大人の恋心はメンドクサイという話

少し前に、

職場でゴタゴタがあって、

その原因が、

どうやら「三角関係」にありそうだということで、

色めき立った私・・・

 

 

 

真相つきとめてやる!と、

完全なる野次馬根性発揮したところ、

あっさり全貌が明らかになりまして、

 

 

 

ホントは、

これ連載する予定だったんだけど、

仁義なき戦い 代理戦争編 (1) ガチで女の泥仕合が始まったぜ!http://livedoor.blogcms.jp/blog/victoria007/article/edit?id=37813065

仁義なき戦い 代理戦争編 (2) 役者が多すぎて何がなんだか・・・

http://livedoor.blogcms.jp/blog/victoria007/article/edit?id=37869778

仁義なき戦い 代理戦争編 (3) なぜ純愛はバレるのか?

http://livedoor.blogcms.jp/blog/victoria007/article/edit?id=37885970

 

 

 

 

一気に興味がなくなりました。

 

 

 

キレイごとを言うと、

「武士の情け」っていうヤツかな・・・

 

 

 

なんかね、

すっごく哀しいなあ・・・と思って、

 

 

 

同時に、

 

 

 

 

大人の恋心はメンドクサイなあ・・・と、

ちょっとうんざりしたっていうか、

 

 

 

十代、二十代の恋と、

三十代、四十代の恋は、

全然ちがうなあってしみじみ思って、

なんかもういいや~ってなっちゃった。

 

 

 

必ずしも年齢で区切るものでもないのかもしれないけど、

子どももあって、

ひょっとすると孫まであるくらいの人が、

特定の異性に対して、

ずーっと特別な感情を抱き続けるというのは、

世間的に言うと、

「秘めた思い」ってことになると思うんだけど、

 

 

 

秘めたまんま、

できたら墓場まで持っていったほうがいい思いもあるんだと、

知りました。

 

 

 

つきつめて言えば、

人間の「承認欲求」に原因があるのだと思うんだけど、

 

 

 

結婚して、

子どももいて、

家もあって、

一見、

幸せな家庭を営んでいるように見える人も、

女として認められたいっていう思いがあるのは、

これはもう、

本能のレベルなので、

隠す必要はないと思うんだけど、

 

 

 

それを、

全く関係のない第三者(つまりよその女のダンナね)に期待して、

見返りがないからって、

その責めを、

全く関係のない他の女(例えばその鈍感男の部下の新卒社員とか)に向けるものだから、

話がややこしくなって、

 

 

 

周りの男の上司とか、

ぜんぜん、

こんな複雑な女の心の機微に気づく余地なんかないから、

騒ぎの張本人の男が、

騒ぎの張本人の女(片思い中の女の方ね)を、

飲み屋に連れ出して、

ちょっとうちうちに話聞かせてくれとかやっちゃって、

 

 

 

責任とれるの?

うるんだ瞳で見つめていたのは、

お酒のせいばかりじゃないんだよ・・・

 

 

 

・・・というような、

茶番な修羅場の後処理をやるハメになり、

心底イヤ気がさした。

 

 

 

大人の恋心、

特に、

秘めたる純愛に、

当たらぬ神にたたりなし、

 

 

 

金輪際、

関わりを持ちたくないと、

ホント、

思ってしまった。

 

 

 

若い時の恋は、

ある程度、

駆け引きでどっちにも転ぶから、

ヘルプする甲斐もあるというものだけど、

 

 

 

中年になってくると、

今さら結婚・出産じゃあるまいし、

ある意味、

下心なしの直球勝負、

欲しいのはあなただけ❤がマジなので、

 

 

 

下手に、

恋のキューピッドできないです。

 

 

 

一体、

私は何に荷担してしまったんだろう・・・???

と思うと、

寝覚めが悪い・・・

 

 

 

 

他人の恋バナ聞いて、

聞くんじゃなかったって、

人生で初めて後悔した。

 

 

 

 

やっぱり、

他人に見せてはいけない領域というのはあるよね・・・

 

 

 

 

Victoriaでした。 

『AERA 2014.5/26 』 PTA革命の心得6カ条がすごい

AERA 2014.5/26』に、

PTA改革の実例が載っていて、

 

 

AERA (アエラ) 2014年 5/26号 [雑誌]

AERA (アエラ) 2014年 5/26号 [雑誌]

 

 

 

ホントは、

その直前のページに載ってるはあちゅう特集が目当てだったんだけど、

はあちゅう記事は、

ある程度予定調和の世界だったので、

どっちかっていうと、

ついでに読んだこっちの方が衝撃。

 

 

AERA購読してるわけじゃないので知らなかったけど、

どうも、

「PTA問題」と題して、

連載されてるっぽい。

 

 

今回は、

「なくそう!無駄な仕事!」

「効率アップ!」

をモットーに、

見事、

PTA改革に成功した事例が載っていて、

そのひとつひとつが心に刺さる。

 

 

実は、

昨年はいろんな役員の当たり年で、

いろいろ兼務し、

いくつかはめでたく任期満了でバトンタッチしたけれども、

引き続き役員続行中なものもあり、

役員やってておいしい思いもなくはなかったけど、

全体として見ると、

イヤな思いの方が多くて、

なんかいろいろ勉強になった。

 

 

 

まずは、

アエラ掲載のPTA改革心得6カ条を写してみると、

 

 

 

  1.  PTAが任意加入であると周知徹底
  2. 「子どものため」に振り回されない
  3. 平等にすることを目標にしない
  4. 「できない人」の人権を認める
  5. ”ゆるさ”と”鈍感力”を大切に
  6. 革命には同志が必要

 

 

さすがAERA

キレイにまとめたよねって、

ホント、

感動しちゃったんだけど、

 

 

 

PTAだけじゃなく、

各種ボランティア団体なども似たところがあるんじゃないかと思うんだけど、

ビジネスと、

全然、

よりどころになるものが違うから、

必ずしも、

効率重視でてきぱき仕事を割り振っていくのがいいわけではないし、

毎年人が変わっていくので、

誰もその由来を知らないナゾの申し送り事項が、

役員の首を絞めてて、

必要以上に消耗するということが多々あり、

なんていうか、

ベルリンの壁崩壊以前の東欧かソ連にまぎれこんだんじゃないかというくらいの、

カルチャーショックを受けた(マジで)。

 

 

だいたい、

連絡事項を、

いまだに連絡網で回すとか、

どうなっているのか?

 

 

 

子ども達は、

さくさくLINEを使っているというのに、

一部役員のおばさんがガラケーしか持ってないからって、

議論にもならないし、

 

 

連絡網作ると、

絶対、

連絡回さない人とか出てくるじゃん?

 

 

 

そうすると、

もう、

何なのあの人的な悪口のチェーンメールが、

すっごい高速で回るんだよね、

 

 

 

いやあ、

こういう人達の子ども達が、

学校でいじめを先導していくんだろうねえとか、

大きな声では言えないことを思ってしまうわけであるが、

 

 

 

おかげで、

ケータイメールで長文打つのに、

だいぶ慣れました。

 

 

 

 

みんな家に帰れば、

PCネットにつないでネットショッピングとかしてると思うんだけど、

絶対にパソコンメールで連絡文書回そうって話にはならない。

 

 

 

ま、

その辺は、

本質的な問題ではないので、

目をつぶるとして、

 

 

 

「平等にすることを目標にしない」っていうの、

ホント、

その通り、

 

 

 

これは熱心にやってる人ほど言うんだけど、

 

 

 

誰々さんは前の活動も不参加だった、とか、

私たちはこんなにがんばっているのにうんぬんかんぬん、

役員会は、

ほとんど悪口大会の様相を呈しており、

その場の空気をすっているだけでどっと疲れる。

 

 

 

 

まさに、

周りが悪口言っててもスルーする「ゆるさ」と「鈍感力」が試されるわけだが、

その場はスルーしても、

悪口のネタとなる事実が消滅するわけではないので、

雪だるま式にデカくなりながら、

永遠に人の口を介して広がっていく。

 

 

 

ああ、

人間というのは、

なぜ、

このように、

ムダなことにこそ、

情熱を傾けることができる生き物なのでありましょうか?

 

 

 

 

とかね、

ずいぶん、

哲学的にもなりました。

 

 

 

 

きつい一年だったです、正直。

 

 

 

 

ただ、

6カ条にもあるように、

「革命には同志が必要」。

 

 

 

大多数の人は、

なるべくならメンドクサイことはやめにして、

仲良く和気あいあいとやろうよと思っている。

 

 

 

子どものために、

親と先生がいっしょに何かやろうよというPTAの目指すところは、

間違ってないわけだし(たぶん)、

なくてもいいよと思う人がいる反面、

あっても悪くないと思っている人も一定数いる。

 

 

 

みんな、

拘束時間が少なくて、

変な縛りがなく、

自分の預かりしらないところで起きたアクシデントに対する責任を問われたりなんていうホラーな状況に巻き込まれないことが担保されるなら、

役員1年くらいやってもやぶさかではないと内心は思っている(はず)。

 

 

 

ということで、

ひきつづきポジティブに、

できることから少しずつ、

周りを巻き込みながら、

改革路線を突っ走る所存です。

 

 

 

なんのかんの言って、

私は結構楽しんでいて、

こんなことでもなかったら、

ケータイ番号交換することのなかったであろう人達と、

綿密に連絡取り合っていて、

それはそれで有意義。

 

 

 

人生是すべて修行がモットー。

 

 

 

 

Victoriaでした。

 

 

 

 

事実は小説より奇なり! 仁科邦男著『犬の伊勢参り』

犬が伊勢参りしたってホント?

 

そんな都市伝説みたいなお話を、

学術的に裏付けたのが、

仁科邦男著『犬の伊勢参り』。

 

 

 

犬の伊勢参り (平凡社新書)

犬の伊勢参り (平凡社新書)

 

 

 

 

どうやら、

ホントのようです。

 

 

 

なんでも、

最初の犬の伊勢参りは、

明和8年(1771年)4月16日昼頃、

最後の犬の伊勢参りは、

明治7年(1874年)12月18日の「横浜毎日新聞」に掲載された、

東京日本橋の角田嘉七の白犬によって記録されているらしい。

 

 

つまり、

江戸時代末期の100年間、

犬が伊勢参りすることが、

普通の光景であったということだ。

 

 

不思議なのが、

必ずしもお参りできない飼い主の「代参」ばかりとは限らず、

飼い主の知らない間に伊勢参りする信仰の篤い犬もいたということで、

 

 

犬よりも豚の方がたくさんいた広島からは、

豚が伊勢参りしたという記録まで残っている。

 

 

著者の仁科邦男さんという方は、

毎日新聞社の記者だった方で、

犬の生態を文献をもとに研究されているらしい(趣味?)。

 

 

 江戸時代の人が、

まじめに犬の伊勢参り目撃談を書いているのを

これまたまじめに仁科さんが引用なさっているのが面白くて、

あっという間に読んでしまったんだけれど、

 

 

犬の伊勢参り

ホントにあった話なんだろうなと思う。

 

 

そういえば、

最近野犬て少なくなった気がするんだけど、

私が子どものころは、

しょっちゅう学校帰りに野良犬に後つけられるって事件があった。

 

 

犬って、

人、選ぶよね、

 

 

私は、

よっぽど犬に甘く見られていたのか、

単純に足が遅かったからかもしれないけど、

ほんと、

しょっちゅう犬がついてきて、

 

 

しかも、

一回きりじゃなく、

犬になつかれて、

毎日、

校門出たら、

犬が待ってたとか、

 

 

自宅に着いても、

しばらく犬が座り込んで、

帰らなかったとか、

 

 

いつ頃だったかなあ・・・

犬に後つけられることがなくなったのって・・・

 

 

たぶん、

自転車通学始める高校生くらいには、

もうなくなっていたと思うけど。

 

 

そういう思い出があるので、

犬が人になついて、

いっしょに歩いてついてくるってのは、

ありでしょうというのが私の感想。

 

 

だから、

飼い主に送り出された or   犬の自主的な意志にかかわらず、

なんとなく人の流れに沿って歩いていたら、

伊勢まで来ちゃったってのは、

全然普通なんじゃないかなあ・・・

 

 

 

最後の犬の伊勢参りが確認された明治の初め頃、

人間のお伊勢参り(少なくとも徒歩の)もまた、

廃れたはずで、

 

 

お伊勢さんの信仰が篤くて参っているわけじゃなく、

人間が大挙して移動するから、

その流れに乗ってるだけだった犬の参拝も、

当然そこで途絶えたはず。

 

 

おもしろいのが、

犬だけでなく、

豚や牛も参った記録があるんだけど、

ネコは参らなかったんだって。

 

 

 

そうだろうね・・・

 

 

 

ネコはムダな労力使って、

知らない遠い地に出かけるなんてことはしなさそうだ・・・

 

 

 

そういえば、

犬が伊勢参りしていた時期、

犬にはっきりした飼い主があったわけではなく、

なんとなく、

街の犬って位置づけで、

だいたい犬は群れをなしていたそうだ。

 

 

群れの中で、

何かうまくいかないことがあって、

だったら他の土地へ行ってくるよなんて思う犬がいたとしても、

おかしくない。

 

 

冒険好きで外向的な犬にとって、

封建社会は、

それなりに窮屈だったのかも・・・

 

 

 

Victoriaでした。

 

 

 

 

 

 

 

恋愛炎上主義 はあちゅうの肖像

2014/05/19発売の『AERAアエラ)』「現代の肖像」は、

ブロガー・作家のはあちゅう

 

http://instagram.com/p/oKobt3rQDW/

 

2013年の12月頃から、

はあちゅうのブログを読むようになって、

 

 

 

twitterinstagramもフォローしてると、

一日中はあちゅうのおっかけやってる気分、

ホントは、

私の娘であってもおかしくない年齢なんだけど、

なぜだか目が離せない。

 

 

 

 毎日、

食べたものや、

会った人の写真をバシバシアップして、

PV稼ぎまくってる女子なら、

他にもいるのに、

なぜはあちゅうだけ特別なのか?

 

 

 

はあちゅうの存在って、

心にひっかかるのよ、

 

 

 

例えば、

海外旅行して、

すっごく意気投合した人と別れる時、

もちろん、

たぶんもう一生会うことはないんだけれども、

 

 

 

あっさり、

バイバイ!って手を振って別れることができる人と、

なんだか、

後ろ髪引かれる思いで、

振り返っちゃって、

ゴメン、帰ったら連絡していいかな?って、

おそるおそる連絡先聞いてしまう人がいるんだけど、

はあちゅうは後者なんだな・・・

 

 

 

そんな思いで、

今朝一番にコンビニ走って、

AERA』買ってきました。

 

 

 

 

AERA (アエラ) 2014年 5/26号 [雑誌]

AERA (アエラ) 2014年 5/26号 [雑誌]

 

 

正直な感想は、

ライターの速水さん、

ちょっと盛りすぎなんじゃない?っていう・・・

 

 

 

女の子は、

生きていれば、

いろいろ悔しいことはあります、

 

 

 

それが、

リベンジって形で、

トラウマになっちゃうタイプは、

別に珍しくもなんともないので、

 

 

 

もし、

マジで、

この程度のこと(つまり、人気者になれなかったとか、ブスのレッテル貼られたとか)が、

はあちゅうアイデンティティの根幹をなすととらえているなら、

二人ともよっぽど恵まれた環境で育ったんだねって思うんだけれども、

 

 

 

たぶん、

はあちゅう自身は、

かなりの部分、

乗り越えてしまって、

もうあんまり気にしてないはず。

 

 

 

だけど、

彼女自身の恋愛は、

まだ終わってないらしいから、

そういう意味では女として発展途上、

 

 

 

そんな微妙な時期に、

『恋愛炎上主義』なんて本出版して、

恋愛運が逃げていかないのか?とか、

老婆心ながら心配になるんだけれども、

 

 

 

 

恋愛炎上主義。 (一般書)

恋愛炎上主義。 (一般書)

 

 

 

 

 そもそも、

「恋愛」と「炎上」というキーワードを、

くっつけてしまうところに問題がありまして、

 

 

 

炎上しない相手と巡り会わないかぎり、

愛をさがす旅は終わらないはず。

 

 

 

むかしから「燃える恋」とか言うけれども、

燃えちゃったら恋は灰になっちゃうから、

遠赤外線くらいのぬくぬくした関係でないと愛は育めない。

 

 

 

作家として、

恋愛をテーマに書き続けるんだったら、

激しい恋をいっぱいした方がいいし、

それくらいでないと、

書く情熱も湧いてこないだろうから、

『恋愛炎上主義』は、

そういう意味では、

はあちゅうを人生の岐路に立たせてしまったかもね。

 

 

 

アラサーとはいえ、

まだ20代のうちは、

清く正しい関係を築いていけるのだけれども、

30代になると、

とたんに不倫率急上昇だから、

女はいろいろ大変です。

 

 

 

あれだけ外食続けて、

体が何ともないとは、

かなり胃腸が強いらしいけれども、

 

 

 

あれ?

はあちゅう、最近、

夕食の画像のアップが減ったよね?って思ったら、

本命ができた印だと、

楽しみにしてます。

 

 

 

はあちゅうはここにいます↓

はあちゅう主義。

 

 

 

余計なことですが、

はあちゅうは、

ホリエモンみたいな人がタイプかもしれないけど、

大本命は、

情弱な男の中にいるのではないかと・・・

 

 

 

 

Victoriaでした。

 

 

 

 

ブログ引っ越しました

こんにちは。Victoriaです。

Victoriaの日記にお立ち寄りくださり、
ありがとうございます。




Victoriaの日記は、
下記に引っ越しました。





日々のふとした出来事から、
恋愛そして人生を語るブログとして、
ますますパワーアップしております。





ぜひ、
こちらへお越し下さいませ→Victoriaの日記






Victoriaでした。

5000年史 Part6  14世紀の世界 (54) 大明暗黒政権 里甲制と衛所制〜朱子学が栄えた理由

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
「5000年史 Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「里甲制と衛所制」





まず、
それぞれの用語の説明をみてみましょう。
山川出版社世界史用語集によれば、

世界史B用語集 改訂版

世界史B用語集 改訂版

里甲制 : 洪武帝が制定した、農村統治のための連帯責任制度。民戸110戸を1里とし、そのうち富裕な富戸10戸を里長戸、残りの100戸を10戸ずつ10甲に分け、各甲に甲首戸をおいた。そのうち、1年交代で選ばれた1里長と10甲首が、賦役黄冊の作成、租税の徴収、中央への献上品の調達、さらには村の治安維持などの責任を負わされた。

衛所制 : 洪武帝が唐の府兵制を範として設立した兵農一致の兵制。軍戸の112人で百戸所、10百戸所で千戸所、5千戸所5600人を1衛とし、衛の上には都指揮使をおき、各省が管轄した。



要するに、
十進法に基づく、
水も漏らさぬ盤石な組織を作ったというわけなんだけど、





ポイントは、





通貨を介しない仕組みを作り上げたこと。






税金は、
お金じゃなく、
物で納めなさい、
しかも、
自分で都へ持って来なさい、
そういう制度で、






これなら、
流通経路がなくてもいいだろうっていう、
そういうシステムです。





完全に、
モンゴル帝国のやったことを、
全否定してますね。






こんな、
原始的なやり方、
続くわけないんで、






結局、
朱元璋が生きてる間は、
かろうじて続いていたけど、
15世紀中頃から、
戸メカニズムは崩壊していきます。






朱元璋は、
いろいろと人格的に問題のある人だったけど、
商人を憎んでいたので、
通貨を介しない経済の仕組み以外は認めない!って感じ、





こういうリーダーが出ると、
国の発展が100年遅れるから、
メーワクなんだけど、





どんな人が朱元璋のブレーンをやってたのかを見てみると、






朱子学者。





クビライの大元ウルスは、
世界帝国で、
銀を商社に投資、
中国から銀を持って帰って、
消費税をかけ、
銀を循環させてもうけていた国だから、




四書五経はいらない。






なので、
科挙をさっさと廃止し、
外国人をバンバン大臣につけた。





科挙というのは難しい試験なので、
もともと賢い人が、
10〜15年かけて勉強して、
ようやく通るか通らないか、





それでも、
いったん通ってしまうと、
年収1億円が約束されたようなものだから、
インセンティブはあったのだが、





クビライに科挙廃止されてしまって、





10〜15年かけて勉強してきたのに、
夢のようなポストがもはやない。





仕方がないので、
科挙受け損ねた学者たちが、
揚子江のあたりへ流れていって、
金持ちの家庭教師になり、
なんとか食いつないでいたわけだけど、






末は、
総理大臣になるはずだったのに、
家庭教師に甘んじていたわけだから、
モンゴルに対する恨み骨髄に徹す彼らは、
そのはけ口を、
朱子学に見いだした。






朱子学というのは、
イエデオロギーを歴史にもちこんだ学問で、






正統王朝はどれか?






ということを、
研究している。






当然、
モンゴルの元のことは、
ケチョンケチョンに言うはず、






それが、
南北朝時代の日本にもたらされ、
南朝が正統であるという、
北畠親房の「神皇正統記」につながっていく。






・・・ということで、本日の結論 :





優等生の恨みはこわい。






Victoriaでした。

5000年史 Part6  14世紀の世界 (53) 大明暗黒政権 1398年 建文帝即位〜靖難の役

こんにちは。Victoriaです。

2013/04/14(日)、京都大学百周年時計台記念館で開催された、
「5000年史 Part6 14世紀の世界」講義録のまとめ、
今回は「1398年 建文帝即位」




極貧から身を起こし、
明建国して、
江南から中国統一に成功した朱元璋は、





死の間際まで功臣を殺し続け、
1398年、
69歳で死去、





頼みにしていた長男は早世していたので、
孫の建文帝が、
第2代皇帝に即位、
しかし、
いろいろあって、
建文帝は1402年に行方不明になっている。






行方不明?





殺されたのか、
自殺したのか、
はたまた逃亡したのか、
よくわからないらしい。





なぜ、
建文帝が、
このような悲しい運命をたどったかというと、





建文帝は、
早世した皇太子(つまり朱元璋の長男)の息子なんだけど、
建文帝からみるとおじさんにあたる人たちが、
いっぱい北の地に駐屯していて、





みんな働き盛りだし、
はっきりいって、
生かしておくと、
いつ自分がやられるかわからないので、
領地没収して、
庶民に落とした。






つまり、
おじさん達を、
皇族から追放したわけ。






それで、
順番におじさん達をやっつけていったんだけど、
ホントの敵は、
彼らではなく、
燕王(のちの永楽帝)。






いわば、
燕王を粛清するための地ならしとして、
おじさん達を追放していったんだけど、






燕王も、
それを指をくわえてみてるわけにはいかない。






自分の軍隊はどんどん減っていくし、
南京から、
お目付役(つまりスパイ)はどんどん送られてくるし、






このままいったら確実にオレは殺されるな・・・






ということで、
やられる前にやっちまえ!と、
反乱を起こす、
それが、







靖難の役(1399〜1402)。






どう見ても、
建文帝より燕王の方が、
有能だったように思うのだが、






朱元璋が、
徹底した中央集権のシステムを構築したため、
南京軍は50万、







かたや、
燕王の軍は数万で、






しかし、
燕王にとっては幸いなことに、
朱元璋が、
有能な家来をどんどん粛清していたため、
南京軍にはロクな指揮官が残っていない。






そんなこんなで、
兵力では圧倒的に勝っていた南京軍は、
有能な指揮官には恵まれず、
結果として、
戦は長引くこととなる。






最後は、
建文帝の行方不明というオチがついて、






各地に、
建文帝生存伝説が残っているそうです・・・







ちなみに、
建文帝をやっつけた燕王ですが、
朱元璋の4男で、
建文帝のお父さんとはれっきとした兄弟(母親が同じという意味)。






だから、
朱元璋の息子が、
朱元璋の息子の息子(孫)を殺して即位したわけで、
これも、
簒奪(さんだつ)、
永楽帝は建文帝の存在を歴史から抹消しようとして、
「建文」の元号をなかったことにしたとか。






殺された建文帝の方は、
為政者としての能力はなかったけれど、
「おじさんを殺すな」という命令を部下に出したり、
拷問を禁止したりしたため、
民には慕われたという。






ふ〜ん、
だから、
各地に生存説が残ってるわけね・・・






Victoriaでした。