仕事の言い訳。


 気づけば8月も下旬である。


 ここ数日続いていた缶詰仕事もひと段落つき、どうにか明日で終了の見込みとなったので、少しホッとする。
この仕事の準備のために色々と机に向かわなければならなかったのだが、軽井沢への出張が入り時間がなく大変だった。この出張がなければ、もっと早く仕事は進んだはずなのだが。


 軽井沢へはちょうどお盆の時期に行っていた。出発は11日の山の日。急遽の出張のため指定席は取れず、自由席の新幹線で行く。初めての北陸新幹線だ。この前軽井沢に行ったのはもう20年以上前だから、当然新幹線は走っていなかった。帰省ラッシュの車内はもちろん座れず、自由席の通路も満杯。指定席車両のデッキにすし詰めで行く。順調にいけば1時間で軽井沢なのだが途中でアクシデントがあり、1時間30分ほどかかる。吐き出されるように軽井沢駅のホームに降りた時には「ふうっ〜」とため息が出た。


 軽井沢駅は新しい2階建の駅舎になっており、地上に降りる階段付近のテラスに出るとどこかで見た光景が。最近ブルーレイディスクを買って見直したTBSドラマ「カルテット」で、もたいまさこが何度も佇み、宮藤官九郎が転んだ軽井沢駅前の光景がそこにある。おお、「カルテット」の世界に来たと少しテンションが上がる。大学時代に来た時には仲間が、たがみよしひさの漫画「軽井沢シンドローム」の世界だと言って喜んでいたのを思い出す。

 宿舎に荷物を置いて昼食をとりに旧軽井沢まで歩く。この宿は安くていいのだが昼食は付かない。同行者たちの希望で駅弁の峠の釜飯を店舗で食べさせる「おぎのや」へ。釜飯は美味しいのだがやはり車内で駅弁として食べたいものだと思う。


 今回の仕事は半分ツアーコンダクターのようなものなので、過去の記憶とiPadを使って同行者たちをあちこち案内する。万平ホテルのラウンジでコーヒーを飲みたかったのだが、満席で諦める。午後だけで2万歩以上歩いてから宿舎へ戻る。夜はフリーなので、ロンドンの世界陸上を見たり、本を読んだり。

越し人 芥川龍之介最後の恋人



 芥川龍之介の最後の恋人と言われる歌人片山廣子との関係を描いた小説で、前半の舞台が龍之介、廣子、室生犀星堀辰雄などが登場する軽井沢になっているのでこれを持って来た。今日前を通った鶴屋旅館に滞在している龍之介のところへ廣子が何度も訪ねていくことで話が進んで行く。



 翌日は塩沢湖から信濃追分方面を移動。仕事の合間を縫って追分の堀辰雄記念館前にある古本屋追分コロニーに寄る。以前から一度来てみたかった店なのだが、こんな形で実現するとは思わなかった。とは言っても、出張中で同行者もいる状況ではのんびりはできない。短時間で店内と棚を一通り眺めるだけで満足しなければならなかった。古民家の建物、広い店内と豊富な本の量。ちょっと倉敷の美観地区を思わせる整備された街道。とてもいい雰囲気の中にあるとてもいい感じの本屋であった。そして、ここからちょっと離れたところに“シャーロック・ホームズ像”がある。案内の看板に誘われて奥まった公園のような場所に行くと、大きな石の庚申塚がいくつも並んだ奥に、あまりに場違い、あまりに突然にその立像が立っているのだ。なぜ、この信濃追分にと疑問に思ったのだが、聞いてみると新潮文庫シャーロック・ホームズ・シリーズの訳者でお馴染みの延原謙の出身地がここであるらしい。ホームズ好きは一度この地に立ってその驚きの光景を見てみても面白いのではないかな。機会があったらまた来たいなと思わせる信濃追分だった。


 3日目は、出張の中で一番歩いた。中軽井沢方面の内村鑑三石の教会の前も通ったし、旧軽井沢の奥にある旧三笠ホテルの前も通った。特に三笠地区はまさにザ・別荘地という感じで歩きながら鬱蒼とした森の中に点在する広大な別荘の数々に目を奪われる。ドラマの設定上は「カルテット」の舞台となる別府家の別荘はここら辺にあるはずなのだが、当然見当たらず。昼食後、同行者たちの希望で、軽井沢駅周辺の巨大なアウトレットモールでの買い物タイムとなる。ここも「カルテット」案件なのだが、それよりも行きたいところがあるのため、この空き時間を利用する。駅を挟んで反対側にある池のほとりに立っている大賀ホールへ向かう。「カルテット」のクライマックスに登場するコンサートホールだ。小さい土手のようなものを上がるとその向こうの池越しにホールの姿が。ああ、ここだ、ここだと思う。写真を撮って、歩いてホールへ。コンサートの準備中のため中にも併設されている茜屋珈琲のカフェテリアにも入れず。代わりに駅まで戻り駅前の茜屋珈琲店に入る。以前に来た時も笑ってしまうくらい値段設定の高い店だったが、今でも変わらない値段だった。20年以上経っても値段が変わらないのだからむしろ良心的な店と言えるのかもしれないが、今の感覚でもやはり値段は高い方に入るだろう。それでも懐かしさ込みでブレンドコーヒーと自家製ブルーベリージャムのかかったチーズケーキを堪能する。



 最終日は、Uターンラッシュを避け、朝9時台の新幹線で帰る。自由席で座って帰れたのでよかった。


 翌日からの2日間が、この夏唯一のお盆休み。しかし、数日後に締め切りの仕事があるために、ほとんど食料を買い出しに行く以外は家にこもって机に向かっていて終わる。煮詰まるとiPad横山光輝「三国志」を読んでいた。以前に書いたように吉川英治三国志」を読んでいたのだが、知人が横山「三国志」と「水滸伝」をこの夏読破したと言っていたのに触発され、吉川「三国志」をやめて、こちらに乗り換えた。ただ、読み始めるとあっという間に1、2巻と読み進めてしまうので、やるべき仕事が進まないのが難点だったが。


三国志 全巻セット (1-60巻 全巻)



 今日の休日出勤の帰りに本屋に寄って文庫を数冊買う。


芥川竜之介紀行文集 (岩波文庫)
プレヴェール詩集 (岩波文庫)
橇・豚群 (講談社文芸文庫)




 「芥川竜之介紀行文集」には雑誌に発表した数ページの「軽井沢日記」が載っている。片山廣子の名は出てこないが、犀星や堀辰雄、それに鶴屋旅館や万平ホテルが登場する。それにしても“芥川竜之介”という表記には違和感を感じるなあ。底本にしている岩波の全集は「芥川龍之介全集」なのだから、文庫もそれでいけばいいのにと思ってしまう。最近、岩波文庫は芥川づいていてこの前も石割透編「芥川追想」という芥川に関する回想エッセイを集めたものを出している。その中に松村みね子片山廣子)の追想エッセイが載っている。イニシャルトーク全開で芥川さえ“A氏”としか書かれていないちょっと不思議な文章。芥川も堀辰雄らと信濃追分を訪れ、「ここはあんまり静かで、しんじゃいたくなる」と言った挿話が書かれていた。


 「プレヴェール詩集」はシャンソンの「枯葉」を作詞した詩人の詩集。ジャズ好きなので「枯葉」への興味から入手。まず、「枯葉」の日本語訳を読んで、初めてちゃんと歌詞の内容を確認した。それまでは、ナット・キング・コールが日本公演の時に日本語で歌った「枯葉」の一部が僕の知る内容のすべてだった。


 「橇・豚軍」は講談社文芸文庫らしいマイナー作家の作品集。黒島伝治の名前は大学時代の指導教授が書いたものの中に出てきたことによって頭に残っていた。文学史的にはプロレタリア文学という範疇に組み入れられてしまう。プロレタリア文学にあまり興味が持てない方なのでつい敬遠しがちになる。それを壊す意味でも買ってみたという感じ。



 軽井沢から帰って来てから、またちょっとずつ「カルテット」を観直している。背景として映る軽井沢の風景を中心に眺めている。「ああ、あそこだ」とか「この場面はあの教会だったのか、それなら中に入っておくんだった」とか思いながら観る「カルテット」もまた楽しい。これもまた仕事が進まなかった言い訳ではあるが。