No.62

○○ 隆信さま

たいへん遅くなりました。締め切り済んでたら、お許しください。
「昇 天」の部分は削除して戴いた方が良いかもしれません。
文章全体、おかしなとこだらけだと思います。校正よろしくお願いします。

2012(H24)/09/08 研磨石



「馬歴なし4年間補欠、卒部後36年、なれのはて」

馬歴もなかったし、4年になっても補欠だった研磨石。
1、入部して間もなく(1973.S48. 4. 入学)、
隼人に引っかけられて、馬場を出てバフン坂を降り(早足)、野球場を右廻りで1周(駆け足)したところで気力の限界、この先で落ちたら怪我すると、しがみついていた鞍から手を離し、落ちた。
私の身を案じて駆け寄る人影なく、「何しとるんや、お前は!名馬に」と、馬の無事最優先の先輩方の冷たい視線に「えらいとこに入部したな」と恐怖を感じたものでした。

2、それでも2回生の終わりまでは同期で1番の鞍数だったと思います。
上手くなりたい一心で、K監督さんにお願いし、連日のマンツーマンの早朝練習、それに加えて、OBが預けておられる馬の世話を頼まれ、京都乗馬にも乗りに行ってました。
けなげに通う研磨石を見て、Hさん調教中の外馬で、障害を跳ばせてもらったこともありました。
しかし鞍数とは裏腹に、自馬ピューマをもらった時には、すでに戦力外でして、上級生でありながら試合にも出れず、柊野で留守番することが多くなりました。

3、戦績の代わりに残したもの、
鞍数も減り、このままでは、寝藁作業と草刈りしか用事がない。で、部報『ひいらぎ No.2』は、編集から表紙絵、挿絵、全部 研磨石がやりました。
OBを訪ねて東京まで広告取りに行ったのも懐かしい思い出です。

4、そんな状況の中でも、
いつもは同期のKが独占しているSコーチに、ピューマを持ってくと、補欠人馬でも、いやな顔ひとつせず乗ってくださり、鞭で追われてたった1回だったけど140cmが跳べたのは生涯の思い出です。

大きな声では言えませんが、オリンピック(1976年カナダのモントリオール五輪)の現役監督と選手に直接ご指導頂いたというのが、研磨石現役時代の密かな自慢なのであります。
てなことで、馬歴なくとも、補欠で戦績なかろうとも、楽しい4年間が過ごせるんだと言うところを、現役の少しだけ下手くそな君!ちゃんと読み取ってくれたでしょうか。

で、タイトルの後半「卒部後36年、なれのはて」は、紙面も尽きましたので下記アドレスの研磨石のブログ vajr通信 にてご覧ください。
打ち込み面倒であれば、グーグル等の検索サイトで小文字4文字、vajr と打てば、一番上に vajr通信 が出現します。

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      上田 研磨石[磊翁]

 【命名の由来】
  バサラとは、梵語で、 vajra 、金剛(石)と訳す
  【金剛石 = ダイヤモンド = 研磨石 (磊翁)】
  研磨石とは、 ken(ま)ichi で、(ま)ぬけの健一
  では落款【磊】の誕生由来は?判るかな ???
  ヒント:正倉院御物の名香『蘭奢待』に潜む文字

 代表作句 〜はぐれ雲 気まま我がまま 茄子がまま〜

  mail : vajra@e-omi.ne.jp
  vajr通信: http://d.hatena.ne.jp/vajr/
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昭和52年度卒 研磨石こと間抜けの上田 健一でした。
研磨石命名の由来を知りたい方は、2000/04/21の通信6をご覧ください。
   http://d.hatena.ne.jp/vajr/20000421


新入部員勧誘、立看板は研磨石画。2回生、春の衣笠キャンパスにて