『十戒』(セシル・B・デミル、1956年、アメリカ)

BSプレミアムで見た。

モーゼの十戒」という言葉や「海が割けるシーンがある」ということぐらいしか事前知識はなかった。
ただ西洋の人文科学や社会科学はこういった世界を前提知識とした上で組み立てられているので、知らないで通すわけにはいかない。若干の義務感も持ちつつ鑑賞した。一時も目が離せない緊張感だった。

正直な所、よくわからないというのが率直な感想。ただし、自身が望んでいない(むしろ嫌悪する)男と結婚せざるを得ない女性の悲運(モーゼを愛したネフェルタリ、ヨシュアを愛したリリアはいずれも望まぬ結婚を強いられる)は時代も洋の東西も問わず存在するのだと改めて思い知らされた。

モーゼの十戒には自分には受け入れがたい戒律もある。「父と母を敬え」と言われた所で正直自分には吐き気を催すだけだ。父も母も、俺にそんなことを望ませるわけにはいかないことを既に彼ら自身が分かっている。

生産力の低い時代にはこのような律法がなければ社会秩序を維持できなかったのだろう。

母に棒に振らされた今までの人生を経て、既に俺は40が見えてきた。「俺は幼い頃母親に脳内レイプされたのだ」という結論で、ようやく自分の過去は整理できた。でもこの結論にたどり着くまで、20歳から数えたとして、もう20年を費やしてしまった。こういう映画の素晴らしさを20歳の頃に味わえるような人生を俺は送りたかった。

あとの人生が40年残っているとして、自分はどこまで自分の視座を広げ深めることが出来るのか。そして自分はこれからでも幸せになれるのか。全くわからない。