フリー・ムーン。

 仕事が立て込んでいる。仕上げなければいけない書類が溜まっている。そのため日曜日にも職場に行きPCの前に向かわなければならい。


 昨夜買っておいた食パンを持って午前中から職場へ行く。職場のあるところに隠してあるトースター(自前)でパンを焼き、チコリ入りコーヒーを淹れて少し遅めの朝食。その後PCに向かってひたすら書類作成。人影まばらな一部の休日出勤者のみの職場でイヤフォンで音楽を聴きながら作業する。トーストやイヤフォンなんてこの休日にしかできない。その背徳感が仕事のエネルギー補給になる。


 聴いているのは、二階堂和美with Gentle Forest Jazz Bandの「GOTTA-NI」。今夜、二階堂和美ライブに行くのでその予習。たまたま彼女のツイッターを見ていたら職場に近い川崎の高願寺というお寺でライブがあり、希望のメールを送れば無料で参加チケット(ハガキ)が返送されると知ってメールしてみたら当たったというわけ。



GOTTA-NI [CD+DVD]



 二階堂和美のライブは2年前の2016年の1月に東京入谷の東京キネマ倶楽部で一度聴いたことがある。元キャバレーという会場でビッグバンドのGentle Forest Jazz Bandをバックに歌う彼女は美空ひばりの様でもあり、笠置シヅ子の様でもあった。昭和の大キャバレーの舞台ということもあるのだろうが、若き日の彼女たちのステージを見たらこんな感じではないかと思わせるものがあった。



 4時半まで仕事をし、武蔵小杉へ。久しぶりに降り立ったこの街にはいつの間にか1年前には無かったツインタワーのマンションが立っており、その1階には三笠会館のレストランが入っているなど“ここはセレブの街ですよ”感を必死に漂わせている様な感じに見える。30年前からこの街を知っている人間からみると今の姿の方が非現実に思えてしまう。もう一棟の1階に猿田彦コーヒーがあったので入ってみる。名前は聞いたことがあるが入るのは初めて。ライブ開演までの時間調整でブレンドを1杯飲んで店を出る。歩いて高願寺へ。入口でハガキを見せたら中に入れた。


 境内にある至心學舎という建物が今日の会場。木造建築でそれほど大きな建物ではない。その中の畳の部屋に座布団と椅子を並べて120名くらいが入れるスペースになっている。人々にお寺に足を向けてほしいという考えから、この建物で色々なイベントをやっているらしい。そして今日の“十三夜音楽会”もその一つ。浄土真宗の僧侶の娘として生まれ、現在は広島の生家である寺の僧侶でもある二階堂和美が、同じ浄土真宗の高願寺の依頼を受けて今日のライブが実現した。観客は招待されたと思われる檀家の人たち(高齢者多し)半分と二階堂和美ファン半分と言った感じ。彼女の歌を聴くのが初めてという人が半分近いという会場でのライブということになる。


 18時開演。このスペースではビッグバンドは入れない。代わりにその中から選ばれたGentle Forest Sextetの6名がバックを勤める。狭い空間なので、彼らの奏でる楽器の音が良く響き渡る。そこへ金色の袈裟とも見紛う衣装で二階堂和美登場。「GOTTA-NI」から「Nica's Band」で始まる。自分を知らない人が多いということで、自己紹介がわりにCM曲(サッポロ一番など)を歌ったりとサービスしているなあという感じ。アップテンポの曲をメインに狭い舞台で所狭しと歌い、動く40分程の前半が終わり、15分の休憩を挟み、今度は月光をイメージした青白いドレスで登場。前半と変わりじっくり聴かせる曲が多い。広島の原爆投下をテーマとした「伝える花」や「かぐや姫の物語」の主題歌「いのちの記憶」を感情豊かに歌い上げる。


 偶然にもアン・サリー二階堂和美という他に代え難い二人の歌手のライブを2週にわたって聴くことになった。アン・サリーの歌を聴いていると、どんな曲でもすべて彼女の「声」に収斂されて行く感じがする。そのため曲が変わっても揺るぐことない彼女の「声」がこちらを包み、その普遍の「声」を味わう喜びを感じるのに対し、二階堂和美の歌は曲ごとにその表情を変え、声すらも多種多様な表情を見せる。そのため彼女の声よりも彼女の「歌」に意識が向かう。その振幅の広さに心奪われる。それは1曲の中での振幅であり、ライブを通しての振幅でもある。そういう意味で僕にとってはアン・サリーは「声」であり、二階堂和美は「歌」なのだ。


 アンコールを含めて最後の「what a wonderful world」まで2時間のライブを堪能する。バックのGentle Forest Sextetの演奏も見事だった。これが無料だとは申し訳ないとしか言いようがない。


 高願寺を出て、バス停で武蔵小杉駅行きのバスを待つ。空には十三夜。月も無料で照らしてくれていた。