を供給するという厚顔無恥はたいしたものだと思うが、現実問題として地震国トルコに地震をよく知る日本の原発が入るのは悪いことではない。日本で事故があったのはアメリカ設計の原発だし、日本製がだから悪いということにはならない。逆に中国製や韓国製の安い原発を選ばなかったのはトルコが懸命だからである。日本のメーカーも下請け面して原発事故を電力会社のせいにしてばかりいないで、自ら安全に責任をもったものを送り出してもらいたいものだ。

2013-01-03

未来の党

未来の党がさっそく分裂した。国民の生活が合流した時も票目当ての人気取りにしか見えなかったので結局票がとれなかったわけだから合流の意味もなかったわけで当然の帰結だろう。ばかが見込み違いをしたというだけの話であればただの笑い話であるわけだが。しかし、小沢グループは浜岡停止要請後の菅おろしの中心勢力である。その行動をみれば電力側であるわけだ。そう思って現在の結果を見ると脱原発勢力の票が維新に集中するのを恐れ、電力側が仕掛けた票分散戦略だったようにも思える。まずは原発推進派の石原慎太郎に原発は別として首長の会としての維新を前面にだして合流を持ち掛ける。それが成功したので維新は脱原発看板を下ろしたと宣伝し、小沢に脱原発新党を作らせる。そして票が分散し、その結果脱原発新党がほとんど議席を取れなかったことを理由に脱原発は国民の意思ではなかったと宣伝する。そして今その通りになっている。こういったことを本当に戦略的にやったとしたらさすがというしかない。なんといっても国民の生活は自滅が前提の合流ということになるからだ。まあしかし自滅はすでに十分予想されていたことだからどうせ自滅するなら電力に恩を売っておくという選択肢もあるかもしれない。もしこれが本当なら未来の党は票分散戦術に力を貸したことにもなってしまい、小沢の提案に乗ったのは明らかに間違いだったといえることになる。反省してもらわなくてはならない。もちろんとてもうがった見方でした。

2012-05-30

原発の受容に何が必要か

 福島原発事故を受けて人々は原発の存在を受容できず、再稼動反対へとつながっている。それに対し、原発推進派は地震や津波が起こっても福島のようにならないことを確認したし、電力不足や代替燃料費の問題もあるから再稼動したいといっている。

 しかし原発が社会に受容されないのは原発が危険だからではない。原発事故では直接の死者はないし、放射能で障害がおきたという話も聞かない。一方自動車事故では減ったとはいえ、年間5000人もの死者がでており、怪我をする人は100万人にもおよぶ。その自動車を人々は受け入れている。つまり実際には原発より明らかに危険なものをわれわれは受容しているのだ。バス事故があっても格安バスは今でも走っている。もちろん反対の声はあるが、高速バスが社会に受容されているのは明らかだ。

 なぜ明らかに危険な自動車が社会的に受容され、実被害はそうでもない原発が社会的に受容されないのだろうか。今回の震災も震災による直接の被害のほうがはるかに大きいにもかかわらず、震災による被害は社会的には受容されている。しかし原発被害は受容されていない。

 受容されるかどうかは被害の大きさでは決まらない。震災や津波の被害はどんなに大きくても受け入れるしかないし、自動車の危険性はわかっているが人々は自動車による利便性を選んでいる。しかし原発の危険性は長い間安全神話に隠され、つい最近現実になって学んだばかりだ。発電には別な方法もある。人々は新たにわかった原発の危険性を測りかね、受け入れられず、他の発電方法を選択したいと願っている。つまり原発が受容されない理由はその危険性についてのイメージが形成されていない、言い換えれば無限に危険性が広がるようなイメージをもたれているからだ。

 原発の議論において、危険性を強調する勢力と安全性を強調する勢力に別れて互いに競い合う結果、危険イメージは妄想的に広がっている。なぜこういうことになるか。危険性とはマイナスポイントである。危険性を強調するということはマイナスポイントを大きく見せるということだ。安全性とはプラスポイントではない。マイナスが0だということでしかない。安全性を強調しても0がいかにもゼロであるということだけであり、マイナスポイントの増大に対抗できないのだ。危険性を強調する勢力と戦うには具体的に危険を除去する対策を訴えていく、つまりマイナスポイントを具体的に減らしていくしかない。それを行わずにいくら安全を強調しても残念ながら副作用として対立勢力により危険性が強調され妄想が広がっていくだけなのだ。

 原発の危険性を受け入れてもらうには原発の危険性について説明しなければならない。今までのように危険性を隠す方向ではもはや人々に原発が受け入れられることはない。人々は原発の危険性を知ってしまった。いくら安全を強調したところで危険性についての妄想が広がっていくことは防止できない。原発推進のためには原発の危険性について正面から取り組む姿勢が必要である。原発の危険を具体化し、その被害や危険度について定量化し、その対策についてコンセンサスを得ていくことである。危険妄想が無限に広がるのを防ぎ、原発の危険について有限で定量的なイメージを人々が作れるようにしていくのだ。原発の危険の限界がわかり、その対策方法等もわかっていけば人々は原発を受け入れられるようになる。いったん受け入れられれば寿命60年運転も新設も可能になる。ほんとうに原発を推進しようと考えるならそういう方向に歩みだすはずだ。

 実は原発の危険性を受け入れられないのは一般の人々でなく原発推進派自身ではないのか。それができないから人々に危険性を説明することもできない。安全神話にすがって生きてきた推進派は自ら原発の危険性に言及することは内部的事情として許されないのだ。そういう体質になってしまっている。人々の危険妄想は実は原発推進派の無意識の投影なのだ。

2012-05-29

私は脱原発派か?

 現在の原発に対する考え方の主流は

・安全確認後の再稼動。安全確認できない原発は再稼動しない。

・原発寿命は原則40年

・原発新設はなし

・寿命による脱原発

ということだろう。おそらく民主党はこんな考えかと思われるし、細野大臣の2030年の原発比率15%というのもこの考え方に沿ったものだろう。

 ところで私はといえば「原発停止の経済性」に示したようにこんな考えだ。

・今後約10年程度は原発停止。その間に安全対策と廃棄物処分の社会的合意(信頼)を得る。(そのためには橋下市長らの提言を実施するのがいいだろう。)

・安全対策と廃棄物処分の合意ができた原発は寿命60年まで動かす。

・安全対策と廃棄物処分ができるなら新設もあり。

・安全対策と廃棄物処分ができるなら輸出もあり。

 この考えは脱原発だろうか。とてもそうはいえない。政府よりも橋下市長よりも明らかに原発推進的考えである。だからいわゆる反原発派、脱原発派の人たちからは嫌われるであろう。ところが原発推進派からは脱原発派とされてしまうのだ。なぜか。原発推進派の論理はこうである。

 「大阪府市統合本部が『原発再稼働の条件』として出したのは、『原発から100キロ圏内の住民の同意を得て府県と原発の協定を締結する』とか『使用済み核燃料の最終処理体制確立』など8つの条件である。大飯原発から『100キロ圏内』といえば、福井県だけではなく、京都府・大阪府・兵庫県・滋賀県・鳥取県・岐阜県まで含む。これだけ広範な府県・市町村すべての同意がないと原発を運転できないとすれば、全国の原発が運転できなくなるだろう。(略)要するに、ハードルを無限に上げてすべての原発を止めようとしているのだ。」池田信夫ニューズウイークコラム

 池田信夫が推進派の代表なわけではないが、推進派の人はおそらくこのような考え方をしていると思う。橋下市長の8条件は原発再稼動の条件を示しているだけで再稼動するべきではないとは言っていないしその後原発を減らすとも増やすとも言っていない。だからあの8条件だけ見れは脱原発とも原発推進ともいえない(橋本市長自身は原発をなくせとは言っているが)。もしあの8条件を国や電力会社がクリアすれば原発推進の社会的合意ができたとも言えるのだ。それができれば脱原発ではなく原発の長寿命化や原発新設なども可能になるかも知れない。だから推進派こそこういった社会的合意をとることに熱心になってもいいはずだ。なのに原発推進派はちらりともそれをやろうと考えず、非現実的といって攻撃するばかりだ。それはなぜか。

 つまり原発推進派とは「原発推進を考える人」ではないのだ。「原発推進を考える人」が定義なら私だって原発推進派になるはずだ。しかしそうはならない。原発推進派とは逆説的だが「原発推進の社会的合意を得ることは不可能と信じている人」なのである。

 そんなばかなと思うかも知れないが考えてみれば自然なことなのだ。原発推進派は安全神話を形成することにより原発を推進してきた。安全神話は「安全対策と廃棄物処分の社会的合意」のかわりに作られたものだ。つまり安全神話の無意識の前提として「安全対策と廃棄物処分の社会的合意は不可能」という認識があったのだ。安全神話が事故により崩壊しても原発推進派は「安全対策と廃棄物処分の社会的合意が不可能」というところは未だ無意識に信じている。そして自分たちにそういう習性があることを自覚していない。

 しかし今後の原発推進のためには神話に頼らずに「安全対策と廃棄物処分の社会的合意」という原発推進派が不可能と信じた道に挑戦することしか残されてはいない。そしてそれは実は挑戦してこなかっただけで不可能ではないと私は思う。広範な地域の同意が必要だとしても全ての地域の同意に必要な十分な安全対策をすればいいのだ。それだけの覚悟をもって原発は推進すべきなのである。

 これができればメリットはいろいろある。原発の寿命が延びれば代替燃料費の節約になるし、化石燃料高騰のリスクヘッジにもなる。合意さえできていればより安全な原発を新設することだってできる。世界で一番地震の多い日本で地震や津波に強い安全対策ができればそれはすなわち世界の原発を安全にする。新興国では福島事故などにかかわらず原発の需要は増えている。同じ原発なら十分な安全対策ができている原発の導入を新興国は希望するに違いない。日本は頼られているのだ。

 信頼を回復しようともしないで停電回避と代替燃料費というしょうもない理由で原発を再稼動しようとするのではなく、本当の信頼を確立し、世界に貢献できる真の技術を開発し、未来に希望を灯す、災い転じて福となす、自動的な反応ではなく自分の頭で考えることのできる新しい原発推進派の台頭を私は期待したいと思う。

2012-05-22

週間東洋経済「東京電力偽りの延命」

 図書館で雑誌も借りれるそうなので借りて読んでみた。定価690円を毎週買う人がいるだけあって内容は質が高い。ネットをうろうろしてるのとは違う。グラフィックもたくさんある。こんなのをよくもまあ毎週作っているものだ。

 経済雑誌なのでもっと冷静か、あるいは原発推進かと思って読んでみたが、思いっきり反原発でびっくりした。さらにびっくりしたのは原発の電力が20円/kWhを超えるという試算。事故コストと事故リスク対応によりそうなるという。年1兆円が除染費用、賠償費用や廃炉費を寿命で割って2000億円、電源立地地域対策交付金が1.2兆円、そして保険料が2.2兆円、それらを年原発発電量で割り、現状コストに足すと21円だそうである。

 この保険料の考え方がよくわからない。福島第一原発の事故処理コストを年額1.1兆円とし(総額はその40倍)これを全原発に当てはめると22兆円、事故発生確率を1/500として日本には50基あるので10年に1回。ということで22兆円を10で割って2.2兆円というのだが・・・年額で計算するのもよくわからないし全基で計算するのもよくわからない。全基がいっぺんに事故になる確率ははるかに低いように思うし。そうではなくて福島の事故費用が総額44兆円であり、それが10年に1回おこるとして4.4兆円なら納得するかな。しかしその計算だとなんと29円/kWhにもなってしまう。事故費用44兆円てちょっと高く見積もりすぎのような気もするし。まあとにかく原発コストはいわれるより高いことは間違いないようだ。

 何日か前に書いた電力会社はLNGを高く買いすぎという話もしっかり書いてあった。さすが。

 さてこの感想を書こうと思って東洋経済をネットで引いたらこれは今年の2/18発行なのだが、なんとその東洋経済編集長が2月17日深夜痴漢で逮捕されていたそうだ。反原発を唱えるとなんと痴漢で逮捕されてしまうのだ。話によると痴漢で逮捕するのは簡単だそうだ。当人のほかに女性一人、男性一人いれば当人が何もしていなくても女性が悲鳴をあげ、男性が当人の手をつかみ警察につきだせば逮捕できてしまう。簡単に陥れることができるのだ。そして日本の裁判所は機能していないから起訴されれば99.9%有罪。こんないい仕事をしているのにかわいそうな編集長・・・その後どうなったのだろうか。

週刊 東洋経済 2012年 2/18号 [雑誌]

週刊 東洋経済 2012年 2/18号 [雑誌]

2012-04-05

「福島第一原発−真相と展望」

 著者は現在稼働中の最後の原発を発注した人であり、NRCの廃炉マニュアルを作った廃炉の専門家である。その人が福島の事故について廃炉という同じ言葉でいうのは適切でないくらい廃炉が困難だと言っている。その手順の説明を聞くと確かに難しそうだ。しかも30〜40年は当たり前のようにかかる。例え、現在ある原発をすべて即刻止めたとしてもそういうこととは別問題だ。まったく原発とはやっかいなものである。

 原発の本も結構読んだのでびっくりするようなことはないだろうと思ったのだがびっくりしたことが3つあった。3号機の爆発は燃料プールで臨界がおきたためとみている点、ICRPの基準では内部被曝の想定が甘く、ECRRを支持している点、そして日本が新しい規制組織のお手本にしようとしているNRCでも内部告発を無視したり業界の意向に沿った規制が行われるなど日本で問題になったことがやはりおきている点。

 ガンダーセンは3号機の爆発について燃料プールの燃料が臨界を起こしたためではないかと言っている。中間報告書も民間報告書もそんなことは言っていない。新説だがこういう経歴の人が言っているだけにあるのかもと思ってしまう。ICPRは内部被曝について組織100g単位で計算している。1g単位なら納得するけど100gで平均化すると影響が低く出過ぎると言っている。NRCの内情も明らかにしている。保安院があまりにもだめなのでNRCをお手本に独立規制機関を作ろうとしているが独立規制機関でもやはり政治的、業界的影響は逃れられない。結局、技術的に安全が確保できる可能性があっても、組織的、人的リスクはいつも付きまとい、安全を保障できることはないのだ。

 この人も専門家でありながら、原発は人間の手に負えないのでやめるべきだと言っている。これまで読んできた田坂とか武田とかyoutubeで有名な後藤とかもみんな元設計者だったり廃棄物研究者だったり燃料研究者だったりしている。こういう専門家がいまや反原発あるいは脱原発論者になるということはやはり原発は問題があるということだろう。原発推進派は原発を動かせば確実に儲かるのだからこの人たちも推進派でいたほうがいいはずだ。しかし反対に回った。金で動いている推進派よりずっと信頼できそうに思われる。

福島第一原発 ―真相と展望 (集英社新書)

福島第一原発 ―真相と展望 (集英社新書)