真名板に恋。


 仕事帰りに寄った駅ビルに青森県のヒバで作った製品を売る特設会場があった。ぷうんと木の匂いがたちこめる会場に思わず足を踏み入れる。ヒバ材で作られた湯おけや風呂場椅子、大きなスプーンなどが並ぶ。その中にご飯を入れるお櫃があり、その見事な佇まいに思わず手を伸ばしかけたが、小さいもので一万五千円となると、たまにしか飯を炊かない今の自分には宝の持ち腐れでしかないので手を引っ込める。

 一番品数が豊富なのはまな板だ。小さいものから大きなものまでずらっと並んでいる。小さいものでも厚みがあって存在感がある。会場に貼られた紙には「ヒバはヒノキなどに比べてカビにくい」と書いてある。実は、木のまな板に憧れてプラスチックのものから無印の木のまな板に買い換えて使っていたが、使った後の保存状態が悪く、いつの間にか黒いカビが着いてしまった。それ以来、木は諦めてプラスチックに戻していたのだが、このヒバのまな板で再チャレンジしてみたくなった。値段も手頃な小ぶりのまな板を一つ選ぶ。店員の女性が、これらのヒバは樹齢100年のものを使っていて一枚一枚重さも木目も違うというので、何枚か手に持って重みのしっかりとあり、手に馴染むものに決めた。片面にナスの焼印、反面には魚の焼印が押してあり、切るものによって板面を使い分けるようになっている。野菜用の面が、人参でもトマトでも大根でもなくナスだというところも気に入った。そう、ナス好きなのです。


 本屋へ。

 棚に面陳されている本に目が奪われる。黄色と緑がかった青のカードをカバーに貼り付け、ピンクの帯を掛けているようなデザイン。しかもその色の上には佐々木マキのポップなイラストが。そして著者名が中野翠で書名が「あのころ、早稲田で」とくればもう出した手は引っ込めようがない。


あのころ、早稲田で


 メインの章立てが「1965年」から年ごとに「1968年」までとなっている。僕が生まれた次の年からのことが書かれているわけだ。それもまた興味深い。



 帰宅してツイッターを見ると、昨日の夜にリツイートしたツイートに「いいね」が押されたり、リツイートがされてりしていた。それは東方書店の東京店が加藤徹さんの「漢文の素養」(光文社新書)を《古代からの日本の歴史を「漢字」「漢文」からひもとくことで、日本人が何を思い、どんな試みの果てにこの国が築かれてきたのかを明らかにする。日本文化の豊かな可能性を提言》した書物として推奨しているツイートだった。僕も2006年にこの本が出た時に買って読み、自分と同年代の加藤徹という中国文学者の存在を初めて知り、その学識の広さと伸びやかさに魅了され、とても面白く読んだ記憶があったので、思わずリツイートしたのだ。今、このようなツイートがなされたのは、たぶんある作家が「漢文」教育への批判を展開したことに対する反応の一つなのだろうと思う。この本を読むと、いやたとえ読まなかったとしても日本文学の歴史や日本語に関わる本を読んだりしていれば、いかに「漢文」が日本語や日本文学を豊かに幅広くしてくれたかということが分かるはずだ。中島敦山月記」と樋口一葉たけくらべ」が同じ国語の教科書に載っている豊かさを忘れてはなるまい。夏目漱石の文章や文業が「漢文」なしに成り立ち得たであろうか。

 茉奈佳奈は二人揃って双子であり、真名と仮名は二つ揃って日本語である。
 


漢文の素養?誰が日本文化をつくったのか?? (光文社新書)