匿名性とガバナンス

ガバナンスをしようとすると、匿名の殻を脱ぎ捨てなければならないディレンマの話です。
クレヨンさんのエントリ「ちょっとだけ過激な落書き。」より

アンケートの最後の大体は多数決であって、ガバナンスとは言えない

けれど、アンケートによって改善されることもありますよね。

匿名のアンケートのような形で皆ホンネを言うけど、他の人がどんな

ことを言ってるか知れて、それについて意見できる。

なんとなく、共治っぽくないでしょうか。

というのもクレヨンは皆が言いたいコトを言える、というのが共治の

条件の一つであると考えているからです。

(注:ここでいうアンケートとは授業アンケートを指します)


まず概念整理から(大雑把な理解)

匿名
名前を知られないこと。それに伴い、個人が特定されないことも期待される(e.g.通りすがり、名無しさん)。←→顕名
顕名
実名であるかどうかは別として、名前によって個人が特定される。←→匿名
実名
本名。←→変名・偽名
変名
ハンドルネームなど、実名を隠すために、実名の代わりに使う名前。←→実名
偽名
変名と同じだが、ネガティブなニュアンスがある。←→実名


匿名でガバナンスができるかという問題についてですが、
東日本と西日本に明確な線引きができないように、
匿名と顕名にも明確な線引きができないというのが私の考えなので、
できるとも言えるし、できないとも言えます。
少なくとも匿名のみではできないと思います。


例えば駐輪場の異議申し立てを目的として想定します。
Step1:コミュニケーション
1人1人が問題であると意識しなければなりません。
「そう言えばさあ、駐輪場がさあ…」という会話がないといけません。
あれこれと議論して問題意識を共有します。
Step2:ドキュメンテーション
不満を言うだけでは解決にならないことを悟る必要があります。
「やっぱ地球ロックだよ、門開けて欲しいよ」という提案がないといけません。
提案をまとめる必要があります。
Step3:オーガナイゼーション
提案するだけでは実現しないことを悟る必要があります。
『交通対策委員の方へ。今年に入り、自転車の……』という行動がないといけません。
合意を形成により正統性を保障した組織(?)を形成する必要があります。


Step1では、現在ブログ演習で出てきているような、誰もが考え得る意見が表出する段階です。この段階までは(関心が高い問題ならば)電子的な場で可能だと思います。感覚的に気付いている方も多いと思いますが「ああ、やっぱりみんなこう思っているんだ」みたいな感覚を共有できたのではないかと思います。これがガバナンスへの勇気づけになります。
Step2は、具体的な政策提案と、その洗練の段階です。誰かが意見の集約&提案をまとめる必要があります。それについてレスの嵐で政策を洗練していって、納得のいくドキュメントを作り上げます。
Step3はかなりリアルな場との接面が広くなります。ここまでの間に段々と個人の拘りや問題意識が表出してくるはずです。


私は完全なる匿名制においてコミュニケーションは成立しないと考えています。
クレヨンさんの言うように、別の人格を演じるということは、ガバナンスの恩恵を受ける人格とガバナンスに参加する人格が乖離しているということになり、ガバナンス自体が虚構のゲームになるからです。
このことについては三宅龍太郎さんが言及しています。
入り口として、匿名っぽさを演出するのは良さそうですが、参加する当人達にガバナンスする意思がないと、匿名の欠点ばかりが目立ってしまう気がします。


クレヨンさんの匿名に拘る姿勢に敬服しつつ、筆を置きます。